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復讐屋さんの奴隷くん  作者: 志久タクイチ
1/12

復讐屋さんの奴隷くん①

初めまして、志久しくタクイチと申します。前に書いていたものを、虫干し感覚で投稿していこうと思います。よろしくお願いします。

 ――――…………。


 ――――……あのさ、大丈夫? 机、ビチャビチャだけど、カバンも……。


 ――――別に。これぐらいたいしたことじゃないし。所詮バカのお遊びじゃない。


 ――――そっか。その、偉いね。


 ――――……そんなお世辞要らないっての。それより、悪いけど手伝って……。


 ――――ねえ、本当なの? 駅前の本屋で万引きしたって。

 

 ――――……してない。


 ――――嘘。だってもう学校中の噂だよ? 万引きしたくせに結局無罪放免だって。ねえ、正直に言ってよ。万引き、しちゃったんでしょ?


 ――――やってない! 嘘なんかついてない! 私は嵌められたの! 『アイツ』に……! これは冤罪! わかる? それとも何? アンタ私の言うこと信じないの!?


 ――――…………。


 ――――ちょっと、なに黙ってんの? ねえ、なんか言いなさいよ。


 ――――その、実はね、話があるの。


 ――――……?


 ――――その、ごめん。友達からもね、もう関わらない方がいいって言われて……あ、先生にも。だから……。


 ――――……は? アンタ……ちょっと、何言ってんの? なにその顔、やめてよ。


 ――――私も、万引きが常習の人とはちょっと……えと、だから、これからは……。


 ――――っざけたこと抜かすな!! ぶっ殺すよ!?


 ――――っ!? あぐっ、く、苦しっ……。


 ――――あっ……。


 ――――げほっ! う、げほっ! 


 ――――あ、あの……。


 ――――っ! さ、触らないで!


 ――――え……。


 ――――もう嫌、もう知らない! 友達のつもりだったのに! 本当のことは言わないし、困った時はそうやってすぐキレるし!!


 ――――ご、ごめ……でも、でも私は。


 ――――うるさい!! アンタと一緒だと、このままじゃ私までいじめられちゃうじゃない! はっきり言って迷惑なのよ!!


 ――――っ!?


 ――――もう、もう二度と話し掛けてこないで!!


 ――――あっ! ま、待っ……。


 ――――…………。


 ――――……さない。


 ――――許さない! 許さない許さない許さない! クソッ!! 全部、全部あの女のせいじゃない! 全部……!!


 ――――そうよ……あの女が悪いんじゃない。全部、なにもかもアイツのせいで……!!



 ――――いつか、いつか絶対に『復讐』してやる!



❖❖❖



 肩と肩が思いきりぶつかる。

 俺はほとんど反射的に謝ろうとした。が、家路を急いでいたらしく、俺の方を見向きさえせずに、サラリーマン風の男がせかせかと歩き去って行ってしまった。

 思わずため息をこぼす。

 せっかく目的の地に達したというのに、これだけの喧騒じゃ達成感もなにもない。

 もうちょっと早く来れば良かった。この通勤ラッシュにかち合ってしまったことを俺は少し後悔した。

 似たようなスーツ姿の男や、女子高生達、子連れの女性から小学生まで。老若男女問わず大勢が、この駅の中でひしめき合っていた。

 とにかく人の流れに沿うようにして、俺も出口へと向かう。

 決して広くはない通路を、大きいトランクを引っ提げ、行進するかのように進むのは骨だった。人混みに揉まれながらも、なんとか改札を通り抜けた。

 駅前の開けた場所に出て、ようやく一息ついた心地だった。

 目の前には、駅から伸びるように道路が続いており、小振りな店が連なっている。決して大きなモールではないが、外観を凝らした店がお互い寄り添い合うようにしている様子は、今が夕暮れ時なのもあって小綺麗に見えた。

「いらっしゃい、安いよー!」

 甘い匂いにつられ、ふと、すぐそばの屋台で売っているタイ焼きに目が行った。

 濃い人口密度にさらされて、疲れ気味の脳に糖分が欲しかったのか。それとも春初めの冷たい夜風に触れて、温かいものが欲しかったのか。なんにせよ小腹が空き始めていた。

 買おうかどうか少しだけ迷って……やっぱりやめておいた。今度は懐が寒くなってしまう。もう少しだけこらえることにした。

 空はもう薄暗く、駅前のモールに並ぶ店の光がほのかに明るい。すでに人の行き来はまばらなものになりつつあり、駅内にはほんの数分だけ凪の時間が生まれていた。このままボケーっとしていたら、また人の波にさらわれてしまうはずだった。

 さて、俺がここにいるのも、気ままな一人旅とか、傷心旅行とかいう大それたものじゃない。要はただの引っ越しだ。

 両親の海外転勤を聞かされたのは、一か月程前のことだ。正確には親父の海外支社派遣に母さんが付いて行ってしまったのだ。

 母さん曰く、『もう高校生だから親離れするようにしないとね。虎? オオカミだっけ? の子落としっていうでしょ?』との仰せだった。獅子の子落としだ、とツッコめなかったのは、あまりに急な話だったからだろう。

 あれよあれよと話は(勝手に)進み、新学期が始まる春休み中に、色々と準備するべく、ここにやって来たのだ。

 だが正直なところ、親二人のこの取り計らいには俺は感謝していたりもする。付いて行ったところで向こうのハイスクールどころか、日常生活すらままならないはずだ。高校生という微妙な年頃であるということを、なによりも考慮してくれたに違いない。

 そして、こうして結局生まれ育った地を後にしてこの街にやってきたわけだが、見知らぬ土地に降り立ってみて興奮し始めている自分もいた。

 正直こんな子供っぽい感動を覚えるとはまるで思わなくて、自分で自分が意外だった。なんなら『ここが俺の第二の故郷になるのか……悪くない』と意味ありげに空を仰いでもいいくらいだ。まあやらないが。

「それじゃあ、行くか……」

 その言葉につられるように、足を浮かせる。どこか浮足立つような、空腹感も忘れそうな昂揚感が満ちた。

 というのも、もう一つ。二人には感謝してもしきれないようなことがある。

 いくら子の親離れを望む両親も、俺を一人ほったらかすわけにはいかなかったらしい。

俺は親戚の家に預けられることとなったのだ。まあ当然といえば、当然のことだろう。

 ――――一人暮らしじゃなくて残念だっただろうけどな?

 そう親父は言った。その言葉をその時までは、まあね、と俺は軽く受け流していた。

 だが、それだけで話は終わらなかった。

 親父はニヤニヤと笑みを浮かべて、こう続けた。

 ――――あの『とばりお姉ちゃん』が面倒見てくれるんだと。良かったなあ、アキ?

 久代くしろとばり。 

 思い出されるのは、遠い遠い、擦れきった記憶。

 その名前こそがこれからお世話になる我が従姉の名前であり。

 そして、俺が幼いころ、初恋をした女の子の名前でもあった。

「……あ、北口と南口間違えた」

 期待感と同等の不安感を抱きながら、俺はとばり姉の家へ向かった。



❖❖❖



 この舞津岡町は、駅を中心に広がる市街地だ。前述の通り駅周辺には店が多く、生活用品で揃わないものはない、らしい。もっとも、家事の類を全くしない俺にとっては、縁のない話だが。

 駅から一回り遠ざかると、店よりも一軒家や背の低いアパートが目立ち始める。いわゆる住宅街というやつだろう。

 敷地の広い一軒家も少なくなく、何台停める気だとツッコみたくなるような私用駐車スペースや、木製の巨大な門を構える家もあった。    

 おそらくは、自分のステータスを顕示するために作られたものだろう。悪く言ってしまえば、その家人の見栄なのかもしれない。が、それだけに色んな家を見られて、手持無沙汰ではなかった。

「しっかし……遠いな」

 が、かれこれ駅から歩いて三十分以上が経っていた。

 トランクの重さで、そろそろ腕が痺れ始めている。いい加減、えっちらおっちらと歩くのもうんざりしていた。

 この荷物が無けりゃいいのに、なんて意味の無い思考が堂々巡りをしていた。

「地図は間違いないはずだけど……縮尺見間違えたかな。結構歩いてるのにまだ着かないのか……」

 それにしたって、ここまでの距離なら案内だけでもしてくれたら良かったのに。結局向こうから俺への音沙汰は一度もなかった。

 この地図も、母さんから場所を聞いて俺が作ったものだった。こうなると、俺を受け入れてくれるという話が本当だったのかさえ怪しい。

 あるいは、向こうは俺の訪問にあまり乗り気じゃない、とか……。

 まさか、とばり姉も……?

 思わず生唾を飲み込んだ。少し不安になってくる。

 ありえるかもしれない。もしそうだとしたら、せめて追い出されないようにだけは振る舞わないと……。

 燃えるような夕焼け色の空にも、侵食するようにじわり、じわりと黒い濃淡が迫った頃だった。

「あ……」

 ふと地図から目を上げた先に、その家はあった。何の迷いもなく、あれだと分かった。

 立派な家だ。まるで外国のお屋敷か、はたまた洋館か。敷地も驚くほど広い。

 だが、ただそれだけだ。

 この辺りの家のような、きらびやかな装飾は一切ない。敷地が広いだけに、必要じゃないもの以外のすべてを削ぎ落としているようで、酷く殺風景に見えた。

「ここに……とばり姉がいるのか」

 ともかく、第一印象でポカをやらかすわけにはいかない。浅く呼吸して、息を整える。

 追い出される……ということはまず無いとして。ここでこれから先の生活の居心地が決まるといっても過言じゃないはず。ここでアクションを起こさないと。

 ていうか、そもそも俺、こんな普通の服でいいんだろうか。場違いじゃないか?

「もしかして、この家ノーネクタイ禁止とかじゃないよな……」

 タキシードを着こなし、蝶ネクタイを結んでから颯爽と来るべきだったんじゃないか?家はかなり立派だし、家族全員ドレスで晩餐会なんて歓迎っぷりだったとしても、それはそれで困る。俺一人貧相なポロシャツで場から浮く光景は想像しただけで胃に来る。

 ああだこうだと、他人の家の門前でうじうじと俺が悩んでいた時だった。


 突然、久代家のドアが勢いよく開かれたのが目の端に見えた。


 次の瞬間、その大きい開閉音に、思わず俺は飛び上がった。音の聞こえる方――その玄関先に目を移した。

中から漏れ出る怒号。そしてすぐに人らしい影が、後ろ向きに倒れながら飛び出てきた。

さらにその人影は何かを喚き散らす。が、俺のところまでは遠すぎてよく聞こえない。『よくも騙したな』とだけわずかに聞き取れた。

「男のくせにビービーと、じゃかしいんじゃいワレェ‼」

 さらに野太く、それでいて地が震えるような声が響いた。先に姿を見せた男よりもはるかにガタイがいい。ここからでもわかるほど筋骨隆々な手が、男の身体を軽々と持ち上げる。男が悲鳴を上げても全く意に介す様子はなく、そのまま門の方まで――つまり俺のところまでやってきた。

「あー、喚くなうるさい! あとで話は聞いてやるから……おっ?」

 そして当然、俺と目を合わせた。

 俺はいたって平均的な体つきだが、この巨漢と比べれば暗室で育ってきたもやしだ。とにかくごつい。ありとあらゆる筋肉が俺のそれを凌駕していた。もし彼からプロレスを挑まれたら、まず遺書を書く準備から始めるだろう。

 つまり……『ヤ』の付く仕事を生業としたお兄さんである。

 しばらく仏頂面で俺を見つめていた大男だったが、何をどう思ったのか、にいっ、と大きな口が歪んだように形を変えた。この男なりに笑ったのかもしれない。

「おう、坊主。お客さんか? みっともねえとこ見せてすまねえな」

「きゃ、客……?」

「悪いが俺はそういう細けえやりとりはさっぱりでな。『依頼』なら久代に直接言いな」

 久代。その言葉に胸が高鳴った。この男の口から、とばり姉の苗字を聞けるとは。今だけ、男の風貌のこともすっかり頭から抜け落ちた。

 詳しく聞こうとする前に、抱えられている金髪の男が俺に向けて口を開く。そこそこ整っている彼の顔も、今は恐怖で歪み、その声は裏返っていた。

「ひ、ひっ、お、お前、止めといた方が身のためだぞ‼ あいつはクズだ! 依頼人の俺を貶めやがった! ふざけやがって……あんなキチガイ女見たことねえ!」

「テメエ、久代を馬鹿にしてんのかコラァ‼ 営業妨害じゃろうが! 今から事務所行くか、ああん⁉」

「ひっ……」

 じたばたともがく男を抑えながら、大男が吠える。が、それでも必死で叫びながら、男は暴れ続けた。が、それだけではびくともしない。

 まさに、まな板の鯉という言葉が的確なその様子を、ただ呆然と見ているだけだった。


「五月蝿いわね。まだ追い払ってなかったの?」


 涼しげな、まるで鈴の音を鳴らしたかのように透き通る声が響いた。

 そのたった一言で、男二人の挙動が一瞬止まる。

 俺も地面に縫い付けられたかのように、動けなかった。

〝その声に、聞き覚えがあったから〟。

美島みしま、早くソレを連れて行きなさい。それとも、『こんなこと』で鷹取たかとり西郷さいごうが必要なほどアナタは無能だったかしら?」

『彼女』は、ワンピースとゴシックロリータの中間のようなドレスを身にまとっていた。ほっそりと伸びるニーソックスや、裾が長いスカートに至るまで、全てが白い。

 生地であるレースも、まるで純白の翼を模したかのようで、自身の肌色もあってかよく映えている。

 そんな中、頭には何故か大きな赤リボンが結えてあり、その端は耳横まで垂れていた。彼女の短めの黒髪が、すっぽりと隠れてしまっているほどだ。思わず、昔ドキュメンタリー番組で見た、巨大なラフレシアの花弁を彷彿とさせた。

 まるで西洋の人形のようだった。その姿は、絵本の中からそのまま現れたかのように現実味が無い。

 いつの間にいたのだろう。どうして今まで気付かなかったのだろう。

 すぐそこに、俺が知る少女――とばり姉がいたというのに。

 あの頃と、まるで変わらない。とうとう会えた喜び、そして懐かしさが去来する。自然と笑みがこぼれた。

 今まさに、とばり姉に声をかけようとして――――。

「あ、ああ。いや、大丈夫じゃ。すぐコイツ捨てて来るんで」

 美島と呼ばれた男が、俺よりもずっと華奢な身体つきの少女に、あからさまに狼狽している。平身平頭、といった感じだ。

「そう。近所迷惑だから、手早くね。私も忙しいから、気が散っちゃうと困るのよ。困りすぎて、ついそばにいる誰かさんにも八つ当たりしちゃうかも……」

「……そ、そうじゃ。そうじゃな! すまねえ! 久代を困らせるわけにゃ、いかんよな、うん」

「美島は物わかりが良くて助かるわ……ふふふ」

 ……あれ?

 なんだ、その上下関係のような雰囲気。まるで、というより見た感じ、その美島という男の上司のような立ち居振る舞いなのだが……。

「それと……」

 淡々と、淀みなくとばり姉が喋っていた時だった。

「く、久代おおおおおお‼」

 思い出したかのように、美島に抱えられている男が再び叫んだ。

「てめっ、てめえのせいで‼ このクソ女がああああああ‼」

「……私のせいで、何? 『依頼』は完璧にこなしたはずだけれど」

「ふっざけんな! お前の、お前のせいだろうがあああああ!」

 めちゃくちゃに悪態を喚き散らす男の言葉からは、まったく状況が呑み込めない。

 ただ黙っていると、とばり姉の口からとんでもないことが飛び出した。

「『恋人に飽きたから、都合良く別れる理由を作ってくれ』という依頼だったでしょ? 〝だから浮気した女とお楽しみ中の画像を、公衆の面前で晒しただけじゃない〟。ね? 体の良い理由でしょ? だって、相手の方から別れてくれたんだから」

「ふざけんな! こんなもん、立派なめい、名誉……なんとかじゃねえか‼」

「名誉毀損。うふふ、今更ね。アナタはそうされるだけの輝かしい経歴があるじゃない。忘れたの?」

「そ、それは……じ、時効だろ」

「あら、アナタがそう言っても、私は覚えているわよ? 今回の件含めて計三回分の依頼料を踏み倒していることもね」

 その言葉に、男は何も言えずにもごもごと口だけを動かす。

 ……そして、この場の状況にまったくついていけない俺。情けないことに、まるで口を出せそうになかった。

 思い出の中の優しいとばり姉。今俺の目の前にいるとばり姉。昔、優しい言葉をくれたとばり姉。

 そして今、嗜虐的な皮肉を思う存分ぶつけていくとばり姉。

 同一人物とは思えない。いや、思いたくない。

 時間が生み出した残酷なショックに、今はそれどころじゃなかった。

「ああ、そうだわ。それにね……」

 ニンマリと、口角を吊り上げてとばり姉は笑う。

 それは獲物を前に、垂涎を垂らす蛇のような笑みだった。

「実は今までの依頼の被害者達……アナタの『元恋人達』ね、彼女達からも依頼を受けていたの。アナタに復讐して、とびっきりの恥をかかせたい、ってね。で、ちょうど良いからまとめて終わらせちゃったわ。所詮その程度よ、あなたの依頼の価値なんて」

「あ、あいつらか‼ あいつらかよぉ⁉」

「アナタが時効だとのたまっても、アナタがやったことを忘れない人間の方が多いってことかしらね」

 ――――俺はとばり姉のことを色々と知らないらしい。

 とばり姉があんなガチムチな大男を、従順な犬男にして携えていたなんて知らない。

 とばり姉がこんな嗜虐的な、ドSチックな物言いをするなんて知らない。

 一体今何をしているのかも、どういう状況なのかもさっぱりだ。

 何が悪いのかも、どちらの言い分が正しいのかも、今の俺にはもう分からない。手放しでとばり姉を擁護するには、あまりにも彼女は、俺の想像を斜め上に突き抜けてしまっていたから。


「なんなら今から、学校の人間全員にアナタの恥部を全部見てもらおうかしら? ああでも、もし自殺したくなったら、私のよそでやって頂戴ね?」


 俺の淡く、色褪せかけながらも大事に残っていた思い出は、ここで崩れ去った。

「て、てめっ……殺す! ぶっ殺してやる! お、おおおあああああああああああああああああああ!!」

「あまり私に時間を取らせないで、クズが。美島」

「あいよ。ほら色男、ちょっとお兄さん達と『優しく』お話するからの。大丈夫じゃ、病院には行かんで済むじゃろ」

「ひっ、離せ! い、嫌だ、嫌だあああああああああっ!!」

 いくら喚いても、叫んでも、美島の足取りは緩まず、ずんずんとこの場を後にした。途中、金髪男の悲鳴が不自然に途切れた。今頃彼の肺は大きな拳に襲われ、絶賛酸欠中になっていることだろう。そのことを理解してしまう自分が嫌になった。

「さてと。悪かったわね、何だか込み入ってて」

 その声が俺に向けられているのに気付いたのは、彼女が覗き込むようにして俺の目の前に近づいた時だった。

七原空希ななはらあき、だったわよね。そうでしょう?」

 俺の反応が無いことが気に入らなかったのか、訝しげな表情を浮かべていた。

「え、あ……ああ、そうだけど」

 言って、一応考えてきた挨拶とか台詞を言い逃したことに気付いた。そのせいで、とばり姉にはしどろもどろに見えていただろう。

「ふうん、何だか根暗そうね。私よりも髪も長いし。アナタ、さては口下手ね?」

 何だか酷いことを言われている気がする。

 完全にフリーズして固まったままの俺を見やり、とばり姉は続ける。

「……つまらないわね。それとも、こんなお迎えの方が良かった?」

「え……?」 

 そう言い置いてから、舞台役者のように大げさな動きで振り返る。そして片足を引き、スカートの裾をつまむ。白いスカートが翼のように広がった。深々と、とばり姉の頭が垂れた。

 カーテシーと呼ばれる作法らしい。どこかのテレビ番組で聞いたことがあった。

 それはさながら、どこかのご令嬢のような恐ろしいほど完璧な仕草で、さきほどの冷熱なやり取りが、まるで嘘のようだった。

「いらっしゃい、アキ。ようこそ、私の家へ……なんてね」

そして、とばり姉は俺に微笑みかけた。

 ……その笑みがまぶしくて、何だかズルいな、と思ってしまうのだった。






毎日午後十八時更新です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。


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