第三話② 流され姫コネリ(中編)
ラ・スヴァルカを北上してゴード砦までつづく街道。
小石が点々と転がる路上は、お世辞にも快適な道中とはいえない。
そのためそこを走る獣車は、ときおりガタリと音をたてて揺れたりする。
そんな御者席の窓から、コネリはじっと荒野を見つめていた。
ふと、街道から少し距離をおいて、背の低い野草の一部に焼け焦げた場所があることに気づく。
まだ残り火でもあるのか、風に乗ってすこし煙る香りがした。
──あそこが、オルティオ殿が戦った場所なのだろうな。
窓外に流れる光景を見やり、コネリはどこか嬉しそうに微笑む。
あの魔獣が討伐されていなければ、きっと獣車が今ここを走りぬけてなどいなかっただろう。
彼の内心はいざ知らず、それでも彼の行いがこうして街道の平和を守った事実に変わりはない。
コネリは思う──いつの日か、彼の力に正当な報いがあらんことを。
「コネリ様、寒くはございませんか?」
隣に座るモーラが、冷たい風を受けるコネリの身を案じて声をかける。
昨日もこんなやり取りをしたなと思いつつ、コネリはくすりと笑い静かにうなずいた。
向かいの席を見れば、腕を組んで難しげに眉をよせたエインハルドが座る。
その隣には、傍目に見れば堂々としているように見えて、けれど明らかに緊張していることが端々にうかがえる女性貴士──クゥミヤ=ハレストリが座っていた。
「そう畏まる必要もない、クゥミヤ殿よ。先ほどまでの元気が嘘のようではないか」
「──は、はい! 申し訳ございません、シュリエラ様!」
「……クゥミヤ。コネリ様はその名を捨てられている。そのご意思を慮るのだ」
エインハルドから重たい声音で正されてしまい、なお緊張の度合いを深めるクゥミヤ。
眼前の元皇女だけでなく、隣席するのが今も高名な元皇威貴士である。
当然ながらそのことが余計に彼女を固くした。
ふぅ、と大きく息を吐いたコネリは諭すようにやわらかな声を出す。
「呼称など本質的にはどうでもよいのだ。そのように、まるで今も皇女であるかのように扱われることを望んでおらぬというだけのことよ」
コネリは、そう言って「お前もだぞ」と目で訴えるようにエインハルドを見つめる。
分かってか分からずか、その視線に御意と低頭して応じる老いたる元貴士に、小さく苦笑してコネリは再び口を開いた。
「……とはいえ、今のこの状況を思えば、世は未だにわらわに皇女の陰を見ておるようだがの」
この状況──それは、酒亭[ノレン]の店先でクゥミヤがコネリたちを見つけたことから始まった。
あのとき、クゥミヤはエインハルドと共にいる少女が元皇女であるなど知る由もなかった。
彼女とすれば、ただ自分に与えられた任務を全うすべく、エインハルドに声をかけたまでのこと。
しかし、その結果として、それが思わぬ形で別の歯車を動かすことになっただけ……。
「コ、コネリ様がこのようなことをお望みになられておらぬことは、承知しております。自分の軽率な行いから始まったこと、平に陳謝いたします」
額を地につけんばかりに平身低頭するクゥミヤを前に、目じりをさげて困り顔をコネリは浮かべる。
「そなたのせいなどではない。すでに元皇女のうわさは、あの街で多くの者が知るところだったのだ。ゆえ、これはいずれ話を通さねばならぬ道であったろう。それがいつになるかというだけのこと。そなたが気に病むようなことではない」
「そのようなお気遣いまでいただきまして、真に痛み入ります。ですが、自分が副団長に報告などしなければこのような事態にならなかったかと思うと……」
「それとて、わらわがガダルトフの申し出に同意した上での結果なのだ。そなたは気にしすぎておるよ」
クゥミヤの言葉通り、今こうしてコネリが獣車に揺られているのは、ギルツィア島北部の防衛の要であるゴード砦──そこに配備された第五皇威貴士団の副団長ガダルトフ=バンドの導きによる。
コネリとてクゥミヤに自分の素性を語ったときから、こうなるだろうことは多少なりと考えていた。
ただ、事態の進展があまりにも早すぎるとは思う。
なにせクゥミヤが上官に報告に帰ったと思った──そこから一息とおかずにガダルトフが彼女の前に膝をつくような有様だったのだから閉口せざるをえない。
──我が貴士団にて、拝謁を賜わりたい方がおられます。どうかご足労願えませぬか。
皇女の御前と膝をつき、そう粛然と頭をたれた貴士の具申。
皇女時代より家臣として人となりを知るガダルトフの献言に、コネリから呆れたようなため息がもれた。
そして、その結果が、こうしてゴード砦行きの獣車の上というわけである。
「しかし、この件については自分にも非があります。ワシがガダルトフの申し出にさっさと応じておれば、ヤツがあの街に長々と駐在するようなこともなかったのに……」
エインハルドの話では、以前よりゴード砦への出頭願いが彼に出ていたという。
第五皇威貴士団としてエインハルドにどうしても頼みたいことがあるとかで、手を替え品を替え彼のもとに人がやってきては陳情していった。
だがそれに対してエインハルドが首を縦に振ることはなかった。
その過程において副団長の肩書をもったガダルトフがラ・スヴァルカに出向いてまで、エインハルドの招喚を果たそうとしていたという話だった。
ちなみに今日とてクゥミヤがエインハルドに声をかけたのもそれが理由である。
「そなたは、どのような用向きとして呼ばれておったのだ?」
「主だった名目では、後進育成の指導官として相談したいことがある、または非常時対応の指南役としてゴード砦に拠点を移してきてもらいたい、と」
「して、核心はいずこにあるか知らぬわけだの?」
「はい、なにやら別の思惑があることは確かであろうと思います」
「うむ。ましてや、そなたとて流罪人としてこの地におるのだ。貴士団への登用は団長の裁量の範囲とはいえ、世間的に罪人を重用する醜聞まで畏れぬ行動は如何にもおかしいの」
「まさに仰るとおりにあります」
ちらりとコネリがクゥミヤに視線を向けるが、彼女は弱々しく首を左右にふるふると振るだけ。
おそらく彼女も少なからず事の真意を知らされているのだろう。
とはいえ箝口令を敷いているとしても、事が事であるほど情報の管制が重要度を増す。
ゆえにクゥミヤに知らされている内容など、そこまで深いものとは思えなかった。
「……ギルツィア島の空は、いつになったら晴れてくれるのだろうな」
コネリは窓外の空を見上げ、さびしげにぽつりとつぶやく。
うす灰色の雲におおわれて、晴れ間の見えない茫洋とした空に愚痴をつくように……。
* * *
一足先にゴード砦に帰還していたガダルトフに導かれ、コネリとエインハルドは砦の一室へと通された。
途中、モーラは別室にて待機するよう命じられ、クゥミヤと共にしずしずと身を引いた。
そして、通された部屋には、彼女たちの来訪を今か今かと待ちわびていた様子の人物がいた。
「おぉ! シュリエラ様! この度は拝謁の機会を賜わり、誠に感謝いたします!」
名は、ローデル=リュシフォン──ギルツィア島を管轄とする第五皇威貴士団の団長。
年齢にすれば二十四歳という若さながら、すでに皇威貴士の叙勲を受ける者。
「──ふぅ、あいもかわらず騒がしい男よの。少しは部下のガダルトフを見習ったらどうだ」
来室を事々しい声で迎えたローデルに、コネリはため息とともに応じた。
「これはこれは、シュリエラ様もあいかわらず手厳しいお方だ」
コネリの小言にも、なはは、と笑うだけで、とくに意にも介した風がないローデル。
そんな軽々とした上司にも、ガダルトフはただ瞑目して傍らに控えるだけ。
自分より一回り以上違う若き団長とは正反対に、こちらは寡黙で誠実を絵に描いたような男だった。
「エインハルドさんもお久しぶりです! やっとご足労いただけてうれしいかぎり!」
「ワシはコネリ様がこちらに来られると言われなければ、さらさら来る気などなかったがな」
「こちらもこちらで、なんとも手厳しいお言葉で」
両者の心の距離が遠くにあることが知れてもなお、ローデルは両手を広げて歓待の意を表した。
「ですが、コネリ様というのは?」
今日で何回目だろうか、と思いつつもコネリは自らの呼称について説明する。
納得しているのかいないのかわからないが、「なるほど、なるほど」とローデルはうなずく。
「して、そのようなことよりも、ローデルよ。此度はどのような意図あってエインハルドとわらわをここに呼んだ?」
「おっと、話が早いのは何よりですが、こうして立ち話もなんです。あちらの応接室へどうぞ」
言うが早いか次の部屋に通じる扉へと歩き出したローデルを追うように、ガダルトフがコネリたちを格式ばって先導する。コネリとエインハルドは視線を交わして小さくうなずき合うと、その後を追った。
華美な装飾や彫像品もない、とても簡素な作りの実務的な応接室。
促されるままにコネリたちはローデルの向かいの椅子へと座った。
二人が着席するのを待って自身も座り、一息の間をおいてからローデルが口を開く。
その眼は先ほどまでとは別人と思えるほど、柔和さの欠片もない鋭さを持っていた。
「──コネリ様は、ギルツィアに来られて、この地をどのように思われましたか?」
茫漠として捉えどころのないローデルの問い。
コネリは即答せず、発言者の顔をじっと見つめる──視線が錯綜する。
そうした少しの沈黙の間、部屋の中はなに一つの動きがない。
「……そなたは、わらわに何を望む」
身体と声音に似つかわしくない、聞く者に圧しかかるような重みを持った少女の声。
「貴方様の存在、そのすべてを……」
刹那──前のめりに立ち上がろうとしたエインハルドを、コネリがその瞬間に手で制した。
「そなたが思っておるほど、わらわは軽くはないぞ」
「重々承知しております。だからこそ、貴方様でなければならないのです」
そう口にしてからしばらく瞑目して動かぬローデルだったが、次にゆっくりと目を開いたとき、その眼は確かな眼光をもって前を見据えた。
「──この地に、新たな国を、新たな時代を打ち建てんがために」
ローデルのその言葉は、重苦しい静けさ中で、否応もなく響いた……。