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不倫されたので異世界でリスタートします  作者: 小春日和
確認を怠ったらしい
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 「で、首尾はどう?」

 「概ね順調だと思うわ」

 

 コトリと目の前に上品なカップが置かれる。テーブルにはスコーンやクッキーなど小さめで可愛らしいお菓子も並べられ、バルコニーから注ぐ春の日差しも相まって主婦層が喜びそうな優雅なお茶会が始まろうとしていた。

 

 …だが忘れてはいけない。ここは自宅ではないのだ。

 

 

 「…男の独り暮らしにあるとは思えないような可愛らしい食器の数々ね」

 「気に入ってくれた?センパイが好きそうだなって思って海外で買ってきたんだ。イタリアだったかな?なかなかいいデザインだよね」

 

 そう言って目の前の男…森崎セシルは紅茶に口をつけ優雅に微笑んだ。

 

 

 柔らかな風が部屋に吹き込んでさらさらの金髪がふわりと揺れ、海のようにも空のようにも見える蒼い瞳が凛を映す。

 その様は絵本から切り抜いたような、いかにも“王子様”そのものであり、凛は益々しかめっ面になる。

 

 四月下旬の土曜の昼下がり。天気は快晴。

 ピクニックでもしたい陽気だが、いかんせん。凛にはやらなければならないことがある。

 そのために本来ならば会いたくもない後輩、森崎セシルと会い、休日に、しかも彼の家にいるという現状である。

 

 凛は外で会おうと言ったのだが、どこに人の目があるとも限らないと言ってセシルの家でと譲らなかった。

 まあ確かに一理ある。と軽い気持ちで来たのだが、衝撃だった。

 駅チカの高層マンションである。

 しかもかなりの上層階に一人で住んでいるという。リビングも広いし天井も高いしバルコニーも広い。凛と弘人の住むマンションより広く感じる。

 極めつけは家具のセンスの良さだ。

 「女子の思う理想のイケメン男子の部屋」である。雑誌の特集とか、モデルルームにもありそうな。

 全体的に落ち着いた色合いで白や紺を基調としたお洒落でありながらごちゃごちゃせず、とても落ち着く空間だった。

 食器といい、お菓子のセレクトといい、部屋のインテリアのセンスの良さといい。セシルはすべて完璧だった。しかもスーツ以外で始めてみた私服のセンスもいい。黒いタイトめなパンツに白のシャツとグレーのカーディガン。シンプルながら質の良さが出ていて非の打ち所がない。

 

 凛は一人項垂れた。

 負けている。

 完全に色々負けている。

 後輩でありながら収入面でも、女子力の面でも。

 待ち合わせの時に現れたセシルを見て、部屋の素晴らしさを見て、自分の情けなさに思わず膝から崩れ落ちたのはつい先程の出来事だ。

 


 (セシル君はイケメンだからこそお洒落に気を使ってるのはある意味当然で…!本社期待のエースだし出てる大学も資格も違うから基本給が違って当然なんだ…とは分かっているけど…!こんなに収入が違うなんてある?!)

 

 思わずハンカチをキーッとやってしまいたい衝動に駆られる。

 だが、やはり先輩だ。何でもないように、心の怒りと動揺は打ち消す。

 

 

 「…コホン。言われた通り、やっておいたよ。義母に会ってきたし、自分の両親にもちゃんと話してきたよ。…忙しくなるからしばらく会えなくなるとも伝えておいた」

 「ありがとう。短い期間に色々頼んでごめんね。でもまさか全部終わらせてるとは思わなかったな」

 「私の今後がかかってるんだもの…やるだけやるわ」

 

 

 小さくため息を吐き、凛もセシルに習いカップに口をつける。

 

 (…っめっちゃ美味しいぃ……!!!)

 

 

 目を思いきり見開き、思わず手で口を押さえた。

 紅茶の味の良し悪しなど全くわからないはずだったが、やはり高い茶葉はこんなにも違うものなのかと驚愕した。

 

 「気に入ってもらえた?全部センパイのために用意したものだから。好きなだけ飲んで、食べて?」

 「…じゃあ遠慮なく」

 

 凛はクッキーも口に運ぶ。言わずもがなこれも大層美味だった。

 年下の後輩の、しかも男子に、女子顔負けの紅茶とお菓子を振る舞われて年上の女としてのプライドはないのかと問われれば、そんなモノは先程かなぐり捨てた。

 

 (もうこんな美味しい紅茶とお菓子は二度といただけないかもしれない)

 

 ここぞとばかりに堪能することにした。

 貰えるときに貰う。凛の信念である。

 

 

 「さっきの話の続きだけど…仕事も辞めるでいいんだね?」

 「今さら何いってるのよ。もう引き継ぎだって美保にしちゃってるんだし。別れて、仕事も辞めて、新天地でゼロからスタートするのよ」

 

 

 “仕返し”をすると決めた。

 その作戦の要が、第三者を巻き込むものだった。

 その第三者というのが、凛の両親と弘人の両親である。

 

 弘人の両親には、とても可愛がられているという自負がある。“何か困ったことがあったらいつでも頼ってね”と、先週会いに行ったときも言われた。

 “極近しいうちに、迷惑をかけることになると思います”とは流石に言えなかったが、心の中では謝罪と同時にお別れをしていた。

 恐らく、もう二度と会うことはないだろう。

 

 

 そのまま凛の両親にも久しぶりに顔を見せ、美花が全然帰ってこないと愚痴を聞かされたが、まあそうだろうなと軽く流した。

 恐らくこちらも近しいうちに修羅場を迎えることだろう。

 両親は感覚も性格も普通の人だ。確かに若干妹の美花に対して甘いところがあるが、今回の件で妹の美花と凛の旦那の弘人が交際していると知ったら、おそらくこの家は荒れるに荒れるだろう。

 

 

 それもわかった上で、凛は行方をくらますことにした。

 とんずらである。

 これ以上泥沼に付き合わされたくない凛はやるだけやって逃げることにした。

 何もかもに疲れたのだ。

 好きだった仕事も今回のせいで立場がなくなるし、家族間のゴタゴタも当事者なだけ避けられない。

そのはずなのに…すべてどこか遠い所の、他人の話を聞くような、もうどうでもいいことなんだという思いが強くなるほどに凛は疲れていた。

 

 すでに離婚届も記入し用意済み。荷物も纏めた。

 今度のゴールデンウィーク直前の、弘人がよく帰宅する火曜日夜に決行する。まあ帰ってこようが来なかろうが、内容に変わりはないのだが。

 

 

 「センパイって、時々物凄く思いきったことするよね」

 「誉められた、と受け取っておくわ」

 「もちろん、誉めてるんだよ。でも、ちゃんと計画たててる?どこに身を隠す予定なの?」

 

 

 グッと返答に詰まる。

 

 離婚届を置いて行方をくらませる、職場近くのビジネスホテルで寝泊まりして退職日までなんとか逃げ、退職後は即どこか田舎に移住するつもりだ。

 脳内では全て滞りなくうまく行く予定なのだが、いかんせん。凛は頭が良くない。

 

 

 「場所は、こう…特に決めてないけど、ピンときた遠い田舎に行くのよ」

 「ピンとって、どこなの…日本にいる限りいつかどこかで血眼になって探すセンパイの両親とか、旦那さんの両親に見つかるかもしれないよ?」

 「そ、れは…見つかりたくない…修羅場に巻き込まれるのは嫌だ…」

 

 ソファにあったクッションを抱き締めると顔を埋めた

 

 

 弘人への愛情やらは、とうに冷めていた。

 目を背けていたが、弘人の愛が自分ではない誰かに向き始めた時点で、凛は身を引いた。

 もう凛にとって弘人も美花も、“どうでもいい人達”くらいには成り下がっていた。

 

 

 「あのさ、センパイ。提案なんだけど」

 

 

 セシルは持っていたカップをテーブルにそっと置いてから凛の様子をうかがった。相変わらずクッションに顔を埋めたまま、なーにと呟いたのが聞こえた。

 

 セシルは小さく息を吐いた。

 クッションにへばりついている凛は気付かない。

 

 

 「…僕の国に来ない?」

 「え?」

 

 パッとクッションから顔をあげ、セシルの顔をポカンと見つめた。

 

 

 「セシル君の、国…?外国に行くってこと?」

 「うん、そうだね。日本よりも自然が多くて綺麗なところだよ。…田舎だから、少し不便に感じるかもしれないけど」

 「………」

 

 

 凛は顔を半分ほどクッションに埋め、うーんと唸った。

 

 (セシル君の国。外国。まず日本にいないと言うだけで、恐らく見つかる確率はほぼなくなるだろうし。どのくらい滞在するかは別として、リフレッシュにはもってこいなんじゃない?)

 

 心の天秤が傾いた。

 特に行き場所なんて決めていなかったところに来たいい提案。

 凛はそれほど深く考えることもなく決定してしまった。

 …後程、深く後悔することになるのだが。

 

 

 

 「…行きたいかも」

 「ほんと?良かった。本当にいい国で国民もみんな優しいしとても平和だからセンパイも落ち着いて過ごせるんじゃないかな。きっと気に入ってくれると思うよ」

 「そんなに良い国なんだ…あ、でも私言葉が」

 「それは大丈夫だよ。僕も一緒に行くし」

 「え?でも仕事は?」

 「大丈夫だよ」

 

 

 セシルはにっこりと微笑んだ。

 その笑みがいつにも増して深い気がするのは、おそらく気のせいではないだろうと凛は思った。

 

 

 (有休を纏めてとるのかな?)

 

 疑問に思ったが、セシルが大丈夫と言うのなら恐らく大丈夫なのだろうと深く考えるのを辞めた。

 

 「泊まる場所とかも僕の方で手配しておくから気にしないでね」

 「ええ?!それは流石に!今回のこともそうだし、セシル君にそこまでしてもらうのは…」

 「いいんだよ…でも、そうだね。センパイが気にするのなら、言い方を変えようか」

 

 

 セシルは立ち上がると凛の隣に腰かけた。

 突然自分の真横に移動してきたセシルに驚きを隠せない凛は、距離を開けようと腰をあげたのだが、すぐさま背中から回ってきた腕に腰を押さえられた。

 

 「ちょっ…?!」

 

 端からみれば完全にソファーで向かい合って抱き締めあうカップルのようだった。

 

 凛は必死に距離をとるためにセシルの胸板を押すが、全くびくともしない。

 

 (ななななんなのよコレ?!?!どういう状況なの?!?!)

 

 凛は顔を真っ赤に染めながらもセシルをキッと睨んだ。

 そんな凛の睨みは全く効果がなく、セシルは溶けるような笑みで凛の頬を撫でた。

 

 「可愛いなぁ」

 「ちょ、ちょっとなんなの?話の途中だったんじゃないの?!私をからかってそんなに楽しい?!」

 「からかってないよ?本心なのに。センパイはいつも本当に可愛くて、綺麗で…」

 

 セシルは凛の栗色の髪を掬うとそこに口づけた。

 

 「僕のものにしたくなる」

 「~~~っ!!!」

 

 湯気が出るのではないかと思うほど顔を真っ赤に染めた凛は、なにかを必死に伝えようと口をパクパクと動かしたあと声も出ず顔を両手でおおった。

 

 「………もう、勘弁してください……」

 「ふふ。わかった」

 

 今はね。と呟かれた言葉を凛は聞かなかったことにした。

 そこでようやく背中に回っていた腕が離れ、凛は安堵の息を吐いた。

 

 「前にも話したけど、コレが全部終わったら僕のお願いを叶えてほしいっていったの、覚えてる?」

 「あー…ええーと、確か…公園で言ってたやつ?」

 

 何てことない顔をしながら必死に記憶をたどる。

 まだ顔が赤くなっているのが分かるが、表面上だけでも冷静になった振りをしておく。

 隣に座るセシルの顔を見れないのは許してほしいところだ。

 

 

 「そのお願いを、“契約”にしよう」

 「“契約”…?

 「そう。僕はセンパイのこの問題を解決させる。そしてそのあと、僕の国に来る。そういう“契約”」

 「でも、それだとセシル君になんのメリットがあるの?」

 「僕の国に来てもらうこと。今は分からないかもしれないけれど、とても重要なことなんだよ。だから、どう?“契約”だと思えば僕が協力することもセンパイの滞在先の確保も全部納得できるでしょ?」

 

 

 …いい話だ。これ以上ないくらい、凛にとっていい話。

 セシルは何故かは分からないがどうしても国に来て欲しい。凛は遠くに逃げるためにセシルの国に行く。そこで言葉も滞在先もセシルに任せればいいだなんて。

 思わず眉間にシワが寄る。

 

 「…何かの詐欺かもしれない」

 「信じられない?」

 

 セシルは困ったような、少し泣きそうな表情に見えた。それでも微笑みを忘れないのだから大したものだと凛は思った。

 

 「セシル君の事は信じてるよ。でも、こんなうまい話があるのかなーと…」

 「こればかりは、信じてくれとしか言えないかな。絶対に悪いようにはしないし、絶対にセンパイを裏切らないし守ると誓うよ…どう?この“契約”受けてくれる?」

 

 凛はセシルの瞳をじっと見つめた。

 相変わらず綺麗な蒼い瞳は真っ直ぐに凛を見つめている。…嘘は、ついていないだろう。

 少し、滞在するだけ。

 ほとぼりが覚めたら日本へ帰る。

 意外としつこい性格のこの紳士は、確かに少し強引でスキンシップ過多な部分もあるが、嘘はつかない。

 この半年間一緒に仕事をしてきたのだから。

 凛は小さく息を吐き出した。

 

 

 「…わかった。全部終わったら、私はセシル君の国に行く。セシル君は、そこでしばらく私の面倒を見てくれるのよね?」

 「もちろん。衣食住、全部任せて」

 「そこまではいいんだけど…ま、まあ、ありがとう…じゃあ、“契約”成立ね」

 

 

 凛とセシルは固い握手をした。

 握手なんて久しぶりにしたが、何故か手のひらがいつもより熱を持ったような気がした。

 

 握手はものの数秒で、どちらともなく手を離すとセシルは凛の真っ黒な瞳を見つめながら微笑んだ。

 それはいつもの笑顔とは少し違う、なんだか満ち足りたような、いまにも泣き出しそうな、そんな笑顔に見えた。

 

 「…と、ところで、セシル君の故郷の国は、なんて名前なの?」

 

 気まずくなった凛はプイッとそっぽを向きながらなんとなく、聞いた。これから自分がいく国なのだ。どのような国なのかは聞いておきたかった。

 

 

 セシルは一瞬視線を反らしたが、すぐに凛を優しく見つめると、離れたはずの凛の手を両手で包み込むように握った。

 逃がさない。そう言っているかのように。

 

 

 「…リスティア、っていう国だよ」

 

 

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