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舟に乗る

 テペシさんは曲がり角で足をとめてジュベータが近づくまで待っている。人としてあたりまえの心遣いだ。そのうえに道がわからないだろうという子ども扱いに違いない。ジュベータの呼吸がなんだか苦しくなるのは、きっとテペシさんに申し訳ない気持ちだからだ。ジュベータが足を速めて追いつくと、テペシさんは角を折れて運河に足を向けた。

「あの、河口亭に行くなら、あちらでは?」

「舟に乗る」

運河には、荷を載せて馬が曳く小舟が通行しているのはジュベータも時折見て知っていたが、乗っていくという発想はなかった。


 テペシさんは舟に荷物を積み込んでいる男の人に

「中央まで二人、いいか?」

と尋ねた。

「ああ、もうじき出るから、乗ってくれ」

と男の人が答えると、小銭を払って舟に乗り込んだ。ジュベータがスカートの裾を持ち上げて後に続く。舟にに踏み込むと、

「わ、揺れます」

テペシさんは笑いながら

「怖ければここの手すりを持っていろ」

と教えてくれた。もし、ここにいるのがジュベータではなく、例えばリーリアのような淑女らしい淑女だったら、テペシさんはどうしたのだろう。手すりをにぎってジュベータは考える。紳士らしく、淑女を片腕につかまらせてエスコートするテペシさんの姿が目に浮かぶ。舟が揺れてもテペシさんの腕にすがればならきっとびくともしないだろう。ジュベータはテペシさんの腕から目を離して、岸を見た。曳舟の先から伸びた綱は、運河沿いの道に立つ二頭の馬につながれている。男の子が一人、馬の背に乗ってこっちを見ている。馬具の何かに西日が当たって一瞬ぎらっと光る。ジュベータが目をしばたいているうちに、荷物を摘み終えた男の人が舟に乗り込み、馬上の男の子に合図すると、小さな波音を立てて曳舟が進み始めた。ジュベータの頬にあたる風が少し涼しくなる。


「あ、あの結構、早いですね」

「曳舟乗ったことないか」

「え、あ、はい、舟というものは、これが生まれて初めてです」

テペシさんは、そんなところだろうな、と笑った。

「どれくらい乗るんですか?」

「20分くらいだな」

「それは、すごい、早いです」

歩いていけば倍以上かかるだろう。

「腹減ってるときにのんびり歩いてられない。今日ちゃんと食ってないんだろうが」

「それは、えっと、私、ですか?そういえば、お昼忙しくて食べてない、です。あの、また、顔に出てしまって、いましたか」

「まあな。こないだは元気そうだったが」

「すみません、気を使わせてしまいまして」

ジュベータは急いで頭を下げた。

「いや、それはいい。それよりジュベータ、橋だ。頭に気をつけろ」

「えっ」

舟の男の人も

「あたまー」

と声を出した。

ジュベータが頭をかばいながら視線を上げると、曳舟は運河をまたぐ橋に近づいたところだった。舟は当然橋の下をくぐり、舟を曳く馬が通る路も橋の下になるよう設置されている。乗っている人の頭から橋の裏側の石組みまでは十分な余裕がある、むしろぶつかりようがない。ジュベータは頭をかばっていた手を上に伸ばしてみた。全力で伸ばした指のまだ上を、薄汚れた石材が流れ去り、舟は橋をくぐりぬけた。

「手が汚れるぞ」

様子を見ていたテペシさんが言った。

「いえ、届きません。手が届かないのに、頭なんてぶつけようがないです」

ジュベータは西日に目を細めて橋をふりかえった。

「あのな、舟によっちゃあ、高いのがあったりな、荷物を積み上げるときもあるだろ。だから橋の手前fでは必ず『頭に気を付けろ』って声をかけるのが規則なんだよ」

舟の男の人が教えてくれた。

「あ、そ、そうなんですね」

何か言おうと思って、ジュベータがテペシさんの方に向き直ると、テペシさんは少し口の端に微笑みを浮かべていたが

「テペシさん、次の橋ですよ。頭気を付けて」

ジュベータの声で、頭をそらして笑った。テペシさんは、いつも不機嫌そうという印象があったけど、意外とよく笑う人だったようだ。


 四つめの大きな橋のたもとの船溜まりで曳舟を下りた。石段を上って道路に出る。さっきの橋を渡る途中で、ジュベータは足を止めて運河を見た。春の初めに見たときは、真昼のさざ波がきらきらしていた。

今は日暮れで、水面に西日が輝いてはいるが、少しづつ暗い色が広がっている。テペシさんが

「帰りは乗れないな。曳舟は日のあるうちだ」

といった。ジュベータは、ちょっと寂しい気持ちでうなずいた。

「また、そのうちに、ですね」

テペシさんが数歩進んでから、立ち止まる。

「そうだ、女一人で曳舟に乗ったりするな、船頭のなかには性質の悪い者もいるからな」

「はい」

ジュベータは、こっそり首をすくめた。でも、こうしてテペシさんに子ども扱いされると、心苦しい一方で、どこかにうれしいような気持ちがあるのも確かだ。幼いころ母が死んで以来、ジュベータのことを気にかけてくれる人はい誰もなかった。父と継母は、世間体が悪くない程度には面倒を見てくれたけれど、ジュベータ自身への思いやりがなかったからだ。気を付けよう、ジュベータは考えた。自分が寂しいからといって、テペシさんのあたりまえの心遣いを特別なものと思い込んでしまわないように。










 



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