そうだ、小説家になろう
――そうだ、小説家になろう。
盛大な大学の卒業式は、同時に社会不適合者を産み出す祝祭でもあった。
私は昔から熱意とは無縁の人生を送ってきた。そこそこ裕福な家庭に生まれ、決定的な飢餓や絶望とは無縁の毎日。何をやっても長続きせず、何をやっても心の底から楽しいとは思えない。
それでいて、何をやっても平均以上の成績を出すことが出来てしまったから、そんな自分を矯正することなくここまで来てしまった。
かつて、高校時代の恩師に「お前は何れどこかで躓いて、立ち上がれなくなる」と言われたことがあった。友人たちが必死に勉強をしている中、何の努力もせずに国立大学への進学が決定した日のことだった。
彼の言ったことが現実になった。
"何か"になりたいと思えなかった私は、ならばせめて"誰か"のために働く公務員になろうと考えたのだ。結果は惨敗。筆記試験は全てパスした。でも、面接で落とされた。まるで打ち合わせでもしたかのように、どの試験でも「あなたには熱意が感じられません」と言われた。
"熱意"ってなんだ。どうすれば手に入るんだ?
人生で一度もそんなものを手にしたことのなかった私には彼らのいうことが理解できず、しかしそれが足りていないという指摘には何一つ言い返すことが出来なかった。
そんな経緯を経て、私は実家に引きこもった。世界経済が大荒れだったことも手伝ったのだろう。当時流行っていたデイトレードで一山あてた私は、働かずとも両親に文句を言わせない程度のお金を手に入れ、それが切れるまで時限式の自由を手に入れたのだ。
それからは自室で日々趣味にぼっ頭した。濫読家だった私は、近所の図書館から適当に本を借りては読み漁り、インターネットを彷徨するという毎日を送っていた。
それは幸せな日々だった。俗世と切り離された私の部屋は、私にとっての聖域だった。
誰にも邪魔されず、誰にも"熱意"がないだなんて言われない安寧の時間。
でも、その平穏は徐々に失われていった。別にお金が尽きたというわけではない。両親が早く結婚しろ、早く仕事を見つけろと急かしてきたわけでも、まして彼ら(いえ)が死んで(なくなって)しまったわけでもない。
問題は私の内から現れた。趣味の読書もインターネットも、どういうわけか魅力を感じられなくなったのである。面白そうな本を発見し手に入れても、いざ読む段になると面倒くさくなり、そのまま積んでしまう。日課となっていたネット巡回も、いまでは数日に一度しか行なっていない。
そんなんだから、私は最早やることがなくなってしまった。仕事はしていない。趣味も飽きてしまった。かといって他にやるべきことなどなにもない。
ならば潔く自らの生を閉ざそうかとも思ったけれど、生きている意味も、生きている理由もなくなってしまったというのに、自ら命を絶つ程の絶望もなく、勇気もなかった。
完全な八方塞がり。どこにも行けず、どこにも行かない。
だからこそ、私は何もかもから逃げ出したくなった。
やるべきことが現実にないのなら、せめて空想の世界でそれを果たそうと思い至ったのだ。
幸い、私はそれを行う術を知っていた。それは創作活動だ。だが、プログラミングや音楽作成、絵描きのスキルなど皆無の私にはゲームや音楽、映像によってそれを行うことは出来ない。必然、私に残された道は小説を執筆することだけだった。
――そうだ、小説家になろう。
そう決めたのは、25の夏のことだった。
当然、続かないお話。
小説家になろう? 残念ながら、スキルも熱意もない"私"にとってそれは逃避でしかあり得ないのである。