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誰も気にしない

誰も気にしない


「ごめんよ、エンちゃん。担当じゃないのはわかっているんだけどさ、ちょっと交番の若ちゃんじゃ取り合ってくれなさそうでね。忙しいだろうに。」

 駅の近くの自転車のおじさんである遠藤の幼馴染は、奥から出てきて申し訳なさそうに言った。その顔は言葉とは裏腹ににこにこしている。遠藤は笑った。

「いいよ、今日は非番だし、もうすぐ定年だしな。カンちゃんの頼みじゃ、来ないわけにはいかないだろ。まぁ、俺たちが忙しい世の中もどうかと思うけどね。で、急になんだい?」

「いや、実はさ、これなんだ。」

 幼馴染の観吉は奥から自転車を引っ張り出してきた。前だけに籠のついた普通の自転車だ。

「自転車?」

「ああ。最初、これの前輪がパンクした。で、吉井さんていう人が修理に持ってきたんだ。一カ月くらい前かな?」

「まだ取りに来ていないのか?」

「いや、のんびりな人ではあるんだけどもさ、問題はそこじゃないんだよ。」

「じゃ、パンクがか?」

「いや、パンク自体はおかしいことじゃないだ。そんなに新しいタイヤじゃないし、パンクしてもおかしくない。ただ、ブレーキに油が塗ってあったんだ。」

「ほう。」

 遠藤啓二の眉がピクリと動いた。観吉がまじめな顔をして言う。

「持ってきた吉井さんの家は、坂の上だ。もし何かあって、ブレーキが必要になっても動かないかもしれない。まぁ、そのときは家族が間違えてブレーキにも油のスプレーを塗っちまったのかと、とくに気にもせずにその部分を綺麗にして一度返したんだ。」

「うん。」

「ところが、今度は後輪がパンクしてね。パンク自体は自然なもので問題はないんだ。一週間くらい前にまた修理に持ってきたんだが、同じようにブレーキに油が塗ってあるんだ。危ないだろう?」

「そうだな。」

「それで、誰が整備しているのか電話で聞いたら、誰もしてないって言うんだ。」

「誰も?」

「ああ。その人は独身でね。いや、奥さんがいたんだが亡くなって。子供も県外に仕事に出ていて、いまは一人暮らしなんだ。」

「なるほど。」

「いまのところ、他のお客さんから故意にブレーキに油が塗られているなんて話は聞かないが、とにかく怖くてね。こっちは修理にでも来てもらわないと分からないだろう?」

「なるほど。それで俺に相談か。」

「いやー、最初は若ちゃんに言ったんだけどさ、あんまり本気にしてないんだよね。「自転車の油ぐらいで!」ってな。」

「まぁ、若いから派手な事に憧れているんだろうなぁ。」

 遠藤はため息をついた。


 遠藤と観吉は、駅の向こう側の交番に向かった。観吉は店の留守番を息子に頼んだ。交番の若ちゃん、こと若山は去年からここに配属されている若者だ。

 若山は遠藤の警察手帳を見るなり敬礼をした。

「忙しい所、悪いんだが自転車の見回りにも注意してくれ。とくにブレーキの油。なにかあってからじゃ、遅いからな。」

遠藤がそう言うと、若山はためらいがちではあるが言いだした。

「実は、調べ始めたんです。」

「え?」

「え?」

遠藤と観吉は眼を丸くした。

「だって、あんたこの間、たかが自転車でオーバーな!って笑ってじゃないか。」

 観吉が言った。

「ええ、その時はそう思ったんです。どうもすいませんでした。」

 若山は頭をちょっと下げた。どうやらすぐに謝れなかったようだ。

「まて、ってことは今、なにかもう起きているから調べだしたんだな?」

「はい。」

 若山は机の引き出しから紙を引っ張り出した。

「一週間前に観吉さんから自転車のブレーキの事は言われていたのですが、本当にそのときは大したことじゃないだろうと思っていたんです。ホント、すいません。」

 若山は続けた。

「ただ三日前に、高校生がものすごいスピードで二人乗りをしていたので、先輩が注意したことがあって。そのときに、ブレーキがかかるまでに時間がかかったような気がすると言っていたんです。そのときに、ふと観吉さんの言葉を思い出しまして。」

「ほう。」

「先輩に観吉さんの話をしたところ、すぐにここ二週間のことを調べ始めました。これです。」

若山は紙を遠藤に見せた。

「子供の自転車の転倒が坂で数回。怪我はひどくありません。まぁ、子供なので転ぶこともあるだろうと思っていましたが、酔っ払いの転倒が数件、これも酔っているからだと思いましたが、ほかにも子供を乗せたお母さんの自転車の転倒が何件か、高校生の転倒もいつもよりも多く、自転車で転倒した中学生からへんな証言も出てきているんです。」

「へんな証言?」

「自転車が滑らかだったって。」

「滑らか?」 

 職業のせいか、気になるらしく観吉が口を出す。

「ええ。」

「坂の上でかい?」

「いえ、あっちの平面な場所の自転車です。ただ、他の自転車と出会いがしらに衝突しまして。相手の男性は数針頭を縫う怪我をしました。衝突した方の中学生は、いつもより自転車が動いたって言っておりまして。」

「この辺はマンションが多くて、自転車を外に出しておくから錆つきやすいんだよ。一軒家でも車と一緒に外に出しておくことが多いからねぇ。」

「それなのに、ぶつかった日はいつも以上に滑らか……それいつの話だ?」

「今日の午前中です。」

「よし、その子のうちに行ってみよう。住所はわかるな?カンちゃん、一緒に来て自転車を見てくれ。」

「ああ、いいよ。」

「僕も行きます。」

若山は言った。


「申し訳ありません、息子が。」

 家のお母さんは、ひたすら頭を下げる。後ろで息子は気まずそうに立っていた。今日は学校を休んだらしい。

「いえ、我々は自転車を見せてもらおうと思いまして。」

「自転車?」

「ええ、いつもより滑らかに動いたと、息子さんが言っていたそうで。ああ、こちら駅前の観吉自転車の店長の観吉さんで、ちょっと自転車を見せてくれませんかね?」

「え、ええ。自転車ならそこにありますけど。」

お母さんは曲がった自転車を指差した。外に出ている。

「うーん。」

「どだ?」

 遠藤は観吉のそばでそっと聞いた。

「この部分が曲ったのは事故の時だね。この傷はもっと前にあったもんだろう。だけど、これは。」

 観吉はチェーンをちょんと指で触ると匂いを嗅いだ。

「うちにある、吉井さんの自転車と同じだ。」

「奥さん!ちょっとこの自転車借りていいですかね?」

 遠藤が聞く。

「え、ええ。構いませんけど……。」

「奥さん、この自転車、普段は手入れとかしておりますかね?空気入れる以外で。」

 観吉が聞く。お母さんは首を振って中にいる息子に聞いた。しかし息子もなにもしていないと首を振った。

 遠藤と観吉は顔を見合わせて、うなずいた。


 それから三日後。

「梅先高校教師、北島 友里佳、見たことあるかい?」

 遠藤は観吉に写真を見せた。

「いやぁ、知らんよ。お客がいないときは毎日駅から人がここを通るのを見ているけどねぇ。駅の向こう側の人かな?美人さんだ。彼女がブレーキの油を塗っていたのかい?」

「ああ。」

 遠藤は写真をしまった。

「若山のところが夜中に職質かけて、聞いたら素直に認めたらしい。」

「一体、なんだって、また先生が。」

「まぁ、簡単言えば逆恨みだな。駐車禁止の放置自転車に毎日イライラしているところに、この間の自転車、あっただろう?吉井さんの。」

「ああ、あれ。取りに来て、もうないけど。」

「いや、それはいいんだ。あれが最初のきっかけだったらしい。」

「きっかけ?」

「ああ。彼が毎日自転車でアイスを食べながら駅まで通っていたそうだ。」

「あ、あいすぅ?まさか、棒付きのか?」

「そう。」

「危ないだろうが、そら。倒れでもしたら、のどにざっくりと突き刺さるよ?」

「彼女もそう思って、注意したら逆切れされて、突き飛ばされたらしい。」

「ええ……吉井さん、そんな人だったのか……。」

「吉井さんに聞いたら、息子たちと電話で喧嘩した朝だったそうで、イライラしていたそうだ。」

「そうか。」

「それで、北島はキレたそうだ。吉井さんを夕方に見つけて、追いかけて、家まで突き止めて油を塗った。死んでもかまわないと思っていたそうだよ。」

「怖いねぇ。」

「ほかの油を塗られていた人のことを聞くと、子供を何人も載せてふらふら走る自転車だとか、携帯を見ながら走る学生とか、手当たり次第じゃなくて、よく見ていたらしい。資料も彼女のパソコンのなかに残っていた。どうして誰も気にしないのかと、怒りが込められてもいたよ。」

「先生も暇な職業じゃないだろうに。……自転車はたしかに、車より安いし手軽だし誰でも乗れる。だが、あれも金属なんだ。機械なんだ、人だけじゃ出ない力があれに加われば、凶器になりかねない、危ないものでもあるんだ。この間の衝突事故みたいに、あれは頭を縫うだけで済んだが、へたすりゃ死人だって出る。そりゃあ、突き飛ばした吉井さんが悪い。だけど、先生がそんなことをやってもいい理由にはならんな。」

 観吉の言葉に遠藤もううなずいた。

「そうだな。ところで、賞状がでるぞ。」

「賞状?なんだ、それ。」

「署長名の入った感謝状だな。よく気がつきましたでしょう、みたいなもんかな。金一封も入っているんじゃないか?」

「あー、いらん、いらん。」

 観吉は手を振った。

「そんな金があるなら、そこらへんの小中学校への自転車の安全な乗り方の講習にでもまわしてくれ。」

「いいのか?」

「いらん、いらん。あ、若ちゃんのところは?」

「あそこにも出るよ、賞状。」

「お、いいねぇ。これで若ちゃんがもうちょっと地域に興味を持ってくれるといいねぇ。」「ああ、持ったみたいで、今日来る時も朝からネコ探しを手伝っていたぞ。」

 観吉はそれを聞いて、にこにこと笑った。


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