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捨てられた勇者  作者: 天村 一
ロンバルディア―消えぬ炎
6/30

ライ

「はああァァァ!」


 普段の寡黙さからは想像できぬ荒々しい雄叫びとともにライの斬撃がエラードを襲う。ライの持つ少し大きな片刃の二本のナイフ、紅い刀身と木目模様の刀身が残像を残しながらエラードの眼前を風切り音を立てて通り抜ける。エラードは立て続けに繰り出される二つのナイフを、一つ、また一つ、少しずつ後ろに下がりながら危なげなくかわしていく。

 虚しく空を切り刻み続ける二本のナイフにライは歯を痛々しく軋ませる。ライが弱いわけではない、エラードが強すぎるのだ。 肩を大きく揺らしながら息をするライとは対照的に、エラードは汗一つかいていない。だが、ライの絶え間ない斬撃はやがてエラードを崖際まで追い詰める。

 

「もうやめるんだライ!僕はただここを出て行きたいだけだ!」


 もう後ろに下がれぬのを見てエラードは叫ぶ。


「黙って征かせるわけにゆかぬ故こうしている!」


 ライは耳を傾けもせず、渾身の一撃を振り下ろす。


「その命置いてゆけぇぇ!」

「このおぉぉ!」


 しかし、ライの刃がエラードを捉えるよりも迅く、エラードの右拳がライの鳩尾(みぞおち)に叩きこまれる。

 激しい拳撃の衝撃はライを大きく突き飛ばし、ライは受け身を取ることもできず無様に地面に転がった。土塗れ(つちまみれ)になりながら両の手から落ちそうになるナイフの柄を握りしめすぐさま立ち上がるライ。だが、内腑(ないふ)(ほとばし)る締め付けるような電撃痛がライの膝を折る。

 強烈な痛みによる胃の痙攣、内容物の逆流。


「がはぁっ!」

 

 嫌な音を立てて血混じりの吐瀉物(としゃぶつ)が地面にぶち撒けられる。地に突き立てられたナイフが辛うじて血反吐の海にライが沈むのを防ぐ。


「無意味なことはやめるんだ!もう僕に勝てないことは解っただろう!」


 たった一撃で満身創痍となって(うずくま)るライにエラードは言う。ライは口元を拭いながら顔を上げ堂々と佇むエラードと少し離れたところで力なく倒れ込んでいるメリルを見据える。


「無意味なことなどーーない!」


 痛みを堪えながらライはゆっくりと立ち上がる。ライの強い闘志を感じ取ったエラードは身構える。


「でやあぁ!」

「なっ!」


 エラードは虚をつかれた。ライが切りかかったのはエラードではなくメリルだった。


「……っ!」


 身体をまともに動かすことができず、迫り来るライを呆然と見上げるメリルの緑眼に紅く光るナイフが映る。瞳の中で段々と大きくなるナイフ。勝手な涙がメリルの視界を濡らす。


「させるかぁ!」


 ーー次の瞬間、メリルの眼に映っていたのはエラードの背中だった。


**********


 ナイフを振り下ろすライの代わりにメリルの前に立つエラード。遠くでライが仰向けで倒れているのを見てメリルはようやく何が起こったのかを理解した。エラードは呆けたままのメリルを残してライに歩み寄る。


「驚くべき……強さですな……勇者というものは……」


 天を仰いだままライは言った。ライの頬は真っ赤に腫れ、口元からは赤黒い血が流れている。


「まだ続けますか?」


 ライの側まで来たエラードが言った。ライは目を閉じて静かに首を振った。


「もう指一本動かすことも出来ませぬ……」


 疲れきった声でライは言った。完膚なきまでに叩き伏せられたためか、先程までライが放っていた殺気はどこかへ消えていた。


「僕はこのままここを出て行きます。もう放っておいてください。もしまた現れた時は容赦はしません」


 そう言ってエラードは踵を返し座り込んでいるメリルの方に向かう。


「容赦はせぬ……か」


 メリルを背負うエラードを見ながらライは自虐的に笑う。

 背にメリルを乗せたエラードがライの横を抜けてゆく。メリルは疲労からか気まずさからかライから顔をそむけエラードの肩に顔をうずめている。


「情けない……」


 そのまま無言で立ち去ろうとしていたエラードはライの声に足を止める。


「エラード殿を留めることができなかったばかりか、よもやエドンの恥となった小娘を除くことすら出来んとは」


 エラードの首に回してある衰弱しきったメリルの手が強張り、震える。


「俺に切りかかったくらいで何故そこまで?」


 何も言えぬメリルの代わりにエラードが口を開いた。


「あれだけではない。元々エドンの仕来りに従わず問題ばかり起こしておったのです。そこへきて、ようやく招き入れたエドンの夢の要であるロンバルディアの勇者を斬り殺そうとするなど、エドンの民としてあるまじき行為、排除されて至極当然」


 ライは淡々と言った。しかし、エドンの仕来りや夢など知ったことではないエラードにとっては何とも滑稽極まりない話だった。メリルは相変わらず黙っているーー少しだけさっきよりも両手を強く握り締めて。

 メリルの気持ちを察してエラードは止めていた足を前に出す。


「それを誅するどころかこのような様を晒すなど」


 しつこく続けられるライの非難はエラードを今一度立ち止まらせた。


「もういい加減に……」

「挙句に武器を奪われ、乗馬まで奪われるなど、全くもって忸怩(じくじ)の極み」


 それを聞いてエラードはハッとして出しかけた自分の言葉を飲み込む。メリルの手から一気に緊張が抜け落ちる。ライはそれ以上何も言わなかった。

 エラードがあたりを見渡すと近くの地面にライが落とした紅と木目の二つのナイフが転がっている。馬は見当たらない、しかしよく耳をすませば先の方から馬の嘶く声が聞こえてくる。


「……ではナイフは頂いていきます」


 そう言ってエラードはナイフを二本とも拾いあげる。メリルの手は先程とは違うリズムで震えていた。そしてエラードは馬の鳴き声のした方へ向かい、やがて走りだす馬の蹄の音が鳴り響く。


「……達者でな」


 ライは誰にも聞こえぬ静かな声で呟いた。


**********


 音もなく燃える小さな魔法の火の玉で暖と明かりを取りながらエラードとメリルは漆黒の夜の中に座っている。夜の少し冷えた空気が妙に清々しく二人の鼻をつき、赤茶け荒涼としたアポスの山岳が先ほどまでのエドンの出来事を夢の様に感じさせる。

 メリルは上下服を着て食事を摂っている。ライから”奪った”馬に衣類と僅かだが食料が積んであったのだ。メリルによると馬の名はイノスと言う。ライが長年育てていたらしい。イノスは見ている方が静かになるほど穏やかな馬だった。一口一口噛み締めて食物を食べるメリルを見守るようにイノスは佇んでいる。

 メリルが食事をしている間。エラードはライが持っていた二本のナイフを手に取って改めて見る。装飾などない簡素な柄、よく手入れの行き届いた幅の広い片刃の刃が緩やかな曲線を描いている。一つは薄く紅く光り、もう一つは木と銀を練り合わせたような不思議な色と文様を浮かび上がらせている。


「……ライがエドンに来る前から持っていたらしい」


 メリルが美しい二つの刃をまじまじと見つめるエラードに言った。


「……この後どうするんだい?」


 手に持った二つのナイフに眼をやったままエラードはメリルに尋ねた。


「わかんないよ」


 と一言だけ言って、メリルは最後の一口を飲み込む。


「あんたはどうするの?」


 エラードを見てメリルは尋ねた。


「コーラルに魔王城へ一緒に行ったこん……仲間のソフィアがいるはずなんだ。会ってみようと思う」


 エラードは複雑そうな表情で答える。エラードに容赦なく切りかかって来たガインの事を思えば無理もない。ソフィアもエラードが仲間として知っているソフィアは虚構だった可能性のほうが高いだろう。だがエラードは心優しかったソフィアは変わらず自分の味方でいてくれているのではないかと淡い期待を抱かずにはいられなかった。

 エラードを斬り殺そうと剣を掲げるガインの姿をはっきりと覚えているメリルは、ガインと同じかつての仲間を尋ねるなど馬鹿げていると思ったが、それを口にすることはなかった。


「メリルが付いて来るのなら僕は構わないよ」


 エラードの不意の提案にメリルは驚く。メリルはエドンに付く前からエラードに悪態を続けた挙句に殺そうとした。いくらエラードがメリルを助けたとはいえ、所詮それは成り行き上の事だった。メリルはエラードがエドンを出た今エラードが自分とこれ以上行動を共にしようとするとは思っていなかった。


「勿論一緒に行くのが嫌ならそれも構わない」


 メリルに嫌われている事を自覚してかエラードは違う選択肢も提案する。


「いや……」


 メリルは答えた。


「じゃあコーラルへは僕一人で……」

「いや、そういう意味じゃない。私もコーラルに行くよ、他に行くところもないしね……」


 エドンから追われたメリルもエラードと同じくロンバルディアのどこにも行く宛はない。それどころか、身元もはっきりしない身では道中で危険もあるだろう。メリルがエラードと共に行くことを決めたのはそんな打算もあったが、


「そう、じゃあこれからもよろしく頼むよ」


 疎ましく思っているだろうとはいえ、世界のはみ出し者となったメリルをそのまま放っておこうとしないエラードの優しさに触れたせいでもあった。


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