意味無き行進
メリルと初老の男に連れられグリーンベルを脱出したエラードは、グリーンベルの南に位置する深い森の中に居た。険悪な空気が漂う中、彼らはメリルの村ーーエドンーーに向け森の中を進む。
メリルに連れられ脱走したエラードは、グリーンベルから南に馬を丸一日走らせた所に位置する深い森の中にいた。一日中走った馬と自分達の体を休ませるために、森の中にある湖の畔に落ち着いたところだ。しかし、たき火を囲んでいるエラード達の周りには重い空気が漂っている。
「そんな嘘だ!!ライ!こいつはただの腰抜けだ!!
夕暮れ時を迎えた静かな森の中にメリルの怒声が響く。ライと呼ばれた初老の男は驚きを隠せぬまま、眉間に皺を痛そうなほど寄せ地面の一点を見つめている。そして、エラードはメリルの怒声が耳に入らないかのように力なく項垂れたままだ。
「それではエラード殿は、我らの仲間全てとエラード殿が共闘しても魔王には勝てないと、そうおっしゃるか?」
先ほど自分が耳にしたことは何かの間違いであってくれという思いからライは重い口を開いた。
エラードの頭の中に魔王城の光景が呼び起される。だだっ広い殺風景な部屋。翼を持つ見たこともない魔獣。玉座に座る白髪の少年。血の色が張り付いたような瞳。口が耳まで裂けたのかと思えるほどの禍々しい笑み。そして、どれほどの量かも推測すらできない圧倒的な力――魔王と対峙した時、エラードは闘うことすらなく敗北した。
「傷一つ――付けることも叶わないでしょう」
エラードは力なくも確信を持って言い切った。直接魔王を前にしたことがあるエラードは理解していた。ライの仲間の戦力とエラード自身の強さを足したところで、魔王にとっては足元に這いつくばる、小さな小さな虫が一匹から二匹に増えたようなものだろうと。
「……っ!!」
今度はしっかりとエラードの言葉を聞き遂げたライは、これ以上にないくらいの歯痒い表情を浮かべた。ライの仲間はいずれも強者揃いで、それもかなりの人数がいる。ライはエラードと共闘しても魔王には敵わないことを知っていたとはいえ、こうして直接エラードの口から改めて聞くまでは、魔王に対抗できるぐらいの力にはなるのではないかと心のどこかで考えていた。それくらい、ライは自分自身と仲間の強さに自信と誇りを持っていた。
だが、ライの思惑などを知る由もないメリルはエラードを物凄い剣幕で責め続ける。
「なんでそんなことが解る!?やってみなきゃ解らないだろ!!
「……俺と千人にも満たない戦士、そんなもので倒せるくらいなら、もうとっくに誰かが倒している」
エラードはメリルに目を合わせることなく淡々と答えた。そんなエラードに苛立ちを隠せないメリルが更に詰め寄ろうとするが、ライがそれを遮った。
「もうよいメリル」
「でも……!!」
「もうよいと言っておる!!」
ライに制止されたメリルは納得できない様子で食って掛かろうとするが、語気を強めたライの気迫に押され、口に出そうと思ったものを呑み込んで押し黙った。
場に沈黙が流れる。険悪な雰囲気などつゆ知らぬ馬たちが立てる、がぶがぶと水を飲む音とぱちぱちと燃えるたき火の音だけがやけに大きく響く。
「エラード殿には我らの村――エドン――に来ていただこうと思いますが、如何でしょう?」
しばしの静寂の後、ライの静かで落ち着いた声が沈黙をやさしく溶かした。
「そうしろというのなら、そうしますよ」
エラードの自発性のまったく無い答えに、先ほどのやり取りで煮え切った腹が冷えていないメリルは、我慢の限界といった様子で立ち上がり馬たちの様子を見に行ってしまった。ライはそんなメリルに何も言わず、エラードが形はどうあれ村に来ることを了承したのを確認すると、自分のすぐ横に置いてあった革の鞘に納められた剣をエラードに差し出した。
「間に合わせですが無いよりはマシでしょう、道中何があるかもわかりませんし
エラードは手渡された剣を鞘から取り出し刀身を確認した。片手で扱える適度な重さで、そこそこ頑丈そうなその剣は、グリーンベルで取り上げられたエラードの剣と比べれる程の物でもないが、間に合わせには十分な剣である。エラードはライに礼を言い、剣を鞘にしまった。
もう日は完全に落ち、たき火の炎が照らす場所以外は真っ暗だった。ライは明日の朝早くにエドンに向け出発することをエラードに伝えると、持ち物を入れている布袋を枕にして横になり、エラードもライに続いてたき火の側に体を横たえ目を閉じた。
**********
次の日の朝、メリルは未だ怒りの冷めやらぬ様で、朝起きてからずっと無言のままだ。ライはそんなメリルを気に留める様子もなく、手慣れた様子で出発の支度を済ませる。エラードはライと少しだけ取り留めのない会話交わしながらも相変わらず無気力のままだった。支度を済ませたエラード達は充分に休息をとった馬に跨りエドンのある南東の方角へ向け出発した。
「なんでグリーンベルに戻ったりなんかしたの?
森の中を進んでしばらくたった頃、それまで何も喋らなかったメリルがエラードに尋ねた。
「さあ……なんでだろうね……」
エラードは考えるそぶりも見せず投げやりに答えた。
メリルたちがグリーンベルに居たのはエドン村長の指示によるものである。しかし、エラードが魔王城で勝利を逃したことは魔王によりすぐ国中に広められ、魔王城に居たエラードはその事を知っていたはずであり、騎士団の常駐する王都に戻ればただでは済まないことも分かっていたはずである。メリルは半信半疑のまま村長の指示通りに動き、結果としてエラードを救出し接触することができたが、メリルにとってエラードのとった行動は不可解のままである。
「処刑されるかもしれないこと、分かってたんじゃないのか?」
「かもね……」
「それとも、自分が百年続く暗黒時代の扉を開けたのに、みんなが前と同じように自分を迎えてくれるなんていう、甘い事考えてたのか?」
「……」
昨夜のこともあり、メリルは意地の悪い口調でエラードを挑発しようとする。しかし、エラードの抑揚のない返答はメリルをさらに苛立たせた。
「何か言いえよ!!この……っ!」
徐々に荒げるメリルの声を、突然森の中に響き渡る怒号が遮る。
「いたぞー!!こっちだ!!」
声が飛んできた方向に目をやると馬に乗った10人ほどの騎士と、鎧も身につけず、薄手の服を着た褐色肌の大男がエラード達の方に駆けてくる。
「追手じゃ!!走れ!!」
ライの掛け声でエラード達も一斉に駆け出す。
エラード達を追う騎士たちは走りにくい森の中にも関わらず、器用に木々の間を縫いながら徐々にエラード達との距離を詰めるが、エラードの力を恐れ思い切って前に出ようとしない。だが、そんな騎士達に大男が檄を飛ばす。
「あいつは森の中では魔法は使わねえ!!恐れず突っ込め!!」
騎士たちを鼓舞しながらエラード達に詰め寄り大きな剣を振りかぶる赤みがかった金髪の大男の姿を見たエラードは驚嘆する。
「ガイン!」
皮肉なことに、抑揚をなくしていたエラードの感情を揺さぶったのは、かつて背中を預けた仲間であり、親友と呼んだ男による斬撃だった。
ガインは一番後ろを走っていたエラードの右側に並走し、驚きと戸惑いを隠せないエラード目掛け容赦なく剣を振るう。反射的にエラードは素早く剣を取り出しガインの力強い斬撃を受け流すが、かつて自分の命を何度も救った刃を向けられ、エラードの感情は激しく波立ち、動揺する。
「なんで……なんでなんだガイン!!お前もなのか!?」
ガインはエラードの言葉に耳を貸す様子など全くなく、動揺したままのエラード目がけ容赦なく剣を振り下ろす。
前を走るメリルとライはエラードの助けに入ろうとするが、エラードとガインの攻防を見てそんな考えは一瞬で吹き飛んだ。
ガインは重たい両手剣を軽々と片手で振り回し、妨げになるはずの木々の枝をバターのように切り裂き、力強くも、鋭く、素早い斬撃をエラードに振り下し続ける。エラードはエラードで、ガインの目にも止まらぬ烈火の如き攻撃を、ライが渡した間に合わせの剣で巧みに受け流し続けている。
ガインの斬撃をまともに目で追うこともできないメリルとライがエラードに加勢したところで、ガインの剣に一瞬で首を撥ねられるのは明白だった。
「これほどまでとは……」
かつて勇者として選ばれたエラードと、勇者の仲間として供に魔王城にまで登ったガインの別次元の戦いを目の当たりにしてライは絶句する。だが、ライは防御に徹するエラードを見て腑に落ちない表情を浮かべる。
「だが……何故エラード殿は魔法を使わぬ?」
エラードが勇者として選ばれ育てられたのはエラードが持つ絶大な魔力故だ。エラードがその気になればガインを含めた追手全員を消し炭にすることも容易いはずだ。
「なんで魔法を使わないんだエラード!!」
ライと同じ疑問を持っていたメリルが直接エラードに問いただす。しかし、メリルとライの疑問に答えたのはエラードではなくガインだった。
「お前は森の中で魔法なんて使わないよなあエラード!!この森が燃えちまったらロンバルディアの民が暮らせなくなっちまうもんなぁ!!
「……っく!!」
今エラード達がいる森はロンバルディアにとって、材木、食糧、水などを供給する貴重な資源であり、炎の魔法しか使えないエラードが魔法を使えばこの森は燃え、少なくない数の人間が路頭に迷うことになる。
ガインはエラードが魔法を使わない理由を代弁しながらエラードを追い詰める。しかし、そんな理由に納得できないメリルは叫んだ。
「この国の自分勝手な人間達の事なんて気にするな!!こいつらはお前をずっと騙して、しかも殺そうとしたんだぞ!!お前も知っているはずだろ!!
人を欺き、利用し、思うようにいかなかったら切り捨てるような者のために、エラードがその身を危険にさらしてまで魔法を使うのを躊躇いっているのをメリルは納得できなかった。しかし、エラードは何も言わず、相変わらず魔法を使う素振を見せずにガインの猛撃を凌いでいる。
メリルがエラードが考えを変えないことに苛立ちを感じ始めた頃、金属が長く擦れる音が続けざまにエラード達のすぐ後ろで鳴る。メリルとライがその音に反応して後ろを振り向くと、ガインの攻撃で足の遅くなったエラードのすぐ後ろまで迫った騎士達が次々と抜刀していた。甲冑の隙間から見える目はギラつき、あと一歩のところにいる獲物に狙いを定めている。
「魔法を使え!!使わないと殺られるぞ!!」
メリルの必死の説得にも関わらずエラードは全く聞く耳を持とうとしない。その間に、追手の騎士達はエラードの体を間合いに捉える。
「やむを得んな……メリル!!
これ以上もたつけないと判断したライがメリルに叫び、ライの意図を汲み取ったメリルはエラードとガインの後ろに付き、馬に乗ったままの状態で両手を地面にかざし集中力を高める。そして、メリルの手から一気に放出された魔力は大地をとげ状に隆起させる。突然スパイク上にせり上がった地面に騎士達は対応することができず、ある者は馬ごと体を無惨に貫かれ、ある者は混乱する馬を御しきることができず、その場に振り落とされた。
前を走っていたガインはメリルによって隆起させられた地面の影響は受けなかったが、驚きのあまりに一瞬エラードに対する攻撃の手が鈍った。その僅かな隙をエラードは見逃さずに、ガインの乗馬を切りつけにかかる。
エラードの攻撃をガインは寸でのところで躱したが、体勢を大きく崩し、ガインの体重に引っ張られ馬もバランスを失い失速した。
ガインと難を逃れた騎士達はすぐさま馬を再び走らせたが。一度足を止めた馬が走り続けている馬に追いくのは、いかに手練れの騎士でも難しく、エラード達三人はそのままガイン達を振り切り、森を抜けた。
エラード達を追って一足遅れに森を出たガインと騎士達が見たものは、森に沿って走っている街道の向こう側で手を前にかざし、魔法を放とうとする馬上のエラードの姿だった。
それを見たガインは声を張り上げる。
「止まれえぇ!!」
ガインの号令で騎士達が急停止するのと同時に、エラードの手から迸る魔力が油に火を付けたように燃え上がり、ガイン達とエラード達の間に炎の壁が現れた。
「こ、これは……ファイアウォール!?」
ガインに止められた騎士達は一瞬エラードが何の魔法を使ったのか分からなかった。
ファイアウォール――垂れ流した魔力を発火させ炎の壁を作る魔法――ロンバルディアの魔法の中で最も初歩的な魔法の一つである。しかし、エラードが作り出した炎の壁は、騎士たちが知るものと遠くかけ離れていた。通常、ファイアウォールで作り出される炎の壁は精々、大人一人か二人を覆う程度のものだが、エラードのファイアウォールは視界の端まで続くほど巨大なものであった。
巨大な炎壁の前で、ガイン達は轟々と燃さかる炎を突破するのも、迂回しエラード達に追いつくのも不可能だと悟る。
エラードは炎越しに、ゆらゆらと紅く燃え盛る炎の中で揺らめくガインの目をまっすぐ見据えた。かつて共に笑い、泣き、切磋琢磨し、時には命を救ってくれ、親友と呼んでくれた男と過ごした時間が、全て価値の無い虚構だったのかを確認するために。
「ガイン……お前も俺をずっと騙してたのか?」
意を決したエラードの言葉が炎の壁を越える。
「そんなこと、言わねえと分からねえのか?」
ガインもエラードを真っ直ぐ見つめ、目をそらさずはっきりと伝えた。ガインの言葉は炎の壁を切り裂き、まっすぐエラードに突き刺さる。
エラードは少し顔をうつむけた後、轟音を立てて燃え上がる炎の壁とその向こう側にいるガインに背を向けメリルとライとともにその場を離れた。