魔王になった蛙のお話
一枚目のミラボー:匿名希望さんより
二枚目のミラボー:Tusk様より
★著作権は各作者様に帰属します。
無断転載・AI学習・自作発言・トレス・保存等『見る』以外の行為は禁止です。
遥か昔のこと。
廃墟と化した人間の小さな村に、古ぼけた井戸が一つありました。
涸れ果てたその井戸に、いつの頃か一匹の蛙が住み着きました。
蛙といっても、蛙ではありません。
頭部に大きくて美しく光る金剛石を持つ、蛙に似た魔物です。
赤みを帯びた宝石は目を見張るほど輝いていましたが、蛙は色合いが汚泥色で不気味に光る瞳とイボに包まれており気色の悪いものでした。
大人の拳程度のその蛙は、湧いた虫や水中に生えた苔を食べて生活していました。
たった一匹で、井戸の底に身を潜めていたのです。
伴侶を見つけるため鳴くこともなく、仲間を探すために井戸から出ようともがくこともなく、静かにじっとしていました。
そういったことになんの疑問も浮かびませんでしたが、ただ、時折上を見上げて空の色が変化する様子を愉しんでいました。
その瞳から、涙のような水滴が零れていることも知らずに。
ある日、大雨が降りました。
いつまで経っても止まない雨が、ほぼ干上がっていた井戸に水を満たしていきます。
どんどん水嵩は増していき、蛙は泳ぎながら身を委ねていました。
浮いていると、少しだけ楽しいと思いました。
記録的な豪雨だったのでしょう、やがて水が溢れ、蛙は井戸からするりと流れ出ました。
暫くキョロキョロと周囲を見渡していましたが、小さく低く鳴くと何処へでもなく跳んでいきました。
外の世界は驚くほど豊富な食料があったので、腹が一杯になるまで虫を食べました。
最初は弱っている虫を見つけては食べていましたが、徐々に自分で獲れるようになっていきました。
暫くすると、痩せこけて貧相だった身体が大人の人間の頭部程度にまで成長しました。
より目立ったイボが一層醜く感じられ、それは触れるだけで皮膚が爛れてしまいそうなほどに禍々しく見えました。
ある日のことです。
森の中で虫を食していると、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきて硬直しました。
どうにか移動し木の陰に身を潜めて様子を窺っていると、蛙から見ても大層美しい娘が倒れこんできました。
その後から、粗野な雰囲気の男が数人やって来ました。
悲鳴を上げる娘は「助けて!」と懇願しています。
けれども、下卑た薄笑いを浮かべた男たちはそれぞれ手にしていた武器を構えたのです。
森の鳥たちは聞くに堪えない娘の断末魔に、一斉に飛び立っていきました。
鮮血が周囲に飛散します。
無慈悲にも、男たちは泣き叫ぶ娘の心臓を突いて息の根を止めてから、その華奢な身体を切り刻みました。
驚いた蛙でしたが、何が行われているのか分からず呆然と眺めておりました。
すると、男たちはバラバラにした娘の身体を美味そうに食べ始めました。
「はっはっはっ! 噂通りだ、こりゃぁ美味い!」
「なんという甘美な……! この世にこんな美味いものが存在したとは!」
悦楽に酔いしれている男たちの様子が変化していく一部始終を、蛙はじっと見つめていました。
先程まで痩せこけていた老人は途端に若返り、美しい青年の姿に変貌していました。彼は歓声を上げ、飛び跳ねています。
肥えていた男の容姿は変わりませんでしたが、両の手を天に翳して何本もの落雷を森に落としました。発狂するように高笑いをし、自分の腕を見つめています。
左腕が不自由だった男は完治したのか、勢いよく腕を振りまわして笑いながら泣いています。
娘を喰らった数人の男たちは奇跡のような出来事に感嘆し、会心の笑みを浮かべて去っていきました。
(なるほど、食事をしていたのか)
自分が虫を捕まえて喰うのと同じだと思った蛙は、そう判断しました。
娘は被食者、男たちは捕食者だと。
息を殺していましたが、人間たちの姿が見えなくなると蛙は重い身体を揺すって木陰から顔を出しました。
地面には娘の血液が染みていますが、それは甘い花の蜜のような香りがするのでとても美味しそうでした。
我慢できず、吸い寄せられるように血液を舐め始めます。
ギョロギョロと動く目が、妖しく光りました。
(うまーい!)
仰天するほど美味しかったので、無我夢中で血をすすりました。
それだけでは腹が満たされないので、男たちが食べ残した肉片を見つけて齧ります。
食べることが出来ず捨て置かれた骨もバリバリと音を立てて嚙み砕き、飲み込みました。
気づけば蛙の身体はさらに膨れ上がり、両手足が伸びて二足歩行が出来るようになっていました。
「ゲヒヒヒ!」
不気味な声で鳴く蛙は、さらなる甘い香りを求めて旅立ちました。
すっかりその味の虜になってしまったのです。
それからというもの、蛙は甘い香りのする娘や青年を食べていきました。
後程知ったのですが、それは人間ではなく“エルフ”という種族でした。
彼らの血肉を体内に取り入れると、何かしらの能力が飛躍するというのです。
エルフたちとて弱くはありませんでしたが、貪欲な人間や魔族、魔物たちに集団で襲われ絶滅に瀕しておりました。
ゆえに、懸命に身を隠し生活していたのです。
エルフは希少価値であり、簡単に見つけることが出来ません。
けれども、蛙の嗅覚は異様なほど発達していたので、難なく彼らを探し出すことが出来たのです。
エルフの近くで待機し、彼らが襲われた後におこぼれを食べ続けた蛙は、何時の間にか大人の人間ほどの背丈と肥えた身体に成長していました。
そして、ついには自分でエルフを狩ることが出来るようになったのです。
見つけると同時に口を開けて襲いかかり、食事を終えるとエルフが所持していた杖や金品宝石、美しい布を奪って身に纏いました。
戦利品のつもりだったのか、着飾ってみたかったのか、今となっては分かりません。
随分と時が流れ、ついに蛙はこの惑星で最も多くのエルフを食べたモノとなりました。
貪欲に搾取し続けた結果、身体が巨大化しただけでなく、魔法を扱うことも出来るようになりました。
巨体ゆえ動きは鈍いものの、類稀な魔力と禍々しい風貌に多くの人間や魔族、そして魔物が平伏しました。
こうして井戸に住み着いていた小さな蛙の魔物は、夥しい数のエルフを喰らい続けた結果、魔王となったのです。
その惑星のエルフを絶滅させ、超越した魔力を手に入れ魔物を引き連れた蛙……いえ、魔王は人間の城や街を襲いました。
エルフがいなくなってしまったので捕食する愉しみを失い、仕方なく脆弱な人間を面白半分に殺し始めます。
やがて、退屈を持て余した魔王は身に着けた叡智で、他の惑星へ移住することを思いつきました。
他の惑星ならば、まだエルフがいるかもしれない。そうしたら、また美味いモノを味わえるし、強くなれる。
そんな身勝手な理由から、魔王は嗤いながら新たな世界へ旅立ちました。
二つに割れた紫の長い舌先を、ヘビのように動かして。
さて、移住先の惑星には別の魔王がおりました。
その魔王は元蛙とは違い、とても美しい青年の姿をしていました。
銀髪は長く艶やかで、均整のとれた身体からは常に気品が漂っています。
また、他の惑星からも二人の魔王がやってきました。
その二人も元蛙とは違い、なかなかに美しい青年の姿をしています。
ですが、容姿など気にしない元蛙の魔王は、自分こそが魔王の中の魔王であり、こんな奴らに負けはしないと奢っておりました。
自分より細い身体の彼らを、見下していたのです。
移住先の惑星を治めていた美男子魔王には美しい恋人がおり、相思相愛でした。
魔王の恋人に興味はありませんでしたが、こともあろうにその恋人こそがエルフだったのです。
正確には魔族との混血でしたが、時折見かけると風に乗って甘い香りが漂いました。
その匂いがするたびに生き地獄で、蛙の魔王はどうしてもその恋人が食べたくて仕方がありません。
しかし、これまで喰らってきたエルフとは違います。
何しろ、魔王の恋人。
食べてしまえば全面戦争が始まることは分かり切っていました。
悶々とした日々を過ごしていると、勇者がやってきました。
やってきたと言っても自ら来たわけではなく、彼女に一目惚れをした他の魔王が攫ってきたのです。
まだ幼いその勇者ですが、誰をもを魅了する可憐な容姿をしておりました。
彼女からも甘い香りがしておりましたし、勇者の動きを探っていた蛙の魔王は知っていました。
勇者の血液を偶然舐めた吸血鬼が叫んだ言葉を、聞き逃さなかったのです。
吸血鬼は死の間際にこう言いました。「魔力が増幅した、エルフの血に似ている」と。
蛙の魔王は他の魔王たちが大事にする二人の娘を喰らうことを夢見て、密かに動き出しました。
しかし、悪企みもそこまででした。
魔王の恋人であるエルフは喰らったものの、勇者の娘に敗北したのです。
力が暴走し、膨れ上がって山一つ分もありそうな巨体となってしまった蛙の魔王に、気の毒そうに勇者は語りかけました。
ですが、蛙の魔王は彼女が何を言っているのか理解することが出来ませんでした。
エルフの血を摂取しすぎて、脳が退化してしまったのです。
もはや、暴れることしか出来ない哀れな蛙が一匹いるだけ。
勇者は迷わず止めを刺しました。
静まり返ったその場所に、ひっくり返っている小さくてみすぼらしい蛙がいました。
瞳を閉じ、すでに死んでいる蛙の頭部には金剛石。
勇者に倒され、元の蛙に戻ったのです。
あぁ、もし。
あの井戸から出ることがなかったら、こんなことにはならなかったのに。
あぁ、もし。
あそこでエルフの血をすすらなければ、こんなことにならなかったのに。
狭い世界でも、空を眺めているだけで十分だったのに。
何も、望んでいなかったのに。
勇者は蛙を非常に気の毒に思い、穴を掘って埋め魔法を唱えました。
すると、様々な花が地中から顔を出して彼の墓標を囲みました。
さわさわと花が風に揺れています。