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捨てられた勇者  作者: 天村 一
ロンバルディア―消えぬ炎
9/30

青い炎

「ぎゃああああ!」

「いやああ!来ないでええ!」

「おがああざあああん」


 絶望がコーラルに響く。鉱山正面入口前で鉱夫達を取り込んだ黒いもやが最初の化物と同じように形を成し、逃げ遅れた人々を襲いだしたのだ。その姿は多眼の化物と同様に醜悪極まりない。剥き出しの赤肉に(いびつ)な手足、不細工な肉の塊の頭部、その中央の一箇所に大きな一つの複眼のように集まった沢山の眼球。そして幾つもの人の唇と歯を歪に繋げて出来た顔の下半分を占める大きな口は、不気味な笑みを浮かべジグザグに並ぶ歯から血を滴らせている。


「リネットもう少しよ!頑張って!」

「うぐ……っ!」


 背中に聞こえる人々の断末魔を無視しながらソフィアはリネットを連れてまっすぐ自宅を目指していた。リネットの足は腫れ上がり、もう歩くのもままならなかった。


「見えた!」


 息をたえたえにしながら遂にソフィアは自宅を視界に入れる。自宅にさえたどり着ければ後は馬で逃げるだけだ。雨足は強まる一方で遠くの空には雷鳴も見える。


 「少し待っててねリネット、すぐ戻るから」

 「ああ……済まない」

 

 びしょ濡れになりながらソフィアとリネットは自宅にたどり着く。リネットを自宅の玄関にもたれかけさせるとソフィアは急いで馬を繋いでいる家の裏庭に回る。だがソフィアが裏庭に足を踏み入れると、見知らぬ女が小さな女の子と一緒に止め縄の外れたソフィアの馬に跨っているところだった。


「ちょ、ちょっと!なにやってんのよあんた!」


 ソフィアの声に驚いた女が顔をあげる。


「あ……お、お願いです見逃してください!小さい子がいるんです!」


 女の子を抱き締めながら女は泣いて懇願する。


「知らないわよあんたの子供なんて!私の馬を返しなさい!」


 鬼気迫る迫力でソフィアは言った。が、女はおとなしく引き下がる様子もなく、ひたすら懇願を涙ながらに繰り返す。


「お願いします!お願いします!後生ですから!この子には生きて欲しいんです!」


 ソフィアは激怒する。


「ふざけんじゃないわよ……何もしないで人に頼ることしか出来ないゴミ共が何をほざくのよ!どけ!その馬は私のよ!」


 罵声とともにソフィアは残った魔力を手に集中させ火球を作り出す。小さな火球は降りしきる雨粒を一瞬で蒸発させる。消耗しているとはいえソフィアの創りだしたそれは人一人焼き殺すには十分すぎる火力を持っていた。


「どかないっていうならその糞ガキと一緒にここで死ね!」

「ひっ!」


 子連れの女が怯む。しかし――


「いぎゃあああ!」


 五月蝿い雨の音を(つんざ)き表の通りから聞こえる悲鳴。気を取られソフィアは女から目をそらす。


「ごめんなさい!」


 その一瞬の隙に女は馬を一目散に走らせた。


「あ!待て!」


 時すでに遅く女は走り去る。しかしソフィアに追いかけている暇はなかった。ソフィアは急いでリネットのもとに戻る


「リネット大丈夫!?」

「僕は大丈夫だ、でもあいつがもうすぐそこまで」


 リネットが指した外を見ると複眼の化物が数軒先の家に隠れていた住民を襲っているところだった。


「いやああ!誰か助けてええええ!」


 複眼の化物は妻の前で夫を食らう。不揃いに並んだ化物の歯が骨を噛み砕くたびにバリバリ音を立てながら折れる。化物はまだソフィア達に気づいていない。


「ソフィア、さっき小さい女の子と女の人を乗せた君の馬が駆け出していったけど」

「小さい子がいるからどうしてもって……私断れなくて……ごめんなさい」

「謝らないでくれソフィア、君は正しいことをしたよ。それに元はといえば僕が足を挫いたのがいけないんだ」


 そう言って取り繕いながら、勝手な理由で頼みの綱の馬を奪った女にソフィアの(はらわた)は怒りで煮えたり返っていた。


「だからもう僕に構わず……」

「あいつが私達に気付く前に行きましょうリネット。さあ私の肩を掴んで立って」


 リネットに耳を貸さないソフィア。有無を言わさないソフィアにリネットはもう何も言わずソフィアの肩を掴み足の痛みを堪えて再び立ち上がる。


「うぐっ……!」

「今なら雨で視界が悪いわ、あいつの動きは遅いしきっと逃げ切れる」


 ソフィアとリネットは土砂降りの雨の中意を決して再び歩き出す。


******


 コーラルは森を切り開いて造られた。故に四方を森に囲まれ、安全に街道に出るには街の入口を通る他ない。夜中に森の中を歩くのはあまりに危険過ぎるため、ソフィアとリネットを含む逃げ惑う人々は一様に街道へと続く街の入口を目指した。しかし、入口に続く通りは建物に囲まれた細い一本道になっており、このコーラルの構造が事態の悪化を招いた。

 雨と雷の音がけたたましく耳を塞ぐ中、リネットを抱えたソフィアが街の入口にたどり着く頃には、沢山の住民が入口付近に群がっていた。


「なんで皆こんなところに呑気に集まってるのよ」


 状況を掴めないソフィアが言いながら人混みに近づく。


「ねえ!なんで皆前に進まないの!?」


 雨の音に声をかき消されないようにソフィアは大声で集団の最後尾にいた男に尋ねた。


「わからねえ!さっきから全然前が動かねえんだ!暗くて状況も見えねえ」


  次から次へと行く手を阻むように起きる出来事にソフィアは己の不運を呪う。


「いったいなんなのよ!私が何をしたっていうのよ!」

「ソフィア……」


 憤るソフィアにリネットがうまい声を掛けれずにいると、いきなり人の波が動揺したように動き、伝言ゲームのように前から後ろへ人々の怒声が流れてくる。そして、遂にその伝言ゲームはソフィア達の耳にも届いた。


「大変だ!入口を化物が塞いでいるみたいだ!」

「ソフィア!あれ!」


 同時に雨雲が突然晴れ月明かりが辺りを照らす。人々はようやく見えた光景に言葉を失う。多眼の化物が街の入口を塞ぐように立ちふさがり、事切れた男を一人鷲掴みにしている、その周りには無残に引き裂かれた肉塊が無造作にぶち撒けられて転がっている。


「う、うわあああああ!」

「逃げろおおお!」


 突然月明かりの下に姿を表した化物にパニックを起こした人々は踵を返し無我夢中で走りだす。


「リネット、しっかり捕まって!」

「なんで動きの遅いあいつがこんな所に、それにあいつ傷がふさがってる!」


 濁流のようにうねる人の波に飲まれぬようソフィアはしっかりとリネットの体を支える。ソフィアがつけた多眼の化物の傷は黒い詰め物をしたように塞がっており、さっきは剥き出しになっていた血管と赤い肉には皮膚が覆っていた。

 化物の多眼が逃げ惑う人々の後に取り残され棒のように立っているソフィアとリネットを見つける。


「……っ!くる!リネット伏せて!」


 多眼の化物の殺気を感じとり身構えるソフィア。自力で歩くことのできないリネットはソフィアの足元にうずくまることしか出来ない。間髪入れずに化物は鷲掴みにしていた男を投げ捨て、全ての眼を血走らせながらソフィアに先ほどとは比べ物にならないほどの速さで襲いかかる。

 

「このおお!」


 ソフィアは残された全てを魔力を化物に向けてかざした手にかき集め、大きな紅の玉を作り出す。


「吹き飛べ!」


 放たれた紅の玉がソフィア達に飛びかかろうとした化物の土手っ腹に直撃し、凄まじい轟音と共に激しく爆裂する。化物の腹が抉れ(えぐ)、肉片をまき散らしながら巨体が吹き飛ぶ。

 ソフィアの全身を凄まじい倦怠感が襲う。ソフィアの魔力が底をついたのだ。


「お願い……このまま動かないで」


 ソフィアは祈るように吹き飛んだ化物を見る。ソフィアの放った魔法は全快の時とは比べ物にならないほど弱い威力だった。魔力を全て使い切ったいま、もし多眼の化物が立ち上がったらもう為す術はない。幸いにも背中に僅かな肉を残して腹が吹き飛んで倒れた多眼の化物が動き出す気配はない。


「リネット、さあ今のうちに」

「ああ」


 魔力の枯渇による頭痛と目眩を堪えながらソフィアはリネットを再び抱え上げる。


「きゃああああああ!」

「おい!ソフィアさんがあっちの化物をやっつけてくれたみたいだ!あっちに逃げるぞ!」


 いざソフィアとリネットが前に歩き出そうとすると。先ほど多眼の化物から逃げていた人々が我先にと押し寄せてくる。彼らの後ろには複眼の化物が迫っていた。複眼の化物の動きはまだ遅いが多眼の化物と同じように皮膚が体を覆い始めている。

 人の波はリネットを抱えるソフィアを避けて一目散に入口を目指して走る。


「誰かお願いだから手を貸して!リネットが足を挫いて動けないの!」

 

 もうまともに体を動かせないソフィアが助けを求めて叫ぶが、耳を貸すものは誰もいない。人の波は容赦なくソフィアとリネットを置いて流れる。


「なんなのよ!少しぐらい手を貸してくれてもいいじゃない!」


 無情な人々にソフィアが叫ぶ。リネットは悔しそうに歯を食いしばる。


「すまないソフィア、僕が不甲斐ないばかりに」

「そんなこと言わないでリネット、貴方のせいじゃないわ、悪いのは自分勝手なみんなよ。さあ頑張って歩きましょう」


 体に鞭を打ちソフィアはリネットを抱えながら再び歩を進める。後方からは複眼の化物が迫る。群衆の先頭を走っていた若い男が入口を塞ぐように倒れている多眼の化物の横を通り過ぎようとする。


「――っ!?うわ!」


 突如、多眼の化物の手が動き近くにいた鉱夫達を捉え、後続の人の波が足を止める。


「は、離せこの化物!――うがああえあぎゃああ!」


 捕らえられた鉱夫達が苦悶に満ちた声を上げたと思うと、みるみるうちに抉れた化物の腹にどす黒い血を滴らせた赤い肉が張り始め、多眼の化物はむくりと起き上がる。


「そ、そんな!」


 誰よりも驚いたのはソフィアだ。後ろには複眼の化物、前方には多眼の化物、そしてソフィアに魔力はもう残されていない。状況は絶望的だ。

 多眼の化物に掴まれていた若い男の体がやがて真っ二つになり上半身と下半身が化物の手からこぼれ落ちる。多眼の化物がゆっくり手を開くと血で染まった手のひらには幾つもの口が醜く蠢いていた。


「あ、あいつ喰ったんだ!あの手で皆を喰ったんだ!」


 リネットが青ざめながら言った。同様にそれを目撃していた他の人々も足を止め絶望に打ちひしがれる。


「い、嫌だ!死にたくない!あんなのに喰われたくない!」

「誰か助けて!誰でもいいから!お願い!」

「おい誰かあの化物をどうにかしろよ!」

「お前がやればいいだろ!」


 助けを求めるばかりの人々はただ立ちすくむ。その内の一人の若い女がソフィアに気づき言った。


「ソフィアさん助けて!あなた強いんでしょう!」


 それに気付いた他の人々も声を揃えてソフィアに助けを求め始める。


「そうだソフィアさんなら!」

「お願いだソフィアさん俺たちを助けてくれ!」

「あんたならあの化物をどうにか出来るだろ!」


 ソフィアは怒りで声も出ない。リネットも複雑そうに顔を俯ける。人々は助けを乞えども未だにリネットに手を貸そうとする者は一人も居ない。


「……ないのよ」

「え?なんて言ったのソフィアさん?」

「もう魔力が残ってないって言ったのよ!助けて欲しいのは私の方よ!」


 最期の希望を立たれた人々の表情がみるみるうちに曇る。


「そ、そんな……」

「嫌……誰か助けて……」

「もうだめだ……」

「なんで全部魔力使っちまったんだ!」

「うわああ!来るな!来るな!来ないでええええ!あああああ!」


 複眼の化物が群衆の後方に追いつき人々を襲い始める、前方の多眼の化物も次々と人々をくらい、抉れた腹は新しい肉で覆われ皮膚を纏い始めている。間に挟まれた人々に逃げ場はない。


「なんで、なんでこんなことに……」

「すまないソフィア、すまない」


 崩れ落ちるソフィアとリネット。前方と後方から二体の化物が人々を食い散らかしながら迫る。


「もうだめだ……」

 

 人々は希望を失い打ちのめされる。幼い少女に多眼の化物が迫る、助けようとする者は誰もいない。


「いやああ!アンジェ!」

「助けてええ!ママああああ!」


 ――青い火柱が手を伸ばした多眼の化物を燃やす。


 燃え上がる青い炎が辺り一体を照らす。呆気にとられ何が起こったか理解できない人々。ソフィアはだけはこの青い炎に心当たりがあった。


「この炎……エラード?」


 身を焼かれながら多眼の化物が炎を振り払う。直後、化物の影からエラードが現れる。


「はああああ!」


 未だ青い炎が体に残る多眼の化物にエラードが斬りかかる。化物は腕を振り上げ応戦しようとするがエラードには当たらない。エラードは素早く多眼の化物の四肢を切り刻んでいく。エラードの持つ紅いナイフで切られた切り口は次々と燃え上がる。そしてエラードはナイフをまっすぐ化物の額に突き入れた。脳天から足の先に至るまで炎に焼かれながら多眼の化物はついに動きを止める。多眼の化物はゆっくりと消し炭なっていく。


「あいつはエラード!」

「助けてくれたのか!」

「化け物どもが現れたのは全部あいつのせいじゃねえか!」

「なんでもいい!今は逃げるぞ!」


 多眼の化物が完全に動きを止めたのを確認して人々はエラードに礼も云わず一斉に逃げ出した。捌けていく人の波と入れ替わるように馬に乗った疲れた表情のメリルがエラードに歩み寄る。


「勝手なやつらだね、ほんと」

「しょうがないさ」


 エラードはメリルと一言だけ言葉を交わした後、すぐに視線を前に戻す。


「エラード来てくれたのね!お願い助けて!まだもう一体いるの!」


 視線の先には嬉しそうにしているソフィア。それを見てエラードは少しばかり安心する。ソフィアの隣でうずくまっているリネットはエラードに目を合わせようとしない。


「ソフィア!いま助ける!」


 そう言ってエラードはソフィアとリネットの後方で若い女を貪り食っている複眼の化物に狙いを定める。


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