桃太郎
「私が経験した世界をお話する上で、桃太郎という昔話になぞらえてお話させていただきたいのです」と3番目の女は切り出した。
女がそう言ったのを他の者達は黙って聞いていた。ある者は星を見上げていた。ある者は丁寧に切り揃えられた芝生の感触を楽しんでいた。誰かが話し始めたら、その語り手と、そして中心のホールは見ない、というのが彼等の決まりだった。
プレイ時間の終わったゴルフ場のグリーンの上で、複数人の男女が輪になって座っている。ホールを中心にして座っていた。3番目の女は、中心のホールを見つめていた。話をするときには、そのホールだけを見つめ、そしてそのホールに語りかけるようにするのが決まりだ。当然の如く、そのホールは特殊仕様で、そのホールにボールが一度入ったら、取り出すことはできない。そのホールはとても深く、もう少し掘ったなら、温泉か石油でも出てしまいそうなほどの深さだった。彼等は夏の晴れた日に定期的にこのゴルフ場に宿泊していた。そして、深夜に7番のグリーンに集まり、その穴に向かって語り、その深い穴を少しずつ埋めていくのだ。
そして3番目の女は語り始めた。
どうして、あのような国が存在するのか、私には分かりません。ただ、実際にあったということだけは確かです。世の中や社会の仕組みや、話している言葉は、私たちの国と全く同じでした。ですから、具体的に何がちがったのかと非常に申し上げにくいのです。ですから、私は桃太郎という昔話になぞらえてお話するのがもっとも皆様に分かりやすくお伝えできるのではないかと思ったのです。
私たちの国では、桃太郎という昔話の主人公は女の子です。桃太郎、という男性の名前であるのは、あまりに可愛い桃から生まれたその娘を、領主に召し上げられないように、「太郎」と名付けたというのは、この国の誰もが知っていることです。
ですが、その、彼の国では、桃太郎は男の子なのです。私も最初はそんなことは気にも留めていませんでした。桃太郎の主人公が女でも男でも、その本質は変わらないと思っていました。ですが、それは私の間違いでした。私たちの住む世界と、彼の国の根底が違うのです。
これは私の推測ですが、桃が川をドンブラコッコ、ドンブラコッコと流れてきたとき、その桃を見つけたおばあさんは、「あっちの水は、かあらいぞ。こっちの水は、ああまいぞ。かあらい水は、よけて来こい。ああまい水に、よって来こい。」と歌います。
その際に、彼の国では、そのからい水が桃と一緒にやって来てしまったのでしょう。からい水が、かの国を取り返しがつかないほどに飲み込んでしまったのでしょう。
彼女は少しばかり沈黙をした。周りは静寂に包まれた。星々がきらきら星を小声で合唱していそうな夜だった。
その3番目の女は震えていた。冷め切った体温を温めるために彼女の体にかけられた毛布もあまり効果がないようだ。多くの人が、彼女の身に起こった出来事に興味があり、彼女が話し始めるのを黙って待っていた。
美しい女だった。女の中では身長が高く、長い黒髪に長い睫毛で目がくっきりとしていた。青空とヒマワリがよく似合う女性だった。それが、骨に皮がついただけのような体で、髪は真っ白になっていた。彼女の実際の年齢より、彼女の外見は、30歳多く歳をとっているように見えた。彼女が姿を消して、そして現れて数年しか経っていない。
彼女は「少しだけ失礼します」と言って、用意していた魔法瓶からお湯を注ぎ、暖かいインスタント・スープを飲み始めた。
彼女は、痩せ細った手で――彼女の左手の指輪は滑り落ちそうだった――そのスープをゆっくりと飲んだ。
ごくん、という彼女の喉が鳴る音が響いた。ほかの者たちは、黙って彼女がそのスープを飲み終わるのを待っていた。そして、彼女が再び語り出すのを待っていた。
「私たちの国の桃太郎のお話では、鬼ヶ島に、救援のために行きます。鬼ヶ島に何が起こったのか、昔話から推測することしか私達はできませんが、地震の多い国ですし、雨も多く降ります。昔話ということで、昔は飢饉も頻繁に起こっていたでしょう。ですから、相互扶助は当たり前の当然のことであると思います」
3番目の女が言った言葉に何人かが静かに頷いた。
「それが彼の世界では、桃太郎は、鬼ヶ島の鬼を成敗しにいくのです。鬼ヶ島の鬼が悪いことをしたのでしょうか? どうやら方々の島から宝をかすめ取ったらしいのですが、はっきりとわかりません。そして、私を愕然とさせたのが、桃太郎のお爺さんが、討伐しにいくと行った桃太郎を喜んで送り出したことです。『勇ましいことだ』と、喜んでいます。桃太郎はまだ子どもと言っても良い年頃です。善悪の判断もつかない子どもなのです。その子どもを諫めたり、行動を止める大人は、彼の国の桃太郎では不在なのです」
3番目の女は深いため息を吐いたあと、また話し始めた。
「桃太郎は、鬼ヶ島へと向かいます。皆様がご存じの通り、犬、猿、雉という得がたい協力者を桃太郎は得ます。私たちの国の桃太郎で象徴的なのが、犬と猿が協力者になるということです。犬と猿……犬猿の仲という諺が示すとおり、本来は仲が悪い関係です。ですが、桃太郎は、鬼ヶ島の危機を解き、犬と猿を説得し、犬と猿の関係を修復させます。私たちの国の桃太郎が、女性であることを考えれば、それが自然なことのように思いますし、そのことに違和感を持った方はいらっしゃらないと思います。ですが、彼の国の桃太郎は違います。犬、猿、雉に、『きびだんご』を渡すのです。きびだんごという目先の利益をちらつかせて、一次的な協力関係を結ばせるのです。恐ろしい道中です。彼の国の桃太郎が、鬼ヶ島へ向かう道中は、緊張の張りつめたギスギスした旅路であったでしょう。
それに、私は気付いてしまいました。私たちの国できびだんごと言ったら、団子が串に4個ついています。ですが、彼の国では3個なのです。桃太郎、犬、猿、雉、と1人と3匹の中、きびだんごは3個なのです。誰かが、団子を得られない仕組みなのです。鬼ヶ島への道中、犬、猿、雉がお互いに功績を競い合うのです。自分が団子を得るには、誰かのを奪うしか方法がないのです。犬と猿の溝は埋まらないでしょう。きびだんごという目先の利益のために、みんな笑顔で道中を旅しますが、心の中では、どうなのでしょう? 抜いてやろうと、腹の中ではなにを思っているのか分かったものではありません」
そして、やがて桃太郎一行は、鬼ヶ島へ到着します。彼の国の桃太郎の話では、鬼たちは逃げ惑い、自分たちの城の中に閉じこもります。その城の門の前で、犬は鬼たちを脅迫します。猿は、その間に、城壁をよじ登って城へと忍び込み、固く閉ざされた城の門を開けます。雉は、鬼たちの目をその爪でくりぬこうとします。
体の大きいばかりの優しい鬼たちは、すぐに降伏します。そして、桃太郎は、鬼ヶ島のものをすべて奪って、自分の故郷へと帰るのです。
私たちが知っている桃太郎のお話とは筋は大体同じようですが、まったく中身が違っています。救援に向かった鬼ヶ島に向かった犬は、嗅覚を生かして困っている鬼たちを捜しだし、雉は空から状況把握に努めます。桃太郎と猿は怪我の手当をするはずでした。
3番目の女は、そこまで言い切ると、グリーンのホールに向かってゴルフボールを転がした。コロコロと転がり、そのボールはホールへと吸い込まれるように消えていった。
これで私の話は終わりです。そして、これだけは言っておかなければなりません。彼の国の桃太郎は、男の子であった。そこには必然が存在しているのです。鬼退治にいくのを止める大人がいないのも、犬と雉の目先の利益だけを考えただけの協力関係も、鬼を退治して相手の宝を奪うということも、すべて必然性があるのです。そして同様に、彼の国の人々は、その必然性に染まっているのです。
私たちの国でも、彼の国でも、桃太郎という昔話を聞いて、自分も桃太郎になりたいと、憧れるでしょう。もちろん、誰もが桃太郎になれるわけではありません。人によっては、犬の役割に、猿の役割に、雉の役割に、そして時には、鬼の立場になるかもしれません。
彼の地の国では、鬼の立場になるかもしれない。
私は、彼の国で、次に誰が鬼ヶ島の鬼になるのか?
それを考えただけで私は恐ろしいのです。