第一話 少女刑事は花嫁泥棒をする。
第一話
――エイミィは落ち着かなかった。
花輪の添えられた豪華な控え室。
数人の世話人が最終チェックとばかりに、椅子に座ったエイミィの髪を梳り、ウェディングドレスの裾を整えている。
大きな姿見に写った彼女の姿。純白の花嫁衣装に身を包んだその姿はまさにこれから新郎と婚礼を挙げようとするに相応しいいでたち。
――しかし、
当然喜びで溢れているべきエイミィの顔には憂いの影があった。
彼女の心を覆っている物は微かな不安だ。
思わず、エイミィは声を上げた。
「ねえ、貴女」
手帳にペンを走らせながら慌ただしく最後のチェックに追われていたウェデイングプランナーの女が目をぱちくりして顔を上げる。
「え、はい、どういいたしました?」
「あの、結婚を前にして、その……、こんな事を感じるのはおかしいのかもしれないのだけれども、私、少々不安なんですの」
――とうとう口に出してしまった。
言ったが最後、エイミィの心の中で目には見えない不安の大きさがずうん、と一回り大きくなった気がする。
「と、言うと?」
余裕が無さそうな様子でウェデイングプランナーは問い返す。
「ええ、いえ、彼との今までの生活は確かに素晴らしいものでした。けれども、その、なんというか……」
――それは奇妙な不安。
しっくりとこない。うまく言い表すことのできない。
それはこれから貞淑な妻になるエミリィにとってはおかしなことだ。
「結婚を……」
早まったかしら?という言葉を漏らす前にウェデイングプランナーは微笑んだ。
「おっしゃりたいことはわかります。不安なのでしょう?マリッジブルーという言葉を知っていますか?結婚というものは大きな変化です」
「はぁ」
「ある心理学者によると人間には普段、恒常性の欲球というものが働いているそうです。急激な変化を嫌って今までのままでいたいという欲球ですね。」
「恒常性の欲球?」
その言葉を口の中で転がすように呟く。
「そうです。それが悪しきものであれ、善きものであれ、人は今のままでいたいと思うのです。マリッジブルーはその典型例でしょう。結婚は人生の大事件ですがそれは良き変化です。不安はいずれ和らぎますよ」
「いえ、そうとも違う……きっと違うというか」
エイミィはもどかしそうに首を振る。
――うまく言えない。
――そもそも言うべきじゃないのだ。
――彼の横顔が時折、恐ろしげなものに見えてしまうといことは。
係員は肩をポンポンと叩いた。
「ご心配なさらずに。全て我々にお任せ下さい!」
「はあ、ありがとうございます」
マリッジブルーという言葉。それはエイミィにとって鍵穴に合わない鍵のような答えだった。
「――お時間です」
――だが、時は待ってくれない。
少しばかり奇妙な結婚式だった。
参列者がそも、しっくりとこない。
新婦の側は織物商ネッター一族ゆかりの人々、今は亡き先代に世話になった取引先や下請けの重役、新婦の女学校時代の同級生、地元の親族など。なるほど服装にしろ態度にしろ上品で立派な方々である。
対して、新郎の側はどこかちぐはぐとしていた。
リクルートスーツの新社会人風の青年がいたかと思えば、背広は着ているものの、あまり裕福でなさそうな痩せた一家、正装ではあるがゲートボールの話ばかりしている数名の老人達、細いタバコを吹かせた赤ドレスを来た水商売風の女、キョロキョロと落ち着きのない自信なさげな男など。
まるで駅の待合室にたまたま居合わせたようなちぐはぐさ。
挨拶の段になり新郎側の親族たちが自己紹介をすると皆、新郎の遠縁の者であるとか、職場の同僚だとかそう答えるものの、どうもしっくりこない具合である。新郎の両親は新婦同様先に他界したという話は皆が聞いていたが、それにしても、もう少しどうにかならなかったのか。
しかしながら、めでたきこの日。
既に用意万端整った一大慶事を前にして、瑣末なことでとやかく言うまいと新婦の側の出席者たちは勝手に納得して、早めに出されたシャンパンを一杯やって上機嫌であった。
――そして、教会礼拝堂の瀟洒な時計の針は午後三時を指す。
チャペルに響き渡る鐘の音。ステンドグラスから差し込む午後の光も優しくレッドカーペットを照らした。小太りで赤ら顔で皆には馴染みの田舎牧師さんも、礼服に着替えて壇上に立つとなかなか様になっており、列席者たちは口々に褒めそやした。
そんな中、息を切らせて一人の女性が駆け込んで来た。
エイミィの大叔父が気がつき、声をかける。
「おお、君は誰だね」
――全力で走ってきたのか、肩で息をしている。
鮮やかなブルーのサテンのドレスに身を包んだ女性。年は23、4。大学を出たばかりだろうか。ドレスの色に対照的なのは朱色の口紅、そのドレスの上からもはっきりわかるほどスタイルが良く、映画女優の卵といえばしっくりくるかもしれない。肩まで腰まで掛かりそうな直ぐなストレートの黒髪に実にドレスがよく似合っている。
「はっ、はぁ、……はぁ……。……失礼しました。エイミィさんの学生時代の友人でミューゼ=ラッセルリングと申します」
ハンドバックを胸元で抱えながら彼女は答えた。
「ほう、なるほど、これはなかなかの美人さんだ、あれ、待てよ……、ラッセルリング?はて、どこかで……聞いたことがあるな、確か……」
名前を呟かれるとミューゼは少し青い顔をして、
「……いえいえ、オホホ、祖母がケストレン公国から合州国への移民でしたの。あちらではごくごくありふれた、多い名前ですわ」
「そうかい?」
いまいち納得の行かないような顔で大叔父は首を捻った。
「車の調子が悪くて遅れてしまいましたわ」
「ふうん。まあ、間に合ってよかったよ。さ、式が始まるよ」
大叔父に案内されて、ミューゼは小さなハンドバックを抱えて、新郎側の出入口にごく近い席に腰掛けた。
同時に司会が登場してチャペルに居並ぶ数十人の列席者たちに呼ばわる。
「大変長らくお待たせしました!!新郎、新婦のご入場です!!」
真っ白なタキシードを着た若い新郎にエスコートされて、純白のウェディングドレスに身を包んだエイミィがレッドカーペットの上をしずしずと進む。
すると列席者たちはため息やら拍手やらを送り、口々におめでとう、を叫んだ。
絵に描いたような好青年である新郎は、白い歯を見せながら、満面の笑いを浮かべている。
エイミィもはじめ、その表情に陰りが見えたものの、列席者に褒められるうちに笑みを浮かべるようになっていった。
今日の良き日、エイミィのドレスは特別素晴らしいものだった。
――可哀想なエイミィ!
両親が早世してしまい、ひとりぼっちになってしまった彼女。大叔父たちは豪商ネッター本家一族最後の一人であるエイミィの婚礼を少しでも盛り上げてやろうと、十数年仕舞っていた一族代々のウェディングドレスをクリーニングさせ、古い布は美しい綾絹に変えさせ、真珠の飾りを付けさせ、花柄の模様を編み込み、銀の糸を縫い込んで飛び切り素晴らしいものに変えたのである。
ただ、ネッター家独特のこのドレスはまだ貧しかった先祖の時代のものだから作りはごくシンプルなものであった。開拓時代のデザインでは長い裾など望むべくもない。それゆえ、残念ながら裾持ちの女の子、ベールガールなどはついていなかった。
――そのかわり、花嫁と花婿の行く先を籠を下げ花びらを巻いて歩くフラワーガールがいた。
その子もまた実に可愛らしい女の子であった。
年の頃は9か10であろうか。どことなく天使のような柔らかさがある。花嫁衣裳のミニチュアの様な愛嬌のあるピュア・ホワイトのドレスを着ていた。
二つの三日月を思わせる左右に束ねた黄金色の髪はまるで夜露に濡れたように凛として、その髪の上には誰ぞ気の利いた者が用意したのだろう、白詰草を編んで作った花冠が乗っていて可憐さを演出している。
肌の色は東方白磁の如し。はにかんだように笑うと左右の八重歯がちらりと見えてそれが愛嬌を感じさせる。瞳の色はトパアズを思わせる琥珀色。
左右の客席に愛想を振りまきながら進む姿はいかにも親御さんの躾の良さをうかがわせた。
新婦と新郎が向き合うと同時に牧師が聖典を手にして進み出る。
「さて、それでは、コホン。これより、神の御名の元にコーデュロイ家とミッター家の婚儀を執り行う。指輪の交換の前に、誓いの言葉を」
咳払いを一つしてから、新郎へと向き直り、
「汝、アンドレ=コーデュロイはエイミィ=ミッターを妻とし、病めるときも健やかなるときも、愛し続けることを誓いますか」
「……はい!」
新郎が小気味よく答える。牧師は満足そうに頷いてから新婦を見た。
「では、汝、エイミィ=ミッターはアンドレ=コーデュロイを夫とし、病めるときも、健やかなるときも、愛し続けることを誓いますか」
「……はい」
「それでは、この婚礼に意義のある者は今、申し出なさい。そうでなければ永遠に、口を」
そう言いかけたその時、
「ちょっと待ったァッ!!」
――何者かが、
――礼拝堂一杯に響きわたる大音声で叫んだ。
予想外の出来事に列席者たちがざわめく。
「誰だ、ふざけた真似を!」
新郎が声を荒らげる、そして、周囲の視線が一点に集中した。
――そう。
――新婦の脇に付き従っていた フラワーガールに。
いまや可愛らしい幼い女の子の姿は消え失せ、攻撃的な顔をした少女がそこにはいた。
――果たして、人間は表情一つでこうも人相が変わるものなのか。
美しい三日月のようだったふた房の髪は騎馬民族の曲刀じみた鋭さを帯び、白い肌は怒りで血の気を失って真っ白になっているようにすら見える。
口の端から見えた八重歯は犬歯というが相応しい。
瞳の色などはある種の激昂した帝王妄想にとりつかれたもの特有の血走った黄色に変わっていた。
――猛犬、いや、狂犬。
少女が咆哮した――。
「おうおうおうッ!!異議ありだといったんだ、この半気狂いの大馬鹿やろう!!おう、てめえら耳がねえのか!!この大アナスタシア様の声を聞こえねえだと!!いい度胸してやがる!!叩きのめしてやるから表に出ろ!!」
――アナスタシア。
まるで戦場で名乗りを上げる傲岸不遜な猪武者のように、少女は名乗った。
見下すことができるほど小さな少女なのに仁王立ちした姿は、まるで周囲を威圧しているかのようだ。
やくざの鉄砲玉のような下品で攻撃的な啖呵にその場の全員がポカンと口を開けた。
一体何が起こっているのだか、誰もが理解できない。
「と、とんでもないですぞ!なんということだ!誰かこの娘さんの親御さんは!!おちびちゃんを別室に連れていってくれ!ひどいいたずらだ!」
牧師が顔を真っ赤にして捲し立てる。
アナスタシアは牧師をギロリ、と睨みつけて己の両腕をまくって腰に手をあてた。
「とんでもないとはこっちの言い分でい!!おうおう、このアナスタシア様におちびちゃんだと!!上等キメてくれるじゃねえか!!ふざけた野郎だ……、」
言葉を区切り、ポケットから黒革の手帳を取り出して掲げて見せる。
パタン、と開かれた手帳の二重表紙には白銀十字星に交差銃の徽章。そして不機嫌そうに口をへの字に曲げたアナスタシアの証明写真が貼られた身分証明カード。
「……だがまさか、この市警章まで見忘れたなんていわねえだろうなァ」
不敵な笑みと共に掲げた、その手帳がさらなる混乱を巻き起こす。
「し、市警章、警察手帳……!?え、え、本物?」「警察?……はぁあ!?」「この子が!?どういうことだ」
少女は周囲に連鎖する疑問の輪を快刀乱麻に断ち切る。
「サン・ザビエラ市警、アナスタシア=フュージリス二級刑事だ。新郎さんよう、裁判所から令状が出てるんだがねぇ?治安判事のサイン入りの」
そういってニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながらアナスタシアは、どうだといわんばかりに手帳から一枚の紙を取り出して周囲に広げて見せた。
「アンドレ=コーデュロイ、またの名を、トム=ヤンガー、またの名をスコット=ヤンソン、またの名をエル=ケルヴィン。結婚詐欺容疑前科十七犯の容疑で逮捕、と行きてえところだが……、そうすると証拠集めがいささかしちめんどくせえ。といううわけで、アンドレ!!貴様を今ここで!!結婚詐欺の現行犯で逮捕する!!」
アナスタシアが口上を述べるが早いか、新郎のアンドレはショックで呆然としていた牧師の襟首をいきなり掴んでアナスタシアに向かって突き飛ばした。驚いて声も出ないエイミィの手を強引に左手で掴むと、開いた右手で懐から拳銃を引き抜く。
そして上に向け、
パァン!!
いきなり引き金を引いた。ステンドグラスが粉々に砕けて雹のように降り注ぐ。
銃声に続く悲鳴と絶叫、気を失う婦人もいれば、床に伏せる人、我先に外に逃げようとする人々で礼拝堂は大混乱に陥った。
「ちきしょうっ!あと少しだったのに、くそっ!」
アンドレは真っ青な顔をしているエイミィを抱えると、脇の通用口に向かって駆け出す。
「野郎!!逃げるか、この坊主、邪魔だ、どけっ!!」
青い顔の牧師の下敷きになっていたアナスタシアは下から這出ると床に転がったフラワーバスケットの中から銀色の 回転拳銃を引き抜いた。
「背中がお留守だぜ!!」
慌てて逃げるアンドレの背中に向けていきなり回転拳銃を向けた。
「くそったれっ!」
と叫んでアンドレが扉の向こうに消える。次の瞬間、叩きつけるようにアナスタシアが撃った弾丸がドアに命中して木っ端を散らした。
慌てた列席者たちが燭台やら花瓶やらを引き倒してしまい、脇の通用口が塞がれる。二度の発砲で混乱はピークに達し、周囲は最早、手の付けられない程の大騒ぎになっていた。
「あの犬野郎!!逃げやがった、……おーいッ!!」
アナスタシアは大声で正面玄関の方向のだれかに向かって叫ぶ。
「 スイーツ!!てめえの出番だぞ!!」
大混乱の巷から逃げ出した詐欺師のアンドレは、今や人質となったエイミィを担ぎ、表に止めてあった真っ赤なスポーツカーに彼女を放り込んだ。途中で暴れたエイミィを平手打ちで黙らせるとそのまま彼女はショックで失神した。
アンドレは怒りで真っ赤になりながら乱暴にイグニッションキーを差し込んだ。
「ちくしょう、あと少しだったのに、くそッ、だが、まだだ、俺はこんなところじゃ終わらねえ、まだツキは切れてねえはずだ」
エンジンがかかると同時に、植え込みの影から、青い服の人影が飛び出した。
「警察だ!!動くな!!」
――ミューゼ=ラッセルリング!
彼女がハンドバックから取り出した自動拳銃を引き抜くより一寸早く、アンドレが拳銃の銃口をぐるり、と巡らせる。
「くっ!」
咄嗟に伏せる。ミューゼがいた空間を弾丸が貫いた。
ミューゼが立ち上がるよりも早く、アンドレはアクセル踏みしめる。赤いスポーツカーはタイヤを軋ませながら矢の様な速さで教会の敷地外へと飛び出した。
ミューゼは舌打ちをすると逆方向に走り出した。
植木の影に無骨な大型のオートバイが留めてあった。陸軍向けのサイドカーつき装甲オートバイに警察仕様の白色塗装をしたものだ。
それに取り付いて、無線機のマイクをひっつかむとチューニングダイアルを回しながら声を張り上げる。
「こちら巡察13号車!!こちら巡察13号車!!州道42号線ハイウェイにて現在、強行犯が静止を振り切り逃走中!赤のスポーツカー!人質一名!!大型自動拳銃所持!!南下した模様!」
間髪いれずに雑音混じりの応答が来る。
「……あ……こちら巡察26号車、……すぐ向かう」
「……巡察7号車了解、交通事故現場に到着したが、被害者軽傷で病院に行ったため切り上げて行く……」
「……巡察3号車、署へ向かう途中だが直ちに引き返す」
サン・ザビエラ市警は躊躇わない。
守護聖人ザビエラの名を冠しながらも、その聖人が唯一見放した都市、と軽口を叩かれるほど治安の悪いザビエラ市の警察は強行犯罪への感覚が麻痺しているといってもいい。
――これが罪深き都市の茶飯事なのだ。
小気味いい応答の全てを待たずに、ミューゼはドレスを裾を勢い良く破り広げた。ボーナスをはたいて買ったのは極力思い出さないようにする。足の自由が効くようになるとオートバイに飛び乗った。
「おうい、まてっ置いてくんじゃねーよぉ!!」
収拾のつかない狂乱の巷をどうくぐり抜けてきたのか、遅れてきたアナスタシアがスカートの裾を掴んで似合いもしないお姫様走りでやってくる。情けない声を上げながらサイドカーに飛び乗った。
ほとんど同時に、ミューゼがアクセルを踏む。
鉄の軍馬はエンジンの轟音も荒々しく走り出した。いきおい反動でアナスタシアはサイドカーの座席でひっくり返った。
「わあむ!!おい、ミューゼ、もうちょっと静かに運転しろい!おいこら、聞いてんのか!いつもの自慢のは 長物はどうした! 長物は!なんだってあいつで脳天ズバンと吹っ飛ばさなかったんだ!!」
アナスタシアは全く暴れ足りないようだった。
さらにミューゼが獲物を逃したため、ことさら機嫌を悪くして欲球不満を解消せんと、相棒を口汚く罵り始めた。
毎度のことであるから、ミューゼもそれは無視する。
州道に飛び出したオートバイは凄まじい勢いでスピードを上げてゆく。途中で三台、乗用車を抜いた後で「あ、いっけね」と呟き思い出したようにアナスタシアは座席脇の赤色灯のスィッチを入れた。
けたたましいサイレンと回転赤色灯に、前方の車が次々と路肩によけて道を開ける。
「くっそ、検問敷くヒマもねえ、ったく、なんのために出入口で待ち伏せする手はずを決めたんだよ」
アナスタシアが文句を垂れると、いい加減ミューゼも頭に来たのか声を荒らげた。
「うっさい!!莫迦じゃないの!!結婚式場にライフル持ち込めるわけじゃないでしょーが!」
「けったくそわりい、 長物とお前を足してやっと一人前なんだから、おめえ一人じゃ半人分じゃねえか」
「はいはいそりゃ悪うござんしたねー。頭のおかしいどこぞのロリ娘がいきなり大立ち回り演じてくれちゃったからねー」
「オレのせいだってのか!?あと二度とこのオレ様をロリ呼ばわりするんじゃねえ!!そんなんだから、スイーツ 刑事だの間抜けな二つ名を頂戴する羽目になるんだ!!」
スイーツ、という単語を聞くとムッと口をへの字に曲げてミューゼは、
「あーもう、いちいち癪に触るなぁ!!そのうち揺りかごに粗末な産着と一緒に放り込んで冬の朝の修道院の前にこの娘をよろしくお願いしますって手紙と一緒に放り出すから!!」
とくれば売り言葉に買い言葉で、
「なに寝言いってやがる!!おう、やってもらおうじゃねえか、そしたらおめえ、翌朝の新聞の結婚紹介所の広告欄に、私のようなじゃじゃ馬でもお見合い可能な方大募集!!てな感じの顔写真つきの広告のせてやらあ!!」
ぎゃあぎゃあと喧嘩しながらも峠のコーナーが見えると、それまでの犬猿ぶりが嘘のように二人はピタリと呼吸を合わせて重心を集中する。サイドカーつきオートバイは速度を上げれば上げるほど急カーブを抜けるのが難しくなる。両者の呼吸をピタリと合わせ、振り子のようにタイミングよく左右に重心を集中しなければ破滅的な結果を招く。
難しいつづら折の丘の上を切り抜けて、頂上に至ると、眼下に獲物の姿を捉えた。見間違いようのない真っ赤なオープンのスポーツカー。純白のウェディングドレスが閃いている。
「「よっしゃ!!」」
二人同時に叫んで急加速。
たちまちのうちに、かなり危険な速度で運転しているアンドレのスポーツカーの後方、二十車体分の後ろにピタリと食らいつく。
無線マイクを拡声器に切り替えてミューゼが叫んだ。
「そこの赤いスポーツカー、停車しなさいっ!!」
耳を割くような大声だが全く効果なし。
叫んだ声を遥か後方に置き去りにして、風を切り二つの車両は峠を走る。
「……やろう、こちらが猫撫で声で優しく言ってやってるてのに!おうし、こうなりゃ南方蛮族見てえにてめえの耳をちょんぎって、ネックレスにして付けてやるぜ!ウララララァァァー!!人間狩だァ!!おいミューゼ!!スピード上げろォア!!」
アナスタシアが早くもぶち切れて怒鳴る。
峠の突風、そして早まる加速を続け発生した風に、バタバタとスカートがまくられるのを一顧だにせず、あろうことか、少女はサイドカーの上に仁王立ちした。
警官というよりヤクザの鉄砲玉みたいな両手持ちで、引き金に手を駆ける。
「ばか、おい、アナ、やめなってっ人質に……」
ミューゼが青い顔で叫ぶ。
「うるせえ!アナスタシア様のスペシャルダイナミックショットを喰らいやがれ!!」
言うが早いか破音に硝煙、バガンという音と弾丸が命中。
同時に吹っ飛ぶ。
――スポーツカーのナンバープレートが。
「お、」
ヒュンヒュンヒュンと恐ろしい音を奏でながら回転してきたナンバープレートがズバァン!!と嫌な音を立ててアナスタシアの顔面に激突した。
たちまちどでんとアナはひっくり返って、悲鳴を上げる
「ぎゃあああああ!!いって!!いって!!」
「うっわ!ばか、だいじょぶか!!」
運転にアナスタシアの面倒に、ミューゼはパニック状態だ。
「うっく、うっく、ちきしょう、」
「泣くなって」
「うっ……勘違いするんじゃねえよ!泣いてねえぞ!……」
サイドカーに飛び込んで額を摩るアナスタシアはミューゼが横目にちらと目にした具合では相当痛そうだ。
「ぐ、ぐう、くそ、今度こそ、」
アナスタシアは再び銃を構えた。
――一方のアンドレは冷静だった。
エイミィは気を失っているし、追ってくる警官は婦人警官が二人、一人はどういうことか信じがたいお程幼い上、なにやら行動に正気のものを感じないが、一連の行動を見ていればヘボ警官に違ない。
まだまだ挽回可能だ。
「俺の腕前が女をひっかける腕と、ハンドリングだけと思うなよ」
唇の中で不穏な言葉を転がしながら、バックミラーをのぞき込みつつ開いた片手で拳銃を後方へと向けた。
「あ、あの野郎、……頭下げろミューゼ!」
「え?……あ!」
素早く二人は身を縮めると、鋭い火花に擦過音がサイドカーの側面を削った。
続いて連続して銃弾が路面や車体に命中する。ついには派手な音と共に赤色灯が吹き飛ばされた。
「あ、くそ、 | また赤色灯がぶっこわれた(・・・・・・・・・・・)!!ついてねえよ!!やっぱりこのオートバイ呪われてやがる!」
アナスタシアが悪態をつく。
「たまたまでしょう!!ああもう、鏡で後ろ見て撃つなんて大道芸みたいなことやってくれちゃって」
アナスタシアはアンドレに向かってあかんべをしてから中指を立てる。
「びびるな、当たるわけねえよ、あんな玉。 自動拳銃なんて使いやがってオカマ野郎が。見てろ、そのうち簡単にジャムるぜ、銃はやっぱり 回転拳銃……」
がきぃん!!
と鋭い音がして、アナスタシアの手から銃が吹っ飛ばされた。
「……っつう」
突然の衝撃でやけどしたようにしびれて痛いであろう右手をさすりながら、アナスタシアは苦悶の声を上げる。いかにも痛そうな脂汗が額をつたう。くるくると 回転拳銃が回転しながら弧を描いて落ちてゆき、涙腺から漏れでた涙が、風圧で水晶の様にキラキラと遥か後方へと消え去ってゆく。
「銃はやっぱり、なんだって?」
ミューゼの口から飛び出た皮肉が最後の導火線に火を着けた。
「あのクソやろぉおおおおおおおおおおお!!!うっおおおおおお!痛くねえし!痛くねえし!今絶対泣いてねえぇし!もう知らねえ!もう知らねえ!なにもかもクソ喰らえだ!!ブチ殺したらァァァ!!!!!!」
茹で蛸みたいな真っ赤な顔で叫びながらアナスタシアはサイドカー後部のハッチを開けた。
取り出したのは長方形の箱型の拳銃。
寸詰まりの小銃、或いはゴテゴテとした大型の拳銃サイズであるが、形は軍隊が使うような機関銃に似ている
――ピストルマシンガンだ。
塹壕線を突破するために作られた新型兵器。数人がかりで運用する機関銃を個人で使えるようにするというアイディアはとんでもない武器を生み出した。銃弾の連続速射を可能とし、たった一撫で塹壕に立てこもった一ダースの兵隊を射つ悪魔の個人兵器。
―― 機関拳銃。
血走った瞳のまま、それを構える。
「挽肉になれぇえええッ!」
バリバリバリと電動工具のような音と共に凄まじい連続射撃が開始される。
狂気の無差別銃撃はスポーツカーの車体後部に次々とまだらに命中して噛み砕くように破砕する。
撃たれる側はたまったものではない。アンドレは悲鳴を上げて必死にハンドルにしがみついた。火花の嵐がテールランプを割砕いて破片をまき散らし、後部バンパーをぼこぼこにして後部トランクを蜂の巣にし、ついには留め具まで撃ち飛ばしてトランクがバガンと音を立てて開きっぱなしになってしまう。
「だから人質に当たるってば!!人質にッ!!実包使うなってあれほどいわれてるじゃん!!あとどうせバカ撃ちやるならタイヤ狙って!!」
キンキン声でがなり立てるミューゼに思わずアナスタシアは耳を塞いだ。
「わあってるッ!!あ、あ?なんだ、どうしたおい、スピードが落ちてるぞ!!」
オートバイのスピードが見る間に落ちていき、距離が開いていく。
「さっきの曲芸撃ちでどっかやられたかも……」
「はああああ!?畜生、だからやっぱ呪われてるってこのオートバイ!あ、くそ、実包が切れた、おい、じゃあ、 長物だ!おいミューゼ、 長物で頭を吹っ飛ばしてこの街の道理を叩き込んでやれ!!」
アナスタシアは空になった実包入りロングマガジンを車外に放り出すと、訓練用軟式弾の詰まったマガジンに素早く取り替えた。
「冗談じゃない!!あたし運転してるんだってば!!」
ミューゼがヒステリックな悲鳴を上げる。
「じゃあ貸せ!オレが撃つ!!」
「あんたはそこまで腕が良くないでしょ!!」
「じゃ運転変わってやる!ハンドルよこせ!!」
手を伸ばしかけたアナスタシアに向かって、
「危ない!!あんた無免許でしょ!」
「るせぇ!!緊急避難だ」
「……あー、あ!そうだ。いい手があった」
思い出したようにミューゼが呟く。ミューゼの声色が気のせいか一段と低い。
「あん?」
アナスタシアは怪訝そうな声を上げた。
「改造されてたの忘れてた。トマソン主任が弄り回して緊急加速装置付けたって」
「ばっか早く言え!!そいつで加速して野郎を叩きのめすんだ!!」
「いいのね?アンタ」
「さっさとしろ!!」
「わかった、…… いってらっしゃい」
「へ?」
側面のレバーを引くと、ガコン、とよからぬ音がして、
――二輪車とサイドカーが分離する。
「え?え?え?」
「 突っ込め相棒!!」
ミューゼが叫ぶと同時にサイドカーの後部がバガン!と開いてロケットエンジンの様な物が飛び出る。同時にシュゴゴゴという噴射音と火炎、ジェット機みたいな排気音とともに、暴走したボブスレーのそりのごとき勢いでサイドカーは突進した。
「うぎゃああああああ!?!?!?!?!?!」
サイドカーは凄まじい勢いでビリヤードの玉みたいに逃亡車両のケツに突っ込んだ。
盛大にオカマを掘った勢いで、アナスタシアは前につんのめってスポーツカーの後部座席に放り出された。
びっくりしたアンドレも流石に急ブレーキを踏んで減速する。
「うぐっいって、いてえよ……じぐじょう……殺じでやる、トマソンの野郎を殺じ
で、ミューゼのバカアマも殺ず……だが、その前に……」
凄まじい衝撃だったが、彼女は右手にしっかりと握っていたのである。
――機関拳銃を。
「形成逆転だ!!おい色男!!」
「ま、待ってくれ、」
アンドレが青い顔をしている間にエイミィが目を覚ました。
彼女が最初に目にしたのは走行中のスポーツカーの上で、自分を騙した男に目の血走った少女が機関拳銃を突きつけている姿だった。
エイミィが状況が飲み込めない間に、スピードを落とした車に追いついたオートバイに跨った女が叫ぶ。
「エイミィさん!!こっち、乗って」
「え、え、」
突然登場した女はこっちに飛び乗れと叫んでいる。スパイ映画の状況だ。
「はやく、 オチが読めたから!!はやく!!」
「え、は、はい。」
従うべきだと彼女の本能が告げている。
――ドレスが邪魔だ。
しかし、選択肢はない。一か八か、裾に気を付けながら思い切ってオートバイに飛び乗った。
「ヒュー!思い切りいい!!いい女はすぐ次の男見つかるよ!」
「え、あ……はい!!」
ミューゼの背に捕まりながらエイミィは真っ赤になった。
オートバイは速度を緩めて遠ざかるが、スポーツカーはまだ前進している。
「待ってくれだあ?……いいこと教えてやろうか?」
「ははひ?」
「 | 天国は待ってくれねぇ(・・・・・・・・・・)!!」
「や、やめてくれ、うぎゃあああああああ!?!?!?!?」
マズルフラッシュとともに完全至近距離で32発の弾丸が叩き込まれる。
ドガガガガガガガッガガガガガガガガガガガガガッガ!!!
「うわーはっはっはっ!!!!!見たか」
鼻血をまき散らして暴走した牛の集団に踏み潰されたようにボコボコになったアンドレは白目を剥いて気絶した。
そう、アクセルを踏んだまま。
「ぎゃーはっはっはっ、」
仁王立ちで爆笑するアナスタシアを抱えたまま、スポーツカーは車道をそれて、歩道の縁石に大砲をぶっぱなしたような音と共に激突してその先の街路樹に正面衝突した。
勢いで、アナスタシアとアンドレは勢い良く放り出される
「うぎゃあああああ!」
悲惨な悲鳴と共に二人は流れる川に放り出された。
水飛沫に虹がかかる。
遅ればせながらミューゼの運転するオートバイが安全運転で事故現場に到着する。
「大丈夫ですか!!」
いの一番にオートバイを降りたエイミィはガードレール越しに川を覗き込む。ミューゼは心底うんざりした顔で降りた。
「……言ったでしょ。オチが見えたって」
川面にはボロボロになった水死体のような状態でアンドレが浮かんでいた。
そして、……こんなことがあるだろうか?
――川に大きなVサインが突き刺さっている。
それが下半身パンツ全開で川底に頭から突き刺さっているアナスタシアの無様な格好だった。
「ぴくりともしないけど、多分生きてるでしょ。ロリは頭おかしいけど、とかく頑丈だから」
まっすぐと続く州道のはるか向こうから数台のパトカーがサイレンを響かせながらやってくる。
「さて、皆さんに見苦しい姿をお見せする前にちゃっちゃと回収しますか」
ミューゼは溜息をついて腕まくりした。
※ ※ ※ ※ ※
応援のパトカーが到着すると、アンドレは気絶したまま逮捕、警察病院へと連行された。
アナスタシアは白目を剥いて完全に気絶していたが、ミューゼが腹に気合を入れたフックを一発入れると、
「ごぼごァ!」
と普通の女の子があまり出したがらないような声を上げて、口からぬろり、とウナギ一匹と川しじみをポロポロ、三つばかり吐き出して起き上がった。
それだけ確認するとミューゼは、レンチとボルトを携え回収したボコボコのサイドカーをオートバイに再接続する作業を再開した。
「うっげ、おうぇ、目眩がする気が狂いそうだ」
両膝をついたアナスタシアの脇でウナギがビチャビチャと跳ね回る。
「もう狂ってるじゃん」
ミューゼがアナスタシアを見ようともせず言った。
「うぐ、おい、誰か、クソ相棒以外なら誰だっていい」
「あ、はい」
エイミィが答えた。流石に先程の大捕物の後では着替えたのか、ミューゼの私物らしいジーンズを履いてシャツを着ている。
「頼む、カバンを」
サイドカーの脇に革製のランドセルが吊るしてあるった。時の軍用革背嚢にピンク塗装したようなちょっとセンスを疑いたくなるようなデザインのカバン。
「うっぷ、その最高にイカした鞄の脇にスキットルが吊るしてある。スキットルがなにかって?水筒だ、そう、銀無垢の上等なやつだ!……そいつを寄越せ」
「は、はい」
エイミィから渡された銀製の曲りボトルを乱暴に受け取ると、アナスタシアはそれを一気に飲み干す。口の端を伝いよだれのように透明な液体が溢れる。むせかえる様な蒸留酒の匂いが辺りに立ち込める。
「……きっ……はーッ!!!!……うっぷ、……やっと正気に戻れたぜ……」
「あ、あの、未成年じゃ」
未成年、という単語を聞くと微かに表情を曇らせながら、
「はん、姉ちゃん、いいか、一度しか言わねえ。いいか、俺は 未成年じゃねえ」
車体の下に潜り込んでレンチを回していたミューゼが身を起こす。
「ああ、そのちびっ子はなりは小さいけど法律上は成人だから。そいつリュムホールなんだよ……よっと、……ナットが硬い……あちゃー、こりゃボルトかな?」
「リュムホール……?」
聞いたことがない単語にエイミィ首を捻った。
ミューゼは曲がったボルトを路肩に放り捨てながら、
「リュムホール体発達遅滞症候群。別名妖精病。聞いたことない?奇病で成長停止したまんまの体になるとかいう。そいつの診断書と証明は本物だし、法律上成人だから警官なんかやれるってわけ」
「うっぷ、そういうこった……てかミューゼ、てめぇ、さっきよくも俺を人間大砲みたいにぶっぱなした挙句、置き去りにしてくれたな!?」
「アンタが人の話を聞かないからでしょう!」
「ちぇ。クソ喰らえだ。大体、てめ、」
「そうそう、落とした 回転拳銃と虎の子の 機関拳銃、回収しといたよ。一応ばらして拭いといたから。そこのタオルの上」
ミューゼが指さす先に、路肩にしかれたタオルがあった。その上にパーツごと細かく分解されて泥を落とされた部品が並んでいた。
「おお!!気が利くじゃねえか!相棒!」
アナスタシアはすぐさまにやにやと相好を崩して、銃の組立を始める。
「ったく。調子いいんだから。あ、エイミィさん」
「はい?」
「パトカーに乗っていけば良かったじゃない?まあ署も一杯一杯だから、事情聴取は明日になると思うけど」
「え、えーと、まだお礼いってませんでしたし」
「いいよ、でも、今回は残念だったね」
とはいえ何故かミューゼは嬉しそうである。
「ミューゼのやつ、自分が結婚のアテがねえから仲間ができて喜んでやがるな。ああいうのを人の不幸は蜜の味というんだ、姉ちゃん、ああいう手合いには近寄らねえほうがいいぜ。行き遅れが空気感染すらあ。」
アナスタシアが耳打ちするとエイミィは目を白黒させた。
「おいロリ!!聞こえてるぞッ!!全く……。ありゃ、そろそろ日が暮れるんじゃないか?おい、ロリ、早く着替えなよ。今月はそのびしょ濡れドレスで行く気かー?」
既に日は傾き掛けている。夕日が沈む国道の上で、泥だらけのドレスを来たまま仁王立ちしたアナスタシアは情けない声を上げた。
「うけー!!アイツの前にこんなナリで出れるかよォ。ちょっと待ってろ。自慢の一張羅に着替えるから」
言うなり、ランドセルから換えの服を出すと茂みに隠れてごそごそとやり始める。
ぽいぽいと下着や靴下を次々放り投げて着替える様は徹夜明けのサラリーマンのようだ。
「あ、そうだ、あの、結婚式」
暮れゆく夕日を眺めながらエイミィははっと思い出したように自分の手を叩いた。
オートバイの車体下から身を起こしたミューゼがオイルで汚れた両手を拭きながら、
「親戚のいる式場には警察から話が言ってるはず。アンドレの親戚は、あれ全員日雇いのサクラだって。気を遣う必要ないよ」
というとエイミィはホッとしたように胸をなで下ろした。
「おうい、もういいぞ!!準備完了!!」
茂みからアナスタシアが飛び出した。
なんともまあ、格好だった。
少し古風なレース飾りのついたYシャツに真っ赤なネクタイ。
サファイアの銀のタイピンがよく似合う。
微かにアンバランスなチェックを基調としたティーン向けのスカートを止めるのは空軍の降下歩兵が付けるような無骨なタクティカルベルト。スカートの裾からは風が吹くたびにスリップのレースが微かに見え隠れしていた。
その上から合州国空挺軍のボアのついた皮革製ジャケットを着ていたが、これには両肩を通さずに軽く肩に乗せて羽織っているといった方がいいだろう。ジャケットの両腕には腕を通さずただ、風に靡いて揺れている。
「バッチリだ。決まってるだろ?なあミューゼ。オートバイは治ったか」
「……署までは持つんじゃない?」
少し自信なさげにミューゼは視線を泳がせた。
「うっわ、不安だなオイ……、おう、そうだ姉ちゃんも送ってかないとな。家はどこだい?」
「芸術大学の隣です」
「あー、ピザ屋の向かいか?」
「違います。芸術大学の西門の脇の」
「あー、え?、あの広い敷地か!?ああ、そうだ姉ちゃん家、財閥だったもんな」
「いえ、それほど大きい家では」
エイミィがはにかんだように笑う。
「いいんだよ。まあ俺にとっちゃ、アパート住まい以外は皆、財閥みてえなもんだからな」
「はあ……」
ミューゼがエンジンを掛けると頼りない音と共に再びエンジンが回りだす。
エンジンのどこかでガスガスと何かを蹴り付けるような音がする。
「……い、いいみたい?」
「なんで疑問形なんだよ!!信じていいんだろうな?こいつは肝心なところでヘたるからな」
「いいっ!」
ムッとした表情でミューゼは言い切るとさっさと運転席に跨った。
「さ、エイミィさん、後部座席にのって。ああ、サイドカーはチャイルドシートだから」
慌ててエイミィがミューゼの後ろに跨った。
「馬鹿やろう!!なにいいやがる。サイドカーは俺様の特等席だ」
「つまりチャイルドシートじゃないの」
「け。まあいい。おう、姉ちゃん、悪いが少し寄るところがある。人を待たせてるんだ。寄り道するがいいな?」
「大丈夫です」
エイミィが頷く。
「おし、じゃさっさと――」
「――行きますか」
ミューゼがアクセルペダルを踏む。
オートバイは夕暮れの州道を走り出した。
市街地手前に丘陵地帯がある。港湾都市であるサン・ザビエラ市を一望できるこの周辺は州立指定自然公園だった。開発から手つかずの環境が残っていて、開拓時代以前の原野の趣を今に伝えている。
その丘の上に市立の天体観測センターがあった。
排ガスと工場油煙、ネオンサインと夜間照明が囂しい都市の中においては天が降ってくるような、自身がどこまでも深い宇宙の一部であると実感させるような美しい星空を忘れてしまう。そんな中で、宝石箱の中身をぶちまけたようなサン・ザビエラの市の大夜景と、夜空の星座を同時に見渡すことのできる稀有な場所であった。
天体観測センターの白亜のドームの丁度、下あたりで、ミューゼはオートバイを止めた。
「っと、夜道は危ないねー。野良猫にあってヒヤヒヤしたわ」
「猫撥ねたら許さねえからな」
アナスタシアがじろりと、ミューゼを睨む。
「コヨーテなら?」
「け。アクセル踏みやがれ」
「あいあい。さ、王子様に会ってきたら」
「バカ。あいつはそんなんじゃなかったよ」
夜風のせいだろうか。アナスタシアのその声はどこか寂しげに響いた。
「行ってくら」
そういって、ミューゼとエイミィを置いて、アナスタシアは歩きだし、見分けがつかないような細い側道を一人で歩いて夜の闇に消えていった。
ミューゼとエイミィ夜の闇に二人だけになる。急にしん、としてしまったのでこうなるとエイミィは何を話したらいいのか迷ってしまった。
ミューゼが切り出した。
「結婚式本当に残念だったね」
「え、あ、ああ」
エイミィは今の今まで自分が新婦だったということをすっかり忘れていた。大立ち回りと、二人組みの風変わりな刑事。
人生でもっとも不思議な一日。
「あの」
何もかもがめまぐるしく一日で変わった。エイミィにはこれからどうすればいいのか見当もつかない。
――彼は、私を騙した。
心のどこか醒めた部分が、無感動に事実を受け止めていた。
あまりにも――受け止めかねるほど――事実の重さが大きくて、どこか夢でも見ているような気分だった。
現実のものではない。
これからどうするのか?
何もしないで生きていくことは多分できるだろう。親の遺産はたっぷりとある。
ただ、漫然と生きていくのは虚しいようにも思っていた。
「これから、私どうなるんでしょうか?」
「なるようになるんじゃない?まあ、いずれにせよ後悔しないように生きなよ」
「後悔しないように、ですか」
「うん、あの子みたいにね」
――あの子みたいに?
――アナスタシアみたいに?
「それってどういう……?」
口に出してから気がついた。
「アナスタシアさん、どこへいったんですか?」
たとえそこが茂みだって、誰かが通れば、通り道ができる。
何度も通ればなおさらだ。
茂みに出来た細い道を、月影の照らす小径をたどって、アナスタシアは丘の中腹の少しばかり開けた草地に出た。
開拓時代の百数十年前も昔の苔むした石の墓標が十数本並んでいる場所。
そこは忘れ去られた霊園だった。
一番新しい墓標は、一番見晴らしのいい場所にあった。
墓標の脇に、よっこいせと馴染みの友の家のソファに腰掛けるようにアナスタシアは腰を据えた。
それから、スキットルの酒を墓標の上から振りかけてやる。
夜間飛行船の側面灯、繁華街のネオンサイン、工場の煙突に、いと高き送電鉄塔に光る赤い航空障害灯。ハイウェイを行き交う車のヘッドライト。ハイビーム、ロウビーム。
官庁街はまだまだ明るい。摩天楼は鏡の塔の如く光を振りまいて、立体交差の観光名所、フォーシーズンズ・スクエアの大通りは光の洪水で溢れている。
それにラジオの天気予報は早朝まで凪ぎだといっていた。沖合には貨物船やバラ積み船が待っている。朝になればタグボートで乗り付けた水先案内人たちの誘導で次々に入港してくるに違いない。北側倉庫街のものさびしい、いじらしいような、心細いような街灯も、いけ好かない金持ち共のヨットハーバーの散らす享楽の光も、全て全て見渡せる。
――アナスタシアが生きている街。
――そして、最初の相棒が死んだ街だった。
猫の様な、汚れを知らぬ直ぐな瞳で、アナスタシアは夜空を眺める。
知らない間に涙が溢れていた。
「よう、どうした、たっぷり泣いてきたかロリ」
眠っていたらしいエイミィが気がつくと、アナスタシアが瞳を微かに潤ませて立っていた。
「俺が?この俺様が?……ばかこけ、泣くわけがねえだろう」
「それにしちゃ、ずいぶん長い逢瀬だったじゃないの?」
にやり、とミューゼが笑う。
「バカいえ。墓参りにきたら、タバコの一服する間も居てやるのが礼儀ってもんだろうが。なあ、姉ちゃん」
アナスタシアはそう言って照れくさそうにポンポンとエイミィの頭を叩いた。
「え、ええ」
「はーいはいはい。ごちそうさまですねー!」
ミューゼが万歳をして応じる。
「おうし、今夜は飲むぜ!!」
アナスタシアが叫ぶと同時に、ミューゼがアクセルを踏む。やがてオートバイは速度を上げて国道を向かう光の流れに加わった。