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甘い言葉をひとしずく  作者: 入峰いと
初夏の章
19/41

空回り

初夏の長い宵が夜の闇に置き換わったころ、トマ・テペシは王城の宿所に戻って、誰もいない流し場で手足を洗った。故郷とは違い、王都では日常的に入浴する風習がなく、設備もない。絞った布で体を拭いていると背後から煙草の匂いがした。

「おかえり、早かったね」

煙管を手にしたアルブレフト・コルムが壁にもたれて声をかけてきた。

「おう」

「ジュベータと、どこまで行ったのかな」

「河口亭」

「げふんげふん」

レヒトは急に噎せて、せき込み始めた。

「おい、大丈夫か」

「ごほごほ、ああ、ごめん、煙が変なところ入っちゃって。あー、はい、それで、ジュベータと」

トマはいちいち相槌をうつでもなく、絞った布をパン、とはたいて水を切った。

「食事して帰ってきたんだ」

「おう」

「彼女、元気だったの?」

「疲れた様子だった」

「仕事忙しいの?」

「安定した仕事が見つからないと」

「あー、そりゃ、難しいねえ」

トマが畳んだ布を、厚い掌の中で丸めているのをみながら、レヒトは煙草の煙を吐きだした。

「心配だなあ、俺も様子を見に行こうかな」

「おう、行ってやれ」

「構わない?俺が行っても」

「いや、リーリアは喜ぶだろう」

「なんでリーリアの話になるかな、関係ないだろ、あの性悪」

トマは振り返ってレヒトを見据えた。

「前は仲良さそうに見えたが。まさか、嫌われるようなことをやったのか」

「なんで俺が嫌われている前提なの。違う。最初からあの女は信用してない。ジュベータと親しくなるために近づいただけ」

「リーリアは、あれはしっかりした娘でないか。愛想もいいし、お前が一緒に出掛ける娘らと何が違うんだ」

レヒトは首を左右に振った。

「結婚の約束していた男を袖にして、貴族の男をつかまえるために王城に上がったような女だよ」

「そりゃ、酷い」

トマは顎をさすった。

「しかし、貴族の男を狙うなら、お前と出かけたりしない、と思うが」

「高望みが過ぎると思って狙いを下げたんじゃないの」

憮然として答える。

「信用できる噂か」

「噂じゃないよ。振られた本人の口からきいた話。俺の知り合いだから」

「そうか、本人な」

トマは少し考える。

「その男は、リーリアの好きそうな男か」

「え、気に入らないから振ったんだろ」

「一度は婚約しそうか」

「あー、大店の息子だし。顔も悪くはないし」

レヒトはその男の長所を数え上げようとしたが、後が続かず、ぶつぶつと、いいかげんな奴ではあったけど、偉そうで、などとつぶやくばかりだ。

「振られるだけのことがあったのかもしれん。本人の話だけでなく、リーリアからも事情を聞いたがいい」

トマは、慰めるようにレヒトの肩をポンポン叩いて洗い場を出て行った。

「あ、いや、ちょっと、なんだよこれ」

トマの背中に向けて独りごちる。ジュベータを意識するよう、トマの背中を押してやろうと思ったのに、なんで逆に背中押されているんだろう、俺。

「今更、無理だろ」

以前、二人で出かけたあの夜。遠回しに思い知らせてやるつもりが、何食わぬ顔で魅了しようとするリーリアがどうにも腹に据えかねて、この件を持ち出してしまった。その時は一方的に彼女を指弾するだけで、事情を聞こうなどとは思いもよらなかった。リーリアにしても、知らぬ存ぜぬの一点張りで、釈明する気配もなかったのは確かだ。もし、あの時、本当の事情を聞けていたら、リーリアのことを許せたのだろうか。アルブレヒト・コルムが抱えていたリーリアに対する憤りが、何か後悔の念に似たものに変わり始めた。


同じ夜、下宿の部屋で髪を梳きながらジュベータはため息をついた。リーリアからの手紙は、枕元の台上に置いてある。可愛い包装の薬草茶と並んで、ジュペータの気を重くする。戸棚には、テペシさんが帰り際にぐいぐい押し付けて行った、河口亭の豆の酢の物が入った小さな容器。これは明日の朝食べよう。髪が整っってしまったので、思い出して靴を磨く。それから明日の仕事に備えて爪を短く切りそろえる。でもいくら引き延ばしても、いつかはリーリアからの手紙を読まなくてはならないときが来てしまう。


思い切って、ジュベータは手にしたハサミで封筒の端を切った。花の香がほのかに漂う。ジュベータは折りたたまれた便箋を引き出した。


☆☆☆☆☆

 ジュベータ、夏に向かうこの時期、体調を崩したりなさっていないかしら。


 実は一度、お別れした折に伺ったご住所へお便りしたのですが、届かないまま帰ってきてしまいました。どこへ移られたのかわからなくって、ずっと心配しておりましたの。テペシさんから、あなたと街で偶然出会ったというお話を聞いて、やっと安心いたしました。

 

でも、またお移りになるかもしれないとのこと、少しでも早く落ちつかれますよう、お祈りいたします。今度お宿替えの際には、かならず教えてくださらないといけないわ。でないとテペシさんに王都中を探し回っていただくことになりますからね。


 本当にテペシさんは頼りになり、思いやりがある方です。ちょうど、港の方へお出かけになるということですので、この手紙と、少しでもジュベータが元気になるように、気持ちだけですが薬草茶を届けてくださるようにお願いしました。どうかよくお礼を申し上げてくださいね。


 私たちは特にかわりございません。新しく来た人とは少々ぎくしゃくしておりますが、じきにこちらのやり方になじんでくださると思いますわ。


 ではくれぐれも無理なさらないで、困ったときはきっとお知らせください。リネン室にて。リーリア。

☆☆☆☆☆


 短い手紙なのに、テペシさんの名前が3回も出てくる。ジュベータの名前でも2回しか出てないのに。そしてすごくテペシさんがほめられている。やっぱり、リーリアは、テペシさんのことを特別に思っているということ、なのだろう。ジュベータはそそくさと手紙を片付けて、床についた。目をつぶり、大きな呼吸をする。でも、夕方の続きの涙がじわじわ出てきて、頬をぬらすのでやっぱり眠れなくなった。


「お礼なんて、言えなかったわ」

リーリアの手紙に返事してみる。

「だって、嫌だもの。リーリアとテペシさんが仲良くなるために、私のところへ来てもらうなんて」



 











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