episode 3 アイリスの紳士・工
ある日アイリスに出勤すると、工さんがいなかった。ホールではパリッと糊のきいた白いシャツに黒いスラックス、それに黒のカフェエプロンをまとった釉人が上腕筋の鍛錬をしているのかと思うくらいゆっくりと掃除機をかけていた。
「おはようございます」
朝の挨拶を告げるが釉人からの返事はない。大のおとなの態度ではないと思ったが、これも勤務二日目には慣れた。
通勤用のかばんを置くためにバックヤードに入る。ここにも工さんはいなかった。私用にとあてがわれたカラーボックスの下段にしゃがみ、押し込むようにしてかばんを突っ込んだ。そしてそのままの体勢で唸る。
工さんから事前に聞いていた注意事項がある。工さんはアイリスと掛け持ちで別の仕事にも携わっているらしく、ちょくちょく店を抜けることがあるらしい。
つまりその〈抜けること〉が本日訪れたわけである。
私は開け放したままのバックヤードのドアからホールを窺った。釉人は掃除機を起動させたままヘッドを動かす手を止め、ボードと対峙して満足そうに頷いていた。私はなにも見なかったことにするため、さっと頭を引っ込める。
アンティークカップに行き過ぎた愛情を抱いた男と、いったいどう仕事をしたらいいのだろう。
私は工さんに早期出社を祈りつつ、身丈に合わないカフェエプロンを巻いて店内に向かった。
入社歴三日の私に課せられている仕事は、店の前の掃き出しに、シンクに溜まった洗い物の片付け、アイリスの制服の洗濯とアイロン掛け、それから電話番と一日二回の記帳など、アンティークとは無関係の雑務ばかりである。昨日までは私が手持ち無沙汰になると工さんがなにかしら仕事を与えてくれたので働いている実感を得られたが、釉人とふたりきりとなるとそれは望めそうもない。なぜなら釉人は、私にアンティークに関わることをなにひとつさせないからだ。
たとえば先ほどまでに数人の来客があったが、接客はすべて釉人がひとりで行った。そのあいだ私はカウンターに立ち、アンティーク雑貨専門の雑誌をめくっていただけだ。電話のひとつでもなれば居心地悪さも解消されるだろうが、そうタイミングよく着信は入らなかった。
それからしばらくして客がはけると、釉人はバックヤードに籠って、なにやら段ボールを漁りはじめた。釉人がなにかを手にしつつホールを通過したので、私は横目で彼の手もとを確認する。そこには一客のカップが納まっていた。
彼はそれを給湯室に運び、シンクのなかでごそごそと手を動かしはじめた。どうやらアンティークカップを洗浄しているようである。
カップを扱う釉人の瞳と手つきは、同一人物とは思えないくらいやさしい。ちょっと前の私ならシンクに向かう釉人の姿に見惚れていただろうが、いまはまったく興味をそそられない。釉人自身よりも、彼が使用している洗浄剤やスポンジのほうに意識が向かう。そうか、ふつうの洗剤で洗っていいのか、などと思いを馳せつつ。
「じろじろ見るな。減る」
「ごめんなさい」
こちらへと振り向くことなく牽制され、私は給湯室から離れた。とっさに謝ってしまったが、見られたからといっていったいなにが減るというのだろうか。理不尽な命令に従ってしまったことを、いまになって後悔する。
私は気を取り直して、レジカウンターに放置されていた伝票を仕分けすることにした。公共料金や仕入れの領収、飲食代の領収など、まずはおおざっぱに分けていく。時間を埋めるために始めた作業だったが、アイリスのお金の流れが分かって面白かった。
この作業自体はカウンターの下で行っていたし、来客があっても必ずドアチャイムが鳴るからすぐに対応できると高をくくっていた。すると突然手もとに陰が生まれた。見上げると、こちらへと身を乗り出した釉人と目が合った。
「なにをしている」
「……領収書を仕分けしています」
「誰に頼まれた」
「誰にも……。自発的にやりました」
「じゃあやめろ。いますぐに」
有無を言わせないほどの強い調子だったので、私はあっけにとられ、反抗する気すら起こらなかった。
釉人の子どものような嫌がらせは、まだまだ続いた。釉人が行っていたアンティークカップの洗浄を見よう見まねで行おうとしたところ、感電してしまうのではないかと思うくらい怒鳴られたし、ホールにハエが入ってしまったので、はたきで追い出そうとしたところ、これまたこっぴどく叱られた。私とて子どもではないのだから、ハエを追い回している途中でコレクションボードに二度もぶつかるなどというミスは犯さないのに、大変心外である。
結局私はダイレクトメール用のハガキに切手を貼るという地味な作業に落ち着いた。これだけはなぜか釉人からのストップがかからなかった。きっと釉人自身も辟易している作業なのだろう。
釉人に楽をさせているようで正直気分は良くなかったが、なにもすることがない、誰にも必要とされていないあの圧倒的な退屈を味わうことだけはごめんだった。
どのくらいの時間が経っていただろうか。差出人の住所と社名を書き続けることに疲れ、手首をブラブラさせつつ顔を上げると、ホールに釉人がいた。窓際に設置されているサークル上のテーブルに、妙な体勢をして齧りついている。さすが変人と白い目で見ていたら、カーテンを引く音に似た音が立て続けに上がった。
なにをしているのか気になったので、私は目を凝らして見てみた。幸い釉人はこちらに背を向けているので、思う存分観察できる。釉人はどうやらカメラを構えているらしく、連続して聞こえてくる渇いた音はシャッターを切っていたらしい。被写体はもちろんアンティークカップで、釉人はあらゆる角度からカップを撮影していた。
アンティークカップへの愛が募りすぎて、ついにカメラ小僧になったか。
私はもう釉人を見ていられなくて、再びハガキに向かってひたすらアイリスの住所を書き続けた。
工さんがアイリスに戻ってきたのは、昼をまわってしばらく経ってからだった。
「遅くなってごめんなさい。お昼買ってきたから食べましょう」
工さんはそう言いつつ、和のテイストのロゴデザインが入った紙袋を掲げる。グルメに疎い私ですら見かけたことのある高級仕出し屋だった。
実をいうと、私は空腹のあまり立っているのもやっとの状態だったのだ。釉人はアンティークカップにかかりきりで、とても食事の件を口に出せる雰囲気ではなく、空腹に気づいてからは腹から不細工な音が出ないよう心血を注いでいた。
「釉人、写真撮りはあとにして、先に彩さんとお昼を食べてきなさい。ホールには僕がいるから」
「あー……キリのいいとこまでやっちまうわー……。先に……食べてていーよ」
言葉の合間にシャッターが下りる。釉人は確実に腰に負担がかかるアクロバットな体勢でカップにかぶりついていた。
「そう。じゃあお言葉に甘えて。さあ彩さん、お腹減ったでしょう」
私は工さんに促されてカウンターを出る。そのとき肩越しにふと、釉人のほうへと振り返った。
レンズから顔を離して構図を確認する釉人の目は、まるでサンキャッチャーのようにきらきらと輝いていた。アンティークカップに傾倒したちょっと変わったひとであるはずなのに、そんなことを感じさせない清涼な笑みまで口もとに浮かべている。
釉人が涼しげに見えるのは、彼が撮影している水色のカップのせいだ。
私はこれ以上釉人を気にかけまいと彼から目をそらし、足早に給湯室へ向かった。
給湯室には、ふたり掛けの簡素なテーブルセットが壁付けされている。シンクとテーブルのあいだにある通路は狭く、工さんや釉人はいつも体を傾けて通過していた。
「僕のいないあいだ、どんな仕事をしましたか」
豪華な松花堂弁当をつついていたところ、工さんから、娘の学校生活を気にかける父親のような台詞が飛んできた。
私はなんと答えたらよいものか躊躇したが、ありのままを話すことにした。
「掃除と洗濯と記帳と……それから延々とDMにアイリスの住所を書いては切手を貼っていました」
「それは助かります。商売柄年配のお客さんが多いから、DMも手書きのほうが喜ばれるんですよ。でも地味なわりには精神的に大変な作業でしょう。僕も釉人も文字を書くのは不得意なんです」
破顔した工さんを見て、やっぱりと声に出すことなく納得する。釉人はあえて私の仕事の妨害をしなかったのだ。
釉人の腹づもりに勘づいてはいたが、改めて暴露されるとやはりいい気はしない。先ほどの釉人の無防備な微笑みを見て警戒心を失いかけた自分が恥ずかしい。私は無意識のうちに彼に向かって下ろしかけていた跳ね橋を再びゆっくり引き上げ、さらに門扉も堅く閉ざした。
「それで、ほかには?」
「……ほか?」
工さんを見上げると、彼は出し巻き卵を頬張りつつ、にこにこと私を見つめている。はてと小首をかしげると、工は爽やかに続けた。
「釉人からほなにどんなことを習いましたか。午後からは釉人が教えていないことをカバーしますから」
「え? あの……なにも」
「なにも?」
「なにも、教えてもらっていないです」
素直に答えると、工さんは箸を止めて瞳を瞬かせた。
「……なにも?」
「はい。なにも」
私の返しを最後に、工さんが盛大なため息をついて箸を置いた。そして背もたれに体重を預け、両手で額の毛をかきあげる。呆れている仕草なのだろうが、無駄に色っぽかった。
「なにやってんだあいつは」
私は答えようがなくて、黙ったまま炊き込みご飯を口に運ぶ。そのあいだに工さんは気持ちを整理したようで、いつもどおりのバリトンボイスで私の名を呼んだ。
「彩さん、釉人がすみません。かばうつもりじゃないんですが、釉人はもともと他人とコミュニケーションをとるのが下手な人間で……。でも目に余るようなら、どうか我慢をせずにいつでも僕に言ってください。あなたが働きやすい環境をつくるのが僕の役目でもありますから。午後からは僕が仕事をお教えします。実りある仕事をしましょう」
「よろしくお願いします」
そうとしか言いようがなく、私はごはんを嚥下してから頭を下げた。工さんは申し訳なさそうな色をにじませつつ、笑みを返してくれた。
工さんの宣言どおり、午後はパソコンを使って顧客のデータを管理したり、商品のコンディションを記録したり、パッキン材料の在庫をチェックしたり、アンティークに関わる真っ当な仕事を与えられて充実していた。
私は工さんに見守られつつ、先日入荷したアンティークカップのプロフィールを作成する。鑑定自体は釉人さんが行っているので、それを打ち込むだけでいい。
「これ、注意書きにヴィンテージってありますけど、ヴィンテージとアンティークってどう違うんですか」
「アンティークと呼べるのは、百年以上経過したものです。ヴィンテージはそれなりに年数が経っているけど百年には満たないものを指します」
工さんの言葉を受けて、あらためてこれまでに記載されたアンティークカップのデータを見る。アイリスが所有しているカップは千八百年代のものが多く、なかには千七百年代に製造されたものもあった。年代のほかにも社名や、絵つけは何色で構成されているか、磁器の地の色は何色か、そしてもし判明しているのであればペインターは誰であるのかまで記録されていて、情報量の多さに驚いた。
「いろんなコレクターがいますからね。最近では、誰々がペイントしているアンティークカップはあるかという電話もありましたし」
工の話に私は頷く。アンティークカップに深く愛情を注ぐ人間がいることは、釉人を見て学んだ。
工さんから仕事の説明を受けるなかで、私は少しずつアンティークカップに興味を持ちはじめた。工さんに雇ってもらったときはまったくの畑違いである自分に勤まるかどうか心配だったが、いまはそんな不安も軽減されている。
私はここそぞとばかりにアンティークについて、工さんに訊ねてみた。
「アイリスの商品はどうやって仕入れているんですか」
「ウチの場合、店じまいすることになった同業者や質屋、それから資産の整理をされるかた、あとは海外に行って買い付けます。まれに業者間やお客さんからの紹介で、コレクターから直々にお話をいただいて扱わせてもらうこともありますが……それは稀ですね」
「海外へ行くこともあるんですね」
「懇意にしているディーラーが何名かいるんです。アイリスが正式に開業する前に二度、そのディーラーを頼ってイギリスに渡りました。いま店頭に並んでいるのは、ほとんど海外で買い求めたものです」
私はデータを打ち込みつつ、訊ねる。
「窓際に置いている水色のカップも海外で買い付けたんですか」
「窓際? ああ、ミントンですね。そうです、あれも海外からの買い付けです。予算をオーバーしましたが、とてもいいコンディションだったので手に入れました。そろそろオンラインにも載せようと思っていたんです」
「オンラインって……アイリスのホームページがあるんですか」
「はい。オンラインショップもやっています」
私の真後ろから手が伸びて、マウスを奪われた。画面は切り替わり、ブログ形式のホームページが現れる。
「こんな感じです。僕も釉人もパソコンに明るいほうではないので、洒落たデザインとはいえませんが」
工さんの言うとおり、たしかに目を惹くようなつくりではなく、必要な情報を詰め込んだだけの簡素なホームページだった。
私は椅子を回して工さんを見上げる。もし了承を得られるのなら、私がページを仕立て直そうと思ったのだ。
「これでも仕上がるまでに二週間かかったんです。やればできるものだと、釉人と祝杯をあげました」
「……それは、思い入れがありますね」
私は提案を口にすることをはばかられ、視線を画面に戻す。
工さんは釉人と違って紳士だ。それでいてとても親しみやすい。私と釉人とのあいだに入り、私が気まずい思いをしないよう心を砕いてくれる。
工さんとはこれからも友好な関係を築いていきたかったので、できれば彼を傷つけるようなことはしたくなかった。
「おい。くっちゃべってるだけなら、そこ代われよ。こっちは仕事なんだ」
私たちの背後から声が上がった。振り返った私の後ろで、工さんも扉のほうへ振り返っている。
いつのまにかバックヤードの扉は開かれ、釉人がドアの枠に寄りかかっていた。彼は私たちの視線を独り占めにすると、右手の指を振りつつ身を起こす。よく見れば、指先にはパズルのピースのようなものが挟まっていた。メモリーカードだ。
「ああ、もう撮り終わった?」
「あとは取り込んでアップするだけ。もう二度とお目にかかれないような美人だし、引く手数多だろうな。もう離ればなれになってしまうと思うと、心が引き裂かれそう」
釉人のアンティークカップに対する発言は、いちいち病んでいて筋金入りだ。工さんは慣れたもので、釉人に突っ込むことなく私へ目配せする。席を譲れという意味だろう。
私は立ち上がって身を引いた。釉人は私を一瞥し、そしてパソコンの前に座る。工さんはバックヤードから撤退する素振りを見せないので、私も釉人の作業を見守るはめになってしまった。
釉人はメモリーカードから撮影したばかりのティーカップを呼び出し、画面いっぱいに表示した。カップを正面から撮ったり、俯瞰から撮ったり、その撮影角度は様々だったが、驚いたことにどの構図もサマになっている。
私は感心し、釉人の横顔を見つめた。
「うん、いい感じだね」
「だろ。写真写りも最高。でもやっぱり実物を見て手に取ったほうが断然いい。たとえばこの地の色はさすがミントンのブルーで、この映り込むような滑らかな輝き……」
釉人がカップの側面をアップにしつつ、気分よく語り始める。そこには引っ搔き傷程度だが、たしかに金ハゲがあった。だが釉人はそれに気づかないのか早々にプレビューを閉じ、今度はホームページの管理ページを開く。そして決して早いとはいえないタイピングでパスワードを入力し、編集の画面で先ほどの水色のカップを貼付けていった。
私は思わず問いかける。
「画像はそのまま載せるんですか。金ハゲなら私、隠せますけど」
「……なに言ってんだあんた。コンディションを偽るのは詐欺行為だろ」
釉人からは辛抱堪らないといった風で、嫌悪を隠すことなく睨め付けられた。
「それにこれはアンティーク。使用感があって当たり前な年数を経ている。なによりアンティークコレクターなら欠けた金彩すら愛おしいものだ。戦渦から、自然災害から、不慮の事故から、数多の危機から幸運にも免れてきたんだからな。それを、安易に、隠せますけど、だなんて……!」
「まあまあ、釉人。彩さんはよかれと思って言ったことだし」
「悪意がなけりゃなに言ってもいいわけじゃない。素人が簡単に口だすなって話」
「すみませんでした」
私はことが大きくなる前に謝罪した。私の不用意なひと言で、兄弟の仲がこじれてしまうことだけは避けたかった。
釉人は工さんから私へ、絶対零度の眼差しをよこす。もう自分からはよけないことを言い出さないでおこうとかたく胸に誓った。
釉人は私に一瞥くれたあと、再びオンラインショップのテコ入れ作業に戻った。私も工さんも口を挟むことなく、彼の作業を見守る。
オンラインページのデザインはともかくとして、やはり釉人の撮る写真は悪くなかった。それだけにもったいないという思いが強くなる。私は釉人のゆっくりとした作業を見つめつつ、頭のなかでアイリスの雰囲気にふさわしいカラー配色やレイアウトを構成した。
釉人から声をかけられたのは、ひととおりイメージが出来上がったころだった。
「……あんた、パソコンできるの」
「はい。前職はSEでした」
即座に回答すれば、沈黙が下りる。もしかして私に訊ねたわけではなかったのだろうか。佇立したまま思いを巡らせていると、再び釉人はこちらを見ないまま喋りだした。
「ポインタを画像に当てたら拡大できるようにしたい」
「できますよ」
再びバックヤードに静寂が訪れたが、今度の沈黙は短かった。釉人が無言で席を立ち、私の隣に並んだのだ。彼の行動の意図を掴むため、憎らしいほどに端正な横顔を見つめる。だが、釉人は私といっさい目を合わせようとはしなかった。
これはつまり、やってみせろということなのだろう。げんに工さんは鷹揚に頷いている。かくして私は釉人の作業を引き継ぎ、彼の望むようページをカスタマイズすることになった。
「こんな具合でどうでしょう」
紅茶を蒸らして淹れるほどの時間に作業を終え、ついでに不要なソースを除き、すっきりさせた。兄弟の目の前で実演してみせると、小さいながらも感嘆のため息が確かに洩れた。
「すごいです。こんなにも短時間でできるものなんですね」
工さんの台詞は確実に私に向けられたものだったが、瞳はしっかりと釉人を捉えていた。まるで次はお前が話す番だとでもいうように。
釉人は不本意さを隠さぬまま、ぶっきらぼうに言った。
「今後あんたはフロアの仕事はしなくていい。代わりにオンラインショップの管理を任せる」
「はあ」
「すべての画像にうちの屋号を透かす感じで入れろ。無断盗用されないようにな。それからアイリスの目印も作っておきたい」
釉人のいう目印とは、おそらくロゴマークのことだろう。そういえば店の屋号やショップカードも文字のみで構成され、ロゴらしきものはなかった。
そもそも、オンラインの管理をするようになどとサラッといわれたが、私はフロアの仕事をさせてもらっていない。それにオンライン担当なんてものは、ていのいいフロア立ち入り禁止宣言であることくらい容易に察しがつく。どうしてこの男はこうも居丈高なのだろう。
不満をあげればキリがないが、私はそれらを飲み込んだ。そしてそっちがそのつもりならと、ある作戦を胸に秘めて切り出した。
「このアンティークカップ、画像やコンディションを載せるだけでは味気ないと思います。アンティークに馴染みのないひとにも興味を持ってもらえるようなエピソードやまめ知識を付け加えませんか。レイアウトにも凝れば、オリジナリティのあるサイトになると思いますよ」
釉人はしばし考える素振りを見せ、それからそうだなと言った。
「ミントンはイギリスを代表するすぐれた陶磁器メーカーで、このトルコ石のような鮮やかなブルー地はミントンのお家芸だ。マットな地肌じゃなく、光沢あるガラス質を出すのは難しい。すぐに貫乳が入ってしまうからな。だからイギリスの他窯もほとんど真似できなかった。見てのとおり、このカップは奇跡的にも致命的な貫乳がない。エナメルで描かれたバラも、波打つような白いジュールも、均等で美しい。まさにファーストクオリティだ。……こんな感じでいいのか」
「はい。それを文字に起こしておきますね」
私は釉人の言葉を一字一句洩らさぬようテキストに書き付け、頷いた。これからはアンティークカップをアップするたびに講釈を拝聴できる。分からない単語はあとで工さんに聞くなり、辞書で引くなりすればいい。
「今日からオンラインページのリニューアルをします。釉人さん、レイアウトが完成次第、ほかのカップの解説もお願いします」
「……レイアウトができたら、まっさきに見せろよ」
釉人はそう捨て台詞を残して、バックヤードから出て行った。オンライン担当も自分が言い出したことなので、いまさら撤回できなくなったのだろう。
「彩さん、お見事です」
工さんには私の目的が伝わったらしい。目の前で弟をやり込めたのだから、機嫌を損ねてしまったかもしれない。そう戦々恐々としていたが、工さんは堪えられないといった具合で笑っていた。
「オンライン部、お任せしました」
「はい、頑張ります」
私は席を立ち、誠意をもって答える。工さんは満足そうに頷いた。
私はアイリスで自分の居場所を見つけ、がぜん勤労意欲が増した。