episode 18 理不尽なマウンティング
まず私は、美樹の友人とやらの写真を見せてもらうようお願いした。美樹は露骨に嫌がったが、プレゼントを選ぶためにも美樹の友人がどのような人物であるのか多少なりとも知っておく必要があると思ったのだ。
はじめ美樹はカバンに入れていた雑誌を手に取ったが、私はそれを牽制した。仕事中の様子など見てもしようがない。オフのときの服装や色づかい、愛用している小物などを見て判断したいのである。
すると美樹は渋々といった具合で携帯を取り出した。はじめはSNSのアプリを起動させようとしたが、慌ててそれを中断し、携帯のメモリーに保存してある写真から友人の姿を探しはじめる。いちいち隠さなくても美樹が某SNSを使っていることくらい知っているのに。
ややあって目の前に差し出されたのは、エミルという名前で活動している、とある雑誌の専属モデルだった。美樹と同い年だが美樹よりも身長が高く、姉御肌のような雰囲気を売りにしている女性である。プライベートでの姿は仕事で求められる強気なファッションとは違ってパステルカラーが多いが、服に着られた感じがしないのはさすがプロのモデルだと思った。
私は店内を見渡し、次いで頭のなかにあるホームページの商品一覧をざっと検索した。
クラシカルに偏りすぎず、かつ品格を損なわず、カップボードに一客あるだけでゴージャスな気分になれるもの。
それでいて、遊びごころがあればなおよし。
アンティークカップが自ら名乗りを上げるように、脳裏にふっと浮かんだ。
「……お勧めしたいカップを持ってきますので、少し待っていてください」
私は腕組みをして待つ美樹のそばを通り抜け、再びバックヤードに入った。目当てのアンティークを漁っていると、釉人が給湯室からワゴンを運び出してくれたので恐れ入る。さすがアンティークカップに愛を注ぐ男。私のしようとしていることが手に取るように分かったらしい。
なおも釉人は加勢しようとしたが、私は手のひらを突き出し、緩やかに首を振った。そして釉人の動きが止まったことを見届け、丁寧な手つきでアンティークカップをすくいあげてワゴンに並べる。
ああ、とても華やかだ。まるでカクテルドレスに身を包んだうら若き女性たちの宴を、俯瞰から眺めているような気持ちになる。
「わあ……」
ワゴンを見た美樹も思わずといった具合で感嘆の声を漏らした。
手応えは上々だ。彼女の反応を見て、私は釉人と目配せし合い、次いで工さんにもうなずいてみせる。
「美樹さん、これはコールポートのオーナメンタルバットウィングです。カップの底には一八九一年から一九二六年のあいだに使われていたバックスタンプが入っています。金彩にほとんどスレがなく、もちろんニュウやカケも見られない、エクセレントコンディションのものです」
「……これ全部が?」
「はい」
美樹の質問に私はうなずく。ワゴンに用意したアンティークカップは、全部で四客。イエローに、ピンクやターコイズ、そしてライラック。いずれも異なる色合いである。
「コールポートって……釉人がそこでセッティングしていたデミタスカップと一緒のメーカーってこと?」
「そうです、同じ会社のものです。あちらのジュールの装飾も見事ですが、こちらのハーレクインセットも華やかです。イギリスでも大変人気が出て、多くの色違いが製造されました。それにこのシェイプ……あ、シェイプというのはカップのフォルムのことを指しますが、これはコールポート社が二十世紀初頭によく用いた定番の形なんですよ。ハンドルは大きく角張っていて、まるでコウモリの羽根みたいですね」
「ああ……だからバットウィングっていうの」
「いえ、それはハンドルのことを指しているのではなくて……」
私は一番手近にあったライラックのカップを持ち上げた。そして、ライラックの色が乗ったソーサーの絵柄を指差す。
「金彩で縁取られたこの模様、コウモリが羽根を広げている姿に見えませんか」
そう。シンメトリーな文様のソーサーに、コウモリが三匹飛んでいる。コウモリとは言ってもあくまでデフォルメであり、とても愛らしい。
「……見えるかも」
「でしょう? いまはストックにはありませんが、コバルトブルーやルビー、アップルグリーンにミルキーグレイなんていう色も存在します。ちなみにハーレクインというのは、カラーバリエーションのあるセットをそう呼ぶんです」
ここで美樹が私をちらりと見た。嫉妬と感心が混じった複雑な表情をしている。
私だって諾々《だくだく》と仕事をしているわけではない。これを機に、もっと釉人に認められたいという思いがある。
「カップだけじゃなく、ソーサーよりひとまわり大きいサイズのプレートもご用意できます。トリオにすると見栄えも一段とゴージャスになりますし、どのカラーを贈っても喜ばれると思いますよ」
さりげなくプレートも勧めてみると、美樹は考え込むような素振りを見せた。美樹とエミルがどのくらい親密な関係なのかは分からないが、トリオで購入した場合、確実に奮発したプレゼントの範疇に入るだろう。
でも私は店の売り上げを抜きにしても、セットで譲りたかった。
それにしても、バットウィングはすてきなアンティークカップだ。金彩がふんだんにあしらわれていて大変煌びやかなのに、ごてごてした雰囲気はない。きっとパステルカラーがいい具合に全体的なトーンをマイルドなものにしているのだろう。そういった意味でもエミルのプライベートの姿にぴったり重なる。
これでカップ、ソーサー、プレートを重ねると、まるで裾が広がったドレスのようで、眺めているだけでも気持ちが上がるというものだ。もし私がお金に困らない生活を送っていたら、色違い六色のバットウィングをぜひとも揃えたい。
そんなことをつらつらと考えつつ美樹の顔を見つめていたら、妙案が浮かんだ。
「そうだ。一客はエミルさん、もう一客は美樹さんという具合に、二客購入するという手もありますよ。友だちと色違いのおそろいって素敵ですよね」
「……えっ……そう、かもね」
「それにコールポート社は、いまはもうウェッジウッド社の傘下に入ってしまっているので、このバットウィングもコールポート社としての復刻はきっと叶わないでしょう。そういう意味でも希少なアンティークですよ」
「そう……なの?」
「はい。とくにこのターコイズはレアカラーです。コレクターが手放さないので、なかなか流通に乗りません」
そう口にしたとき、くすくすと笑い声が聞こえてきた。工さんだ。
「さりげなくプレートを勧めるあたりで感心ものでしたけど……おそろいを口実にそつなく二客購入を勧めるとは、さすが彩さんです」
「えっ」
「コールポート社としての復刻はあり得ないとか、よく思いついた殺し文句だよな。スマートすぎて逆にえげつないわ」
「えぇっ……」
工さんと釉人から間髪挟まず突っ込まれて、私のハリボテだった店員モードが早々に解かれてしまった。
もちろん私はふたりが言うような魂胆など皆無だ。たんにバットウィングと美樹の相性がよさそうだったので勧めただけであり、なにがなんでも店の売り上げに貢献してやろうと目論んでいたわけではない。
ふたりの妄言を真に受けて、美樹は機嫌を損ねてしまったのではないだろうかと、おそるおそる窺う。美樹は相変わらずキツめの美人で、口を一文字にしたまま私を凝視していた。
「あの……私はエミルさんに似合う華やかなカップを選んだだけです。他意はありません」
「あはは。そうそう、僕たちが茶化しただけで、彩さんはまじめに美樹のプレゼントを考えてバットウィングを持ってきたんだ」
「それに俺はワゴン出しただけで、アンティークを選ぶ助言さえしてないし」
「僕たちが思っていた以上に彩さんのトークのスキルが上がっていて、嬉しくなってつい……」
「いじってしまった」
工さんと釉人が餅をつくかのように、交互に弁解を始めた。なんという余計なことをとにわかに腹を立てていた私だったが、ふたりの発言が子の成長を見守る親の目線であったので、なんだか無性にむず痒くなってきた。
一方美樹はというと、表情をなくしてふたりの男を睨め付けていた。
彼女のその姿に背筋が粟立つ。美樹の顔はまるで能面のようだったからだ。
「……青とピンクを買うわ。ピンクのほうをギフト用のラッピングにして」
「はい。ありがとうございます」
この状況で美樹がカップを購入してくれるとは思っていなかったので、私は正直驚いた。でもそれ以上に、私が誠意をもって勧めたものを美樹にも欲しいと思ってもらえたことに、密かな喜びを感じていた。
ラッピングは工さんにお願いして、私は会計をした。そのあいだ美樹はひと言さえ喋らず、店をあとにするときも私へ一瞥くれただけで口を開かなかった。
工さんは「気難しい子だから」とフォローしてくれたが、あの視線に直に晒された私だから分かる。彼女は私がアイリスにとけ込むことを厭うているのだ。
「さすが売れっ子モデルになると懐具合も変わってくるものだね。二客ポーンと購入するなんて、大変気持ちのいい買い方だったよ」
「だな。レアもののほうを自分のものにするあたりが美樹らしいわ。あ、そうだ、いま売れたカップは在庫がもうないから、ネット販売のほうでも下げておいて」
「はい」
私はドアから釉人に視線を移し、うなずく。そのとき、カウンターの荷物おきに見慣れないバッグが乗っていることに気づいた。検討するまでもない。美樹のものだ。
ピンときた。
これはわざとだ。おそらく釉人に追いかけさせるために小細工したのだ。
「美樹さんがバッグを忘れていったので届けてきます。いまなら間に合うと思うので」
「あん? おー……」
まだ状況を理解しきれていないらしい釉人を横目に、私はゴールドのチェーンがついたグリーンのクラッチバッグを掴んで店を飛び出した。
私の予想どおり、美樹は幹線道路のそばにある街路樹の木陰にいた。彼女はすぐに私に気づき、じろりと音が出そうなくらいこちらを睨みつける。ここまでは想定の範囲内だ。
だが彼女のこの発言は私の予測を越えていた。
「ごくろうさま。ちょっとこのまま時間もらえる?」
「えっ」
はじめから私をターゲットにしていたのだ。
釉人といちゃつくために置き土産を残したのだと思いこんでいた私はとっさに身構えた。
こんなかたちで呼び出された理由などひとつしか思い浮かばない。このあいだ以上に、釉人に近づくなと強く牽制されるのだろう。
美樹は私の手からクラッチバッグを取り戻し、けだるそうな仕草で肩に引っ掛けた。なんでもない所作が洗練されていて、たったそれだけのことに劣等感を覚えてしまう。
そんな美樹の口から飛び出したのは、この場に相応しくない話題だった。
「あんたさあ……SNSとか、やってる?」
私はきょとんとしたまま固まってしまった。答えはノーだが、そのまま愚直に告げていいのか逡巡してしまう。
美樹は私と面と向かって接しているこの状況に耐えられなくなったのか、私から明確な回答を引き出すまえに続けた。
「……やってたとしても、あたしに関わりがあるようなことは書かないでね」
「……はあ」
私は承諾とも聞き返しともつかない声を洩らした。美樹にとってはハナから私の反応などどうでもよかったらしく、「じゃあ」とひと言投げ捨て、きびすを返して去っていく。私は彼女を引き止める気にもならなくて、佇立したまま呆然としていた。
徐々に遠ざかっていく完璧な後ろ姿。美樹は振り返ることはもちろん、歩調すら変えないまま角を曲がって消えてしまった。
この場に取り残された私はしばしなにも考えられずに立ち尽くしていたが、次第に感情は怒りへとシフトしていった。
なにが頭にくるって、マウンティングをとられたうえに意図が分からない理不尽な要求を叩き付けられたのに、とっさに怒れなかった不甲斐ない自分自身に対して、だ。あまりの情けなさに鼻の付け根が鋭く痛んだが、こんなことで動揺してなるものかと、必死に目を瞬かせて涙の予感をしりぞける。
美樹という女は、私が釉人と距離をとろうとも、仕事に精進している姿を貫こうとも、一貫して私を敵視し続けるし、打ち解け合う心づもりは微塵もないのだ。
私は深く深呼吸をする。なまぬるい空気で肺が満たされる。そうして吐き出したのは、ドロドロとしたやり場のない黒い感情だ。それを数回繰り返すと、咆哮したい衝動も泣きたい気持ちも少しずつ薄れていった。
けして払拭されたわけではない。濁って心の深層へ沈殿していったのだ。