○俺の話 2.冒険者組合
冒険者組合の建物の中は薄暗かった。石造りで防犯のためだかなにか知らないが、一階部分には窓がない。蝋燭の揺らめく炎だけが光源となっている。もう、夕方だから部屋まで薄暗いということではないだろう。
「冒険者になりたいのですが」
俺は、カウンターの奥の椅子に座っていたスキンヘッドの男に声をかけた。俺を一瞥してその男は面倒臭そうに立ち上がる。冒険者組合も接客業というのに分類されるのであれば、サービス精神というようなものがまったく見受けられない。
「名前は?」
無愛想過ぎるだろ……。しかし名前か……。本名じゃないと不味いのだろうか。偽名で登録しても良いですか、というような馬鹿な質問をするのも駄目だろう。そんな質問をしたら、偽名で登録しますと言っているようなものだ。この中世風の世界で、日本人の名前というのもかなり変わった名前となってしまうだろうが……。
「名前は……」
俺が自分の名前を名乗ろうとした瞬間、心臓が潰れるような痛みを感じた。痛みというような生やさしいものではない。立っていられなくなり、カウンターの前で蹲る。右手で心臓を押さえる。心臓が破裂してしまいそうだ。
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俺は気を失っていたらしい。辺りを見回すが、どうやら冒険者組合の建物の中のようだ。俺は気を失い、部屋の隅の床に移動させられていたようだ。どれくらい気を失っていたか分からないが、石の床に体が接していた部分が随分と冷たくなっている。体温が床の石に奪われていたのだろう。
冒険者組合の部屋の中には、ソファーらしきものもある。気を失った俺をソファーに寝かせるというような親切は冒険者組合にはないらしい。他にも、打ち合わせのようなことをテーブルで行っている冒険者もいるが、俺が立ち上がっても全く興味を示す様子もない。冒険者。思っていたより横の繋がりはドライなようだ。
だが、先ほどの道案内をして金を奪おうとした女性よりも倫理感はあるらしい。俺のポケットには金貨一枚が残っていた。気を失っている間に、盗まれていないだけ、冒険者というのは信用できそうだ。
『君は、あちらの世界でロール・プレイングをしなければならない。自分が、いわばプレイヤーであることを決して誰かに伝えてはいけない。君がロール・プレイヤーであることを向こうの世界で誰かに伝えた瞬間、君は、死ぬ。それがあちらの世界で僕が課す唯一のルールだよ』
俺は白衣の男の言葉を思い出す。どうやら、本名を名乗るということも、このルールに抵触する行為であるのだろう。
名乗ろうとした瞬間だった。警告であったのかもしれない。だが、本名を口に出していたら、間違い無く俺は死んでいただろう。
偽名を使うしかない。
「さっきはすみません。冒険者の登録をしたいのですが」
カウンターにいる先ほどの男に声をかける。
「名前は?」
「シン、です」
「シン……。ほら、登録完了だ」
「ありがとうございます」
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「何か他に用でもあるのか?」とカウンターの男が口を開く。カウンターの前に立っていられると邪魔だ、とでも言いたそうな顔だ。
いや、俺は待っていたのだが……。冒険者の登録完了、それ以外の何か説明してくれるのを。冒険者組合や冒険者にもルールはあるはずだ。
「どうやって、冒険者のお仕事をするのでしょうか?」
「あっちの壁に依頼を貼ってあるだろうが」と顎だけでその男は部屋の壁を示した。
「あ、ありがとうございます」
護衛、討伐、採取など依頼の内容が分類ごとに並んでいた。上に張ってある依頼ほど、報酬金額が高い。報酬と危険度に相関関係があるなら、上の依頼ほど危険なのだろう。
依頼が書かれている紙は、綺麗に貼られている。乱雑に貼ってありそうな気がしていたが、整然としている。カウンターにいる無愛想な男が貼っているとしたら、接客態度が悪いだけで仕事は丁寧なのだろうか。
食い扶持を得る方法は分かった。
依頼の分類の中で安全そうに見えるのが採取依頼だが、何処に行けば採取できるかという情報がまったくない。というか、採取すべき、「マーユェンの種子」とか、「ホウチューニアの葉」とか「ルブス・ヒーシュトゥスの実」とか、一体何なのか見当がつかない。言葉が通じる世界、文字を読める世界であるのに関わらず、俺が意味を掴めない単語。何かの植物であるのだろうが、まずは何を採取すべきなのか特定しなければならない。
一方で、討伐は分かりやすい。「ゴブリン」って、きっとゲームとかで良く出てくるあのゴブリンだ。たぶん、遭遇したら、あれはゴブリンだと俺は一発で分かる気がする。
そして、どの依頼も共通するのは、この町の外に出なければならないであろうということ。城壁の外で活動をする、それが恐らく冒険者だ。
もう夕暮れ。今から街の外に出るのは流石に危険だ。夜行性の危険な動物とかいるだろう。夜に外をうろつくというのは危険すぎる。
かと言って、この街の何処かで野宿するのも、人に襲われる可能性がある。
「あの、冒険者が宿泊するのに適した宿とか知りませんか?」
「銅貨一枚だ」
「え?」
俺はカウンターの男が言っている意味が分からなかった。
「情報料だよ」
金を取るのかよ……。足下見やがって。だが、俺を冒険者組合に連れて行くと偽って俺から金を奪おうとしたあの女の例もある。無闇に人に尋ねると騙されるリスクもある。一目のある大通りなどならまだしも、宿だと偽られて建物の中に入ってしまったら、窓などない建物だ。最悪、逃げれないで殺される。
背に腹は代えられない。
「今、細かいのがない。これでいいですか?」と俺は、カウンターに金貨を置く。たぶん、足りないということは無いはずだ。問題は、お釣りをくれるかどうかだ。
「金貨かよ。ちょっと待ってろ」
冒険者組合の奥の部屋から戻って来た男は、カウンターの上に硬貨を並べていく。
銀色の硬貨。恐らく銀貨だろう。それを九枚。
五百円や百円玉のような色の硬貨を九枚。これは……鉄? 鉄貨とでもいうのであろうか。
この世界の貨幣の単位は十進法であるのだろう。これも大事な情報だ。
そして、十円玉のような色をした硬貨を並べる。これがおそらく銅貨だ。
だが、机に並べられた銅貨は二枚。
あれ? 計算が合わない。
金貨、銀貨、鉄貨、銅貨というような単位の順番で、そして十進法で計算されるのであれば、銀貨九枚、鉄貨九枚、銅貨九枚となるはずだ。
釣りを誤魔化された? 計算が出来ない奴だと思われた? 舐められている?
俺は今度、冒険者としてこの組合に出入りすることになろうだろう。舐められたままだと今後、損をする可能性があるのではないだろうか。
「釣りの計算が合わないけど?」
俺は、男を睨み付けて言う。たぶん、迫力とかないけれど……。でも、組合の建物の中にいる他の人に聞こえるくらい大声で言ってやった。
釣りを誤魔化しているということになれば、この男の信用問題になるはずだ。カウンターに硬貨は並べたまま。俺はカウンターに手を触れていない。
「おいおい。金貨で払っておいてそりゃないぜ? みんな聞いてくれ。金貨の両替の手数料が銅貨七枚。みんなどう思うよ?」とカウンターの男も大声で言った。腹から声が出ているような太い声だ。
建物の中にいた他の冒険者らしき人達曰く、良心的な手数料であるそうだ。というか、両替に手数料が必要なのか……。
「ご、ごめんなさい……」
俺は頭を下げて謝った。
「この建物を出て左。二ブロック先の、ドミニク・ゲーゼマンの看板がある建物が宿屋だ。ヨーク・ラートの紹介と言えば、悪いようにはしないはずだ」
「ヨーク・ラートって誰ですか?」
「俺だが?」とスキンヘッドの男は名乗る。あ、あなたの紹介ですか、と俺は思う。情報料と仲介料を兼ねているのだろうか。
「ヨークさん、ありがとうございます」とお礼を言って俺は冒険者組合を後にした。
既に夜だった。俺は自分の本名を言おうとして、二、三時間気を失っていたのだろう。とりあえず、冒険者としての活動は明日からにしよう。