邂逅とは唐突なもので(La rencontre est brusque)
昔から僕の住む村には魔法使いが住み着いているという怪しげな家がある。
人が住んでいないような蔦のはった廃れたところで誰もその家には近づこうとはしなかった。
近づけば魔術の生け贄にされると半ば村八分の扱いを受けている。
「あの家って、人、住んでるのー?」
と幼心で問いかけたことがあったが、
「あのお家はね、呪われてるの」
母の言葉に首を傾げたけど、それを鵜呑みにしていた。
子供というのは恐ろしい。無邪気に禁忌へ踏み込もうとするものだから、
母だってああやって諭して僕らに危険が振りかからぬように守ってくれている。
けれど好奇心旺盛な子供達には、そうと分かっていても踏み込もうとしてしまう、
というより深く考える事も恐ろしさも知らないから、そういうことが容易に出来てしまう。
その時の僕はふーん、とぶっきらぼうに答えて本を読み始めた。
あれから10年ほど経ったとある夜のことだった。
夜というのは天気のわからない時間ではあるが、雨の気配はなく、
奇妙な点を1つ挙げるとするならば霧がかかっていた点だろう。
確かにこの村は山沿いの村であっても霧がかかる気候ではない。
妙に不安感を煽られる状況だ。一人で歩く事は、しかも慣れた道を行くのは
いつの間にか恐怖を薄れさせていくことだと僕は気付かされた。
今仮にも、山から獣が下りてきてしまえば、僕はひとたまりもない。
背筋を駆ける恐怖は簡単に夜には溶けだすことはなく、より不安を煽る厄介者であった。
後ろを振り向いても夜闇に霧が立ち込めているだけで僕はその妙な気配に母親の話していた、
呪われた家のことをふと思い出す。幼少期にあの家の周りに行き、長老から叱られられた事があったが
その時の空気もこんな具合に澱んでいた。
だけどここは村のはずれであってそこまで家が近いわけではない。
僕は軽く身震いをして、辺りの音に耳を澄ます。意識が過敏になった刹那、肩あたりに人肌くらいの温度を感じて僕は身体を大きく震わせた。
「誰っ!?」
思わず僕は声を上げた。妙な寒気が背筋を駆け抜けて、只事ではないと身体は硬直する。
後ろを向くとローブを来た青年とも少女とも似つかわない人物が立っていた。
フードから覗く金髪は絹のように美しく、貴族の血筋を思わせるように存在感を示している。
体格は青年というには些か華奢で弱々しく、どこか浮世離れしている雰囲気を漂わせていた。
「やあ、君はこの村の人かな?」
「そ、そうですけど」
僕は見慣れない旅人(?)に話しかけられて、かなり心拍数が上がる。
元々人と話すことが苦手な自分にとって、
見も知らない他人との会話というのはひどく緊張するものだった。
旅人のこちらを見つめる瞳はは憎悪の様なものがちらついて見えて、
その眼光に僕は射抜かれてしまいそうだ。
「こういう時は自己紹介が必要だったね。俺のことはソフィアン、とでも呼んでほしい」
旅人、もといソフィアンは頭を下げて恭しい挨拶をして見せた。
ソフィアンの声音は村の男性の野太さとは対照的に透き通ったようなボーイ・ソプラノで、
一度聞いただけでは性別がわからないような独特の雰囲気を持つ。
「あ……僕はジェイド・ビン・マコードって言います」
僕も彼のあいさつの後、軽く会釈してから自己紹介をする。
「ジェイドかぁ、じゃあさ僕の話を聞いてもらおうか」
僕はソフィアンの思わせぶりな言葉に首を傾げ、彼の言葉を待った。
おもむろに、彼の口から繰り出された言葉は僕の予想を上回る、突拍子のないものだった。
「僕と共に世界を壊さないかい?」
「どういうことです?」
そう言ったのを聞いて彼は僕のあごの下あたりに拳銃を突き立てる。
汗が溢れ、口が急速に乾く。僕はそれを見て死を悟った。
未経験の感覚に対して、脳内は恐怖一色に染め上がった。
声も出せないほどに硬直した僕に彼は微笑みかける。
僕の目からはその笑顔に優しさを見いだせなかった。
「安心して、簡単に殺しはしない」
静寂が通り過ぎていく。彼の瞳の奥でちらついていた憎悪が露になり、
顎のあたりに銃が当たっているのがはっきりと分かった。
様々な言葉や知識が脳裏を錯綜して、顔の筋肉が妙にひきつる。
視界が妙に滲んで、周りの風景がぼやけて見えた。
そのあとすぐに、顎のあたりに当てがわれた死は少し遠のいたようだ。
手で涙を拭えばソフィアンの顔がまず目に入る。
その場にへたり込んだ彼の瞳は動揺一色に染まり切っていた。
「どうしたんですか?」
と僕は手を差し伸べてみる。彼はその手を払ってその場にうずくまる。
「お前らが!!!魔女の国を壊したんだろうが!!!!」
ソフィアンは涙を流しながら、絶叫した。
魔女の国……聞き覚えのある名前だ。
今でこそ強大な国家―真正帝國が覇権を収める時代ではあるが、
その昔、大陸には30以上の小国が存在し、それぞれを尊重し調和を守っていた
「アンサンブル・ハーモニー(調和の重奏)」という時代があったらしい。
その「ハーモニー」を破り捨て、より良い調和を目指したのが今の真正帝國の原型、
「チューオング教」だった。彼らは大陸中の小国であったのにも関わらず小国を蹂躙し続け
約20年、君主に教祖キムを擁立し「真正帝國」が成立したとされている。
現在に至るまでに飲み込まれ、配下になった国に関しては文献のみとなっている。
「……君には変える意思がないんだね」
じゃあね、と手を振ってソフィアンは去っていこうとする。
けれど僕は彼の肩を思い切り掴み引き留めた。
「話があるんです」
そう切り出したまではよかった。
彼はただこちらを見据えたまま、答えを待っている。
沈黙が鎮座し、それだけで僕の心は侵され鈍く痛んだ。
僕は最善策を探そうとする。けれど考え疲れた僕の頭は
悲鳴をあげ、それは「頭痛」という形で現れる。
歯を食いしばって、僕は言葉を探した。
だけど、眼前には答えは映らなかった。
彼はそんな僕を見つめそっと目を閉じた。
「そう。沈黙が君の答えなんだ」
再び拳銃を掲げて、くすりと笑う。
あてがわれた顎のあたりに再び妙な重みを覚えた。
一秒が何十秒にも感じられる。引き延ばされた時間の中でも
僕は言葉を紡ぎだすこともできず怯えていた。
ただ過ぎる時間を感じ、神経が目先に集中し弾ける。
彼は掲げた銃をぐっと強く握りしめた。
顎のあたりで銃が揺れ、カチャカチャ、と特有の金属音を立てている。
僕はその瞳をふと見つめてみた。
彼(彼女)は震えている。
動揺一色に染まり、表情もこれまでにないくらい崩れている。
今までそこにいた彫像というよりか、そこには純粋無垢な少年がいた。
世界の改変を祈る魔女ではない。純粋無垢に自分を守りたい、たった一人の英雄だった。
「嫌なんだよ、この世界から消えてしまうなんて。ちゃんちゃらおかしいじゃない?
僕の望みはそこにあるんだよ。一分一秒でも誰かに覚えててほしい・・・・・・」
涙をこぼしながら彼は呟いた。銃を持つ手から力が抜け、
ことり、と妙に重量のある音を立て地面に叩きつけられた。
それに従うように彼も頽れた。
僕はその光景を俯瞰する立場から解き放たれて
物語に引き戻された。
彼(彼女)のもとへ駆けよれば、足元がほんの少しだけ湿っていたことに気が付いた。
泣き崩れていたのだ、その場に頽れるようにして。彼(彼女)の涙を拭いたかったけれど、
そんなことを考えられないくらいに湧き上がる感情を抑えきれずにいた。