第三話① 流され姫コネリ(前編)
ギルツィア島北部、そこは海を挟んでワルキアナ大陸と向かい合うマイネリッテ皇国直轄地。
ワルキアナ大陸は魔素に富んだ土地であるがゆえに無数に魔獣たちが生息し、たまさかにギルツィア島に向かって大型種が南進してくることがあった。
そして、マイネリッテ皇国によれば、ワルキアナ大陸にはシルドネア大陸に侵攻を目論むとされる魔人国家がある、とされる。
それらの侵攻を防ぐ最前線に位置するため、この地には皇国の軍事力が多分に配備されていた。
これを理由に、シルドネア大陸にとっての脅威と称して、ワルキアナからの侵攻を阻止している名目から、皇国は周辺国より防衛費を徴収していたりする。
また、南部をムルシャス貴爵の領地として割譲することで門戸を開き、島自体が皇国直轄として専有していないことを喧伝する。
こうした危機と思惑の錯綜する地、それがギルツィア島である。
それらに加え、マイネリッテ皇国は危機に直面する戦地を同時に流刑地として選ぶことで、流罪自体が重罪であることを表することに利用してもいる。
富や名声があれども罪を犯せば死地に送られるのだぞ、そう未来の罪人に告げるために。
──とはいえ、当然ながらそんな場所でも、やはり人々はたくましく生きている。
ムルシャス領と皇国直轄領を南北に遮断する城壁下、その北部に一つの街があった。
まるで岩にしがみつく苔のように、城壁に沿って形成された街。
──人々は、その街をラ・スヴァルカと呼んだ。
* * *
「ここは、なんとも不思議な街だの」
ラ・スヴァルカ──その街道を歩くコネリとモーラの二つの影がある。
いまは陽が高く昇り、多くの人でにぎわう雑踏の中を歩きながら、コネリがぽつりとそうつぶやいた。
「はい、まことにそう思われます。まさに不思議、あるいは混沌という言葉が適当でしょうか」
モーラもまた、コネリの半歩後ろに付き従いながら、主人の言葉に同意を示す。
彼女たちの歩く街ラ・スヴァルカは、ときに罪人街と呼ばれる。
だが、街路を行きかう者たちの首に罪人であることを示す刻印はなかなか見られない。
むしろ、刻印のある者を探す方が難しいほどである。
通りを行くのは、大陸から出稼ぎにきた工夫や行商人、戦場を求めた傭兵や野心ある冒険者、警邏する自警団の衛兵に、鎧を身にまとい眼光鋭いマイネリッテ皇国兵など、職業は多種多様。
また、そうした職業的な差異だけでなく、彼らの人種的な差異も著しい。
たとえば、犬や猫のようなふさふさの毛並みや耳を持つ者もいれば、くちばしのある者、尻尾を持つ者、鱗におおわれた者、羽や角を持った者たちだっている。
純人と比して特徴的な容姿をした彼らを、純人側は総じて魔人と呼ぶ。
そうした純人も魔人も入り混じり、彼らの職もてんでばらばらに、この街の喧騒は作り上げられていた。
ゆえに、ラ・スヴァルカの日常風景は、モーラの言葉どおりに混沌としている。
「それに、皇国の首都と比べても致し方ないであろうが、やはりこの街並みはシュバリツェンとはまるで違って非常に興味深いの」
コネリの見つめる先には、木製の簡素な二階建ての建物がある。
しかし、その横には石造りのごつごつとした無骨な家屋が建ち、その横はまた木造……。
そのように街路を形成するのは、木材、石材、レンガにテントと統一性なんてものはない。
しかも、その形もまた画一的でなく、皆が思い思いに建てたことが見て取れる自由気ままさである。
それらをコネリのとなりで一瞥したモーラはため息とともに答えた。
「僭越ながら、これはこの地の施政者の質と言いうるのではないでしょうか。都市計画も何もない無計画の産物と言うが正しいように思われます」
「これ、そう言うでない、モーラ。この地の歴史と文化を思えば、これが一つの解答なのだ」
モーラの辛辣な一言を苦笑でたしなめつつ、コネリはすいすいと人混みを避けて歩く。
生涯を通じて皇宮を出た時間の方が短いコネリにとって、街中を歩くだけでも存外に楽しかった。
その目にする光景、耳にする日常が興味の対象なのだ。
前を通れば、簡素な屋台から威勢のいい商人の呼び込みが上がる。
路傍に集まり井戸端会議に花をさかせる主婦たちの笑い声も活きがいい。
その周りを走り回る子供たちの顔にも笑顔の花が咲いている。
なかには、売り言葉に買い言葉で喧嘩の様相をみせる傭兵たちもいたが、そう険悪さはない。
そして、彼らのいさかいを遠巻きに見守る衛兵もどこか楽しげにさえ見える。
──あぁ、この街は良い顔をしている。
コネリは胸中でそうつぶやく。
数多くの街を書面上で見てきた。
その中で色々な街のあり方を知り、色々な顔があることを知った。
だが、実際に見て触れることは、これが初めてである。
その上で、その初めてが、このラ・スヴァルカで良かった。
コネリはそう思わずにはいられなかった。
しばらく、そうして散策するように街中を歩いた二人の足は、見覚えのある街角にいたった。
「ふむ、たしかこの辺りだったの」
「はい、あちらの店舗がそれにあたると思われます」
周囲をうかがうコネリに、モーラが手をかかげて指し示す。
そこには、昨晩訪れた酒亭[ノレン]があった。
「はたして良い貸家があればよいのだが」
「はい、まったくでございます」
コネリとモーラが、この店を探していた理由。
それは、コネリの言葉が示すとおりに、次の居住地を探すためである。
今朝方、家主のオルティオから家を五日以内に出るよう言われたことに、忠実に従おうとするコネリと、これ幸いと思うモーラの差はあれど、二人とも貸家を思う心は同じだった。
「あそこにおるのは、ノレンディさんではないかの?」
ちょうど店の前で水まきをしていたノレンディ。
その犬のようにピンと張った耳をぴくりと動かし、彼女はすぐに近づいてくるコネリたちに気づいた。
「これは、えっと……コネリ様でよろしかったでしょうか?」
ノレンディの顔に浮かぶのは、コネリの素性を知っているがゆえの困惑した笑み。
このような困惑を、当然ながらコネリ本人は望んでいない。
とはいえ、くだけた態度を急いて強要することの方が、まして強権的といえるだろう。
ここまでの道中でも、いやというほどに感じた視線や態度を思い出す。
きっと、すでに多数の者たちに噂として自分の素性など知れてしまっているのかもしれない。
それでも、いずれ自然と打ち解けられたら、と心中に言葉を飲み、コネリはやわらかに微笑んだ。
「うむ、コネリで間違いない。ただ、できれば敬称は遠慮したい。ふふっ、むしろコネリちゃん、くらいでお願いしたいところだの」
コネリの軽口と朗らかな一笑。
そして、さすがは客商売の女主人ノレンディも、すこしの緊張を見せつつだがそれに笑顔で応じる。
「なにをおっしゃいます。これほどしっかりとした女性を、女児のように扱われようはずがありませんわ」
「そうか、それは残念だの。ちゃん付けで呼ばれてみたかったのだが」
「それでは、せめてコネリさんとお呼びさせていただきますが、よろしいかしら?」
「なんの問題があろうか。あらためてよろしく頼むの、ノレンディさん」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、コネリさん」
お互いに小さく礼を交わし、後方に控えたモーラと視線をまじえたノレンディ。
モーラはその視線を受けて少しばかり頭を下げ、彼女の誠意に応じる。
昨晩この店で給仕役をしていたモーラとノレンディには、すでに多少の面識があった。
「して、さっそくで申し訳ないのだが」と前置きをして言葉をつむぐコネリ。「昨晩と同様に貸家を探しておるのだが、やはりどこか心当たりはないかの? まだ、この街に頼りとなる者もおらず困っておって」
そのコネリの発言に、ぱちくりと長いまつげを下してまばたきをしたノレンディ。
「どうしてまた貸家を? オルティのところに住むことが決まったばかりじゃない」
「いや、オルティオ殿から快く受け入れられているわけではないのだ。わらわも家主の信認を得ずに住まわせていただくほど、厚顔にできておらぬから」
「まさかオルティにすぐ出て行けって言われたの?」
「いや、すぐにというわけでもないのだ。家賃もいらず、しかも五日間と猶予もいただいている」
「まぁ、あの子ったら、もう!」
ぷくりと頬をふくらませて怒って見せるノレンディ。
三十路も過ぎた未亡人の淑女であれど、そうしたかわいらしい所作がノレンディには似合った。
心なしか額に伸びた一本の角も、彼女の怒りと一緒にぷるぷると震えて見える。
「私から言ってあげるわ。こんなこと許してあげないんだから」
ぷりぷりと擬音が聞こえそうな怒り方にコネリは、クスリっと笑ってしまう。
それと同時に、オルティオ殿は皆から愛されているのだな、とコネリは少しばかりうらやましく思った。
こうした形で怒ってもらえるのは、それだけ近しく思われている証なのだ、と。
「いえ、その必要はございません。あの者と住むことを優先するのではなく、コネリ様と自分、二人が住まえる程度の貸家を希望しております」
めずらしくコネリの促しもなく自ら発言したモーラ。
「……モーラ。その、あなたがそれを望まれる気持ちもわかるけど」
先ほどの怒り方とは反対に申し訳なさげに眉を下げたノレンディは、コネリたちを交互に見つめる。
モーラがどのような意図をもってその言葉を発したかが十分にわかるから。
「でもね、女の子二人だけが住むには、すこし──いえ、とても不安なのよ、やっぱり」
「わたくし程度でも、コネリ様をお守りするくらいには……」
「そのね。はっきりお話しすれば、すでに皇女様のことはけっこうな噂になっているの」
ノレンディの言葉に、苦笑まじりにため息をもらしたコネリ。
「だろうの。ここまでの道中でも存外にわらわたちは注目されていたから、それはわかる」
「その何割がうわさを知っているか知らないけれど、きっとうわさなんて知らなくてもコネリさんが歩いていたら、どうしても目で追っちゃう人も多かったと思うわよ」
「ふむ、それはどうしてなのだ?」
自分の身なりを見つつコネリは、純粋な気持ちから疑問を口にする。
その動作からも、彼女が自らをそこらの町娘とかわらないと思っている様子がありありと分かった。
それゆえ、そんなノレンディは苦笑してしまう。
簡単な作りの庶民的な服を着た程度で隠せるほど、コネリの存在感は軽くなかったから。
その顔つき、その髪つや、その声音、その所作──そうした細事を総じて、コネリという存在は、まるで沼地に咲く一輪の可憐な蓮の花のように、場末の街角では浮きたってしまう。
「それとも、このマイネリッテの血が目立ってしまうのかの?」
そう言って自らの銀髪をさらりと触り、緑眼の瞳でノレンディを見返すコネリ。
マイネリッテ女系皇族の証たる銀髪緑眼を、実を言えばコネリはあまり好ましく思っていない。
周囲がどれだけ美しいともてはやそうが、本人にとって美しいと思えなかった。
そして、今となっては自分の過去を証明する首輪のようにさえ感じてしまう。
「ごめんなさい。そんなに深く考えないで。単純にコネリさんがとても可愛らしく、とてもキレイだから目立ってしまうだけのことなのよ」
「ふぅむ……そのような理由では、なんとも納得はいかんのだが」
「いえ、コネリ様のお姿が人目を引くのはいたし方ありません。本当に見目麗しくあられます」
「……なんとなくだが、モーラの言葉は少し違う気がする」
そうしたモーラの妄信的で熱烈な言葉と反対に、コネリのなんとも疑わしげな反応を見て、ノレンディはくすりと小さく笑った──と、そんな三人に、不意と別の声がかかる。
「おぉ! これはコネリ様!」
そこに集まった三人とはまるで違う、野太く力強い大声がひびく。
コネリたちが驚きつつも振り返れば、嬉しげなエインハルドが立っていた。
見れば、その右肩には見慣れない少女が担がれるようにして、ちょこんと腰をおろして座っている。
六十歳を超えた老人が、少女とはいえ人を肩に座らせる姿は異様と言わざるをえない。
「エインハルド、昨晩は本当に助かった。改めて感謝したい」
「何をおっしゃいますか、当然のことをしたまで。感謝されようことなど何一つございません」
普段とは打って変わり、忠義者たる礼儀をもって頭をたれたエインハルド。
「おじいちゃん、早くおろして。恥ずかしい……」
されど、そんな格式ばった老人の態度など気にもせず、その頭をぺしぺしと叩く肩の上の少女。
「お、そうだな。すまんすまん」
そう言ってそろりと路上に下ろされた少女は、ふぅと小さくため息をつく。
よく見ると長い白髪の間から見える少女の頬は、彼女自身の赤い目のようにほのかに赤らんでいた。
「そちらの子は、そなたのお孫さんかの?」
少女に向けて笑みを向けつつ、コネリはエインハルドへと問う。
とは言え、うす青色の鱗の体に、額の見事な二本の角を見れば、彼女が魔人であることは誰でも知れる。
純人のエインハルドに、純血の魔人だろう孫がいるとは、当然ながら想像しがたい。
「はい……その、血のつながりはありませんが、孫のようなものです……」
「──すまぬの。べつに強いて詮索するつもりで問うたわけではないのだ。とても仲が良く見えたものでの、きっと良い関係が築かれているのだろうと思うたまでのこと。浅慮な発言を詫びよう」
「何を仰いますか。ご配慮たまわるほどのことでもございませんのに、斯様なお言葉をいただくなど、もってのほかでございます」
エインハルドの肩から降りた少女は首をかしげる。
年端もいかない女の子──きっと自分よりも年下だろうコネリと呼ばれた女の子に対し、大仰に応対する我が祖父を、少女はじっと見つめた。
その普段見ているはずの祖父とはまったく違う姿に、どうにも小首をかしげざるをえない少女は、エインハルドのそばに寄って小声で問いかけた。
「ねぇ、おじいちゃん。この子は、誰なの?」
その当然の質問に対してエインハルドはやわらかに笑い、少女の肩を抱いてコネリの前に押した。
「この子はミノリナと申します。以後、何卒よしなにしていただければ幸いにございます」
「そうか、そなたはミノリナと申すのか」
そう言ってミノリナの顔をじっと見つめると、コネリは嬉しさをにじませるように笑いかけた。
「わらわの名はコネリという。そなたのご祖父にはとても世話になっておる」
あまり状況が飲みこめていないミノリナは、助けを求めるようにエインハルドを見るが、なにが嬉しいのかニコニコと笑うばかり。
「……ミノは、ミノリナと言います」
どこか小動物を思わせるおずおずとした様子で、ミノリナは自己紹介をする。
見た目は年下のはずなのに、まるで一回りは違うような落ち着きを見せるコネリにミノリナはたじろぐ。
そして、なにより絵画の世界から出てきたようなその繊細な美しさに気後れした。
ミノリナは自らの鱗におおわれた腕をきゅと抱く。
「うむ、ミノリナ。こちらに来たばかりのわらわには、年の近い同性の知人がおわぬ。ゆえに、ご祖父の言葉のとおり、よければ今後も良しなにしてくだされば幸いである」
ぺこりと頭をたれたコネリに、ミノリナはおろおろとしてしまう。
周囲の大人たちがかしずく相手が頭を下げたのだから当然の反応だった。
しかし、エインハルドは特に反応を見せず、どう見ても従者らしいモーラだって静かに立っているだけ。
「……あの、えっと。はい、よろしくお願いしまウ──」
と、最後の一言を噛んでしまったミノリナに、つと周囲の者たちは目を見合わせて笑った。
ほおを赤らめるミノリナに、コネリは「こちらこそ、以後よろしく頼むの」とやさしく笑いかけてその手を取った。ミノリナも弱々しくではあったが握りかえしてそれに応えた。
「それよりも、なぜまたコネリ様がこのような場所に?」
そうエインハルドは話すと、コネリを任せたはずのオルティオの姿を探して周囲を見渡す。
当然、その顔は見当たらない。朝の魔獣退治の休憩に、今ごろは自室で寝入っていることだろう。
「そのことなのだが……」
そう言ってからここまでの事の顛末を話すコネリだったが、それを聞くエインハルドの顔は次第に呆れと怒りで複雑に歪むと、それらを大きなため息に代えて吐き出した。
「……ほんとうに、あの馬鹿者は」
多少は想像していたこととはいえ、落胆して頭をガシガシと掻くエインハルド。
その横で一通り話を聞いていたミノリナが、意を決したように声を出す。
「ねぇ、おじいちゃん、オルテさんのお家にこの子住んでるの?」
「あぁ、そうだぞ」
「どうして?」
「どうしてって、あいつのそばにいることが、この街で一番安全だからな。それに、誰かと生活することがあいつのためにもなると思ってるんだがなぁ……」
祖父の意図は知らぬが不満げに眉をよせたミノリナは、じっとコネリの方を見つめる。
視線に気づいたコネリがにこりと笑いかけたが、ミノリナはかえってぷくりと頬をふくらませた。
「……負けないんだから」
ぽつりと小さくつぶやかれたミノリナの宣戦布告。
その意味は分からなかったが何かに怒っていることはわかり、コネリは困ったように苦笑した──と、そのときである、またも彼女らに大声がかけられた。
「エインハルド様!」
此度の声は、透き通るような凛とした女性の声。
振り返れば、皇国の紋章を刻む甲冑の女性貴士の姿。
後に思えば、この一声が、すべての始まりを告げる呼び鈴だった。
凪いでいた水面に、一擲の小石が投げ込まれる、そんな一瞬である──。