少女と宝石蛙のお話
1枚目の絵:私
2枚目の絵:ほたる恵様
3枚目の絵:私
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人間が立ち入ることの出来ない山奥に、色とりどりの花が咲き誇る楽園のような美しい場所がありました。
可愛らしい小動物や美しい声で啼く鳥、色彩鮮やかな蝶が、その花畑に集まっておりました。
やがてそこに、一匹の蛙がふらりとやってきました。
頭部に紅玉石を持つ、異形の蛙でした。
その場にいた動物たちは蛙を見るなり恐ろしくなり、近寄らないようにしました。
震えた蝶たちは、食べられないように高い木の枝へ避難しました。
その蛙はポツンと寂しそうに花畑に佇み、開いているのか閉じているのか解らない瞳で花の香りを愉しんでいました。
賑わっていた花畑は、蛙が来てから静かになってしまいました。
ただ、その蛙は何日もジッとして動きませんでした。
「大人しいね」
「罠かもしれない」
「近づいた途端に長い舌を伸ばし、食べられてしまうのでは」
蝶たちはそのように噂し、怯え、蛙に見つからないように離れた場所で蜜を吸うことにしました。
ある日の事。
好奇心旺盛な仔鹿が、親が止めるのも聞かずに蛙を蹴りました。
蛙はコロコロと転がり無様に鳴きましたが、すぐに何事もなかったように立ち上がり、よたよたと動いて花の中に座りました。
様子を窺っていたウサギはおっかなびっくり近寄り、そっと蛙の匂いを嗅ぎました。
蛙は動かず、じっとしています。
まるで置物で、少しも動きません。
蛙を安全と判断したウサギは、近くの草を齧り始めました。
しゃくしゃく、しゃくしゃく。
爽やかな草の香りが風に乗ると、蛙はのっそりと草を見つめました。
「君も食べる?」
一羽のウサギが、蛙に話しかけてみました。
蛙は微妙に頷くと、皆が見守る中で草を一口、齧りました。
美味しそうににっこりと微笑んだ気がしたので、皆はその蛙が敵ではないことに気づき、胸を撫で下ろしました。
やがて蛙は皆と一緒に花畑で遊ぶようになりました。
とはいえ動きは鈍いので、かけっこは出来ません。
けれど、美味しい花を探し当てて教えたり、迷子の動物の傍にいて親を待ったりする優しい子でした。
蛙はとても長生きでした。
その為、多くの友達が死んでいくのをただ見守り続けました。
それがとても哀しくて、冷たい亡骸を見つめいつまでも鳴きました。
花も、季節が移ると枯れていきます。
そんな時も、切なくて鳴いていました。
真冬は寒いので地中に穴を掘り、寂しいながらも一人きりで春を待ちました。
そんな中、蛙は不思議なことに気づきました。
幾度も死を目の当たりにしても、時間が経つと新たな命が産まれて育ちます。
親から子へ、命は受け継がれていくのです。
蛙は「世の中とは不思議なものだ」と感心し、長い年月をその花畑で過ごしました。
自分は何処から来たのか疑問に思うようになりましたが、考えても分かりません。
ただ、自分と同じ生物がここにはいないことに気づいていました。
どのくらいの年月が過ぎたのでしょう、静謐な山奥に騒がしい人間たちがやって来ました。
それは、春のこと。
花畑を見て歓声を上げた少女は、いつものように佇んでいた蛙を見つけました。
蛙は何気なく少女を見ました。
向日葵のように明るい髪を二つに結んだ、軽快な少女でした。
柔らかな葉に似た緑色の瞳がクルクルと動いています。
「まぁ、珍しい蛙さん!」
掌にずっしりと乗る蛙を捕まえた少女は、大喜びで両親に駆け寄ると興奮気味にそれを見せました。
悲鳴を上げてひっくり返った母親に不思議そうな視線を投げ、少女は父親に飼ってもいいか訊きました。
「見て! この蛙さん、ここに綺麗な宝石が埋まっているの。きっと、この花畑の守り神よ!」
そんな蛙は存在しませんので、どう見ても不気味な蛙です。
いえ、蛙ではないのでしょう。
得体の知れない生き物に寒気がし、両親は捨てるように告げました。
けれども、泣き喚いて拒否する少女についに両親は折れました。
大喜びする娘を見て、我が子ながら変な趣味だと嘆きました。
人間たちは山奥の調査に来ていただけなので、直様街へ引き返していきました。
「私と一緒に行きましょうね」
蛙は名残惜しそうに花畑を見つめておりましたが、温かい香りのする少女に撫でられ喜びを感じました。
動物たちと遊んでいた時とは違う感覚で、胸がくすぐったくなったのです。
人間に連れられて行く蛙を、動物たちが遠くから心配そうに眺めていました。
こうして、拾われた蛙は少女の部屋で暮らすことになりました。
餌にするために父親が虫を獲ってきましたが、蛙は食べません。
しかし、生き物である以上何か食べないと死んでしまいます。
机の上でじっとしている蛙に少女は困り果て、様々なものを目の前に並べました。
ようやく一つのものに興味を示した蛙は、それを美味しそうに舐めます。
「ますます変な蛙だな、蜂蜜が好きなのか」
歓声を上げた少女の隣で、父親が首を傾げ観察しています。
甘い花の香りがしたので、蛙は蜂蜜を舐めたのでした。花畑にいた時、花の蜜が大好物でしたから。
やがて、蛙のために、庭には多様な花や草が植えられました。
「ご飯ですよ!」
少女に促され、瞳を輝かせた蛙はそれらを美味しそうに食べました。
花が好きな蛙に父親は首を捻り続けますが、少女は大喜びです。
やはり普通の蛙ではなく神様なのだと、少女は皆に話しました。
他の人には不気味がられましたが、少女にとても可愛がられて蛙は幸せでした。
「ミラボーちゃん。見て、またお庭に新しいお花を植えたの。美味しいかな、美味しいかな!」
自分の為に花を育ててくれるこの少女に『ミラボー』と名付けられた蛙は、嬉しそうに頷きました。
名前を付けてもらえたことも嬉しくて、なぜか身体がふわふわします。
少女が名前を呼ぶたびに、蛙は飛び跳ねました。
しかし、幸せは長く続きませんでした。
街の住人は善人ばかりで、助け合いつつ慎ましく暮らしていたのですが、近隣では日照りが続き飢餓で死に絶える人々が増えていました。
よって、生きるため山賊に身を落とした人間たちに襲われたのです。
互いの生活を賭け、小さな街で激しい争いが繰り広げられました。
少女の悲鳴に、庭で眠っていた蛙のミラボーは飛び起きました。
そして、大事な少女が髪を掴まれ泣いている姿が大きな瞳に飛び込んできました。
ミラボーはなんとかしたくて跳びはねました。
可愛がってくれたこの少女を護りたかったのです。
すると、その小さな身体から電撃が迸りました。
眩い輝きが周囲を覆いつくすと、恐怖した山賊たちは一目散に街から出て行きます。
少女は、そして町の人々は、慌てて蛙のミラボーの元へ集まりました。
ミラボーはひっくり返り、瞳を閉じて硬くなっています。
「ミラボーちゃん、死んじゃったの……?」
少女を護ったものの、死に物狂いで魔力を放出したために息絶えておりました。
少女は泣き喚きました。
街の人々は不気味だからと近寄らなかったことを悔い、泣きながら謝罪しました。
やはりこの蛙は神様の化身だったのでは、と皆は項垂れました。
怪我こそしましたが、街の人々は生きています。
犠牲となったのは、少女の家で暮らしていた蛙一匹。
放心状態の少女に代わり、両親が庭に蛙のお墓を作ってくれました。
土の中に埋められたミラボーを虚無の瞳で眺めていた少女は、暫く食事も睡眠も拒みました。
けれども、花畑で飛び跳ねているミラボーが見えた気がして、お小遣いで花の種を買いに走りました。
種を蒔き、墓標の周囲に花を絶やさないように心がけました。
「ミラボーちゃん、美味しい蜂蜜食べている?」
時折、蜂蜜を小皿に入れて供えました。
そうして、泣きながらお墓に話しかけました。
「……私はね、とっても寂しいよ」
両親に「ミラボーが救ってくれたのだから一生懸命生きましょう」と諭されたものの、少女の胸にはぽっかりと大きな穴が開いてしまいました。
さて。
悲しみに沈む少女を、空から見ている者がおりました。
「私は間違ったことをしたのでしょうか」
「何故そう思うのですか?」
「護りたかったあの少女が、ずっと苦しんで泣いているからです。あの子の泣き顔を見たくなかったのですが、私のせいで泣いています。どうしたらよかったのでしょう」
「……優しい子ですね、蛙のミラボー。何故、あの子は泣いているのでしょう? それは、大事な貴方を失くし、哀しくて泣いているのです。貴方もあの子が死んだら、泣くでしょう?」
「勿論、泣きます。でも、私が重苦を背負って生きたほうがよかったのではと」
「よいですか、ミラボー。永久に生きることはできません。遅かれ早かれ、生命体には必ず辛い別れがあります。でも、出逢うことでしか得られない苦楽があります。それこそが、命の素晴らしさ。生きるとは、そういうことです。幸福ばかりではありません、とても難しいことなのです。どのような結果になろうとも、後悔しないように生きることが大切です」
「ならば私は、生きたくなどありません。哀しい思いはもうたくさんです」
「けれども、ミラボー。あの子に逢えて哀しかったですか? 逢わないほうがよかったと思っていますか?」
「いいえ、とても幸せでした。逢えてよかったと心の底から思っています」
「幸せを感じれば、悲しみは薄れます。しかし、幸せも悲しみもともに大きくなる時もあります。生きるとは、とても難しい。誰しもが荊に覆われた苦難の道を進むのです。様々な感情を沢山味わい、命を全うしましょう。今回の貴方は、何も間違っていませんでした。あの子を護り抜いたのですから。例え、泣かせてしまったとしても」
「そうですね、あの子が殺されてしまったら私は生きていけなかったと思います」
「……いきましょう、ミラボー。また、大事なものを探しましょう」
「生きるとはなんと困難なことでしょうか。でも、私はまた……幸せを感じたい」
ミラボーは泣いている少女に必死に叫びました。
声は届きませんが、それでも止めません。
「有り難う、有り難う! 可愛がってくれて有り難う、異形の私を大事に育ててくれて有り難う! 君のことは決して忘れないよ! 美しい花のような愛しい君よ」
宇宙の創造主はそっとミラボーを抱き上げると、優しく額を撫でました。
足元のお墓の前で泣いている少女を、静かに見つめながら。
「私の愛しい生命をその身に宿すものたちよ。幸せで満ち足りた人生を過ごせるように、私はここで見守りましょう。そして、この宇宙に存在する全ての運命の恋人たちが出逢い、結ばれますように祈りましょう」
お読みいただき有り難う御座いました。