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その晩、凛は部屋で悶々としていた。
ルナとメアリも下がらせ、ベッドサイドのランプだけが光る薄暗い部屋で一人、扉に背をピタリとつけ座り込んでいた。
(セシル君に会えないって、どういうことよ…!)
凛はキッと、背後の扉を睨んだ。
耳を済ますと扉の向こうから微かな話し声が聞こえる。
立ち上がると扉をそろりと開けた。
「あの」
「っ?!!」
扉の前に立っていた騎士二人は物凄い早さで距離を取ると剣に手をかけ声の主を探し…凛だと分かると困惑の表情を向けた。
「ど、どっどうされましたか、…イズミ様」
騎士のうち一人が相変わらず剣に手をかけたままひきつった笑みで凛に声をかけた。
凛はハァというため息を吐くと声をかけた方の騎士と目を合わせる。
そうすると思い切りビクッと肩を揺らして視線を反らされる…までがもう何度か繰り返した光景だった。
「…セシルく…魔王様に会いたいんですが」
「なりません!!」
もう片方、今まで声を出さず震えていた方の騎士が叫んだ。
仮にも凛を守るために配属されたであろう騎士のはずなのに、凛を見る目は憎悪に満ちている。
またか、と凛は思った。
「なぜ、ダメなのですか?」
「本日はもうお休みになったと伺っております。面会はまた後日と宰相様も仰っておりましたし…」
「また、宰相様…」
凛は呟くと、小さく舌打ちをした。
だがそれも兵士二人にはバッチリ聞こえていたようで、睨み付けていた兵士は今にも剣を抜き放とうとしているし、それをどうどう、と止めているもう一人の兵士も苦笑しているがどこか怒りを感じているような笑みだった。
「…わかりました。お勤めご苦労様です。お休みなさい」
凛はペコリと頭を下げると扉を閉めて部屋に戻ると、ベッドにダイブし置いてあったクッションを掴み、窓に向かって思いっきり投げた。
(また、ダメだった!!!)
ぼふっという音ともに窓に当たったクッションを無視し二個目、三個目と無駄に沢山あったクッションをどんどん窓に向かって投げ飛ばす。
(なんなのこの世界ぃ~!!!)
最後のクッションはサンドバッグになった。
ドスドスとパンチを打ち込むが一向にスッキリしない。
先ほどのやりとり、もう三度目だった。
『消えて!!この世界から出ていって!!』
凛は混乱した。
黒目は魔力がないから嫌われる。
そう聞いていたし、実際に怖がられているのも体験しているのだからこの世界が黒目の凛を拒否する世界なんだというのは分かっていた。
それがまさか、殺されそうになるとは。
毒を盛ったメイドがルナに連れていかれ、メアリが泣きながら凛にごめんなさいと謝り続ける。
ソファに座り、ふと見ると一部だけ色が変わっていて…毒を浴びた紺色のカーペットはそこだけ濁った白色。
そのシミをみていると、じわじわと恐怖心が芽生えた。
「メ、アリ…」
「は、はいっ!どうされましたか、リン様?!御気分が優れませんか?!…ハッ!まさか、遅効性の毒を浴びて…?!」
「メアリ」
メアリの服の袖をきゅっと掴むと、右往左往していたメアリがピタリと止まる。
「…黒目で、魔力がないって、そんなに悪いこと…?」
「っ!」
メアリの気配が変わった。
愕然としているのか、悲しんでいるのか。呆れているのか。それとも、先ほどの毒を盛ったメイドみたいに、憎しみのこもった目をしているのか。
俯いて、毒を浴びたカーペットを見つめることしかできない凛には、その表情は分からない。
「私、この世界に来てまだ少ししかたってない。なにもしていない。…それなのに、殺したくなるくらい…私が憎いの…?」
「リン、さま…」
メアリの手が震えている。
それに気付いた凛はパッと手を離す。
と同時に部屋の扉が開かれた。
「失礼します」
ノックもなしにズカズカ入り込んできたのは、紫紺の髪を緩く一つに結んで肩から流し、モノクルをつけた水色の瞳の美青年だった。
その後ろには騎士やら紺色のローブを羽織った人やらが列をなして部屋に雪崩れ込む。
「し、失礼ですよ!宰相様!」
メアリの制止もまるっと無視し、宰相様、と呼ばれた青年は凛の目の前に来ると片膝をつき、凛の顔を覗き込む
凛は唖然としながらそのモノクルの青年を見つめた。
「貴女が、リン・イズミ様ですね?」
「は、はあ…」
「ふむ」
青年は上から下まで観察した後、凛の目をじっと見つめる。
笑顔もなく無表情だが、セシルの瞳とは違う、更に色素の薄い透き通るような水色の瞳は恐怖に染められていなかった。
(二十五とかそのくらい…?年下だろうに、私が怖く、無いのかな…)
凛も負けじとその水色の瞳を見つめていると、青年は小さく息を吐くと立ち上がった。
「先ほどの毒物についてですが」
「わ、私が所持しております!」
メアリはピッと手をあげた。
「今後はこちらで調査いたします。先ほどの食事類も証拠品として預かりますが、宜しいですか。イズミ様?」
「え、はい、どうぞ…」
メアリを見ると小さく頷き、ピンポン玉ほどの光る球体がメアリの掌に浮かび上がり、それを青年は受け取った。
「…たしかに。では、イズミ様。我々は失礼いたします。ごゆるりとお過ごしください」
「ま、待ってください!」
思わず、凛は青年の服の袖を掴んだ。
「あっ…」
「……」
突然掴まれたことで反射的に振り返った青年に浮かんでいたのは、侮蔑だった。
強い力で手を振りほどかれ凛は唖然とした。
「なんでしょうか」
「…あ、えっと…」
青年は凛に掴まれた方の腕を触りながらも…無表情に戻っていた。
チラリと青年の背後を見ると、連れてきていた兵士は皆抜刀しているし、ローブを着た魔法使いのような身なりの人たちも、身の丈ほどの長い杖を構えている。
(この人も…ダメなのか…)
部屋に入ってきたとき。
確かにノックもなく乱暴だったし愛想もよくないし無表情だけれど。
凛の目をまっすぐ見つめていたときは恐怖や怒りは全く感じられなかったのに。
先ほどのあの一瞬で垣間見えたのは、隠しきれなかった彼の本心なのだろう。
凛は、泣きたくなった。
なぜこんなに拒絶されるのか。
殺されそうになるのか。
この人たちは、凛の事を何も知らないのに。
ここの世界で、凛を知っているのは、凛を拒否しないのは一人だけで…
グッと涙をこらえ、顔をあげると培ってきた営業スマイルで青年を見た。
「セシル君に会いたいのですが」
ざわりと場が騒いだ。
この国の王の名を出したからだろうか。
青年とメアリ以外が剣や杖を持つ手に力を込めたのがわかる。
「…それは、出来ません」
青年は無表情のまま淡々と告げる。
「我等が王、セシル陛下は大変長らく異世界に留まっていたために疲労と魔力切れと風邪を拗らせてしまったためお戻りになられたときにはすでに体力の限界を迎えており、ヨロヨロと歩くことも儘ならないほど疲弊し息も絶え絶えで満身創痍でした。…そのため本日は既にお休みになられています。陛下より、イズミ様も心置きなくお休みになられるようにと仰せつかっておりますので、部屋の外に身辺警護の騎士を置かせていただきます。ですので、どうぞごゆっくりお休みください」
それでは失礼します。と言うだけいって青年はくるりと背を向け部屋から出ていった。
残された凛とメアリは、ポカンとしたまま目を合わせて頷きあった。
凛は小さく呟いた。
「…嘘が雑すぎでしょ」