2.まずは天才型を出します
時が経つのは早いもので、やりたいことをやりきれないうちに合同練習の日を迎えてしまった。予定では今日、土曜日の午後に一試合、明日、日曜日の午後にさらにもう一試合練習試合をすることになっている。たった二日の合同練習だが、初の対外試合であり得るものは多いはずだ。
しかし投手の練習を始めて一ヶ月の芽衣子、夏帆に連投、あるいは完投させるのは酷なので、智之は相手の許可をもらって一試合は自分が投げる腹積もりでいた。洞峰高校側にはすでに通達していて、智之が投げる試合はもし勝っても廃部を免れる条件である一勝にはカウントしないことになっている。
智之は中村先生とともに一足先にグラウンドで練習を始めている相手チームの監督に挨拶に伺う。相手チームである新潟揚北高校の新発田監督は気のいいおじさんといった感じの小柄な中年男で、ベンチからグラウンドで練習する20人ほどの選手たちを見守っていた。
「今日はよろしくお願いします」
智之と中村先生は帽子を取って挨拶し、新発田監督は「いえいえ、こちらこそ」とにこやかに挨拶を返す。
すぐに今日明日の予定を確認して打ち合わせを開始する。総勢で30人ほどが団体行動するのだ。打ち合わせはいくらやっても足りない。中村先生は途中で抜けて昼食を頼んだ業者の相手に向かい、主に練習について智之と新発田監督で話をする。
話題が練習試合のことに及ぶと、智之はすかさず言った。
「今日の練習試合は俺が投げてもいいですか? うちの投手たちは経験が少ないから無理させたくなくて……」
「あれ? そちらのチームには元流山シニアの武星七菜がいるんじゃなかったっけ?」
新発田監督は首を傾げ、智之は説明する。
「故障明けで、保護者が無理をさせないでくれと言うので」
「そうか……。速い球を投げると、それだけ体に負担が掛かるからね。その判断は正しいよ。ときには選手が無理したがるのを止めるのも我々の仕事だと、君も覚えておきなさい」
「はい、肝に銘じておきます!」
智之は新発田監督の言葉を胸に刻み込む。
やはり選手としては重要な大会なら、自分の将来がどうなっても試合に出たいと思うものだ。甲子園などではしばしばそれは美談となる。故障を押して出る選手も、それを認める指導者も、それに感動する観客も全否定はできない。しかし学生野球の場合、無事に選手を次のステップに送り出すのも指導者の仕事だろうと智之は考える。理想論だが、理想なしに指導などできない。
智之は改めて自分の責任の重さを感じた。
新発田監督は話を智之の登板の件に戻す。
「それで……君が投げるんだったね。君自身の故障は大丈夫なの?」
「俺のこと、知ってるんですか……?」
智之は驚きながら尋ね、新発田監督は答える。
「シニア時代の君は、メジャーリーガー城和田の息子で妹とバッテリーを組んでいるって、有名だったからね。それで故障は、大丈夫なの?」
智之は恐縮しながらも言った。
「いえ、そんな……。まあ、普通に投げられるくらいにはなってます」
リハビリはちょうど、昨年度末に終わったところだった。全く投球の感覚は戻っていないが、すでに何度か打撃投手で登板して、調整はしてある。相手は一年生の女子だ。試合を成立させる程度には投げられるだろう。
智之の解答を聞いて、新発田監督は快く了承してくれた。
「そういうことなら、喜んで。サイドスローは珍しいから、うちの子たちに是非経験させたい。ただうちの子たちじゃシンカーを混ぜられるとちょっと手が出ないだろうから、シンカーは投げないでね」
「わかりました」
「さて、そろそろ時間だけど……」
新発田監督は時計を見る。そろそろうちのチームもグラウンドに出てくるはずの時間だった。集団行動が基本の野球で、遅刻とは恥ずかしい。甚だ不本意だが今後は風紀についても厳しく言っておかなければなるまい。慌てて智之は言った。
「ちょっと様子を見てきます!」
智之は走って部室を目指した。
○
「へ~、七菜ちゃんは流山だったんだ! じゃあ私と対戦したことあるよね! 全然気付かなかった! 今思えば七菜ちゃんいたよ! 七菜ちゃんのフォームに見覚えあるから!」
着替えながら七菜の中学時代の話を聞き、つぐみはそう声を上げた。今は部室で着替え中だ。ユニホームは試合で一勝を挙げてから作ることになっているため、体操服に着替えるだけである。体操服で登校した部員もいたが、七菜やつぐみは制服で来ていたので着替えが必要だった。
七菜は中学時代、兄の孝太郎が所属していたシニアのチームに入っていた。つぐみのチームはすぐ近くだったため、実は何度も対戦がある。七菜は恥ずかしそうに説明する。
「私、髪が短かったから……」
そう言いながら七菜は上着を脱いで、下着姿になった。外気で肌がひんやりとした。
中学時代の七菜は女子にしては背が高かったし、目深に帽子を被ると顔もほとんど見えない。その上短髪だったため、よく男子に間違えられていたものだ。
シニアに凄い女子がいると一部では知られていたものの、メジャーリーガーの娘で下級生の頃から試合に出場しメディアでの露出もあったつぐみの方がずっと有名で、七菜はほとんど注目されてこなかった。相手チームも七菜を男と思い込んでいた者がほとんどだった。
引退してから、兄の孝太郎に「少しは女の子らしくしてみたらどうだ」なんて言われて髪を伸ばし始めたのだが、未だに首筋に髪がまとわりつく感じに慣れない。孝太郎も「女の子らしく」なんて言うんだったら、七菜が男の子と話しているのを見る度に邪魔しに来るのをやめてほしい。
ちなみに運動するときは後ろでポニーテイル風に纏めることにしていて、今七菜はポニーテイルである。
七菜が下着姿になったのを見て、同じく下着姿の美冬が大袈裟によろける。
「――クッ、その戦闘力……! お主、もしや隠れ巨乳か……!」
「み、見ないでください……」
七菜は顔を赤くしながら胸を隠した。服を着るとそこまで目立たないのだけれども、こうして下着姿になると、その大きさが白日の下に晒されてしまう。ピッチングの邪魔になりそうで正直嫌なのだが、女の子でも胸の大きさに価値を置く人はいた。
「美冬、失礼ですわよ」
そう言いながら夏帆も七菜の胸に注目して、己の胸に手をやって口を尖らせる。夏帆も美冬も、胸は体格相応に小さかった。ひょっとしたら七菜が羨ましいのかもしれないが、大きければ肩は凝るしブラが見つからないしと、それはそれで苦労する。けれどもそれを主張する勇気は七菜にはなかった。
「本当だ! 大きい!」
七菜の正面のつぐみも感嘆の声を上げる。つぐみの胸は小さいわけではないけど、大きいとも言えなかった。どちらかというと程よく筋肉がついて均整がとれたその体に、男の子なら注目すると思う。つぐみに比べれば、七菜の体は全く華奢に見える。智之も七菜はまず、自分の速球に負けない体を作らなければならないと言っていた。
「どれどれ、おじさんにも見せてみなさい! おお、これは大きいね!」
長袖体操服姿の芽衣子までつぐみの後ろから七菜の胸を覗き込んでくる。芽衣子は七菜より身長は大きいけれど、胸は小さい。服の上からだと全然わからないくらいだ。芽衣子は七菜より体も細くて、ちょっとうらやましい。智之はいつも芽衣子に「もっと肉を付けろ」と言っているけれども。
「そんな大したことないですよ……」
と七菜は言ってみるが、誰も追及の手を緩めてはくれない。つぐみが訊いてくる。
「何食べたらそんなに大きくなるの? 何カップくらいなの?」
答えないとこの話題が終わらない気がしたので七菜は答えた。
「食べ物は普通だと思います……。Dカップです……」
「D! すごいね! Dだってみんな!」
つぐみははしゃぎ、七菜は困って作り笑いを浮かべた。こんなときにどんな顔をすればいいかわからない。
「そろそろ時間だから急いだ方がいいよ」
とうの昔に着替え終えていたカオルが皆を諫めるように言った。しかし皆の暴走は止まらない。
「カオルちゃんはどうなの?」
つぐみがサッとカオルの前に移動して、胸を触る。まるで触られているのに気付いていないかのように、カオルはボォッとしたまま為すに任せていた。
やがてつぐみは声を上げる。
「七菜ちゃんほどじゃないけど……結構大きい! Cくらい!」
「へぇ~背が高いとやっぱり大きいんだね」
感心したように芽衣子が言って、夏帆がぼそりと「芽衣子さんも、身長はあるではないですか……」と言った。
七菜はカオルに訊く。
「あの……触られて平気なんですか?」
カオルはピクリとも表情を変えずに答えた。
「同性なんだから何も感じないよ」
「じゃあ男子だったら感じるんだね?」
にやりと芽衣子が笑って尋ねる。カオルは慌てたように言う。
「し、知らないよそんなこと!」
「カオルは初心だねぇ~! そういうところもかわいいよ」
芽衣子はカオルの頭を撫でて、カオルは顔を真っ赤にした。
ガールズトークの喧噪の中で、ドアをノックする音が響く。即座につぐみがドアの方に向かった。
○
部室棟は智之たちが普段使っている校舎裏の第二グラウンドからは少し距離があって、校舎の表の大グラウンドの脇にあった。女子野球部の部室は部室棟の二階にある。智之は部室棟の階段を駆け上がり、女子野球部部室の前まで来る。部室からは大勢の女子が騒ぐ声が聞こえていた。どうやらお喋りに夢中になって遅れているらしい。
智之が女で教師なら部室に怒鳴りこんでいったかもしれないが、智之は女でも教師でもない。智之は一度深呼吸して心を落ち着かせてから、部室のドアをノックした。すぐにドアが開く。
「はいは~い! 何ですか~!」
「おまえら遅……」
ドアを開けて飛び出してきたつぐみを見て、智之は絶句する。つぐみが服を着ていなかったのだ。視線を上げると、目に映ったのはつぐみと同じく下着姿の部員たちだった。妹の下着姿なら何も感じないが、他の部員は別だ。慌てて智之は目を逸らそうとする。
「ギャーッ! 兄さんのエッチ!」
つぐみがアッパー気味に拳を突き出し、智之はたまらずノックアウトされて背後の手すりに頭をぶつける。したたかに後頭部を打った智之は頭が揺れて立ち上がれない。仰天して部室から七菜が飛び出してくる。
「つ、つぐみちゃんやり過ぎ! 大丈夫ですか、監督!」
「あ、ああ……」
七菜に助け起こされ、智之はのろのろと頭を上げた。妙に柔らかい感触がする。智之は下着姿の七菜に膝枕されるような形になっていて、智之の顔に七菜の大きな胸が当たっていた。こいつ、こんなに胸が大きかったのか……! びっくりする間もなく、七菜は自分が智之に下着姿で胸を当てているという事実に気付く。
「あ、う、これは、その……! 違うんです! 違うんですぅ~!」
智之の顔に七菜の拳がめり込み、智之は目を回す。拳と床で頭をサンドイッチにするという殺人拳である。おまえら野球じゃなくて格闘技やった方がいいんじゃないのか……。七菜は顔を押さえて部室に飛び込んでいった。
「ふ、不幸だ……」
どこかの幻想殺し(イマジンブレイカー)のようなことを口走りながら、智之はコテンと頭を倒した。
その後ちゃんと着替えて出てきた部員たちに智之は介抱され、何とかグラウンドに戻った。すぐに合同練習は始まり、智之も打撃投手をやったり初心者組に基礎を教え直したりと、忙しく動き回る。
昼食休憩を経て午後の練習をこなし、最後が練習試合だ。智之はベンチ前に部員を集めて試合前の最後のミーティングをする。グラウンドでは新潟揚北高校が試合前のシートノックをしているところだ。相手も新設校なので一年生だけだが、これまでの練習の様子を見る限りは未経験者ゼロである。芽衣子ほどの体格の持ち主やつぐみほどの身体能力の持ち主はいないようだが、総合力は明らかに向こうが上だ。
「あっちも動きがいいな……。スカウトとかしてんのかな……?」
男子の高校野球だとスカウト活動は当たり前だが、女子ではどうなのだろう。スカウトもなしにこれだけのメンバーを集められたのだろうか。
智之が口にした疑問に、つぐみが答えた。
「してると思うよ。私誘われたし」
芽衣子もつぐみに続ける。
「そういえば私の所にも来たね。行かなかったけど」
「なんでおまえら、そっちに行かなかったんだよ……」
「え? やっぱ、地元でやりたかったし?」
あきれ気味に智之が尋ねると、そう言ってつぐみは笑った。芽衣子も、「そのときにはすでにつぐみの計画聞いてたからねえ」と笑った。
「……まあいい。スターティングオーダーを発表する。まず一番……」
「はいは~い! 私、四番がいい!」
智之が言おうとする前につぐみが手を挙げて発言した。智之はやれやれと頭を掻いた。
「わかってんよ。黙って聞け」
1(遊)洗居場夏帆
2(二)洗居場美冬
3(一)貴良芽衣子
4(捕)城和田つぐみ
5(指)香取千景
6(三)村中カオル
7(左)呂瑞季
8(中)森谷百合
9(右)牧原京香
(投)城和田智之
(控え)武星七菜
女子野球では投手が打席に入らず、代わりに指名打者を入れることが許可されていた。芽衣子や夏帆が投手なら指名打者は使わないが、男子の智之が打席に入るのはさすがにアンフェアだろう。特に捻ったわけではなく、中学時代のソフトボール部でもレギュラーだった夏帆、美冬を一、二番に、硬式野球経験者で打力のある芽衣子、つぐみを三、四番に置いて五番以降は打力順というオーソドックスなオーダーである。
「え、兄さんが投げるの?」
つぐみが尋ねる。智之はうなずいた。
「ああ、このチームの初試合だからな。みんな正規のポジションでまずは気持ちよく試合してくれ」
智之が投げて勝っても女子野球部存続の条件である一勝には勘定しない条件だったが、いきなり勝てるとも思えない。練習ではよくても、試合となると力を発揮できない選手もいるだろう。まずはこの試合で自軍の戦力を見極める。
第二捕手の千景を外野に入れてもよかったが、外野の未経験者組にも守備を経験してほしかった。試合の緊張感を知れば上達も早くなるだろう。
「よ~しみんな、がんばって勝とうね!」
つぐみの掛け声に部員全員が「オーッ!」と気勢を上げる。やる気は充分だ。問題はどこまで通用するかである。
やがて相手の練習時間も終わり、試合が始まった。こちらが後攻だったので、智之はマウンドに昇る。試合で投げるのは約一年半ぶりだ。
智之は相手打者が打席に入ると、初球のストレートを外角に投げる。智之はサイドスローで、相手は右打者だったので外角球は斜めに入るクロスファイアとなって打ちづらい。相手は見送り、審判はストライクを宣告した。智之の調子は上々だ。
第二球に捕手のつぐみは内角へのシュートを要求してきた。こんな早くから変化球を使うとは、つぐみは初試合で勝つ気満々らしい。智之は要求通りに放ってやる。相手打者は振ってくるが、内に食い込むシュートで芯をはずされ、ボールは力なくショートの守備範囲に転がる。夏帆が前進して捕球し、ファーストの芽衣子に送球する。
「芽衣子さん!」
矢のようなストライク送球で芽衣子のファーストミットにボールは収まった。打球が弱かったため内野安打になるのではないかと心配したが、夏帆は女子としては肩が強い。まずはワンナウトだ。
同じように二番打者もシュートを打たせる。二番打者はやや待ち気味に構えていたので今度はセカンドに転がった。
「──この程度の打球、私には止まって……」
美冬のボールを捕りに行く動きはかなり身についていて、流れるように送球に移ろうとする。しかしここで一瞬美冬の動きが乱れた。ソフトとはボールが違うので、グラブの中でボールを握り損ねたのだ。ソフトボールからの転向組も、硬球に切り替えてからまだ一ヶ月だ。このようなミスはよくあることだった。
「──クッ、静まれ私の右手!」
美冬は何やら叫びながら送球するが、ストライク送球にはならなかった。ボールはかなり一塁から逸れてしまった上に、ボールは一塁まで届かず、地面をバウンドする。
野球とソフトボールではピッチャーの投げ方やボールなど、様々な相違点があるが、守備において特に違いが大きいのは塁間の距離だ。ソフトボールでは塁間の距離が野球の2/3ほどしかなく、野球に比べて内野が狭い。美冬はまだ野球の塁間に慣れておらず、うまく送球できなかったのだ。
ここで芽衣子の出番である。
「オーケーオーケー! 捕れるよ!」
芽衣子は一塁に足をつけたまま体を伸ばして捕球した。
(芽衣子に助けられたな……)
芽衣子は体格が大きく手足も長いため、ボールが逸れても手が届いてしまう。このファースト守備でシニア時代に智之は随分芽衣子に助けられた。芽衣子は男子と比べてもファーストの名手であり、ファーストの守備固めとして試合に出ていたのである。
ほとんど打球は来ないし、他に送球する機会もあまりないため楽なポジションだと言われるファーストだが、ファーストがしっかりしていると守りは安定する。内野手のエラーのほとんどは送球ミスなので、ファーストがフォローできれば内野はかなり堅牢になるのだ。
三番打者は智之が直球のみで押し切って三振をとり、攻守交代である。
元気よく挨拶して一番打者の夏帆が右打席に入った。バットを構え、相手の投球を待つ。夏帆はどちらかというと慎重な打撃をするタイプだ。
まずは初球のストレートを夏帆は見送る。相手はオーソドックスな右のオーバースローだった。球速は100キロに届くか届かないかといったところだろう。肩ができればもう少し上がるかもしれない。
パワーはなくても、夏帆はヒットの打ち方を知っていた。二球目のボールを見送った夏帆は三球目の甘く内角に入った変化球を引っ張り、三遊間をゴロで抜く。智之たちのいるベンチから歓声が上がる。幸先のいいスタートだ。
「バントとかはしないんですか?」
ベンチで智之の隣に座っていた牧原京香が訊いてくる。京香は未経験者組で、つぐみより二回りくらい小さい、小柄なかわいらしい女の子だ。送球だけはまともだったのでライトに入ってもらっている。智之は京香に答えた。
「今日は好きに打たせる。その方が性格がわかっておもしろいだろ?」
「ほんと!? じゃ、うち、思いっきり振り回しちゃお!」
八重歯で色黒の森谷百合が歯を出して笑った。外野三人組の中で一番運動神経がある百合はセンターだ。笑う百合をたしなめるように瑞季は言う。
「チームワーク、大事ヨ。日本人の心、自己犠牲ネ」
レフトの瑞季は中国からの留学生だった。北京五輪でたまたま野球を見て、日本といえば野球! ということで入部してきたらしい。春からバッティングセンターに通っていたとかで、外野三人組の中で打撃は頭一つ抜けている。
瑞季の偏った日本人感に苦笑して智之は言った。
「積極的に行った方がいいケースだってあるんだぜ。今みたいにいきなり打たれて相手の投手がテンパっているときとかな」
続いて打席に入ったのは美冬だった。美冬は不敵な笑みを浮かべ、前足を小刻みに動かしてタイミングをとる。夏帆とは対照的に、美冬は初球から手を出した。
「──戦闘レベル、ターゲット確認……! 排除開始!」
美冬は何やら叫びながらバットをフルスイングする。美冬はいつもこうなのだ。注意しても直らないので智之は諦めている。
叫んでいたせいでタイミングがやや遅れているが、美冬は真芯でボールを捉えていた。結果として美冬の打球は見事な流し打ちになり、一塁手の頭を越えてライト前に落ちた。すごいのかすごくないのかよくわからん。
ライトが捕球するが、少し送球にもたつく。その間に夏帆は二塁を回って三塁に到達し、ランナー一、三塁となる。夏帆は走塁も隙がない。
「ナイスバッティン! 美冬ちゃんいいよ~!」
つぐみがベンチで一際大きな声を上げつつ、ネクストバッターサークルに行く準備をする。クリーンナップの前にランナーを溜めることができた。相手のピッチャーはいきなり打たれて動揺している。ここで一気に得点したいというところで、芽衣子の打順だ。
芽衣子が打席に立つ。普通の位置に立つと、窮屈すぎてバットが振れないため、ベースからやや離れた独特の位置取りである。芽衣子としてはこの位置でもまだバットを振り辛いらしく、内角はさっぱり打てない。逆にのびのびバットを振ることのできる外角なら、ガンガン芽衣子はボールを飛ばせる。
バットを構える芽衣子を見て、相手は内外野ともに後退した。芽衣子の体格を見て、長打を警戒しているのだ。しかし、芽衣子にはこのシフトをさらに超えてボールを飛ばせるだけの力がある。
初球、甘いストレートを芽衣子は打ち損じてファールにする。これからロシアンルーレットに挑戦するのかというくらい、緊張した面持ちで芽衣子はバッターボックスをはずし、二、三回バットを振る。動作がかなりぎこちない。
(……あのバカ!)
ベンチで智之は内心舌打ちした。この女は昔からそうだ。プレッシャーがかかると無駄に力んで自分のバッテイングができなくなるのである。
しかしここで打ってもらわないと、芽衣子を三番に置いた意味がない。次の回に何点とられるかわからないのだ。智之は祈るような気持ちで芽衣子の打席を見守る。
芽衣子は二球目もファールして追い込まれるが、なんとか三球目の外角へのストレートを振り切ってライト方向に飛ばし、犠牲フライとなった。相手は芽衣子がベースから離れて立っていたため、外角を打てないと判断したのだろう。実態は逆である。相手の勘違いに助けられた。
芽衣子が最低限の仕事を果たし、まずは一点目だ。一塁にいた美冬もすかさずタッチアップして二塁を目指し、危ないタイミングだったがスライディングでセーフとなった。美冬は走塁も積極的らしい。
チーム初打点にベンチは盛り上がり、芽衣子は皆とハイタッチしながらベンチに戻る。まばらだが拍手も起きていて、何事かと智之が周囲を見回すと、近所の人だろうか、数人がフェンス越しに試合を覗いていた。
「ナイスバッティング!」
フェンス越しの観客から一際野太い声が響く。見れば仏頂面で孝太郎が立っていて、拍手していた。あいつは何しに来てるんだ。監視のつもりか。
一死二塁。まだまだチャンスである。満を持して四番、つぐみの登場だ。つぐみはバットを揺らして相手投手を威嚇する。
点をとられたばかりで地に足の着いていない相手は変化球から入るが、やはり甘く入ってしまう。つぐみはギリギリまで緩い球を引きつけ、豪快にフルスイングした。打球は一塁の頭を越えてライト線を転がる。美冬は一気に本塁へ生還し、ライトがバックホームの大暴投をしている間につぐみも快足を飛ばして三塁を陥れる。二点目で、一死三塁。
次のバッターは千景だった。普段大人しく目立たない彼女だが、打撃練習ではそこそこヒット性の当たりを出して、経験者の貫禄を見せていた。さて、どんな打撃をするだろうかと智之が注目していると、千景は打席に入る前にちらちらとベンチを見てくる。どうやら智之にサインを出してほしいらしい。
(しゃーねーな)
智之は千景と走者のつぐみにサインを出す。つぐみはにやりと笑い、千景は何食わぬ顔で打席に入る。
五番打者の千景への初球だった。三塁のつぐみがスタートし、千景はバントの構えをとる。智之はスクイズのサインを出していたのだ。
千景はボールを投手の前に転がしてつぐみはその間にホームイン、千景は捕球した投手の一塁送球が間に合ってアウトとなるが、点は入った。これで三点である。
次打者のカオルは三振に終わりスリーアウトだ。しかし一回で三点というのは大きい。このままリードを保って勝利したいところだ。
だが夢を見られたのは一回裏までだった。次の二回表、揚北高校の攻撃で智之は頭を抱えることになる。
まず先頭打者の四番は智之の初球を基本通りにセンター返しする。打球は二遊間を抜けて転がるが、なんとフォローしにいったセンターの百合の股下まで通過してしまう。焦って前に出過ぎてしまい、グラブでボールを拾えなかったのだ。
慌ててライトの京香がボールを追うが、返球は間に合わず打者走者はホームインしていた。一球で一点を返された。智之はショックで呆然とする。
気を取り直して迎えた五番打者は智之のシュートを打ち上げて平凡なレフトフライに終わるはずが、瑞季が目測を誤る。ボールは瑞季の後方に落ちて、アウトにはならない。幸いすぐに瑞季はボールを拾ったためランナーは一塁で止まったが、先が思いやられる展開である。
外野の未経験者組も、背走は怪しくても練習では自分の前に落ちるボールなら何とか捕れるくらいにはなっていた。初めての試合で緊張しているのだ。
「ピッチャー情けないぞ! 三振狙え三振!」
グラウンドの外から孝太郎が声を張り上げる。智之は新発田監督の要請で、本来の決め球であるシンカーを封印中だ。智之はシンカー以外に空振りさせられる球種がないため、三振を狙うのは難しい。帰ってくれないかな……。
もはや完全にこちらのチームの弱点は露見していた。相手チームは外野狙いでどんどん振り回すようになる。智之は苦労しながらも三振をとって何とか追加点をとられず二死に持ち込むが、ランナーは満塁となっていた。
打順は一回りして一番打者に戻り、智之は内野に打たせようと低めにシュートを投げる。相手はシュートを読んでいたらしく芯で捉え、ボールは快音残してライトへ飛ぶ。しかし正面だ。ライトが捕ってくれればスリーアウトである。
当然のように、ライトの京香はボールを抜かした。京香はショックで顔を押さえて座り込み、打者も含めてランナーは全員生還。5─3と逆転された。智之が座り込みたい気分だった。
その後は散々だった。敵はあからさまな外野狙いをやめず、内野の夏帆と美冬が深く守り、遠くまでボールを追うようになる。当然試合中盤で二人は疲れ切り、内野もミスを連発、三振以外でほとんどアウトがとれないという状態になる。
京香は途中で半泣きになっていたので、智之は相手チームの新発田監督に許可をもらって、指名打者を千景から京香に交代してもらうはめになった。指名打者は本来なら守りについているプレイヤーとは交代できないのだ。
こちらは守りに就いている時間が長くなり、守りのミスは増え、攻撃でも集中力を欠くようになる。人間の集中力はそこまで持続しないので仕方ない。
打線の方はというと、三番に置いた芽衣子が大ブレーキになった。夏帆や美冬が出塁しても、芽衣子が緊張でカチコチになってダブルプレーを連発する。精神面が弱すぎるのだ。寺に修行にでも行かせればいいのだろうか。四、五番のつぐみと千景は当たっているのに、芽衣子のせいで完全に打線が分断されていた。
おまけに素人四人は全員仲良くノーヒットである。二点返したのが奇跡的だ。
最初は試合を見てくれていた地域の方々も一人、二人といなくなり、気付けば孝太郎だけが腕組みして立っているだけという状態である。孝太郎は智之がよほど憎いのか、智之が打たれる度にわんわんと声を上げ、見かねた七菜が男子野球部に頼んで引き取りに来てもらう始末だった。
終わってみれば15 ─5の大敗である。女子野球は中学と同じ7回までという規定なので、この程度で済んだ。7回には全員が一言も喋らず、ただ打球にのろのろと反応するようになっていた。9回までやったら何点とられていたか、考えたくもない。
試合後のミーティングで、智之は重い頭を必死に動かして喋る。プレー中の態度、審判や地域の方々への挨拶、ベンチでの声だし……注意する点などいくらでもあった。
「みんな、ボール抜かしたからって座り込んだり諦めたりしないようにな……。ミスするのは仕方ないけど、全力でプレーしないのは別問題だ……。とにかく諦めず、最後までボールを追ってくれ」
「ぐすっ……はいっ……!」
半べそをかきながら京香が返事をした。お通夜のようなムードの中、智之は気になった点を一つ一つ確認していく。
最後に中村先生が、笑顔を作って言ってくれた。
「みんながんばったんだからそんなに落ち込まないで! 明日もあるんだから、今日の敗北を糧にしましょ!」
そうだ、明日もあるんだった……。
○
次の日も合同練習で、午後一番に試合をして揚北高校の皆さんは新潟に帰るという段取りになっていた。
今やっているのは、野球部から譲ってもらったピッチングマシン相手の打撃練習だ。この一週間、打撃練習の時間はクラスの野球経験者に任せて、智之自身は試合で投げるための調整を行っていたため、実のところ皆の打撃はほとんど見られていない。昨日の試合のオーダーは打撃練習を担当してもらったクラスの友人から印象を訊いて決めた。
見たところ、やはり女子なので飛距離がない。経験者組はマシン相手に普通に打ち返しているが、未経験者組も含めてメンバーのほとんどは身長160センチ以下なのだ。外野の頭を越すヒットは期待できない。ということは長打はほぼ期待できないということだ。
長打を打てるバッターは、身長180センチ越えの芽衣子だけだろう。今、打撃練習を見ていてもやはり芽衣子は目立っている。フェンスに届こうかという打球を打てるのは芽衣子だけだ。揚北高校の皆さんは芽衣子の打球を見る度に驚いていた。この打撃を試合でもできればいいのに。この女は雑念が多すぎるのだ。
つぐみも持ち前の身体能力でボールを外野まで飛ばしていたが、飛距離では芽衣子に全く及ばない。外野の頭を越えるヒットを打てるのは実質芽衣子だけだ。とはいえ広角に打ち分けられるつぐみの打撃は他の部員よりワンランク上のものであり、つぐみも主軸としてやってもらわなければ困る。
やはりつぐみと芽衣子の二人を三、四番に据えて経験者組で脇を固めるというのが基本になりそうだ。要するに夏帆、美冬、千景の三人をどう配置するかの問題である。選択肢が少ない。
未経験者組に至ってはヒットさえ期待できそうになかった。皆ほとんどバットに振り回されているような打ち方をしていて、空振りの山を築き上げている。たまにバットをボールに当てても、衝撃で手が痺れてバットを落としてしまうという始末だ。下位打線は自動アウトとでも思うしかない。本来なら、試合に出せるようなレベルではないのである。実際昨日の試合では、未経験者組は全員ノーヒットだった。
未経験者の中で比較的マシなのはカオルだった。他の未経験者が全く打てない中、とりあえず打球を前に飛ばせてはいる。
アッパースイング気味で上体だけで打っているようなフォームだが、目がボールについていけており、体も大きくて強いので鋭い打球を放っていた。おそらく剣道をやっていた効果でリストも強いのだろう、少々振り遅れても打球が伸びる。智之の目から見ても未熟なところが多いが、三年間しっかりやれば四番を打てるようになる素材だ。
頼んだクラスメイトの打撃コーチは全く打てない他の未経験者にかかりきりで、カオルまで目が届いていなかったのだろう。カオルは七菜とつぐみの部活後の自主トレにも参加していたが、自主トレは筋トレと守備練習が中心で、智之も全然打撃を見ていなかった。
智之はカオルに近づき、言った。
「もうちょっとバットを引きつけて打ってみろ」
カオルは智之を一瞥して首を傾げる。
「投手だったのに打撃もわかるの?」
「高校まではエースは四番って決まってるもんだろ」
実際は智之は四番ではなかったが、説明するのが面倒臭い。
「ふうん。バットを引きつける……? どういうこと?」
「もっと体の近くでバットを振れってことだ。脇が開いているとバットが遠回りになって、バットスピードが落ちる」
智之の言葉を聞いてカオルは一度バッターボックスから出て、何度か試し振りした。バットを体に引きつけて振ることで、スイングのスピードは上がる。半径が小さくなれば円周も短くなるという簡単な理屈だ。実践してみて納得できたようで、カオルはうなずいてから脇を意識してバットを振るようになった。
本当はアッパースイングも矯正したいのだが、この後すぐ試合なのにフォームの大幅改造は無理だ。だから智之はすぐに効果が体感できる部分だけを指摘し、直させたのである。来週からはアッパースイングの矯正も始めよう。
他の経験者は基本は中学校までで習ってきているので、特に指摘するような点はなかった。しいて言うなら技術面より筋力をつけて、もっと強い打球を打てるようになってほしいのだが、今言っても仕方ない。
戦力が圧倒的に足りなかった。しかしプロ野球でもないのに、戦力不足を言い訳にしても仕方ない。FA補強もトレードもできないのだ。今いる面子を鍛えるしかないし、人数は少なくても質という面では明らかに恵まれた陣容でもある。
智之は外野三人組の指導をしていたコーチの哲平を呼んだ。
「哲平、おまえから見てどうだ? 打順変えた方がよさそうなやつとか、いるか?」
智之に呼ばれた西野哲平は、智之の方に来る。智之のクラスメイトで、中学まで軟式野球部でプレーしていた小柄な男子である。ちょうど外野手出身で帰宅部だったので、智之は打撃コーチ兼外野守備コーチをお願いしたのだった。哲平は快く引き受けてくれて、昨日は審判までやってもらった。今日も審判として試合に参加する予定である。
最近伸ばし始めたという髪をいじりながら、哲平は言った。
「う~ん、芽衣子が当たってないからなあ……。千景ちゃんを二番に上げて美冬ちゃんは三番、芽衣子を五番にするとか? でも一~三番がみんな単打しか期待できないってどうなのかな……? もう一人、長打打てる人がいればなあ……」
「もう一人、か……」
智之はマシンを操作している七菜を見る。そういえば七菜の打撃は見たことがない。智之がいない間に打撃練習しているのだろうか。
「七菜はどうなんだ?」
哲平は答える。
「七菜ちゃん? ごめん、俺七菜ちゃんが打ってるトコ見たことない。七菜ちゃん、いつもマシンの操作したり打撃投手したりしてるから」
「そうか……」
七菜は中学時代男子に混じってシニアでプレーしていた。そのときは打席にも入っているはずだ。昨日は本人に強く辞退されたのではずしたが、下位打線でも入ってくれれば多少はマシになる。七菜を使うのが最も手っ取り早いテコ入れだ。
智之は七菜に声を掛ける。
「七菜、こっちに来てちょっと打ってみてくれないか」
「え……? 私がですか? でも私……」
すぐに遠慮しようとするのは七菜の悪い癖だ。智之は強い調子で言う。
「そうだ、七菜だ。たまには打ってみるのもいいだろ。打つのも野球だからな」
「……わかりました」
智之の言葉に従い、七菜がヘルメットを被ってバットを持ち、バッターボックスに入る。七菜は左利きなので左打ちである。ちなみにチームに左打ちは七菜の他に芽衣子しかいない。
ゆったりとした、隙のないフォームだった。ボールが来ると少し足を上げてタイミングをとり、腰の回転で打ち返す。ボールを押し込む利き腕の力も強いのだろう、打球はいい角度でライト方向に上がって外野のフェンスに当たる。
「おお……」
思わず智之は感嘆の声を漏らした。さほど広くないうちのグラウンドだが、それでも両翼は90メートル程度あり、智之でもフェンス直撃を打てるかは怪しいところだ。
二球目、三球目と七菜は簡単にボールを打ち返していく。マシンの設定は100キロだ。経験者にはハードルの低い球速だが、一球もミスショットがなく、他の部員が及びもつかない打球速度を叩き出しているのは驚嘆に値する。いつしか他の部員も自分の練習を止めて七菜の打席に見入っていた。
「う~ん、飛距離じゃ他の女の子には負けないと思ってたけど、参ったねえ……」
芽衣子が苦笑いを浮かべ、つぐみは少し嬉しそうにまくしたてる。
「七菜ちゃん、すごいんだよ! 体力測定でほとんど全部でうちの学校で一位! やっぱり七菜ちゃんがナンバーワン! 七菜ちゃんが出てくれると怖いものなしだね!」
「できるやつは何をやらせてもすごいもんだな……」
智之は感心してそう漏らした。
つぐみも女子としては身体能力は凄まじいのだが、そのつぐみを抑えて一位というのはとんでもない化け物だ。身長も170センチ台後半と、女子では超大型である。ひょっとすると智之は今、球史に名を残す怪物を目の当たりにしているのかもしれない。
七菜の打撃練習を見て、智之はスタメン起用を即断した。
昨日の大敗のショックも記憶に新しいが、今日は智之も本気で勝ちに行くつもりだった。
女子野球部存続の条件は、一学期中に練習試合で一勝である。昨日は智之が投げたため、勝っても勘定に入らないので自分たちの実力を確かめるようなことをしただけだ。五月は来週にもう一試合練習試合を組んでもらっているが、その後は未定である。創部したばかりのうちが気楽に相手してもらえる高校などない。今日負けると後がないと思った方がいい。
そして智之は、勝ち目があるとも見込んでいた。確かに総合力ならあちらには敵わないが、昨日の1回の攻撃を思い出せばわかる通り、こちらには爆発力がある。智之が監督として彼女たち個々人の力を線にしてつなげば、相手より多く点を取ることは可能なはずだ。
昼食後のミーティングで智之はスタメンを発表しようとする。例によってつぐみは「私が四番ね!」と声を上げた。今回もつぐみの希望通りである。チームの勝敗の責を負わせるのは、七菜にはまだ早い。
1(遊)洗居場夏帆
2(二)洗居場美冬
3(中)武星七菜
4(捕)城和田つぐみ
5(投)貴良芽衣子
6(一)香取千景
7(三)村中カオル
8(左)森谷百合
9(右)牧原京香
(控え)呂瑞季
七菜が右利きなら内野に入れていたが、左利きなので外野かファーストしかできない。芽衣子の代わりにファーストでもよかったが、内野は千景に練習させていた。投手は4回くらいを目処に芽衣子から夏帆に代わり、ファーストに代わってショートが空く。どうせ試合途中で外野に移らなければならないなら、最初から外野でいいだろう。
打順は三番に七菜を入れてその分ずらしただけである。二番に昨日素晴らしいバントを見せた千景を入れようかとも迷ったが、七菜の前にはできるだけランナーを出しておきたい。打撃なら夏帆、美冬の姉妹に分があるため、動かさなかった。
「え……? 私、ベンチじゃないんですか?」
まず声を上げたのは昨日逆転のタイムリーエラーをした京香だった。智之は優しく言う。
「ああ。練習では捕れてたんだから、練習通りにやればいい。練習はおまえを裏切らない」
「は、はい!」
守備練習では京香は、自分の前に来る球なら捕れるようになっている。背走しての捕球はまだまだだが、深めに守って練習通りの自分を出せれば、とりあえずは問題はないだろう。
次に七菜が控えめに手を挙げる。
「私、外野は練習してないんですけど……」
七菜に続いて百合が言った。
「うちもレフトはやったことない」
智之はコンバートについて説明する。まずはセンターの七菜からだ。
「七菜、おまえの肩と足ならセンターは普通にこなせる。自信を持ってやれ」
センターなら変な回転が掛かった球はあまり来ないので、身体能力さえあればどうにでもなる。次にレフト百合だ。
「百合のレフトも同じ外野なんだから基本はセンターと同じだ。癖がある球が来るかもしれないが、おまえのセンスなら対応できる。センターより守備範囲は狭いから落ち着いてやってくれ」
百合の場合、広いセンターで自分が捕らなければという焦りがあった。レフトで七菜のフォローを受けながらであれば、うまくやれるはずだ。
最後に智之は今回スタメンをはずれた瑞季に言った。
「瑞季は代打で途中出場してもらうから、しっかり準備しておいてくれ」
「了解ネー」
一人だけベンチの瑞季は顔を強ばらせていたが、智之の言葉に安心したようで、ホッと息を吐く。
外野三人組の実力は今のところどんぐりの背比べだ。身体能力では百合が一番だが全体的にプレーが粗く、丁寧さや確実性では京香に劣る。打撃だけなら瑞季が一番だが守備はダントツ最下位だ。全員が全員実力を発揮できているわけではないが、試合慣れするまでは平等にチャンスを与えるべきだろう。
智之は最後に選手たちを鼓舞する。
「昨日は散々だったけど、おまえらこんなもんじゃないだろ? 向こうのチームに芽衣子や七菜より打球飛ばせるやつがいたか? つぐみや美冬よりボールを芯で捉えていたやつがいたか? 俺たちの方が強いはずだ。見せてやろうぜ!」
「「はい!」」
一同は声を合わせて大きく返事した。
昨日の試合が智之たち洞峰高校女子野球部の後攻めだったので、今日は先攻である。相手チームは昨日とは別のピッチャーを出してきていて、コントロールは悪いが球は速いというタイプだった。トップバッターの夏帆は粘って四球で出塁する。
二番の美冬には智之はバントのサインを送った。まずは確実に一点を取り、チームを鼓舞したい。今日の試合、おそらくバントはこの一打席だけしかやらないだろう。美冬は「――これも運命か……」と少し寂しそうに初球送りバントを決める。
一死二塁で迎えたのは、七菜の打席だった。当然向こうも打撃練習を見て七菜の飛距離を知っている。外野がバックして長打に備え、七菜は左打者なので守備陣形を右寄りに変更する。
七菜の打撃を智之は注視する。ライトはほとんどフェンス際までバックしているため、ライトとセカンドの間は大きく空いている。そこを狙ってシングルヒットにするのが模範解答だが、七菜はどうするか。
七菜は相手バッテリーが警戒してはずしてくるのを悠然と見送り、カウントが悪くなってストライクゾーンに置きにきた球を狙い打つ。ボールは外野の三塁線ギリギリに落ちるヒットとなった。レフトはかなりセンター寄りに守っていたため追いつけず、ボールはファールゾーンを転々とする。その間に二塁ランナーの夏帆は本塁に到達、先制点をあげ、七菜も三塁に進塁した。
ベンチは火が着いたように大騒ぎし、フェンスの外からは拍手が起こる。
「七菜ー! 野手もいけるぞー!」
フェンスの外で観戦している孝太郎は手を叩いてはしゃいでいた。今日も来てるのかよ。
孝太郎には困ったものだが、智之も孝太郎と同意見だ。智之は舌を巻く。
「すごいな。打者としてもやれるんじゃないか?」
ベンチの大歓声の中でつぶやいた智之に、カオルが反応する。
「今の、そんなにすごいの?」
「ああ、すごいよ。守備の穴を狙って流し打ちして、長打にしたんだからな。あんなことやれるやつはうちには他にいないよ」
そもそも、流し打ちというのは難しい。ギリギリまでボールを引きつけないと流し打ちにはならないし、その状態で飛ばそうと思えば芯で捉えなければならない。左打者の七菜であれば普通は打球方向はライト、セカンド方向に集中するはずなのに逆側のレフト方向に打ったのだ。
美冬は例外として夏帆と芽衣子はほぼ引っ張り一辺倒だし、バットコントロールが格段にうまいつぐみでもパワー不足で流し打ちでは長打は打てない。打ち損ねて力のないゴロに終わる事もしばしばだ。七菜の技術とパワーが両方あってこその結果だった。
「ふうん……。僕も狙ってみようかな」
対抗心を刺激されたのか、カオルはそんなことを言い出す。智之は苦笑した。
「今はやめとけ。まずはまともに打てるようになってからだ。ちゃんとした打撃が身につけばおまえはリストが強いから、できるようになるさ」
「ふうん」
カオルは納得してくれた様子で、視線をグラウンドに戻した。
一死三塁で、打席は四番のつぐみだ。智之はスクイズのサインを出す。つぐみは昨日一度もバントなどせず、本能のままに振り回していた。相手はスクイズなど警戒していなかったため虚を突かれ、悠々七菜はホームベースを踏む。つぐみも健脚を活かして一塁を駆け抜け、二点目が入って一死一塁だ。
次の芽衣子は二点のリードを得たことでほどよく緊張がとれていて、ライト前ヒットを放つ。これで一死一、二塁。続く千景は昨日バントや四球ばかりだったため、智之は強攻を指示する。千景は二遊間を抜くヒットでランナーを一人返し三点目を入れて、一死一、三塁だ。
さて、三点なら一回に昨日も入れた。ここからが本当の勝負である。智之は打席に向かうカオルをベンチに呼び戻し、耳打ちする。
「いいか、余計なことを考えずにバットを振り切れ」
カオルは訊き返す。
「スクイズじゃなくていいの?」
「あっちがスクイズ警戒しているからこそだよ。相手は球は速いがおまえなら打てる。三振してもいいから、思いっきり振っていけ」
相手はスクイズを警戒して一塁手、三塁手が前目に守っていた。空振りを繰り返せばスクイズをしてこないのはばれてしまうが、初心者のカオルにサインを何度も送って混乱させるより方針を一貫させた方がずっといい。
相手投手は三点を奪われたことで吹っ切れたのか、どこか晴れ晴れとした表情を浮かべていた。これは初球に得意のストレートが来ると思い、智之はストレートを打て、とサインを出す。カオルはヘルメットに手を触れて了解した。
智之の予想通り、相手投手はど真ん中に速球を投げ込んでくる。カオルは剣道で鍛えた反射神経で反応し、打ち返す。打球はライナー性の当たりとなって三遊間を抜け、四点目が入った。
「初ヒットだ~!」
ベンチでつぐみがはしゃぎ、皆それぞれ「おめでと~」と一塁のカオルに声を掛ける。カオルは一瞬だけ嬉しそうに微笑み、すぐに恥ずかしげに顔を伏せた。
八、九番の百合と京香は凡退し、一回表は四点で終わった。
さて、問題はここからである。一回裏の守備、智之が先発に指名したのは芽衣子だった。芽衣子は緊張の面持ちでマウンドに上がり、投球練習する。七菜ほどの球速はないが、それなりに球は走っていた。
打撃でもそうだが、体格は才能である。体が大きければ、力が強い。力が強ければ、いい球が投げられるという単純明快な理屈だ。
芽衣子のフォームはぎこちなく、なんとかストライクゾーンに投げられるという程度のものだが、相手先頭打者は打ち損じてくれた。キャッチャーフライとなってつぐみがマスクを捨てて捕球する。芽衣子が左で角度があるという珍しいタイプである上に、フォームが一定していないのが目くらましとなったのだ。
外野が守備の穴であるという情報が、今日はこちらに利してくれた。相手は外野まで飛ばそうと必死になって振り回してくるが、芽衣子の球を面白いように打ち損ねて内野フライを量産する。待球されると芽衣子は四球で自滅するので、非常にありがたい。
一回表を無失点で切り抜け、芽衣子は波に乗る。続く二回もサードカオル、セカンド美冬の連続エラーで一点こそ奪われたが、無難に試合を作っていく。
それでもこれだけ振り回されると外野に飛ぶ場面も出てくる。しかしチームを救ったのは、センターに入っている七菜だった。
三回裏、相手が左中間に飛ばした打球をレフトの百合が必死に追いかける。ボールは落ちて地面を跳ね、百合は捕球できずに後ろに逸らしてしまうが、すかさず七菜が回り込んでキャッチする。七菜は持ち前の強肩で二塁にダイレクト送球し、バッターランナーをアウトにした。
この七菜のワンプレーで、両翼の二人は緊張がとれた。失敗しても七菜がフォローしてくれることがわかり、のびのびプレーできるようになったのだ。次の打者のライトフライで京香は初めて試合でフライを捕ることに成功し、百合も随分動きがよくなった。
常に後退守備を敷いていた夏帆、美冬も外野を安心して任せられるようになったため通常の守備位置に戻り、実力を発揮できるようになる。
七菜が軸となって、チームが機能し始めたのである。
打線の方も好調だった。打順一番からの二回はつぐみと芽衣子のタイムリーで二点を追加した。三回を終わって6―1である。
四回表にもこちらは一点とり、四回裏にはさすがに相手も攻め方を変えてくる。臭い球を振らず、待つようになったのだ。芽衣子は四球から打たれ、三点をとられる。
ここでリリーフの出番だった。智之は五回表から夏帆を登板させる。ファーストに芽衣子が戻り、千景はセカンドにつく。ショートには美冬が入った。千景にいきなりショートを任せるのは難しいと判断し、本来セカンドの美冬にショートを練習させておいたのだ。
千景は内野ではわりと楽なセカンドだ。千景は試合では内外野を守り、二番手捕手も務めているのでかなり仕事量は多い。少しでも守備負担の少ないポジションをやらせたかった。
夏帆は内野の中でも最も難しいショートをこなしてきた強肩だ。日常的にファーストへの送球もこなしてきたためコントロールもなかなかいい。バシン、と小気味よくキャッチャーミットに収まるボールを見て、待球作戦をとっていた相手打者は青ざめる。
夏帆はよくコントロールされた速球で、次々と打者を打ち取っていく。実のところ夏帆は身長が低いため球に角度がないことに加え、野手の癖が抜けていない投げ方だ。いわゆる野手投げでファーストが捕りやすいような回転が素直な打ちやすい球なのだが、雰囲気に飲まれたのか相手打者は手が出ない。五回裏を夏帆は三者凡退に打ち取った。
六回以降は相手も手を出すようになってきた。しかし夏帆は投球に智之が教えたスライダーを混ぜ始める。スライダーは全くコントロールがつかない上にストレートと全然フォームが違い、バレバレなのだが、ストレートとのコンビネーションに相手は惑わされ、内野ゴロに倒れていく。
美冬のエラーや、途中からレフトに入った瑞季のエラーも絡んで夏帆は六回、七回で二点をとられた。しかし味方打線はそれ以上に援護していて、最終スコアは9―6の勝利だ。
最後のアウトをとった瞬間、夏帆は両手を突き上げてガッツポーズをとり、野手がマウンドに集まって大喜びする。まるで甲子園優勝のようなお祭り騒ぎだ。
「七菜ちゃん、やったね!」
つぐみが七菜に言う。
「ええ、これで野球を続けられます!」
嬉しそうにする七菜に、つぐみは謝る。
「ごめんね! 七菜ちゃん抜きでも勝てるって言ったくせに、結局七菜ちゃんに頼っちゃって……」
七菜は何だそんなことか、と笑った。
「いえ、うまく言えないけど……私もみんなと一緒に戦えて勝てた、そのことに意味があると思うんです」
「そうだね!」
つぐみは七菜の言葉を肯定した。
「喜ぶのは挨拶してからにするぞ!」
智之は苦笑して皆に声を掛けて整列させ、相手チームに挨拶をさせる。次に智之はチーム全員を引き連れてフェンスの前に行き、観戦していた近所の人々にも挨拶をさせる。
「応援、ありがとうございました!」
「「ありがとうございました!」」
拍手したり、「がんばれよー」「また見に来るぞー」などと声を掛けてくれる地域住民の皆さんに混じって孝太郎が満足げにうんうん、とうなずいていた。おまえはどっちの味方なんだ。