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捨てられた勇者  作者: 天村 一
ロンバルディア―消えぬ炎
8/30

決壊

明くる日のコーラル。


「大丈夫かいソフィア?」


 そう言って優しそうな若い男がベッドの上に横になっているソフィアに水を差し出す。


「ありがとうリネット」


 美しい金髪をたなびかせながらソフィアは上体を起こす。窓から入る午後の日差しがソフィアの髪の合間を光で埋める。リネットはベッドの側に置かれた椅子に腰を掛けゴクゴクと音を鳴らして喉を潤すソフィアを青い瞳で見つめる。


「どうしたの?私の顔に何かついてる?」


 水を飲み干したソフィアが自分をじっと見つめているリネットの気付く。


「いやーーまたこうして一緒に入られるのが嬉しくてさ」


 恥ずかしそうに答えるリネット。ソフィアの顔が綻ぶ。だが彼女の笑顔は悲しげだ。


「こんな時じゃなかったら素直に一緒に入られることを喜べたのに……」


 そう言ってソフィアは窓の外に目をやる。そびえ立つゴリアテ山脈。普段は活気に溢れている鉱山の街が眠ったようにひっそりしている。


「私が休んでる間なにか変わりはあった?」

「なにも変わりはないよ、なにも出来ないって言ったほうが正しいのかもしれないけど……」


 ソフィアは深い溜息を吐く。黒いもやを一晩中防いでいたソフィアとコーラルの人々は朝日が昇り黒いもやが外に出れなくなった後、疲労困憊の身体に鞭を打ち3つある鉱山入口を建材を使って物理的に防ごうと試みたが穴に近づきすぎると入口付近に滞留している黒いもやに鉱内に引きずり込まれ、作業はままならず、黒いもやを散らそうとソフィアが魔法を放ってみても無限の濃霧に炎を投げつけるように全く効果はなく時間を稼ぐことすら出来なかった。


「救援が間に合えば良いんだけど……」


 ソフィアが諦め混じりに言った。昨日送った伝令に応えてグリーンベルを救援隊が出発するのはどんなに早くても今日の明朝。グリーンベルからコーラルまで早馬で丸一日。おそらくどれほど救援隊が急いでも日没までにコーラルに到着できる望みは薄い。

 交代で行ったとはいえ一晩中魔炎(魔法の炎)で入り口を塞いでいた魔力量の少ない一般人の疲労の蓄積は激しい。だがそれ以上に大変だったのがソフィアだ。鉱山正面入口は掘り出した鉱石の運搬の出入りがあるため少し斜面を登った所に作られた他の二つの人の出入りのためだけの入口よりも遥かに大きい。そんな大きさの魔炎を生み出せるのはコーラルにソフィアしかおらず、彼女は一晩中交代なしで正面入口を一人で塞ぎ続けた。結果、朝日が登る頃にはソフィアの魔力はほとんど底を突き、今まで身体を休めて回復に務めたものの気休め程度しか魔力は回復しなかった。


「きっと間に合うよ!」


 望みが薄いことを知りながらリネットは気落ちしているソフィアを励まそうとする。


「コーラルはロンバルディアにとって大切な場所だし王だって……」

「ねえリネット」


 ソフィアがリネットの言葉を遮る。


「ーーこのまま二人で逃げない?」

「え……?」


 ソフィアの不意の言葉に戸惑うリネット。


「きっと救援隊は間に合わないわ、私の魔力の回復も間に合わない、このままここにいても二人共死ぬだけよ。折角一緒になれたのにそんなの私は絶対嫌!」

「でもソフィア、そしたらコーラルのみんなが……」

「私はリネットが死ぬなんて耐えられない!リネットは私が死んでもいいの?」


 瞳を潤ませながらソフィアはリネットを見つめる。リネットはソフィアの目線から逃げるように目をそらす。ソフィアを思う気持ちと良心の間でリネットの心は揺れる。


「ごめんこんなこと言って……でも私はリネットを失いたくないの、日没までには答えを聞かせて」

「ああ……わかったよ」


 困り果てるリネットを見かねてソフィアはそう言うと、再びベットに横になり目を閉じた。リネットはソフィアの額に優しくキスをして、受かれぬ表情で部屋を後にした。


**********


 エラードとメリルは朝早くに出発しアポスを抜けた後コーラルを目指しイノスに跨りゴリアテ山脈を右手に風を切り裂きながら草原を北に進む。眼下に広がる薄緑の絨毯が激流のように流れる。吹き付ける風が草々の匂いを運ぶ。

 メリルはエラードの後ろに座り振り落とされぬようにエラードの腰に手を回している。馬の後部は揺れが大きい。その上食事をとって一晩休んだとはいえメリルの体力は回復しきっておらず、エラードはメリルを前に座らせようとしたが、メリルはエラードに抱きかかえられるように馬に乗ることを頑なに拒んだ。


「メリル!大丈夫か!?」


 吹き抜ける続けるうるさい風の音と蹄の音にかき消されぬようエラードが大声で言った。


「大丈夫だ!いちいちうるさい!」


 その声に余裕など無いがメリルは絞りだすように意地で答える。


「コーラルまでもう少しだ!頑張れ!」


 メリルが大丈夫という以上エラードも馬を止めず進み続ける。

 やがて陽の光がオレンジ色に変わり始めた頃地平線とゴリアテが交わる所にコーラルが姿を現した。


**********


 ソフィアが再び目を開けた時、空はすっかり夕色に染まっていた。外を見ると相変わらずコーラルの街は静かだ。ソフィアは胸に手を当て意識を集中させる。そして、苦々しさが顔に滲み出る。先ほどよりも魔力は回復したが、もう一晩鉱山を塞ぐには程遠い、数刻持たせられるかも怪しい。救援隊が到着した様子もない。もう日没はすぐそこまで着ている。何一つ希望を持てる要素がなかった。


「リネット?」

 

 ソフィアはリネットの姿を探すが自宅の中には見当たらない。表に出てあたりを見回してみるがリネットは見当たらない。


「ソフィアさん!」

「身体は大丈夫ですか?」


 ソフィアの姿を見つけた近所の住民が駆け寄ってくる。


「ありがとう私はもう大丈夫よ、リネットを見なかった?」

「ああリネットならさっき正面入口のほうに行くのを見たわよ」


 ソフィアは礼をいい正面入口の方へ向かう。


「あ、あのソフィアさん!」

「なに?」


 住民の一人がソフィアを呼び止める。


「コーラルは大丈夫なんでしょうか救援隊もまだ来ませんし、もう日没が……」


 集まった人々は一様に不安そうにしている。 


「大丈夫よ救援隊は間違いなくここに向かっているわ、それに日没から救援隊の到着までもたせれるくらいの魔力は回復したし」

「ほ、本当ですか!」

「ええ!大丈夫よみんな!」


 ソフィアの笑顔が集まった人々の不安を取り除く。ソフィアの言葉を聞いて先程まで葬式の参列者のように暗かった皆の顔が一気に明るくなった。


「じゃああたしはリネットに用があるからもう行くね」

「ありがとうソフィアさん!」


 そう言ってソフィアは希望を取り戻した人々を背に駆け出した。


**********

 

 開けた広場になっている鉱山の正面入口前に百人近くの鉱夫達が集まっていた。


「親方ダメです!ありったけの爆薬を使いやしたが外からじゃゴリアテはびくともしやせん!」


 彼らもただ現状を指をくわえて見ていたわけではない。ありとあらゆる考えられうる全ての手段を講じて鉱山を封印しようと試みたがどれも失敗に終わった。木材で封をしようと近づけば入口付近に滞留している黒いもやに飲み込まれ、爆薬で崩落を誘おうにも外側からではゴリアテに十分な衝撃を与えることは叶わない。


「糞ったれが!もう日没は間近だってのに!」


 親方と呼ばれた筋骨隆々髭面の大男が歯を軋ませる。目線の先にあるのは地獄の穴のように真っ黒い穴、鉱山の入口だったもの。しかし、今は黒い闇が不気味な生き物用に蠢いている。


「どうしましょう親方ぁ」

「もうだめだ……」

「避難したほうが……」


「落ち着けえい!」

 

 情けない声を出す大男たちに親方が激を飛ばす。しかし、時間的にも最後のチャンスだった鉱山を封印する試みが失敗した彼らのショックは拭い切れなかった。


「リネット、ソフィアの様子はどうだ?」


 大男達の中に埋もれている優男に親方がその鋭い眼光を向ける。


「さっき見た時はまだ寝てたからまだなんとも……」


 リネットが気まずそうに答える。親方が聞いたのは無論ソフィアの魔力の回復具合であることはリネットも十二分に承知している。しかし、リネットはソフィアの回復が十分ではないこともソフィアがコーラルの人々を見捨てようとしていることも知っている。そして、リネットは未だソフィアの言うことに従うか否かの決断ができずにいた。


「しっかり確認してこい!皆の命が掛かってるんだぞ!」

「は、はい」


 事ここに及んではもはや彼らの頼みの綱はソフィアだけだった。だがソフィアの魔力が回復していないのなら彼らはコーラルを捨てて避難することを考えなければならない。


「私は大丈夫よ!」

「ソフィア!」

 

 リネットが駆け出そうとした方角からソフィアの透き通った声が響く。男共の群れにソフィアが駆け寄る。


「みんな心配かけてごめん、でも私はもう大丈夫!頑張って乗り切りましょう!」


 ソフィアが笑顔で言う。


「これでもう安心だ!」

「流石ソフィアさんだ!」

「いける!いけるぞ!」


 ソフィアの自信に満ちた言葉を聞いて男達の顔に一気に安堵が浮かぶーーリネットを除いて。


「じゃあ皆、食事をとって日没に備えましょうお腹が減っていては力も出ないわ!」

「おい野郎ども!一旦解散だ!飯食ったらここに集合だ!」


 ソフィアと親方の号令で男たちが動き出す。


「俺も一旦戻る、ソフィアも一回家に戻るのか?」

「いいえ私は皆が食事を摂っている間ここであれを見張っているわ」

「そうか、何から何まで本当に恩に着るぜソフィア」


 親方はそう言ってソフィアに深々と頭を下げると、嬉しそうに談笑しながら歩く男共に続いて歩き出した。そしてソフィアは温かい笑みで男達の背を見送る。


「ソフィア本当に魔力が戻ったのかい?」


 楽しげに歩く男達に聞こえないようにリネットが小声で尋ねた。


「いいえ、全然戻ってないわ」


 ソフィアはきっぱりと答えリネットを更に混乱させる。


「じゃあコーラルの皆を守ろうと?」

 

 ソフィアの真意をつかめないリネット。


「……あの人達が見えなくなったらすぐに発ってグリーンベルに行きましょう」

「ソ、ソフィア……」


 遠ざかる男達の背中を見つめたままソフィアは静かに言った。あまり聞きたくなかったソフィアの決意にリネットは動揺を隠せない。


「どうせ逃げるんだったら皆で……!」

「リネット」

 

 納得出来ないリネットが食い下がろうとすると突然ソフィアがリネットの方へ向き直り真剣な眼差しで射抜くように真っ直ぐリネットを見つめる。


「あの黒いもやが何かは解らない。けど、あれは間違いなく危険なものよ。皆で逃げれば動きが遅くなる。もし逃げてる最中にあれに追いつかれたら私にコーラルの人全員を守るだけの力はないわ」

「そ、それは……」

「私は貴方と一緒にいたい。貴方を守るためならなんでもする、そして私は貴方に私を守ってほしい」


 ソフィアの頬を涙が伝う。愛妻の懇願にリネットは黙って首を縦にふるしかなかった。


「ありがとうリネット、ごめんなさい優しい貴方にこんなことさせて」

「いやいいんだ、僕の方こそごめん……ソフィアのほうが辛いはずなのに」


 リネットは未だ涙が止まらずにいるソフィアを抱き寄せる。暖かい抱擁が二人の身体を温める。


「皆が見えなくなったらすぐに発ちましょう、グリーンベルなら私を受け入れてくれるはず」


 暫しの抱擁の後、ソフィアはそう言って泣き止んだばかりの顔で笑顔を作りながら、もう大分遠くなっているはずの男達に目を向ける。しかし、ソフィアの目に映ったのは雁首揃えて呆けたように空を見上げる鉱夫たちの姿だった。


「みんな一体……」


 極々当たり前の反応。ソフィアとリネットは鉱夫達の視線の先に目を向けーー愕然とする。夕日に染まる空の向こうに立ち上のぼる特徴的な大きい雲。ロンバルディアで育ったものなら誰でも知っている雲。この季節に稀に発生するこの雲は短い時間で爆発的に広がり国全体に雨を降らす、太陽を隠して。


「野郎ども走れ!鉱山を塞ぐぞ!」


 親方の激で鉱夫たちが踵を返す。


「ソフィアこんな状況じゃあ僕らだけ逃げ出せない!」

「なんで……なんでこんな時に!」


 ソフィアは無慈悲に広がり続ける気まぐれな雲を怨めしそうに睨む。しかし、ぶつけようの無い湧き上がる怒りはただ無意味に拳に力を与えるだけだった。


「お前らは右上部入口を抑えろ!俺達は左だ!」


 声を荒げ地を鳴らしながら親方を先頭に男達がソフィアとリネットの横を走り抜ける。


「ソフィア!ここはよろしく頼む!俺達は手分けして上の入り口を塞ぐ!リネットお前は俺と来い!」

「は、はい!」


激を飛ばされたリネットも波に飲まれるように走りだす。広がり続ける雲はもう太陽を隠し始め影が大地に滑るように広がる。

 リネットを連れて行かれて我に返ったソフィアは怒りの表情のまま鉱山正面入口に目をやる。黒いもやがソフィア達の不運を喜ぶように不快に揺らめいている。

 辺りが暗くなり始めた。ソフィアは両手を正面入口に向けてかざす。ソフィアの魔力が大きな入口を覆う。陽の光が完全に遮られた。黒いもやが溢れ出す。


「ふざけんじゃないわよ!」


 瞬間、ソフィアの魔力が発火する。ソフィアの真紅の魔炎が大きな正面入口を覆い黒いもやを押し込める。不気味な燃焼音が炎を挟んでソフィアに耳に届く。黒いもやが漏れた形跡はない。


「ぎゃああああ!」


 響き渡る鉱夫の野太い絶叫。


「駄目だ!もう出てきてる!うわあああ!」


 悲鳴が聞こえてきた右上部入口にソフィアが目をやると溢れでた黒い闇に鉱夫達が飲み込まれていた。


「いやだあ!たすけてえ!」


 絶え間なく溢れ出る黒いもやが不定形に形を変質させながら、呑み込んだ鉱夫達を貪り食うように一か所に集まり始める。やがてバラバラになった骨肉と血液が球状になった黒いもやの中でグルグルと駆け回りだす。


「逃げろ!逃げろお!」


 難を逃れた数十人の鉱夫達が一目散に駆け下りてくる。しかしソフィアに彼らを助ける余裕はない。ソフィアの一切の注意は彼らにではなく左上部入口に向いていた。最悪の恐怖がソフィアの胸を締め上げる。


「リネット!無事なの!?」


 ソフィアは叫ぶ。左上部入口はソフィアが立つ位置からは死角になっていて見えない。


「……」


 返事がない。ソフィアの思考が止まる。恐怖が絶望に変わってゆく。


「リネット!リネット!返事をして!」

「……こっちは無事だソフィア!」


 少し間をおいてリネットが応えた。リネットの声が全身を硬直させるほどの恐怖からソフィアを一気に解き放つ。だが一息つく間も無くソフィアの後ろの方から甲高い悲鳴が響く。


「いやああああ!あなたあああ!」

「ママ~あれなあに?」

「早く逃げるわよ!こっちに来なさい」

「家の人は!?家の人は無事なの!?」


 騒ぎを聞きつけ家で男達の帰りを待っていたコーラルの女衆がソフィアのいるところまで集まってきたのだ。逃げ出してきた鉱夫達も合流し正面入口前の広場は辺りには悲鳴が飛び交い阿鼻叫喚となる。空を覆う雲から小雨が降り始めた。

 グチャグチャとジャムを混ぜるような嫌な音を立てながら十数名の鉱夫達を飲み込んだ黒い塊と取り込んだ人間のひき肉が不恰好に混ざり合いながらいびつな頭、ひしゃげた胴体、右と左で長さの違う手足を形どりはじめ、剥き出しになった四つん這いの赤い肉の表面に不規則に張り巡せられた血管の中をどす黒く汚れた血液が駆け巡る。(おぞ)ましさの具現。


「みんな!早く逃げて!」


「きゃああああ!」

「うわあああ!」


 ソフィアの声を聞く前に集まっていた者達は異形の怪物を見て本能的に一目散に駆け出していた。目も鼻も口も耳もない化物の赤い頭が小刻みに震え始める。


「な……」


 その不気味さにソフィアは言葉を失う。化物の額に肉の中から人の目が一つまた一つと押し出されてくる。ソフィアは正面に目をやる。魔炎の向こう側には未だ黒もやが充満している。魔炎の封を解けばこれが一気に流れ出て逃げ惑う人々を襲うだろう。しかし、解かなければソフィアはあの身の毛のよだつ得体の知れない化物をどうすることもできない。もう一度ソフィアが化物に目を戻すと額一面を覆った目がそれぞれ別々にギョロギョロ動いている。


「ちょっ!駄目よそっちは!リネット!」


 再びソフィアを恐怖が襲う。化物の醜い多眼が一斉にリネットのいる左上部入口に向けられたのだ。黒いもやを纏いながらゆっくりと化物が動き出す。手足を動かすたびにどす赤黒い液体が音を立てて飛び散る。


「こ、こっちに来るぞ!」

「もう無理だ!」

「親方もう限界だ!」


 死角の向こうから男達の叫びが響く。


「畜生!てめえら先に行け!」

「でも親方!」

「いいから行け!」


 親方の怒声のあと親方に付いていった五十人ほどの鉱夫達が一斉に逃げ出してきた。そこにはリネットの姿もあった。逃げ出すリネット達を見て四つん這いで斜面を歩く化物のペースが早くなる。


「あいつこっちに来るぞ!」

「急げ!」


「っ!うわっ!」 


 我先にと駆け下りてくる鉱夫達の一人がリネットにぶつかり派手に転ばした。


「リネット!」


 絶叫するソフィア。だが、鉱夫達は振り返ることもなくリネットを置き無我夢中で斜面を駆け下りてくる。化物の十眼の焦点がうずくまるリネットを捉え距離を縮める。一層激しくなる雨、辺はもう暗い。正面入口を塞ぐ魔炎の赤い明かりが不気味に斜面を動く化物の醜悪さを一層際立たせる。


「リネット!立って!」


 どこか痛めたのかリネットの動きは鈍い。呆然とするソフィアの横を鉱夫達は一目散に走り抜けていく。リネットの目前まで迫る多眼の化物。沢山の指が不細工についた化け物の手がリネットに伸びる。


「させない!」


 手がリネットに届く前に数多(あまた)の大きな炎の矢が化物を貫き斜面に磔にした。化物の肉が激しく音を立てながら焼ける。そしてソフィアは間髪入れず素早く駆け出した。


「う、うわあああ!」

「ソフィアさん!?」

「いやだ!死にたくないい!」


 正面入口を塞いでいたソフィアの魔炎はもう消えている。遮られていた黒いもやが一気に広場に漏れ出し、逃げ出した鉱夫達に迫る。ソフィアは黒いもやに飲み込まれる鉱夫達を気にかける様子もなく自分に迫るもやを炎で払いながらリネットの方へ駆け抜ける。


「リネット!大丈夫!?立てる!?」

「ソ、ソフィア……足を挫いたみたいだ」


 ソフィアは迷わずリネットの肩に手を回しリネットを立たせる。


「ソフィア!僕に構わず一人で逃げるんだ!」

「うるさい!あなたは私と一緒にいるの!」


 そう言ってソフィアはリネットのいうことに耳を貸さずリネットを支えながらできるだけ早く斜面を下りていく。磔にされ身動きが取れず炎の矢で身を焦がされている化物の血走る全ての眼が逃げ出す二人を睨み続ける。

 二人が斜面を下りきると正面入口から漏れでた黒いもやが広場の中央で飲み込まれた鉱夫達の所に赤黒い球を作りながら渦を巻いて集まってきている。逃げ延びた者もそれなりにいるが、かなリの人数が黒いもやに飲み込まれたようだ。


「今のうちに!」


 黒いもやが一箇所に群がっている隙にソフィアはリネットを支えながら逃げ惑う人々の後を追って馬を繋いである自宅へ走る。

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