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復讐屋さんの奴隷くん  作者: 志久タクイチ
6/12

復讐屋さんの奴隷くん⑥

復讐屋さん第六話、始まります。

 まだ開いていた保健室で、簡単に包帯を巻いてもらってから、俺たちは帰路についていた。

 もちろん、とばり姉の家に。俺たちが並んで歩いているのも見かけだけだ。紐に繋いだ俺と、その行き先に付いていく長谷という構図でしかない。まさに犬の散歩のように。

「……本当にちゃんとこの道で合ってるの? まさかこの私を騙そう、なんてことはないでしょうね……」

「そんなこと、考えもしなかったって」

「はっ、それもそうよね。アンタは可愛い犬っころだもの、人間様に逆らったりしないか」

「……俺ってそんな可愛い?」

「皮肉に決まってんでしょ馬鹿」

「分かってるよ、誰かさんじゃあるまいし」

 まさか、こんな形でこの家に戻ってくることになるとは思いも寄らなかった。今日中に何とかするつもりだったが、これではさらに話がこじれそうだ。これが原因で、俺を一生追放するかもしれない。

「ああ、胃が痛い……本当に行くのか?」

「なに男のくせに情けないこと言ってんの。いいから早く行けっつうの」

 こいつは、他人の気も知らないで。

「と言っても、もうすぐそこだし、もう案内だっていらないだろ? 一人で行けばいいじゃないか?」

 その言葉に、長谷は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「馬鹿ね、アンタも来ないと意味ないの。アンタの姿を見せれば、いくら久代とばりでも無視できないしね。もし門前払いされたらたまったもんじゃないわ」

「えーと、つまり?」

「顔パスくらいの役には立てってことよ」

「あ、なるほど……」

 しかし、長谷も色々と考えているみたいだ。今もきっと俺の考えの及ばないところまで頭を回しているのだろう。

「え、何あれ……?」

「?」

 しかし、そんな長谷から声が上がった。こぼれてしまったといった方がいいかもしれない。俺もつられて視線を移した。

 その視界の先、とばり姉の家の門前に見知ったエプロン姿があった。何をするでもなく、暇そうに立ち尽くしている。

「あれ、日鞠さん……何であそこに?」

「め、メイド……?」

 そんな彼女の姿を、訝しげな表情で見る長谷。その反応は至極当然だろう。こんな玄関先で、メイドが待ち構えているということが未だに俺にも信じがたい。服装そのものは似合ってはいるのだが。 

 すると、彼女もこちらに気付いたようで、小走りに駆け寄ってくる。

「ええと、長谷沙雪ちゃんだっけ? いらっしゃいませー!」

 俺たちのそんな内心も知らず、日鞠はやはりいつも通りに長谷に話し掛けた。

「ああ、えと……どうも」

 流石の長谷でも、日鞠の格好と立ち居振る舞いに呑まれたのか、戸惑っているように見える。

「アキくんも、いらっしゃい」

「……どうも、戻ってきちゃいました」

「あらー? どうしたのアキくん、その頭……トイレットペーパー?」

 それは俺ならやりかねないと思っての発言だろうか。

「普通に包帯ですよ。ちょっと怪我して……」

「ええっ!? ど、どうしたの? 何かあった?」

「それは……」

 そこで、腰あたりを後ろから小突かれる。

 長谷だ。詳しくは喋るな、ということらしい。女の子がしていいぎりぎりの、凄い形相で俺を睨んでいる。 

「ちょっと、階段で転んじゃって……痛っ」

 長谷がぎゅっと俺の腰あたりをつねった。彼女が求める模範解答ではなかったようだ。

「そ、そうなの? 大丈夫―?」

「うん、まあ。頭『は』もう痛くな――イタタタタ!」

「だ、大丈夫!?」

「……いや、本当大したことないんで」

「そ、そっかー。うん、大丈夫ならいいんだけど……何かあったら、本当にすぐに言うんだよー?」

「うん、そうする……それで、日鞠さんはなんでここにいるんだ? 掃除?」

 日鞠が、俺の言葉に首を横に振る。

「ううん、とばりちゃんにね、頼まれてるのー。ここにいるようにって」

 そして、衝撃の一言が飛び出す。

「〟今日沙雪ちゃんとアキくんが来るからお迎えするように、だってー〝」

「え……」

 既にとばり姉はこうなることを予測していたのか?

それは……つまり。

「い、いや長谷……喋ってない。俺は喋ってないぞ、うん」

「んなもん当然でしょ……私がここに来ることはお見通しってわけ? 予想はしてたけど、ゾッとしないわね」

「ま、まさか……そんなこと」

「出来るでしょうね。久代とばりの情報力なら」

 以前、日鞠の話の中に、日鞠とその周囲の人間しか知らないことを知っていたという話があったのは覚えている。

 が、これはそれの比ではない。長谷が学校に、しかも俺のクラスにいるということは知っていなければいけない。

 さらに、長谷と俺に少なからず交流があるということも、この日に長谷が復讐に来るという推測以上の根拠も。一体どこまで知っているのかは分からないが、少なくとも俺の、いや一年のクラス事情はある程度以上知っている必要がある。

 考えて、思わず背筋が冷えた。まるで、学校での俺の様子まで、全て見透かしているかのようで。

 そんなことが、とばり姉一人で可能なのか?

「あらー、なになに? どうしたの二人とも? 怖い顔して」

 そんなことを考えていると、日鞠が声をかけてきた。のほほんとした声音が、今はやけに浮いて見える。

「立ち話も何だし、上がって上がってー。あ、カバン預かるね。沙雪ちゃんもー」

「え、ちょっ……あの」

 長谷と俺のカバンを、当たり前のように手に取る日鞠。

 長谷は何か言いたげだったが、諦めたのか、結局何も言わなかった。というか、日鞠に若干の苦手意識があるのかもしれない。苦手というか、どう接すればいいのか分からないというか。

「……なにこっち見てにやけてんの? キモイんだけど」

「いや、別に」

 そして、俺にとっては久しぶりに、とばり姉の家に帰って来た。

  


❖❖❖



 奴隷宣誓書は結局、長谷が持っている。見つかったのは良かったが、状況は何も変わっていない。

 それでも俺は、この家に帰ってきてしまった。

「…………」

 俺は帰ってきてよかったのか? あのとばり姉がこんな中途半端な形で許してくれるとは思えない。また追い出されるだけじゃないか?

「……ええと、日鞠さん。一ついいか?」

「ん? なにー?」

 ……そう思っていたのは、つい数分前までのことだった。

「どうして俺らが、とばり姉の部屋にいるんだ?」

 何故か通された部屋は、とばり姉の部屋だった。とばり姉にとっての敵とその戦犯が並んでソファに腰かけている。この状況は一体……。

「でも、とばりちゃんがねー、二人を私の部屋までお通しして、って」

「え? そうなのか?」

「うーん、とばりちゃんがお客さんを自分の部屋に通すなんて、めったにしないんだけどねー」

 そう言って、日鞠は不思議そうに首を傾げた。

 が、あまり気にならないことだったのかすぐに切り替わって、この部屋について教えてくれる。

「とばりちゃんの書斎はね、私の参考書とかも一緒になってるの。とばりちゃんが面倒くさいからって、この家にある本は全部ここにまとめてあるんだよー」

「へえ、確かに広いし、収納には便利かもな」

「なんなら、アキくんの教科書とかも一緒にしちゃえばー? まだそんなスペースはあると思うよー?」

「い、いや……それは遠慮しとく」

絶対ろくなことがない。

「あらー? そっか、残念。それじゃ、あたしとばりちゃんを呼んで来るからー。とりあえず座って待っててねー」

「あ、はい」

「……アキくん、部屋を漁ってもとばりちゃんの下着とかは出てこないからね? 大人しくしててねー?」

「それ絶対とばり姉に吹き込まれましたよね? しませんからそんなこと!」

「…………」

「おい長谷、違うからその冷たい目やめて!! そっと距離とるなよ! 誤解だから!」

 信じる日鞠も日鞠だが、あの人の冗談はまるで冗談になってないから困る。長谷の視線が突き刺すように痛い。

 俺にとんでもない風評被害を与えてから、日鞠はこの部屋から出ていった。

 ぽつんと残される、俺と長谷。この広い部屋にいるせいなのか、長谷と二人きりだからなのか、余計に手持ち無沙汰に感じる。

「それにしても、凄いな……」

 改めて目をやると、まるで小さな図書館のような部屋だ。天井すれすれまでの高さがある本棚が、ずらりと並んでいる。その中に、膨大な量の本やファイルのようなものが窮屈そうに収まっていた。

 そして、仕事用と思われる横長の机に、パソコンが少なくとも数台。何かの資料らしきものが整然と積まれている。寝室続きとなっているのか、その脇にひっそりと扉が佇んでいた。

 とてもとばり姉のような年ごろの、女の子の自室とは思えない。豪華は豪華だけど、まさに仕事をするだけの部屋のように見える。

「『あの』復讐代行部の代表、久代とばりの部屋……まあ女らしい部屋なんて期待してなかったけど、まあカビ臭いとこね」

 相変わらず、とばり姉に対して恐ろしいほど好き放題言う長谷。

「でもさ、日鞠さんも言ってただろ? この部屋に滅多に人は来ないって。日鞠さんくらいしか入れないくらい大事な場所にどうして俺たちを通したんだ?」

 少なくとも、俺は今まで一度も入ったことはない。というかビンタまでされてるし。

「……奴隷宣誓書」

 しかし、長谷は何か思うところがあったのか、ぽつりと呟いた。

「奴隷宣誓書を私が持ってることを、久代とばりが知ってるからじゃない?」

「それが……どうして自分の部屋に招くことに関係あるのか?」

「多分、この部屋は交渉材料をちらつかせる交渉か取引の場として使い分けてるのよ。めったに使われないということは、つまりそれだけ騙されて食いものにされるだけの馬鹿が多いってこと」

「あ、なるほど……」

 ふと、最初にここに来た時見た金髪男が頭をよぎった。

「久代とばりは学校中のすべての人間の情報を抱えてるって、先輩にも聞いたことあるわ。

逆鱗に触れたら最後、あらゆる個人情報が漏えいするんだとかなんとか」

「……本気で言ってる? それ」

「ええいうっさいわね、そんな顔すんな。私も大げさな都市伝説くらいのものだと思ってるっての」

 そこまで言って、長谷が俺に顔を向けた。

「まあとにかく、良かったじゃない? アンタの奴隷宣誓書を取り返そうって気はあるらしくて」

 完全に俺を小馬鹿にするような、憐れむ表情で。

「……じゃあその顔はなんだよ?」

「ん? 顔に出ちゃった? ご主人様に尻尾振って助けてもらわないといけないなんて、情けないとも思わないのかなあ、って。何か文句ある?」

「それは……」

「アンタに、『自分』ってやつはあるの? 私には、ただ流されてるだけにしか見えないんだけど」

「…………」

 言いよどむ俺。長谷の言うことは、ぐうの音も出せない完璧な正論で、何も間違っていないからだ。俺は、いつも誰かに振り回されっぱなしで生きている。

 俺というものを、捨ててしまっている。

 そのことを否定することは、俺にはできなかった。

「もっとも、今から介入しにこられても利用価値どころか、邪魔にしかならないけどね」

「……ずいぶんきついこと言ってくれるな」

「ここからはアンタは傍観だけしてればいいの。これは私の、アイツを屈服させられるかどうかっていう戦いなの。邪魔でもしたら、さらに高くから落ちてもらうから。マジで」

その目は、強い。まるでとばり姉がそこにいるかのように、じっと前を見据えている。

「言っとくけど、もし久代とばりを潰したら、次はアンタとあのメイドよ。ま、あんな女に関わってるわけだし? 当然っちゃ当然よね」

「長谷……お前」

 薄々感づいていたことだった。とばり姉だけでなく、その関係者であるだけの俺にも及ぶその執念。

 二人だけの戦い、と彼女は言った。が、状況次第では、俺もしくは日鞠を利用することも厭わないはずだ。

 それこそ、とばり姉にとことん『復讐』しないでは気が済まないと言うように。

 やはり、長谷は――――。

「もっとも、久代とばりからしたら、私から逃げるのが一番の選択肢なんじゃない? いっそ、アンタを切り捨ててしまえば――――」


「うふふ、誰が逃げるですって? 長谷沙雪さん?」


 その時、部屋の扉がそっと開かれた。

 そして現れる、派手な装飾の白ゴスに、大きな赤リボンを身に着けた少女。

 ここ最近見なかった、とばり姉がそこにいた。その両手いっぱいに、給仕用のお盆を抱えていた。

「久代……とばり」

「お久しぶりね。舞津岡私立中学以来かしら」

「アンタを恨まなかった日は無いわ……その格好も言葉遣いも、全部私の癪に障るんだけど。なに? 今頃中二病ですかぁ?」

「いきなりご挨拶ね、〝万引き常習犯さん? あれからどうだった? 一生に一度っきりの中学生生活は楽しく過ごせたかしら〟?」

 何のことか俺にはさっぱり分からないが、その言葉は長谷の顔を歪めさせるには十分らしかった。

「…………」

「しつけのなってない雌猫が。相手を見てから鳴きなさい」

 長谷の目つきが一層険しいものになる。対するとばり姉は、至って涼しげな目で応えていた。口元はどこかにやけてすらいる。

 火花が散る時のにらみ合いというのは、こういう時を言うのだろう。正直この場から逃げ出したい。

 まさに、一触即発の雰囲気。

 だが。

「とばりちゃーん! それあたしが持つってばー!」

 俺がすっかり蚊帳の外になってしまった一方、続けて部屋に入って来た日鞠が、その場の剣呑な空気を破るように声を上げた。

 どうやら、日鞠はとばり姉が持つお盆が目に付いたらしい。お盆がやや傾いていて、今にもポットの中身をぶちまけそうだ。

 どうやらここまでとばり姉が持ってきた物らしい。それが俺からしてもかなり意外だった。

「だから、いいと言ってるのに。たまには私が持つわよ。客人には礼儀を尽くしてもてなすのが私のルールよ」

「で、でも」

「いいから。それとも私の言うことが聞けない?」

「う、うん……分かった」

「まったく……空気の読めない子で、ごめんなさいね」

 しかしそう言うとばり姉は、日鞠に任せきりらしく、不慣れさがうかがえる。ていうか、若干手がプルプルしてる。

 長谷への形だけの歓迎なのだろうか。とばり姉がそれを持ってること自体に違和感を覚えてしまう。

「さて……そろそろ、お話を始めましょうか。日鞠、下がって頂戴。アキは……」

 ちらり、とそこで初めてとばり姉が俺の顔を見た。

「…………?」

 その顔は、〝一瞬だけ歪んで見えた〟。

 そんな気がした。

「……いいわ。アキもここにいなさい。アナタも無関係ではないでしょう、話に参加させてあげる」

「あ、おう……」

 しかしすぐにとりなしたそのとばり姉の言葉に、長谷が苛立たしげに噛みついた。

「ちょっと、こいつはいらないでしょ! 私はアンタだけに話が――」

「思い上がらないで。ここでは私が絶対よ、意見も反論も許さないわ」

 鋭い舌打ちが飛んだ。しかし、長谷は何も言わなかった。代わりというように、眼鏡の奥からふてぶてしくとばり姉を睨めていた。

「それじゃあ、あたしはお料理の途中だから、これでお暇するねー。沙雪ちゃん、ごゆっくりー」

 日鞠が、とばり姉の言いつけ通り部屋の外に出ていく。

 とばり姉は半ば無視するように、お盆の上にあるティーセットを並べ始めた。何時かの時よりも、かなり上質な物であることは、こういうものに疎い俺でも分かった。

「さて、長谷沙雪さん、アナタの目的は?」

 とばり姉が口を開いた。あまりに唐突すぎたが、長谷は何事もないかのようにきっぱりと答えてみせる。

「当然、アンタが私に無様な姿を見せることに決まってんでしょ」

「威勢のいい返事ね。それなら、ここで私が土下座でもすれば万事解決?」

「はあ? そっから身ぐるみ剥いで、この部屋にある物全部もらって、今の立ち位置も失墜させて、アンタをこれまでの被害者に晒して初めてスッキリするわ。最悪死んでもいいんじゃない? それだけの恨みは買ってるでしょ」

「まあ、そうね。もしそうなれば、ろくな死に方にはならないと思うわ」

「それに」

「?」

「そもそも、アンタは土下座すらする気ないでしょ」

「…………」

「意味ないっつの、そんな話」

 粛々と、とばり姉がお茶の用意をしている中、二人の会話が流れる。語気は意外にも穏やかなのに、張り詰めた緊張感が、そこにはあった。

 ようやく、とばり姉がお茶を注ぎ終え、対面に腰かけた。

「なら、アナタはここに何をしに来たのかしら? 昔話に花を咲かせる、なんて間柄じゃないと思うけれど。そんな『世間話』だけをしに来たの?」

「……冗談で言ってないのなら、アンタは思ったより大した事ないわね。七原がここにいる時点で分かるでしょ、普通」

「……話してみなさい。聞いてあげる」

 しばらくの静寂。とばり姉は、ただずっと長谷を見つめ続ける。

 その様子に、肩をすくませながら長谷が口を開いた。

「……七原の奴隷宣誓書は、今は私が持ってる。私が好きに出来るのよ。それこそ、捨ててたり、燃やしたり……それとも」

「学校中に晒したり?」

 その言葉に、背筋が凍る感覚がした。とばり姉が言うと、俺が考えていた未来が、いっそう現実味を帯びたように感じて。

「分かってるじゃない」

 長谷が、獲物を捕らえた猫のように嗜虐的に笑う。

 これが、長谷の強み。いまこうして、とばり姉に対峙出来る理由。

 長谷は俺の奴隷宣誓書を使って、とばり姉を脅迫しているのだ。

 奴隷宣誓書を暴露されたら、俺にとっては困る展開なのは言うまでもない。そしてとばり姉にとっても、喜ばしいことではないはずだ。

 奴隷宣誓書には、とばり姉の名前もある。そこから芋づる式に彼女のやっていることが明るみに出る可能性も十分ある。そうなれば、復讐代行部の活動に、支障をきたすどころではない、はず。

 というか、この際そうであって欲しい。それが俺の正直な気持ちだ。

そうでなくては、とばり姉が俺を助ける意味が無いのだから。

 彼女自身が言ったことだ。俺だから、という情は無いと。贔屓は無く、ただ平等なのだとも。

 つまりとばり姉にとって、損することが無ければ、俺は助けてもらえない。

「奴隷宣誓書、ねえ……」

 ……なのだが、そのとばり姉は、つまらなそうに口を開いた。興味を惹かれない、無関心に近い表情を浮かべている。

 気だるそうに息を吐いて、言う。

「……交渉の材料にしては弱いわね。私にはまったく痛手にならない」

「ふん、強がっちゃって」

「強がりも何も。奴隷宣誓書が明るみに出た所で、フォローは簡単に出来るわ」

 余裕の笑みまで浮かべるとばり姉。

 その様子に、じれったそうにしながら歯をむく長谷。

「へえ、じゃあ従弟のことはどうでもいいんだ? アンタの話は、愛しい従弟を切り捨てて、自分だけ助かろうとしてるようにしか聞こえないけど?」

 その責めるような言葉に、とばり姉はかすかに目を伏せた。

「……そうね。残念ながら、奴隷宣誓書が人の目に触れたら、アキは困るでしょうね。私の目が黒い内は滅多なことはないでしょうけれど、それでも……」

「はっ! やっぱアンタはそうよねえ! 自分以外の人間を再利用するゴミか何かとしか見てないんでしょ⁉ 私の次は七原ってこと⁉ このキチガイ!」

 長谷が机を思いきり叩く。広いこの書斎に、大きく音が響いた。

「私っ、私にも……! あの時! 何も関係なかったのに……!! 万引きなんか、してなかった! アンタの、アンタのせいで全部っ……!!」

 ここぞとばかりに、長谷がまくし立てる。

 溜まった鬱憤を晴らすように、彼女をなじる。

 その声は、かすかに震えていた。まるで泣くように怒っているようだった。

俺はただ、そのなりゆきを見守ることしか出来ない。

「とばり姉……」

 だが、とばり姉は口元を綻ばせている。同じ椅子に腰かけているのに、まだ長谷を見下ろしているかのようだ。

「……だからこそ、こうして取引の場を設けているわけじゃない。長谷沙雪さん、アナタの話はよおく分かったわ」

「…………」

「でもね、一つだけ。いくらアキの失態だったとはいえ、流石にそんなことになるのは、ねえ? 私も心苦しいのよ。部下のミスは、上司のミス。奴隷と主人もまた然り、よ」

 とばり姉は、続ける。

「ここには滅多に人を入れないのは知ってるでしょ? それこそ、『そういう』筋の人間だけ。その点、私はアナタを認めてるの」

 その目が、さらに細められた。口端がそっと吊り上がる。

 蠱惑的、という表現はまさにこういう時に使うのだろう。

ぞっとするほど耳触りの良い言葉。見る者を身震いさせながらも、どこか引き寄せるような笑み。そんな、妖しげな雰囲気が、とばり姉にはあった。

「ねえ、お話しましょう? 望みの物を言って頂戴。どんな夢のある願いでも大丈夫。アナタは今、魔人のランプを手にしたも同然なんだから」

 そして長谷の前に、小さな手のひらが差し出された。

 まるで、遠いどこかへ誘うように。

「どんなことでも、何でも叶えてあげるわよ……? 私なら、ね」 

 俺なら、考えもせずその手を取っていたかもしれない。

 そう思っていた時だった。

「……ふ、ふふっ。ふふふ」

「は……長谷?」

「ふふ、あはっ……あはははは、あははははははははははははははっ!!」

 突然、部屋中に響き渡る笑い声。

 唖然としている俺にさえはばかることなく、笑い転げている。長谷がこんなに笑ったところを、俺は初めて見た。

 が、その顔は楽しそうには見えない。内なる激情を吐き出しているかのようだった。

「あは、はあーあ……ばっかじゃないの」

 やがて、ひときしり笑い続けた長谷が、そう吐き捨てた。

「私、アンタをかなり買い被ってたみたい。あの復讐代行部代表、久代とばりの色んな話を聞いたわ。一度依頼を受ければ、どんなことをしても必ずやり遂げる。殺しても死なない、逆に殺し返す女、なんて大層な肩書まであるからどんなもんかって思ってた。それこそ何もかもお見通しなのかって……」

「…………」

「でも違ったわ。アンタは、あまりにもお粗末すぎる。後ろ盾を得ていい気になる、典型的な無能よ」

 その長谷の物言いに、何故か自分の事を言われたかのようにカチンときた。むしろ、自分のことを言われた方がまだよかったのかもしれない。

「長谷、お前……!」

「犬畜生は引っこめっつうの!!」

 思わず声を上げた俺に、長谷が怒号を飛ばした。

 そして何も言えなくなった俺を尻目に、とばり姉に向き直る。

「さっきから意味の無い話をダラダラ続けてるのもそう。『時間稼ぎ』に必死になるから、そんな子供でも騙せないようなことしか言えないのよ」

「…………」

 時間、稼ぎ……?

「アンタ、さっき遅れてこの部屋に入って来たわよね。メイドにも任せずこのティーセットを持ってきてたけど……七原、アンタ変に思わなかった?」

 黙ってろ言ったばかりなのに、俺にそう同意を求めてくる長谷。

 しかし実際、俺も違和感を覚えていたことだった。長谷に頷き返す。

「そう……だな。変だとは思ってたけど……」

「まあアンタの意見はどうでもいいんだけど」

 ……じゃあ聞くなよ。

そんな俺の内心も気にかけず、長谷は言葉を紡ぐ。

「本当はあの時、誰かを呼んでたんでしょ? 『そういう』筋の人間を、ね。私から奴隷宣誓書を回収するために。そして、ティーセットはそれを隠すための理由づけ。違う?」

「…………」

 とばり姉は何も答えない。

 それを肯定と捉えたのか、長谷の顔にいやらしい笑みが貼り付く。

「ねえねえ、バレないと思った? 騙せると思ってた? ぷぷ、ざあーんねーんでしたー! 私、アンタほど馬鹿じゃなかったみたい。つかそもそも今、あの紙持ってないしー」

 長谷が、すっくと立ち上がる。結局、一口も飲まず、まだ冷め切ってないカップをちらりと見やり、言い放った。

「客人への態度がこれじゃ、アンタの取引とやらもご破算ね。私は帰るわ。どちらが優勢だったかは……分かるわよね?」

 完全に自分だ、と言わんばかりの口調だった。

「この一勝は、小さな一勝。でも、アンタという大きな牙城を崩すための第一勝よ」

「…………」

「私は絶対に、アンタに復讐してみせる」

少女二人の距離が一気に詰まる。殴りかかるのか、と思ったが違った。

 そっととばり姉の耳に寄せて、長谷が尋ねかけた。

 そのささやき声が、かすかに聞こえてきた。

「……最後に一つだけ。どうして、私の名前を覚えていたの? 深い意味は、あるの?」

 長谷の、何かを確かめるような言葉に、とばり姉はまばたき一つせず、否定した。

「いいえ、別に。私は一度見た人間の名前は絶対に忘れないの。復讐代行部の活動を思えば、当然よ」

「……そう」

 長谷はそれだけ言うと、身体を持ち上げて笑いかけた。

「じゃあね、小さなお山の女将さん? 次会う時は絶対、アンタを跪かせてみせるわ」

 応えるように、とばり姉が微笑んだ。

「そうね、また後日会いましょう……すべての決着がついてから」

 その会話を皮切りに、その距離は離れた。二人は、それぞれ視線を絡ませることなく前を向く。

「日鞠、お客様を送って差し上げなさい!」

 張り上げた声が響き渡る。部屋の外の日鞠が、とばり姉に応えた声がした。

「…………」

 そして、長谷はこの部屋を後にした。日鞠が話し掛けているらしい、快活な声が遠のいていく。

 急に、この部屋の静けさが増したような気がする。

「……まあ、予想通りだけれど、なかなか賢い子ね」

 やがて、とばり姉はそう言うと、持っていた電話に耳を当てた。

『おう、俺だ! どうした久代?』

 その通話口から、溢れんばかりの野太い男の声が、俺にも聞こえてきた。思わず、とばり姉が通話口から耳を離していた。耳の痛さに悶える表情を浮かべている。

『ん? 返事がないのう! 冷やかしか?』

「……美島。策は失敗したわ、もう帰ってもいいわよ」

しかめっ面のまま、とばり姉は相手にそう告げた。

『失敗!? お前さんが!? 何かあったのか!』

「また何かあれば連絡するわ。あと、次から声のトーンを下げなさい。それじゃ」

 言葉足らずな気もするが、言うだけ言って、とばり姉は電話を切った

「とばり姉……」

 長谷の言葉通り、とばり姉は美島をここに呼んで、長谷を直接脅し掛けるつもりだったのだ。

 やはり、長谷の言ったことは正しかった。

ここにきて、ようやく彼女の勝利宣言の意味を実感し始めていた。

「……なあ、これから長谷は、どうするつもりなんだと思う?」

 とばり姉は、いつの間にか飲み干したティーカップのスプーンを、つまらなそうに指で弄っていた。

「どうするも何も、宣誓書を暴露するでしょうね。長谷沙雪にとって、もう持ってても仕方ないものだろうし」

「それ……やっぱり、とばり姉にもまずいことなんじゃ」

「あら、彼女の言葉に気圧されたかしら? 言ったでしょ、私は問題ないわ。アキも、ある程度は助けてあげられる。私が目の黒いうちに、何か害が及ぶことはないはずよ」

 俺の懸念にも、とばり姉はにべもなく撥ね付ける。あえなく口を閉ざす俺。

 だが、本当に大丈夫なのか? 一度、長谷にしてやられたのを見てしまった以上、それは慢心以外の何物でもないんじゃないのか、と思えてしまう。

「……ううん、違うわね」

 ふと、動かしていた手が、動きを止めた。

 小気味のいい音を鳴らして、スプーンがカップの中に滑り込んだ。

 とばり姉が、ひたと俺を見据えた。

 思えば、彼女が俺の方に目を向けたのは、今日初めてかもしれない。

「もうこれ以上、アナタには何も起こさせはしないわ」

「え……?」

 真剣な眼差しが、俺を射抜く。

 あの、とばり姉が。こんなことを言うなんて。

 とばり姉には悪いが、正直その言葉を信じられなくて、混乱していた。

「と、とばり姉……? どうかしたか?」

「……アキ、こっちへ来なさい」

「へ? あ、ああ……」

 ローテーブルを避け、とばり姉のそばまで寄る。

そのまま座るように手振りされ、そのまま床に腰を下ろした。ちょうど、とばり姉の真横の位置だった。

「あの、とばり姉……」

 心なしか、その距離が近いような。

 そう思った瞬間。

「……へっ?」

 首元に手が回り、思いきり引き寄せられた。

「アキ……」

 俺の身体はなす術もなく、とばり姉に抱きしめられていた。

 いやに柔らかく、そして優しげに。

「アナタ、この怪我はどうしたの?」

「あ、えっ、は、へぇっ⁉」

 変な声しか出ない。

 当たり前だ。生まれてこの方、女の子に抱きしめられたことなんて一回もない俺が、テンパらないわけがない。しかも、相手があのとばり姉ならなおさら。

「怪我よ、怪我。どうして包帯を巻いてるのかって聞いてるの」

 頭の包帯に、そっと手が触れている感覚。

「あ、ああ、え、ええっとだな……うっかり階段から落ちて」

「本当に? ……今は長谷沙雪はいないのよ?」

「……!」

 その言葉に、女の子の香りとか、特有の身体の柔らかさから来る焦りがどこかに飛んだ。

 この人には、既に察しがついていたらしい。やはり、さきほどあったことは大方予測がついているみたいだ。

 思わず、とばり姉の顔を向く。

 額が触れそうな距離で顔を覗き込まれ、思わず眩暈がしそうだった。

 ……全部、全部の心の内を、とばり姉にぶちまけてしまいたくなった。

「……とばり姉の、思ってる通りだよ。長谷に、階段から突き飛ばされた。で、奴隷宣誓書を理由に脅された」

「…………」

「なあ、とばり姉。俺は……女の子一人にも勝てないくらい、弱かったんだな。ずっと、へこへこしてばっかでさ。俺に関係することなのに、何も出来なかった……」

「……ええ、そうね」

「笑えるよな、奴隷宣誓書が無くたって、俺には奴隷って言葉がピッタリだ」

 今更だが、事の発端であるとばり姉に、こんなことを言うのも変な話だ。

奴隷宣誓書が無ければ。とばり姉が復讐代行部なんてものを考え出さなければ。

 ……いや、そうじゃない。原因の所在なんか、どうでもいい。

 長谷にも、とばり姉にも、逆らおうとすらしなかった。ただただ、情けなく従い続けていた。復讐の対価としてここにいる日鞠とは違い、まるで馬車馬のように。

 そのことが、ただ悔しい。それだけの話だ。

「……いいじゃない、奴隷でも」

「え?」

 だが、とばり姉は静かにそう囁いた。息を吹きかけるように、そっと。

「誰しもが、それぞれの何かに縛られて、従わされているわ。それこそ、奴隷のように。でも、例えば長谷沙雪のように、多くの人間が真の意味で気づけないその事に、アナタは気付いてるじゃない?」

「…………」

「自分が弱いと知ることが出来たら、あとは上に上がっていくだけ。弱いと思ったことも、悔しいと思ったことも負けじゃないわ。何も見えてない人間よりも先を見ることが出来るのよ」

 首筋にぎゅっと力が込められる。

 難しいことは、俺には分からない。どうしてとばり姉が、このようなことを言いだしたのか、その意図も。

 でも、それでも。

 目の前の少女がこんなにも近く感じたのは、初めてだった。

「……とばり姉」

「……ん?」

「とばり姉が、そんなこと言うなんて思わなかったよ。とばり姉の印象が変わりまくりだ」

「……そうね。らしくないったらないわ。少し感傷的になってしまったかしら。いくら長谷沙雪でも、まさかここまでするなんて……いえ、何でもないわ」

 ぱっ、と腕がほどかれる。軽くむせ返った。

 苦しいことすら、先程まで忘れていたようだ。

「……まったく、仕方ない子ね。アキは」

「と、とばり姉……?」

「ここからは強い人間が弱い人間を踏みつぶす、胸糞悪いお仕事よ。強い人間がどんなものか、見せてあげる。アキには、まだ早いかもしれないけれど」

 そして、とばり姉は言った。イタズラ好きな子供のような言い回しで。

「〝アナタが私に依頼なさい。復讐代行を。アナタが払う報酬は……そうね。宣誓書付きの奴隷が一人、でどうかしら〟?」

 ちらり、と俺の方を振り返る。

 子供のころのような純粋な笑みで、彼女は笑っていた。

「私が代わりに復讐してあげる。――――大丈夫、お姉ちゃんを信じなさい」

 





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