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episode 11 あたしの気持ち、わかってるくせに

 私はミキの目が届かないバックヤードに逃げこむと、大きなため息をついた。

 生まれてこのかた地味に生きてきた身だ。他人から明確な悪意を向けられたことなどない。それがまさか就職がきっかけで、しかも人気モデルのミキから妬まれることになろうとは。

「仲間意識の強い子で本当にすみません」

 背後で申し訳なさそうな声が上がった。工さんもバックヤードに入るとは思っていなかったので、私は慌てて姿勢を正す。

「あっ……いえ」

「彩さんには嫌な思いをさせてしまいました」

「そんな……私がうまくやれなかっただけです」

 工さんはなにも言わず、首を横に振った。そして私の背後に視線をやる。そこには私が開いたSNSのページが残っていた。

「ミキのSNSですね。もしかして彩さんがさっき慌てていたのは、この件だったのですか」

「はい。アイリスの商品が有名モデルさんに写真つきで紹介されているし、まさか本人が訊ねてくるとは思わなかったし、おふたりとずいぶん親しそうだったし……。短時間で三度驚きました」

 工さんは控えめに笑う。

「そりゃあそうですよね。僕も知った俳優さんが店にきてアンティークカップを写真に撮りはじめたら、自分の目を疑います」

「……ミキさんが撮った写真は、アップしても大丈夫なんですか」

「ミキがネットにあげる前に、必ず釉人が写真を確認していますから。だから現在公開されているものは、釉人から許可が降りたものです。幼なじみとはいえ、さすがにそのあたりは弁えていますよ」

 幼なじみ。

 その言葉を心のなかで反芻する。

 釉人たち兄弟とミキの関係性が見えたことで、あの独特の連帯感に納得はいったが、気持ちは晴れなかった。いまなお正体不明のもやもやが胸の片隅にこびりついている。

 私は浮かない顔をしていたのだろうか。工さんが気づかうような口調で言葉を続けた。

「ミキは幼いころから他人に対してきつい物言いをする子でした。内側を守るのに必死で、外に目を向けないところは少し釉人に似ているかもしれません。でもいまでは雑誌の仕事をするようになって、社交性というものが身に付いてきたと思います。もちろん彩さんからみればまだまだでしょうけれど」

「いえ、それは……ミキさんのSNSのフォロワー数をみれば分かります」

「そうですね。芸能人並みに多いですね。ときどき店にもミキが紹介したアンティークについて問い合わせが来ますよ。でも売り上げに繋がるのは稀ですけど」

 そう言って工さんは優雅に笑った。私はうまく笑えず、揺らぐ視線をディスプレイへと移して逃げた。

 ミキのページにはアイリスのティーカップ以外にもたくさんの写真が載っている。

 撮影現場でリラックスしているミキ。自撮りと思しきアップのミキ。すっぴんのミキ。そのすべてが奇跡のように美しい。

 オリーブグリーンがかったロングの髪に、宝玉のような濃緑色をした魅惑的な瞳。眉は弧状ではなく眉頭から眉尻にかけて緩やかに帯を描き、日本人離れした高い鼻梁と小さな鼻翼が顔全体にメリハリをつけている。口はやや大きく、笑うと歯列が白い帯のように輝きを放ち、まぶしい。ああこのひとは違う世界で生きているのだなと実感させられる。

「彩さんはまだパソコン使います?」

「……え……っと」

 突然工さんに話しかけられ、私はハッと意識を取り戻した。だがミキが店にくる直前まで自分がなんの仕事をやりかけていたのかすぐに思い出すことができず、返事もしどろもどろになってしまう。

 そんな私を見て、工さんはいたわるように微笑んだ。

「じゃあ……彩さんに今日のまかないの材料調達をお願いしてもいいですか」

「……はい。すぐに行ってきます」

 工さんの提案を受け、店を抜け出す口実を得られたとホッとする。

 このときはただただ安堵するばかりだったが、あとになって思い返すとこれもすべて工さんの計らいだったのかもしれない。

 とにかく私の頭のなかはひとりになれる時間を与えられたという事実で占められ、さして心構えもせずにバックヤードを出てしまった。

 目に飛び込んできたのは、フロアでじゃれ合うふたりの姿。ほほ笑みあうふたつの顔は限りなく近く、幼なじみというカテゴリからもうとっくに外れているように見える。

 その瞬間、そう遠くない過去に受けた台詞が実態を伴い、私はすべてを理解した。


 ーー子狐も懇ろにしてる姉ちゃんがいるしね

 ーー姉ちゃんはモデルだよ。相当べっぴんだ


 ああそういうことかと、空虚な心で思う。美樹が釉人をヘッドロックし、楽しそうに笑い合ってるさまを見ないフリして、カウンターへ向かった。やるべき仕事を得たおかげで、私は無様に立ちすくまずにすんだのだ。


 店の財布を手にした私は、ミキからの視線を感じつつ、ふたりのそばを横切った。

「ねえ、待って」

 私の行く手を阻むミキの声。私は機械的に振り返る。

「あたし、ちゃんと自己紹介してなかった。折尾美樹おりお みき。よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 無難な返事をすると、美樹の眉がわずかに動いた。

「彩さんは二十四歳なんだってね。ふたつも年下なのに、あたしよりもずっと大人っぽいわ」

「……そうでしょうか」

 私にとって実年齢よりも年上にみられることはままあることだ。だが美樹の口調は、これまで私が他人から受けてきた台詞のそれとは毛色が違う。

 彼女と会話を続けると、嫌な気持ちになりそうな予感がする。

 傷つけられるような発言をされる前にこの場をあとにしよう。そう思っていたのだが、それよりも早く美樹が言葉を重ねた。

「うん。すごく大人な感じ。なんか平然と構えてるし、相当度胸があるんだろうね」

 言葉尻にトゲを感じるのは気のせいではあるまい。事実、美樹の背後で釉人が狼狽している。

「あの、私そろそろ……」

「ねえ、その眉って自前?」

「えっ……」

 突然話が飛んだので、私は一瞬返答に詰まった。対面の美人は、私のしょぼいリアクションに満足したようで極上の笑みを浮かべつつ続ける。

「いまはやりの薄色太眉だよね。ちょっとレトロなメイクなのはアンティークを扱う店の雰囲気を壊さないようにしてるの? わあお、社員の鑑じゃん」

 あ、いま疑う余地もなく、完全に馬鹿にされた。

 そう理解して心に予防線を張ろうとした矢先、さらに追撃の矢を放たれた。

「背もちっちゃいし、存在も控えめだし、まさにアンティーク業に就くために生まれてきたって感じ。適材適所だよ。あ、いまの合ってる? 適材適所ってこういうときに使うんだよね?」

 美樹が笑顔のまま背後にいる釉人に話を振った。

 釉人は一瞬私を見た。困惑したような苛立ったような、不思議な表情だった。

「釉人? おーい、聞いてますかー」

「……美樹、いまは仕事中なんだっつーの。もう帰れよ」

「ほらまたそうやって邪険にする。……あたしの気持ち、わかってるくせに」

「……そりゃ分かってる……けど」

「ここんところ海外続きでなかなかアイリスに来れなかったんだもん。ちらっと会っただけじゃ満たされない。そのあたりのこと、もうちょっと汲んでくれてもいいんじゃない?」

 釉人と何気ない会話をしてるようで、私をつまはじきにしようとしている気配をひしひしと感じる。そんな必要もないのに、彼らに対して劣等感さえ覚えてしまいそうだ。

 彼女が私に意識を戻す前にこの場を離れよう。そう思ったそのとき、ドアチャイムが鳴ってひとりの女性が入ってきた。見たことのない、若い客だった。

 彼女はフロアにディスプレイされたボードを見渡し、次いで釉人たちに視線を移し、そして化学反応が起こったかのように急に刮目した。

「……ミキ? うそっ、モデルのミキ!?」

 きゃあと高周波の声が上がる。美樹は一瞬やれやれという表情をしたが、すぐに笑みを浮かべて客に手を振った。

 他人の目がある以上、美樹も私を追撃する余裕はないだろう。いまが美樹たちのそばから離れる絶好のチャンスである。

 客が脇目も振らずにこちらに歩み寄る。それを待ち受けて動かない釉人と美樹。私は一歩後ずさりすることで彼らの視界から逃げ、退路を確保した。いよいよ釉人たちから距離をとろうとしたそのとき、美樹だけがくるりと振り返った。

 ぎくりと心臓が跳ねる。絶対零度の瞳を持つ美樹は、私だけに聞こえるギリギリの音量でぽつりと呟いた。

「就職おめでとう。もう分かってると思うけど、彼に手を出したら許さないから」

 冷たい声色に当てられて、私の吐息も一瞬で凍る。私が動揺しているあいだに美樹は視線を客に戻し、歓声を上げる彼女に対して完璧な笑顔を繰り出した。

 その後美樹は私に一瞥さえ寄越さなかった。


 私は小走りで店を出た。しばらく歩くと立ち止まり、ずぶ濡れになった犬が水切りするかのように頭を振った。なんのためにこんなことをしているのか自分でも説明がつかなかったが、そうせずにはいられなかった。

 硬く閉じた瞳の奥で、冷ややかな視線をした美樹が浮かぶ。

 折尾美樹の登場で、私の労働意欲と職場環境が引っ掻き回されるであろうことは、うんざりするくらい容易に想像がついた。


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