動悸と息切れ
テペシさんの目つきが悪くなる。
「おい、遠慮してないか?」
「はい、本当に、テペシさんみたいには食べられません。そ、そうだそうだ、先日はベリーを食べるのを手伝っていただきまして、本当にありがとうございました」
テペシさんはエールを一口呑んで、
「いや、あれは、うまかった。ちょっと驚いたが。」
「摘みたてはもっと、おいしかったんです。好きなだけ持って行っていいって言われたので、籠に入れたら帰る途中でどんどん悪くなって、テペシさんがいてくださらないと、捨てなくてはいけないところでした」
「欲張りすぎだ」
ジュベータは、怒られたのかと、素早く相手の顔色を伺う。大丈夫、テペシさんの口元は笑っている。
「下宿の小母さんへお土産にしようと思ったんです。すぐ潰れるから、あまりお店で売らないそうで、珍しくて」
「俺も食ったの、初めてだな」
「そうなんですか、テペシさんのおうちでは、作っていなかったんですか」
「気候が違うで、俺の方にはベリーはほとんど生えない、と思う」
「え、ベリーが、全然、ないんですか」
「ない。リンゴもない。サクランボもない」
「えぇ?それは」
「西瓜とイチジクは沢山ある」
「あ、良かったです。そ、それに、あの以前お持ちだった、鯰に汁を絞っていただいた、あの黄色い果物」
「おう、あれは、果物というより、酢の代わりだけども、ああいうレモンの仲間みたいのはいろいろとある」
「なにが、あの、テペシさんが、何が一番お好きでしょうか、く、果物でっ」
テペシさんは腸詰を嚙みながらしばらく考えた。ジュベータに向き直り、おもむろに宣言する。
「知らんだろうが、ハマメガネ」
「は、はい、わかりません」
「これくらいの実がこう2つ入って」
親指と人差し指で輪を作って、2つくっつけて見せる。
「でかい豆みたいで、豆より柔っこくて甘いけどちっと塩みもある。海辺に生えるから」
「初めて聞きました。おいしそう、です」
「おいしいというよりも、子供の頃の思い出の味だな。エビ捕りだの泳ぎだのって、友達同士で海に行ったら、必ずハマメガネ探して食った」
「え、お友達と、エビ捕りって、お仕事じゃなくて、ですか?」
「いや、遊びで」
「あの、すごく、男の子ですね。遊びの、えっと、規模が」
「エビはな、大きさこれぐらいのを掬って飼う。かわいいもんだ」
テペシさんが手の小指の第一関節を示すのでジュベータはエールを吹き出しそうになった。
「ごほっ、ごめんなさい、私勝手に、もっと大きいエビを、想像」
ジュベータはこらえきれずに声を上げて笑いだす。
「こんな、こんな」
笑い声の隙間から、小指を出して
「こんな、エビが、ぶぶぶ」
また、笑いがこみあげてくる。ジュベータはしばらく身体を震わせていたが、ようやく普通の呼吸を取り戻し、
「す、すみません、私、自分の思い違いがおかしくって」
「こんなに声出して笑うんだなあ」
テペシさんは動じない。ジュベータがエールを飲み干すと、
「水でも貰うか」
「いえ、もう大丈夫です」
「んじゃそろそろ帰るか。あー、手洗い借りるなら、あっちだが」
ジュベータが素直に従って、席に戻ると、店のお内儀がいて、テペシさんは勘定をすませたところらしかった。
「ありがとうございます、またおいでくだせいまし。お嬢さんも是非ご一緒に」
お内儀はテペシさんとジュベータのそれぞれに笑顔を向けた。
「あ、こ、こちらこそ、ありがとうございます。おいしかったです」
ジュベータが口ごもる一方、テペシさんは
「おう、また来ら」
と短く答えて、足早に店を出た。
「テペシさん、すみません、ご馳走になりました」
店の外でお礼をいいながら、ジュベータは内心では、あまり申し訳なく思っていなかった。ジュベータに食事をとらせるというのは、リーリアの差し金だろうと見当をつけたからだ。このお手紙とお茶を渡して、ジュベータが元気がなさそうなら、食事にでも誘ってやってね、って、リーリアならきっとそいういことをいう。そしてテペシさんは、頼まれたことを確実にこなす人だ。急に飲みに行く、という話になったのには、事前に計画があったからに違いない。
「いや、気にすんな。歩けるか」
「はい、大丈夫です」
来た時の運河ではなく、大通りを北に向かう。ジュベータはテペシさんの後ろについて歩こうとしたが、テペシさんは足を止めて待ってくれるので、やっぱり横をあるくべきらしい。エールのせいか、顔が熱くなってきた。
「あの、まだ、明るいですね」
息切れ気味の声が出た。
「王都は陽が長い」
日はとっくに落ちているが、空はまだ完全に暗くなっていない。人通りもある。時々は馬車とすれ違う。曲がり角では、小路の食べ物屋の匂いと人声が漂ってくる。そんな路から急に出てきた酔客とぶつかりそうになって、ジュベータはテペシさんに腕をつかんで引き寄せられた。ジュベータの耳に自分の血流がどくどく流れる音が聞こえるほど、びっくりした。テペシさんはすぐにジュベータの腕から手を放して、立ち位置を入れ替える。
「こっち側歩く」
「す、すみません」
小さな声しかでなかった。