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その後、ルナによって運ばれてきたサンドイッチを食べ、食後のお茶で一息いれる頃には夕日も沈み窓から見える景色は徐々に暗い夜の闇色になった。
間接照明は灯っていたが部屋の薄暗さはどうしても感じてしまい、電気とかどうなってるんだろう、とふと天井を見上げるとパッと明かりが灯り凛は驚いた。
メイドを見ると今度はルナが人差し指の先に淡い光を灯していたので凛は学習せずに詰め寄ったがルナは悲鳴をあげなかった。
「これも魔法でつけたんですか?」
「はい。この程度でしたら誰でもできます」
「電気の代わりが魔法なのね…」
「デンキ?」
「ああ、私のいた世界では、魔法とかは無くて…部屋を明るくしたいときは風とか火とかで作ったエネルギーを各家庭に通して、そこでスイッチを入れると明かりがつくんです」
「…よくわかりませんが、エネルギーを流して利用するのも魔法と同じですので…デンキとは、リン様の世界で言う魔法の様なものですか」
「ちがう…んですけど、まあそんなようなものですかねぇ…」
魔法がない代わりに科学が発展したのが地球だ。
スイッチを押すだけで明かりがついたり、蛇口を捻れば水が出たり。
大きな鉄の塊が人や荷物をたくさん載せて空を飛んだり、端末をタッチするだけで世界中の色々なものが買えたり。
当たり前だったことから離れると、確かにあの生活は魔法で溢れていたような気にもなる。
(詳しくって言われても説明できないし…科学って言う魔法が発展した世界ってことにしておくか)
凛は一人納得すると、それで、とまた一歩ルナに近づいた。が、今回も悲鳴はあげられなかったので凛は少し安堵した。
「私のいた日本では、こんなキラキラした魔法はなくて…だから、とても興味があるんです。どういう風にやるんですか?私にもできますかね」
凛はにこにこしながら同じように人差し指を立てくるりと回してみた。が、なにも起こらない。
まあそうよね、と思いながらメイド二人を見ると、先ほどまで無表情で動じなかったルナが気まずそうに俯き、もう一人のメイドのメアリは両手を胸の前で組み目をぎゅっと瞑っていた。まるで、必死に何かに祈りを捧げるように。
「え、えっと……」
(なに!?なにこの空気?!)
凛はあわあわと二人のメイドを交互に見やった。
なにか不味いことをしただろうか。と考えると引っ掛かるのはやはりさっきの魔法の真似だ。
あれを軽くやってしまったのが不味かったのか。
魔法は発動していないように思ったが、特別な儀式とかなんやらをしないと真似すらしてはいけなかったとか。でもそのすべてを分からない凛にはこの空気をどうすることもできない。
「あの、えっと…なにか軽率なことをしてしまいましたか?」
「いいえ…リン様、申し訳ありません。私たちが至らないばかりにご不快な思いをさせてしまい」
「いえ!ちがくて…何か私が間違ったことをしていたなら教えてほしいんです」
頭を深々と下げお団子をこれでもかと見せられた凛は慌てた。
謝罪が欲しいのではない。
この国で生活するのならルールを教えてほしい。凛はその思いだった。
「私はこの国のことをなにも知らないから…だから、私に変なところとか可笑しな所とか、あったら何でも教えてほしいんです」
お願いします、と頭を下げるとメイド二人から顔をあげてください!と叫ばれたので恐る恐る二人を見上げた。
ルナとメアリはお互いが目配せをすると、コクリと小さく頷いたメアリが一歩前へ出た。
「…わ、私からお話しします」
メアリは最初ほど震えてはいないが、相変わらず祈るように組んだ両手は固く握りしめているのだろう、指先が白くなり、顔は緊張のあまり強ばっているのが分かった。
凛もそれに釣られるように、これから告げられる内容に緊張した。
ゴクリと喉が鳴る。
「この国…いいえ、この世界では魔力は誰にでも備わっているものであり、魔法は誰しもが使えるものなのです…。も、勿論力の強弱はありますが…でも、リン様からは、その…」
「魔力が、ない?」
「…はい」
凛は、強ばっていた肩の力が抜けた。思わず小さくなーんだ、と呟いたのが聞こえたのか、相変わらず緊張し続けているメアリはビクリと震えた。
「ああー、私、それには別に驚いたり、ショックを受けたりしませんよ。第一、私の世界には魔法なんて無かったんですから。そんな力が無いのは当然ですし、仕方ないです」
「で、でもこの世界には必ず在るものですし感じるものなのです!でもリン様はなにも感じませんし、なんだかそれがとても恐ろしくて…そ、それに…」
「それに?」
まだあるのか、と凛は思わず前のめりになった。
未だ扉付近に立って話しているメイド二人とは少し距離があるが、やはりメアリはまたピクリと体が揺れた。
「瞳です。リン様」
俯いていたもう一人のメイドのルナが顔をあげ、凛の顔をじっと見つめた。
「瞳?」
「正確には瞳の色、です。瞳の色はその人の魔力の性質を表すものです。なので皆何かしらの色を持っているのですが」
「…黒い瞳を持つものはこの世界にいないってことですか」
凛は盛大なため息と共に近くにあったソファに沈んだ。
やはりショックを受けたのだろう。そう感じたメイド二人は沈痛な面持ちで凛を見つめた。
らしくないことをしていると、メイド二人は感じていた。
魔王城でメイドとして仕えてから何年もたっているし、上からの信頼も厚い。感情を人前で、ましてや客人の前で晒すことなど今までなかったはずなのに。
何故だろう。このリン・イズミという女性を前にすると感情が押さえられない。
恐ろしいと、感じてしまうのだ。
だが実際はどうだろう。
短時間だが一緒に過ごして、とても礼儀正しいし謙虚だ。
どこぞ横柄な令嬢とは違い、仕えていてとても気持ちがいい。
そう感じている筈なのに。心が恐怖を訴える。
(それでも、最初よりかは)
ルナは隣に並ぶメアリを見た。
メアリは、黄泉の森で気絶したメイドの一人だ。
あのとき、森から出てきた我等が主は、ひとりだと思っていた。
頭を下げていたために姿を見るまでもう一人いると認識できなかった。
恐らくルナだけでなく全員だ。
だけど主以外の声がして、そして姿を見て。
皆が言葉を失った。
完璧な執事といわれるあの執事長ですら、一瞬眉を潜めたほどだ。
このリン・イズミと名乗った女性は、美しい容姿であるのだが、何故かそれにとてつもなく恐怖を感じた。魂が拒否をするように。この女性を認めてはいけない。否定しなければいけない。
そしてなぜその感情に刈られるのかわからない恐怖。
それを感じたのだろう。
婚約者だから、と紹介した我等が主は、それはもう殺気を撒き散らしていた。
それをきっかけに倒れたメアリ含むメイド数名と、青ざめた執事達、身を固くした執事長。
三者三様の反応だったがそれを見ずに主は転移した。
その場に残された者達のなんとも言えない空気といったらなかった。
誰も話さず、主が立っていた場所を眺めるしかなかった。
“頭を冷やせ”恐らくそういう意味で、メイド達は少し遅れて魔王城に転移させられた。
そして主自ら、ルナとメアリが専属侍女に選んだ。
同期のメアリは、それはもう青ざめた顔で立ち尽くしていたが、王命だ。逆らえるはずがない。
仕えはじめてまだ数時間しか経過していないが、メアリは当初に比べると落ち着きを取り戻したように感じた。
(確かに恐ろしいけど…なぜ、そう感じるのか)
ソファに深く腰掛け、考えるようにうつ向く彼女を見て、ルナは決めた。
(もっとよく、彼女を知らなければ。害がないのであればそれに越したことはない。ただもし、そうでないのなら…)
ルナは隣にたつメアリに視線を送ると、メアリもこちらを向き、困ったように微笑んだあと、深く頷いた。
(そのときは、覚悟していただく)
ルナもメアリに答えるように深く頷いた。