ジュベータの生い立ち
ジュベータは幼いころ母を亡くした。父が再婚すると、連れ子の存在が邪魔になったのだろう、通例より若い13歳で王城に侍女として奉公することになった。父は
「名誉と思え」
と言ったが、職場ではものの役にも立たないということで、掃除くらいしかさせてもらえず、とても名誉とは思えなかった。年頃の同僚たちの、恋愛や美容で盛り上がる会話には混ざれなったし、彼女たちから妹扱いしてもらえるような愛嬌もなく、いつも余計者として一歩離れているしかなかった。そのため、いまだに人づきあいが苦手なままだ。
18歳の時に父が急死したことで、家業は破たんした。継母からは、家屋敷を売却して借金返済にあて、継母は自分の実家に戻る、ジュベータとの縁はこれで切れると一方的に聞かされた。
「幸いあなたは立派なお仕事があるんだから、結婚するまで独りでやっていけるでしょう?」
侍女の仕事は、嫁入り前の娘に箔をつける意味もあるため、俸給は決して手厚くはない。食事と宿舎、制服は支給されるし、多くのの侍女たちは晴れ着やオーバーコート、靴などをを実家であつらえてもらうことで、なんとか生活水準を保っている。ジュベータも実家から人並み程度の世話をしてもらってたのだが、継母はそのことを知らないのだろう、それとも知らないふりをしているのだろうか?どちらにせよ、継母には成人であるジュベータの面倒をみる義務はない。ジュベータには
「わかりました」
と答えるしかなかった。
それから2年になる。父の生前から、実家に帰ることがほとんどなかったジュベータには、父がいなくなったからといって、寂しさではあまり変わりがないのだった。これまではまれにダンスやピクニックに誘われて、参加してぼんやりしていたのが、参加せずにぼんやりするようになったくらいだ。喪中ですのでと何度か断っていたら、最近は誘われることすらなくなってきた。着るものの心配をしなくて済むのでありがたい。そういえば、年に何度か仕立て屋に呼び出されて衣装を注文するのも、大の苦手だったので、精神的には楽になったかもしれない。
面倒にはならない、とあの軍人がいっていたとおり、あれから10日ばかりの間チラヴァ氏がジュベータに近づいてくることはなかった。それでもジュベータはまだ昼の食堂に向かう勇気が出ない。チラヴァ氏は通いなので、ジュベータとの唯一の接点が昼の食堂だからだ。あの日も食堂で隣り合って庭へ誘われたのだ。あれ以来、朝食の時にパンを多めに貰って仕事の合間にこっそりと食べるようにしている。
「ジュベータさん、早くお昼に行かないと今日は納品がありますよ」
今日も同僚に促されたが
「ええ、食欲がちょっと、あの、もし納品が来たら受けますので、どうぞお昼に行ってください」
と断って、一人になると置いておいたパンを取り出した。
あの軍人は本当に紳士だったらしく、誰にも変な噂が流れている様子はない。ないと思う。もし噂があったりしたら上司のミルチエ夫人が黙ってはいない。もちろん噂を否定してくれるわけではない。ジェベーダにあてこすりを言う、という意味で黙っていないにきまっている。ジェベーダは心の中で名前もしらない軍人に感謝の祈りをとなえてからパンを噛みしめた。
その時、ドアがノックされ、今日は納品がえらく早いと慌てたジュベータは口の中のパンを飲み下しながら返事より先にドアを開いた。黒い制服。あの男だった。
「むぐ、、ど、どうぞ」
「いつもいるな」
「いえ、あの、たまたまです」
「頼む」
また丸めたシーツを渡された。今日は2枚だ。
「お待ちください」
替わりのシーツを2枚渡して、遠慮がちに申し出る。
「あの、もし度々あるようでしたら、まとめて多めに持っていかれますか」
「出来るのか」
「はい、そのかわり記録は残りますけど」
「記録…」
男は顎をさすった。
「お見せできませんがこんな感じです。何月何日、誰様寝所、何枚渡し」
「あー、主人の名は、困る」
「そういう場合は取りに来られた、例えばあなたの名義でもいいです」
「うーん、なら10枚、いや5枚?いや、やはり10枚頼む。トマ・テペシだ。」
「書きますので」
ジュベータは台帳に記入して、10枚のシーツを選び出した。
その間に男、テペシさんは台の上においた食べかけのパンに目を止めたらしい。
「昼飯か」
と尋ねる。
「あっ、すみません、お行儀わるくて」
シーツを抱えて向き直ると、
「食堂で、何かされたか?」
深刻な面持ちで聞かれた。
「いいえ、違います、私が勝手にその、遠慮しているだけで、あれから顔もみていません」
「ふーん」
ちょっと考えて
「怖いか?」
「ちょっと、怖い、ででも、自分が情けないです。あんな鯰野郎が怖いって」
「鯰野郎な」
テペシさんはにやっと笑った。でもあの口ひげとぬらっとした感じが絵本でみた鯰みたいだと思う。
「じゃあこれすまん。助かった」
「こちらこそ、本当にありがとうございました」
あらためて最敬礼だ。
「明日から昼は食堂で食え。鯰は気にするな」
「あ、はい、そ、そうします」
「本当に食ったか確認する」
「な?なんですか?」
テペシさんは笑って答えずに去っていった。