復讐屋さんの奴隷くん⑦
復讐屋さん第七話、更新しました。これで内容的には半分くらいです。
「はあ……」
ただただ、憂鬱だ。
何もすることなく、俺は机に寝そべっていた。ただいま絶賛ぼっち中だ。
長谷がとばり姉の家に来て、あれから数日。
俺が今日知ったことと言えば、あの初めてとばり姉の家に来た時見た金髪男。苗字は新津と言うらしいことだ。
確かに聞こえるささやき声。俺に向けられる、はっきりとしない視線。
流石に何日もこんな状態では、気が滅入るというものだ。居心地悪いことこの上ない。
今、クラスでは俺はかなりの有名人になっていた。ただし、ちやほやされるどころか、一気に疎遠になってしまったが。
俺が今まで隠していたことが、実にあっさり周知の事実となってしまったのだ。もちろん、長谷の手によって。
復讐代行部のこと、とばり姉と俺の関係。
さらに最悪なのが、奴隷宣誓書の存在が知れ渡ってしまったことにある。
詰まる所、交渉は決裂したままだった。すぐ翌日、奴隷宣誓書を撮った写真が黒板前で大胆公開されてしまっていた。あの時は本当に血の気が引いた。
もう入部期間が始まっていることも、広まった原因の一つだろう。いや、復讐代行部でなく、正式の。
とばり姉の悪名を知り、あるいは恨みを募らせ、または復讐の念をどこにも吐き捨てられず歪ませる被害者からも、色々教わっているはずだ。その中に、〟急に中退してしまった新津先輩、という一例が俺のところまで聞こえてきた、というわけだ〝。
噂とも呼べる話し声には、真実はあまり含まれていない。大方が、脚色され、尾ひれはひれが付いて伝わっている。なんでも、俺にも補導歴まであるとか、美島のようなヤクザに好かれてまでいるらしい。とばり姉に負けず劣らず、俺も相当やらかしているようだった。
おかげで俺は印象最悪だ。友達ができるできないどころじゃない。すっかり腫物扱いで、俺の存在はいないものとされてしまっている。
直接イジメられるよりは、まだましなのかもしれないが……。
「……あ」
「……ちっ」
そこで、長谷が登校してきた。隣の席である以上、死ぬほど気まずいが、どうしても毎日会うことになる。
たまたま、目線が合った。喋りかけるな、と言わんばかりの厳しい目つき。
「お、おはよー……」
「…………」
が、一瞬で目を逸らされ、さっさと女子グループの中に入って行ってしまった。
俺とは真逆にも、長谷は既に多くのクラスメイトと交流がある。彼女の猫かぶりは、情報を共有できる友好関係を作るためにあったのだろう。
あれから、長谷とはまったく会話していない。長谷がまるで会話をしてくれないのだ。
罪悪感というわけではないだろう。もう用済みと言わんばかりの、俺に対する冷たい目つきを見れば分かる。正直、俺もあまり会話したいとは思わない。
というか、そもそもこっちが舌打ちしたいくらいだ。どうして俺が話し掛けて、ご機嫌取りみたいなことをしているのだろう。
「……長谷のことを全部話したところで、信用してくれるわけないか」
長谷と俺。今の発言力では長谷の本性を告げたところでどうにかなるわけがない。俺が長谷に出来ることは、全く無い。
この状況に持ってくるまでに、本当に考えられている。長谷の賢さには、出会ってから感心させられてばっかりだ。
「…………」
音を立てたつもりはない。それでも、俺が立ち上がっただけで、クラスの数人が慌てて背を向けた。
❖❖❖
「ったく、なんで私らがこんなこと」
「本当だよね。何て言うか、微妙に上から目線っていうか」
トイレから戻る時、同じクラスの女の子が、そう話しているのが聞こえた。さきほどまで、長谷と会話していたグループの内の二人だった。
思わず、少し聞き耳を立ててしまう。どうにも悪い噂には、変に俺の事かと勘ぐってしまう。
が、俺の事を話しているではないことは、そのすぐあとに分かった。
「そうそう、私はお前らと違うから、みたいな。とっとと飲み物買ってこいって感じに聞こえたし」
「うんうん! あの言い方ウザかったー」
「単に私らパシらせたかっただけじゃない? 調子乗ってんなー、長谷のやつ。一度皆でハブにしてみない? なんちゃって」
「あはは、そのなんちゃってが怖いってー! でもさんせーい!」
嫉妬か、はたまた長谷の本性に薄々感づいているのか。どちらにせよ、二人とも長谷が気に食わないようだった。あんなにも、さっきまでは笑い合っていたのに。今では、あの二人も目が笑っていない。
「っていうか、知ってる? 七原と長谷の噂とか」
そこで突然、俺の名前が持ち出された。よくないとは思ったが、その場を離れる気にもならなかった。
「七原って、あの久代先輩の奴隷っていう?」
「そうそう。あのぼさぼさ髪のオタクっぽいやつ……」
そしてこの言われようである。
「んで、あの二人って席となり同士じゃん?」
「うん、一緒に帰ってるとこ見たことある。え! もしかしてあの二人付き合ってんの⁉」
「付き合ってるというか、長谷が言いよって七原がそれにデレデレしてるんじゃない? で、長谷は七原経由で久代先輩と通じてるんじゃないかって話があるの」
その言葉に、思わず声を上げそうになる程驚いた。
まさか、長谷と俺がそういう風に見られているとは。事実はまるで正反対だというのに、いやにその噂には説得力があった。あるいは何も知らない他人であれば、本当に信じてしまっていたかもしれない。
長谷は……もしかしなくとも、この話を聞いたら場所も気にせず怒り狂うだろう。
「えー、都ちゃん、それ本当―⁉ 七原かわいそーだし、長谷超ビッチじゃん! 普通そこまでする!?」
大声で笑う女子に、都ちゃんと呼ばれたもう片方が小さく笑って小首を傾げた。
「まあ噂だよ噂。でも、なんか本当っぽいよね?」
「えー、でももし本当なら、もうあたし長谷に話し掛けられないわー。復讐代行部の部員と知り合いとか怖いもーん!」
「ねー。私もー!」
長谷が聞いたら、本当に我も忘れて激怒しそうな話の内容だ。そう思いながら、俺はその場を後にした。
女は役者。影ではギスギスしているとは聞いたことはあるが、まさかここまで寒々しい関係だとは思わなかった。これならまだ長谷ととばり姉の関係の方がまだ分かりやすいくらいだ。
もちろん、そのうわべだけの関係といった感じが怖いというのもあるが、それよりもなんだか寂しいように感じた。
それは俺も、一応最初までは長谷とは仲良くやれてると思っていたからかもしれない。
結局、それは俺の独りよがりだったわけだが。
そんなことをぼんやり考えていると、ズボンのポケットが震えていることに気付いた。
スマートフォンのバイブレーションだ。
「メール……?」
見慣れないアドレスを見て、迷惑メールかと思ったら、違った。
『今日の放課後、自分のクラスで待機しなさい。話しておきたいことがあるの。よろしくね』
「これ……とばり姉か⁉」
宛名すらないが、口調からして多分そうだろう。メールの文面上で口調も何もないけど。
「いや、何でとばり姉が俺のメルアド知ってんだよ!」
とばり姉の情報力が、純粋に怖い!
「……ここ最近、女の子の怖い面というか、おっかないところしか見てない気がする」
言ってて悲しくなってくるけど。
長谷が見たらまた馬鹿にされるだろうが、とりあえずこのメールには素直に従うことにした。
それにしても、とばり姉から話とは一体なんだろうか。
「またろくでもない話なんだろうな……」
この告白とも取れるような文面を見ても、胸がまるでときめかない。まったく不思議じゃないが。
とりあえず、その時間を忘れないようにしながら、教室へ引き返した。
……ちなみに、とばり姉のメルアドは、こっそり保存しておいた。
❖❖❖
そして、放課後になった。
クラスにはすでに俺だけになっていた。何もせずにただとばり姉を待っていた俺を見る、奇異の目ではもう無い。
「分かってたけど、来ねー」
まあこうして焦らして来るのは分かっていた。ひょっとすると、一度家に帰っているのかもしれない。
「そんなら、家で話ししたらいいのに……」
依頼人特権とでもいうのか、俺はとばり姉の家に居ることを許可されていた。日鞠のように、何か言い渡されて、こき使われているというわけでもない。至れり尽くせり、というやつだ。
それを気味が悪いというか、らしくないと思うのは、俺だけか?
『私が代わりに復讐してあげる。大丈夫、お姉さんを信じなさい』
「……まあ、ありがたいことだよな。そう思っとくか」
まだ釈然としてはいないが、それでも、あの言葉まで嘘とは思いたくはない。
あの人は、意地の悪い人間かもしれないが、ポリシーまで曲げるような人間ではないはずだ。
だからこそ、本当に復讐はどんなことをしても成功させるはずだ。それが、少し怖くもある。
「本当に、依頼してよかったのか……?」
その時、教室の扉が開いた。
やっととばり姉が現れたかと思ったが、違った。
「…………」
「は、長谷……」
今一番会いたくない人物に出くわしてしまった。
他のクラスメイト達がいた時とは打って変わって、怒ってるようにも見える仏頂面をしていた。
「……アンタ、こんなとこでなにやってんの」
「え、い、いや。用事があって……」
「久代とばりの命令?」
どうして毎度毎度、即座に見透かされてしまうんだ、俺は。それほど分かりやすいのだろうか。
「まあどーでもいいけど。アンタ達が何しようが、私は私のやることをするだけだし?」
そう言うと、長谷は何かを探すような仕草をしながら、そこらへんをうろうろしている。
「……何か、考えはあるのか? とばり姉を打ち破る秘策とか」
「聞いたところで、アイツの犬に教えてやることなんてないわよ」
「とばり姉に言う気はないって。まあ、教えてくれるとも思ってなかったし」
「はあ? じゃあどういうつもりで訊いてきたわけ?」
長谷が俺の方に顔を向けた。
「あー……よく考えたら、何でだろうな。……お前が心配だったからかもしれない」
「……何アンタ、キモッ」
長谷の眉が下がる。言葉通り、あれは本気で気持ち悪がっている顔だ。
「うっせーやい! 確かに俺だって気持ち悪いと思うけどさ! なんていうか……あるだろ? つい敵を応援したくなる時というか、それくらいの状況っていうか」
「……戦力差が大きすぎる時に、弱い方に頑張れって思うのと同じ?」
「ああ、それに近い!」
「…………」
思わず相槌を打った瞬間、すぐに脛から響くような痛みが伝わった。
長谷に思いきり蹴られたらしい。当然、死ぬほど痛い。
「~~~~っ⁉ お前っ……脛はやめろっ、脛にフルスイングはぁ……!」
「ふん。タマ潰されないだけマシと思っとけ、犬っコロ」
「仮にも女の子が、んなこと言うなよ! っつう……!」
階段から突き落とされたのは、もちろん身の危険すら感じるほどのものだったが、これも中々……。見たら、青あざまで浮かんでいる。
「ったく、私があの女より弱いってのは、何の冗談よ」
「でも、ある意味事実だろ。そりゃどっちも俺なんかよりずっと賢いし、どっちがなんて分からないけど。でも、あの人のコネとか情報力はマジでヤバいはずだぞ」
知らんけど。それこそ、長谷よりも身近にいる俺でも掴みきれないほど。
そして、おそらく、とばり姉の存在がそれだけ強力だからこそ、俺はイジメられたりもしていないのだろう。無敵の人間を敵に回そうとするのは、長谷のような恨みを持つ人間か、よっぽどの物好きしかいない。
「流石のお前でも、そこでとばり姉と張り合えるとは思えない」
「…………」
「そのことは、お前だって分かってるだろ?」
「まあ……そうね。そうだけど」
渋々、といった感じで頷く長谷。怒られた子供のように、ふてくされた視線が横を向いている。
「だから何? 私の復讐は諦めろって?」
「そうは言わないけどさ、あの人が怖いくらい容赦ないのは俺も知ってる。何か考えがなかったら……」
「アイツの奴隷が、私に意見すんな。何も出来ないくせに、偉そうに」
「何もするなって言ったのは、そっちだろ」
「む……」
まあ、何もできないというのも事実だけど。
「ちっ……アンタの言った通り、確かにその点ではあの女に負けてる。だったら私も味方を作ればいいだけ」
「味方……?」
「そう、クラスの連中よ。あいつらを手駒にしてしまえば、真っ向から久代の力に立ち向かえる」
その言葉に、ついさっき、クラスの女子達が長谷について話していたことを思い出した。
果たして、本当にそれで上手くいくのか?
疑問しか浮かばないが、かと言って長谷のやり方に口を出すような立ち位置に俺はいない。完全に蚊帳の外、傍観者なのだから。
「ねえ、何ぼけっとしてんの」
「え? あ、ああ、すまん」
「とにかく、策ならいくつか考えてる。あっちが休業中ってんなら、今は様子見。動き出したところを、すぐに叩くわ」
「……そっか、考えがあるならいいんだ。安心した」
「ふん」
相変わらずの、このつれない態度。
いい加減、彼女の振舞いにも慣れてきていたりする。
「それで、さっきからお前何してんだ?」
「別に……いや、別にってこともないか」
「ん?」
長谷が、俺に尋ねた。顔をぐいと近づける。
「アンタ、今お金持ってる? 貸してほしいんだけど」
「金……? 何で?」
訊き返すと、長谷は黙りこくってしまった。
その頬は、若干赤みがさしている。
「それは……ちっ、なんだっていいでしょ! いいから貸しなさいよ」
「あ、ああ……まあ貸すのはいいけど」
ポケットから財布を取り出した途端、すぐに長谷の手が伸び、かっぱらわれた。
「シケてるわね……本当にこれで全部?」
「言うな……色々使ったんだよ。ていうか傍から見たらカツアゲ現場だよなこれ」
「そんなのと一緒くたにしないで。ちゃんと返すわよ」
中身だけ抜かれて、軽くなった財布が投げ返された。
「ありがと。じゃあね」
それだけ言って、長谷はさっさと教室を出て行った。俺はまた一人になる。
「何だったんだ……っていうか、最初から俺から金借りる気だったのか?」
その真偽は分からないが、なんにせよ、長谷がちゃんと金を返してくれることを期待するしかない。
そんなことを考えている矢先、間髪入れずに、再び扉から人影が姿を現した。
「私との約束の前に女と密会なんて、いい度胸ね、アキ。あることないこと学校中に広めて欲しいのかしら?」
「……いや、それはマジで勘弁してくれ、とばり姉」
今度こそ、とばり姉その人だった。どうやら、長谷とはすれ違いだったらしい。
学校指定の簡素なデザインのブレザーとスカートという出で立ち。いつもの自己主張の強い真っ赤なリボンは相変わらずだったが。
こうして見ると、とばり姉の学生服姿はいつもより普通の女の子っぽくて、内心かなり驚いていた。
「何? どうかした?」
「いや……とばり姉も、制服着るんだな。いつものあの服じゃなくて」
「うん? やろうと思えば出来るけれど?」
「それは勘弁してやってくれ」
教室で一人、あんな目立つ服着てる人間がいたら、授業どころじゃない。
「まあ、そんな教師泣かせなことはしないわよ。私だって良識のある人間だから」
「そりゃ良識うんぬん以前に常識だろ……」
これはまた、とばり姉に似つかわしくない言葉が飛び出したもんだ。はっきり言って、胡散臭いことこの上ない。
「何でも好き勝手に出来るけれど、人としての優しさは持ち合わせてるつもりよ」
「へえ、そりゃ初めて知った。今まで聞いた冗談で一番面白いよ、とばり姉」
「……アナタ、結構言うわね」
そう言うと、とばり姉はどこからともなく何かを取り出した。
「ほら、これ」
そして、差し出す。
極シンプルな、白い皮財布だった。その小ぶりな大きさから、女物のようだ。
「なんだこれ、財布?」
「落ちてたから、アキが返してあげて頂戴。どうせ私は、そういうことに似つかわしくないみたいだし?」
「うっ。わ、悪かったって」
まったくその通りの事を考えていて、思わずたじろぎながらもその財布を受け取った。
「でも、これ誰のだよ? ええと、流石に男が勝手に中見ちゃまずいか……」
「大丈夫、私が既に見たから。大場都さんって子の物だったわ」
「おいっ」
聞き捨てならない言葉だが、とばり姉は知らん顔だ。
「いいじゃない、拾ってあげたんだから。ほら、大場都さんの席ならあそこの角よ」
「はあ……ていうかそれ、普通台詞逆じゃないか……? 何でそんなこと知ってるんだよ」
「何でも知ってるわよ。私だもの」
いったいどこまで本気なのやら。もはや驚くのも面倒くさい。
「机の中に入れておいてあげなさい。多分気付くでしょうし」
「はいはい……」
言われた通り、指さした机まで近づいて、財布を差し入れた。席に着いても見えるように、浅いところに。
「入れといたぞ」
「ご苦労様。それじゃあこれ、ご所望の品よ。取っておきなさい」
とばり姉がいつも通りの声音で、一枚の紙を俺に見せた。
「それ……もしかして」
なんとなくの予想はしていたが、その内容が分かる距離まで、とばり姉に近づく。
そして、とばり姉からその紙を手に取った。
「奴隷宣誓書……!」
「取り戻しておいたわ。学校にもこれの存在は揉み消させたし、間違いなく本物だから、そのうち風当りも弱くなるはずよ」
「そっか……ありがとう、とばり姉」
気休め程度だろうが、これが今手元に返ってきたことに、少し安心している俺がいた。
奴隷宣誓書は、俺の生命線だ。もう他の誰の手にも渡らせてはいけない。
「あとは、長谷沙雪への復讐だけね」
「…………」
そう、あとは長谷への復讐。そこまでしてから、俺が奴隷になれば依頼は終了だ。
それで終了なのだが……。
「まだサインが無かったけれど、復讐が終わるまでに書いておきなさい。依頼の契約不履行は……」
「もっと酷いことになるんだろ。それは分かってるけどさ」
「分かってるけど……何?」
とばり姉が尋ねた。
言うべきかどうか悩む。どうせ、とばり姉の答えは決まっているから。
それでも、誰かに問いかける形でしか、自問することも出来なかった。
「……復讐代行を依頼したのは、正しかったのかな。俺は……」
「そんなこと、私が知るわけないでしょう」
きっぱりとした口調で、とばり姉は俺の言葉を断ち切った。分かり切っていたことだ。この人だし。
「大体、アキが依頼しなくても、いずれ彼女は潰してるわ。彼女が遠い将来、厄介な不確定要素になっても困るしね。そもそもアナタは階段から突き落とされて、死んでたかもしれないのよ? それを恨んではいないの?」
「いや、それは……そうだけど」
長谷に腹を立てなかったのか、と問われれば、もちろんNOだ。長谷には、色々と煮え湯を飲まされてきた。文字通り痛い目も見た。それは事実だ。
「……復讐代行部の元被害者である彼女に、同情してる?」
「…………」
そうなのかもしれない。長谷も、別に理不尽な逆ギレをしているわけでもない。とばり姉に復讐する理由がちゃんとある。
俺にしたことはさておき、それでも長谷には同情の余地があるんじゃないか?
というかぶっちゃけ一番悪いのってとばり姉じゃね?
「……こうこうこういう事情があるから、じゃあ大人しく復讐を受け入れましょう、で通る世界は、きっと理想郷でもあり得ないでしょうね」
またしても、俺の考えを読んだような例えで返すとばり姉。
「言ってることは分かるけどさ……」
とりあえず、その元凶が言うべき台詞じゃないと思う。本当に、どこまでもふてぶてしい。
それとも、と言い置いて、とばり姉は続けた。
「もしかして……あの子を好きにでもなっちゃった?」
「は、はあ!?」
とばり姉の問いかけに、かなり驚いた。
言われてみれば、これじゃ長谷のことが好きだから庇ってるように見えなくもない。
長谷に恋愛感情……もちろん、見かけだけなら、俺には長谷は到底もったいないくらいだが。
「い、いや、そういうわけじゃない、と思うけど」
「ふうん。まあなんにせよ、そんな情ははやく捨てるべきね。それが身のためよ」
「それは……もう長谷を倒すあてがあるってことか?」
「あて、ねえ……」
そう言って、しばらく黙りこくってしまうとばり姉。しばらく、教室が静寂に包まれた。
「……ふ、ふふ」
そして、吐息のような笑い声を溢した。
「ふふふ、あて? この私に、あてがあるか、ですって? ふふっ、あははははは……!」
止まらない笑い声は、徐々に大きくなっていく。
「とばり姉?」
「ああ、可笑しい……! アナタは本当に、甘いのね。まったく何も知らない、何も分からない甘ちゃんだわ。私が何なのか、まったく理解していないんだもの……」
机の上に、そっと腰かける。とばり姉の視線の先は、俺ではないどこか遠くを見ていた。
「どういう、ことだよ?」
夕暮れの薄暗い教室という状況がそうさせるのか、その様子は、気後れしてしまいそうなほど幻視的だった。陰に隠れて、その表情がうかがえない。
この場の空気が、冷え込んだような感覚。思わず叫びたくなるほどに、怖いくらい静かだった。
俺の問いに、彼女は朗々と、まるで演劇のワンシーンのように、言葉を紡ぐ。
「……長谷沙雪が、私を追ってこの学校に入学することは、ずっと前から知ってたわ。彼女が合格通知を貰うより以前から、ね。そういう情報筋があるの」
「だ、だから……?」
静かな驚きを隠すように、俺は尋ねる。そうでもしないと、何も言えなくなってしまいそうだった。
「美島を呼ぶまでの時間稼ぎ? そして奴隷宣誓書を取り戻す? そんな不確かな方法、私が選択するわけないじゃない」
そうしているように見せかけてはいたけれど、ととばり姉は付け足した。
俺の方は、とにかく動悸が収まらない。今まで見てきたものが崩れて、何かが始まるような気配を感じて。
とばり姉は、続ける。たまたま今の状況で思いついた後知恵なだけじゃないのか、と思わなければ、にわかには信じられない言葉が飛び出した。
「私は、こうなることを数か月前から待っていたのよ。ここまで全部、私の思い通り」
「……長谷が奴隷宣誓書を暴露したこともか?」
「勝手に手放した、と言うべきね。唯一の強みを、私の口車に乗せられて、ね」
そしてもう一度、とばり姉は笑う。
それはそれは楽しそうに。
これから起こることを、待ちきれないと言わんばかりに、こう告げた。
「復讐の場は整ったわ。もう誰にも……長谷沙雪にも、私にももう止められない」
毎日午後十八時更新です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。




