鯰初体験
「エール、と、エール飲めるのか?」
トマさんは注文の途中でジュベータを振り返った。
「いや、あまり、経験が」
「じゃあサイダーだね」
レヒトさんが助け舟を出す。
「はいお待たせしました」
小僧さんが陶製のマグを運んでくる。そのまま待っていると、店の主人が
「揚げたてだで気つけて上がってくだせい」
と鯰の皿を運んできた。まずは乾杯、そして一つの皿から直接に揚げたての魚を口に運ぶ。
「熱!」
揚げたてのフライの熱さはジュベータの想像以上だった。歯を立てると薄い衣がサクッと音を立てて、身が口の中で崩れ、魚のうま味に変わる。
「おいしい…」
トマさんがほろっと笑った。
「熱かったらサイダー飲んで、口の中冷やすといい」
「やっぱり普段よりおいしいね。もちろん普段もおいしいですよ。でもそれ以上だ。旬?」
「油の旬だな」
「なるほど、そうなんだ」
「皿が空いたら次々くるから遠慮せず食え」
「ジュベータ、揚げ芋も食べてね、あとこれ付け合わせのサラダと漬物」
「あ、ありがとうございます、少しづつ、はい」
一皿目の鯰はみるみるうちに空になり、二皿目が来るとトマさんがポケットから黄金色の小さな果実を取り出して、ナイフで半分に切った。すっと目の周りが果実の香気で洗われたような気がした。
「これちょっと絞ると、味が変わる」
「へえ、おもしろいね。僕にもかけて貰える?。ジュベータは」
「じゃあ、ちょっぴりお願いします。」
トマさんに果実の汁を一滴落としてもらった鯰のフライは、爽やかな果実味に彩られ、より深い味わいに変化した。
「あ…、こんな美味しいの、初めて…」
ジュベータのつぶやきを耳にした店の内儀が、笑いながら主人に向かって繰り返す。
「あんた、こっちのお嬢さんが、こんな美味しいの初めてって」
「そりゃよかったな」
店主は揚げ物をしながら大口を開けて笑い、ジュベータは恥ずかしさにうつむいた。
「これは王都にはみない果物だね。レモンの仲間かな」
「実家に生えてたから、よく取ってたが、なんて名前だか」
トマさんは掌の上で果実を転がして見つめた。
「あの、トマさんは、お里帰りは」
「馬でも3日はかかるから、なかなか。もう4、5年帰ってない」
「3日、遠いですね」
「来たときは馬車で12日だった」
「腰があの、がたがたになるとか」
「主人のお供だで、休み休み来たから」
「私、トーラスまで馬車で行って、次の日帰ってきただけで、寝込みそうでした」
「鍛え方が違うでしょう。僕たちは軍人ですよ」
「だな。娘っ子と一緒にされちゃ困る」
レヒトさんとトマさんがエールを片手に笑う。一緒になって自然に笑えている自分に、ジュベータは内心驚いた。こんな楽しいのも、初めてかもしれない…
三皿目はほとんど男二人が平らげて、エールのお替わりはせずに三人は「河口亭」を出た。お昼が近づくにつれて、穏やかな晴天にますます人出が増えているようだ。
レヒトさんの提案で、王城と反対側の川下へ運河沿いをぶらりと歩いてみることになった。
「こちら側は倉庫や商館が多くて、人混みがましだからね」
「毎年、こんな、混雑するんですか」
「今年は暖かい」
「ジュベータはずっと出勤していたから、<別祭日>の王都を知らないんだ」
「一度、休んだ時がありまして、でも、トーラスへ行ったので、王都は子供の時だけですね。その頃はずっと家で母と食事の用意をして、遊ぶのは、初めて」
「もったいないな。面白いのに」
「<別祭日>の料理も、面白いですよ。王城だと、あの、お姫様方と野菜を切ったり」
「王城ならではの光景だね」
「そ、そうだ、レヒトさん、ご実家はよろしいんです?」
レヒトさんは立ち止まってにっこりする。
「帰ろうかとも思うんだけど、そうすると、君たち二人っきりになっちゃうでしょ」
「え、そんな、私のためだったら、申し訳ないです。か帰ります、私も帰りますので、どうぞお気兼ねなく」
「だってさ、トマ。どうする?」
春の微風が運河の面にさざ波を立てて、レヒトさんの髪を揺らす。どちらも陽の光を反射してちらちらと輝く。
「よし、帰ろう」
トマさんの返事は簡単だった。
「俺は王城へ帰るし、ジュペータも同じ方向だから送る」
「え、あの、それ、結局、ふ二人きりなんじゃ」
「この人混みだ、二人きりもないだろう」
「よかった、じゃあ行こうか」