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●僕の話 7.二対になる確率

 病院からの帰り道は暗かった。物理的な暗さじゃ無い。だけど、闇の中を歩いているようだった。夕暮れによって伸びた影は、僕たちが歩く度に頼りなく揺れる。


「ねぇ、真司。私が別世界に行くと行ったらどうする?」


「別世界に? 別世界って?」


 詩織の言葉を僕は上手く掴み取ることができなかった。このまま一緒に過ごすことが、未来へ一緒に行くということではないのだろうか? 小さい頃からずっと詩織と一緒だった。これからもそのつもりだ。


「私たちが生きている世界とは、過去、現在、未来、あらゆる点に置いて繋がっていない世界。知り合いもいない世界。私は……世界を跳躍するって表現すれば良いのかな? 地球じゃ無い別の惑星に行くって言えば良いのかな? 上手く表現できないけど、そういう選択肢もあるみたい」


「実用化されているの? なんとなく、ヴァーチャルリアリティーの世界に行くような印象だけど」

 

 詩織は遊んだことがないかも知れない。だが、ゲームでは別世界に行くというようなコンセプトのゲームは幾つも出ている。視覚、聴覚、嗅覚、触覚などの脳の感覚をゲーム機と接続して、まるで実際にそのゲームの世界にいるかのような体験が出来る。


 ただ、そういうことではないのだろう。それはただのゲームであって、ゲームをしている時間も、お腹は減る。詩織で言えば、その時間も詩織の病気は進行する。ゲームは娯楽であって、治療としての効果はない。


「先生も同じようなことを言っていたよ。ただ、ゲームとの違いは、一度始めたら止めることができないということだって。あと、セーブしていた場所からまた始めたりもできないということらしい。人生が一度きりなのと同じように、その世界で生きることを止められないし、何かで死んでしまったら、死ぬんだって。だからゲームの世界に行くと気楽に考えないで、別世界に行くって考えた方が良いって。遠い外国で一から生活を始めるというのがむしろ近いらしい」


「そこに行くと、詩織の病気は?」


「確実に治る」


「凄いな。でも、そんな治療法、聞いたことがない」と僕は呟く。少しばかり荒唐無稽な話だ。別の世界に行って病気が治るなら誰も悲しい思いはしない。


「第一相臨床試験中らしい」


「だいいちそう……? どういうこと?」


「大雑把にいえば、実験中の段階ってことだって」


「実験中って……。それ、大丈夫なの?」


 当たり前のことだが、詩織は実験動物などではない。


「分からない」


「それ、絶対危ないよ。止めておいた方が良い」


「うん。そう思ってた。病気の進行を考えたら、あと三年だって。たぶん、通学できるのは、今年度いっぱいかな。だけど、生きれるなら。それに、私はずっと真司の彼女でいたいから」


 詩織の選択肢は多くない。時間があるということにかけては、僕なんかよりずっと詩織の選択肢は少ない。ギリギリの二択なのかも知れない。

別世界に行ったら、交際をしているということの意味はあるのだろうか? 僕はどうなるんだ? ただ、そんなことを軽々しく言うことなんてできない。どう生きるかの問題だ。遠距離恋愛ということなのかも知れない。おそらく、詩織がその別世界に行ったら、二度と会うことのできないとても遠い距離にある遠距離恋愛だ。生別か死別、そのどちらかに近いのかも知れない。そんな遠距離恋愛だ。


 詩織の家に着いた。家の電気はついていない。当然ながら、詩織のお父さんはまだ仕事なのだろう。


「じゃあ、また明日」


「あれ? 今日はうちでご飯作る日だよね?」


「うん。ちょっと用事を済ませてくる」


 僕は、健二と話さなくてはならない。野球部の練習がそろそろ終わる時間だ。


 ・


「お疲れ」


「おぅ」


 健二を待たせてしまっていたらしい。グランドはトンボがかけ終わっていて、平行線がグランドの模様を作っていた。


「実は、健二に言っておくことがある」


 前置きは僕と健二の間には必要ないだろう。中学生の時からの付き合いだ。


 はぁ、と健二はため息を吐いた。


「俺に仁義を通す必要なんてないのだけどな。でも、聞いておくよ」


 健二はおそらく僕が何をこれから言うのか分かっているのだろう。まぁ、普段から学校の教室で話をしているし、わざわざ呼び出して話をする必要があることなんて、あまり僕と健二の間には存在しない。


「詩織と付き合い始めた」


「分かった。フラれた俺が言うのもなんだが、おめでとう」


「悪いな」


「誰も悪くないさ。じゃあ、俺は先輩たちと合流するわ。牛丼食うらしい」


「待たせて悪かったな」


「あぁ。待ったついでに言うと、付き合いはじめたの、一週間前くらいだろ? 直ぐに言って欲しかった。ちょっと俺の立ち位置に迷ったぞ」


「気づいてたのか? 普通にしていたつもりだったけど」


 僕と詩織が付き合いだしたことを健二は正確に把握していたらしい。


「お前の目が変わっていたよ。上手く言えないけど、強豪チームの奴らの目って感じだった。今のお前みたいな目をしている選手が多いチームと戦うと、不思議と苦戦するんだよ」


「気のせいだろ?」


「どうだかな。じゃあ明日。もう腹が減った死にそうだわ」と健二は俺の肩を軽く叩いて校門の方へ走っていった。


 僕は健二には伝えなければならないと思っていた。一週間言わなくて健二に気を使わせてしまっていたみたいだ。だが、言えて良かった、そう思う。


 ・


 僕が詩織の家に行くと、もう野菜は切り終わっていたところだった。詩織は人参を炒める時に、小さなサイコロのように切る。グリンピースの大きさくらいの小さなサイコロだ。僕がまだ人参が嫌いだったころからの癖だ。わざわざ手を架けなくても、もう輪切りでも僕は食べることができる。


 夕食後、第一相臨床試験というのの説明が書かれている資料を読んだ。分厚い資料だ。専門用語も多く、分からない箇所もたくさんある。


 そして僕にとって重要なことは、詩織はこの試験に参加する気でいるということだ。


 ・


 砂時計というアンティークを僕の両親は持っている。砂を逆さまにすると、ガラスの中に砂が落ちて行くというものだ。名前の通り時間を測るものらしい。

 砂時計をひっくり返す。さらり、さらりと砂が下へと落ちて行く。


 人によって、その砂時計は違う。100年でその砂が落ち切る人もいれば、もっと早く、数年で砂が落ち切ってしまう人もいる。


 詩織の砂時計は小さい。若しくは、砂が落ちていてくスピードが速くて早い。


 そして、アンティークの砂時計と、人間の持っている砂時計には決定的な違いが存在する。

 それは、裏返すことができないということだ。砂が落ち切ってしまったら、それをまた裏返して時間を測るのに使うということは、人の砂時計ではできないのだ。人間が過去に戻れないのと同じだ。


 裏返すことはできない。


 治療法はまだ無いと、詩織の主治医ははっきりと言った。でも、未来にならあるのかも知れないということだ。


 時間を止めて、未来へと直線的にではなく跳躍的に時間移動する。


 だが、発想としては昔から存在する。SF小説では、タイム・トラベルはその類の話だろう。

 現実の技術としても、冷凍睡眠は実際に研究され、長い宇宙での旅をそれによって乗り切ろうとした。だが、限界が存在した。iPS細胞を利用して臓器を取り替えていくことによって冷凍睡眠できる期間は比較的延びた。だが、限界はある。肉体は必ず衰えていくからだ。

 

 人間の時間を止めて、未来へと行く恒久的な方法の開発は難航していた。


 研究史をひもとくと、生理学の分野へ、人工知能工学の世界からある命題が投げかけられた。


 『人工知能が心を持てないのは、魂が無いからかもしれない。人間や動物が魂を持っているとしたら、どこにあるのだろうか?』


 人工知能の研究者達の出した結論と、そして問題提起であった。Deep Learningで習得するのは、総体としての心の動きの傾向、つまり模造品である。

 科学の最先端を行く研究者が出した結論が、非科学的な魂の存在という、なんとも可笑しな話であった。この結論が発表された当時、みんな笑ったらしい。


 だが、魂は存在した。


 遺伝子の二重らせん構造。その螺旋階段のような場所を、光速を超える速度で上り下りしている存在。それが魂だった。簡単に言えば、それが「心」だった。


 そして、簡単に言ってしまえば、別世界へ行くと言うのは、肉体から魂を抜きだし、仮想空間の中へと移植することだった。


 そして、魂が二重らせん構造の中に存在するように、第一相臨床試験は二人の人間がいなければ出来ないらしい。

 一つの魂では安定しない。二つの魂が結合して二重らせん構造を作り、そしてその二重らせん構造の中で魂を安定させる。魂には入れ物が必要らしい。

人工知能が心を持てなかったのは、機構に不足があったからじゃなかった。そもそも魂が無かったかららしい。


「実験参加者が二人?」

  

「うん。二人いないと出来ないらしい」


「他に、その第一相臨床試験ってのに参加する人いるの?」


「いないみたい。今は、完治や治療ができなくても、延命できる人が多いし。それに成功するかも分からない試験だし。安全性が確立されたらもっと増えるかも知れないけれど」


 どうやら、この第一相臨床試験に参加を申し出ることができるのは、詩織のように病気の原因も分からず治療の方法も分からず、このままでは数年以内に死ぬ可能性が高いという人のみが参加できるらしい。まぁ、それはそうだと思う。だが、医療が飛躍した時代だ。もう一人の候補者を探すのも時間がかかるのではないだろうか。

 臓器再生ではなく、他人からの臓器移植が行われていた時代のように、ドナーがなかなか現れないということもありうる。


「ちょうどタイミング良く現われるかも分からないかぁ」


「うん。それに、その第一相臨床試験に参加する被験者の配偶者も申請が可能みたいだから、単独で参加申請をする人ってあまりいないだろうって」と詩織は寂しそうに笑った。


 僕と詩織は、高校一年生。十六歳。結婚できる年齢だった。

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