●僕の話 6.どうすれば良いんですか?
ゲノム解析という技術が当たり前になった時代においても医療には限界が存在する。人類が病気に対して優勢となった時代だ。駆逐されていく病気、根絶宣言がWHOから毎年のように出される時代だ。
だが、人類と病気との闘いは終わらない。
タンパク質の生成を司る全エクソームの解析が終わっても、タンパク質が原因でないなら病気の原因は分からない。病気の原因は無数に存在する。
たとえば、人類の多くの命を奪った、がん。
がん細胞の全ゲノム情報は三十億の記号の羅列である。シークエンサーを用いてゲノム解析すれば、10分と少しのお金で原因変異の候補を選び出せる。そして、原因を同定して免疫治療を行う。ほとんどのがんは治療できる。そんな時代だ。
どうしてそのようなことが可能であるのか?
簡単なことだ。膨大ながん細胞のデータが存在するからだ。これまでの蓄積データが存在している。比較が可能であり、正常なのか、異常なのかの判断が可能なのだ。人工知能がビックデーターに基づき判断できる。
だが、そんな世の中でさえも、詩織の病気は治せない。病気の原因すらわかっていない。
病症の実例が少ないのだ。病名が付いたことが奇跡とさえ言われている。病名が付いたということは、人間が病気と病気を区別できるようになったということだ。
詩織の病気は、母親と同じ病気だった。
母親とその娘が同じ病気に罹る。遺伝子と何か関係があるかも知れない。それが分かったのも、詩織が母親と同じ病気であるという診断があったからだ。
どうやら遺伝子に原因がありそうだ、と分かった。これが、今の人類の詩織の病気に対する理解度だ。何も分かっていないに等しい。
遺伝子に原因がありそうだと言っても、その原因を突き止めることはできない。多くの比較が必要だ。
だけど、詩織と同じ病気に罹る人は少ない。十億人に一人くらいらしい。完治した例もない。
研究だって進まない。十億人に一人しかいない病気の研究というのは困難だ。そして、結局、この世は病気に溢れている。
十億人に一人しか罹らない病気の治療法、薬を開発しようという人はいない。百人に一人が罹る病気、千人に一人罹る病気の治療法の開発に忙しいのだ。多くの人の命を救える可能性が高い研究が優先される。
多くの命を救えるのだから、それを責めることはできない。
そもそも、詩織が病院に通っているのは、治療の為なのか?
単なるデータの蓄積をしているだけではないのか? 今後、詩織と同じ病気になった人を助けるためで、詩織という個人を助けることが目的ではないのかもしれない。
「神園さんの病気に関しては、我々は手さぐり状態なのです」
詩織と一緒に病院に行った。そして、主治医の先生は、そう話を締めくくった。
僕は、初めて詩織と病院に行った。
僕は、ずっと昔から詩織が珍しい病気であることは知っていた。通院していたことも知っていた。でも、詩織と病院に来たのは今日が初めてだった。彼女と彼氏として初めてのデートが病院。でも、一緒に行くことは大切なことなのだと思った。
詩織が病気を抱えていること。それも含めて僕は、詩織は詩織だと思っていた。いや、そうじゃない。踏み込むことが怖かったんだ。詩織の彼氏になって、初めて知った。
僕はずっと、見て見ぬふりをしていたのかも知れない。
絶望じゃないか。どうして詩織はいつも笑っていられたのだろうか?
僕はどうすれば良いんですか? 余命。主治医が言ったその言葉は僕にはとても重かった。