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あれはUFOですか? いいえ、異世界です。

作者: ルト

 草木も眠る、丑三つ時……俺はその日、夜道を歩いていた……。月が出た静かな夜だった……見事な満月だ……恐ろしくなるくらいに……。

 ああ鬱陶しい。

 単に夜食とついでに明日の朝飯を買いにコンビニに出掛けた時刻が、たまたま深夜二時過ぎだったからって、一人怪談ごっこしても面白くないわ!

 酔っぱらいがどこかの通りで熱唱している。深夜の住宅街なんてそんなもんだ。急ぎ足で家路を急ぐ。

 ……怖いわけじゃないぞ?

 ふと、視界の端に光るものが見えた。見上げると、流れ星だ。

 おお、いいもんが見れた。

 それにしても消えないな、この流れ星。つーか遅い。

 いやなんかこっち来てる?

 いやなんかこっち来てる!


「う、うわあああ!?」


 流れ星なんかじゃなかった。流れ星なんかじゃなかった!

 UFOだ!

 アダムスキー型未確認飛行物体だ!

 うわあなんか降りてきたグレイ系宇宙人だ逆卵形の顔にでかい目をしたハリガネみたいな手足をした宇宙人だワレワレハウチュウジンダって見れば分かるよそんなもんうわちょっと待って光当てるのやめていやいやいやいややーめーてさらわれるー!?


「うわあああ宇宙人にさらわれるー?!」


 絶叫して飛び起きた。

 目を丸くした銀髪少女が俺の肩を押さえてなだめにかかる。


「お、落ち着け! 何を言っておるのじゃお主は!? 宇宙人などおらぬぞ!」

「うわあああ宇宙人に手術されるなんか種子を埋め込まれるんだ誰か助けてくれえええ!!」

「落ち着けというに!」


 頬をグーパンされて脳が揺れる。視界が赤黒く明滅して俺は世界が闇色の星海でないことを知った。


「ここは? 宇宙行ってない大丈夫?」

「大丈夫じゃ、心配はいらん。お主はずっとわらわの目の前で眠っておったぞ」


 銀髪の少女がそう言ってにっこりと日向のような暖かい笑顔を見せた。

 そ、そうかよかった。宇宙人の手術を受けて触手ウジュウジュの体液びゅるびゅるだったらどうしようかと


「って誰じゃおめえええええ!?」

「えええええ今更!? 今更驚くのか!?」

「今更もなにも、目が覚めて知らない人が隣にいたら驚くわ!!」


 力一杯突っ込んで、ふと辺りを見回す。

 部屋は石造りで窓の外は森が広がっていた。あ、お空にドラゴンが飛んでる、かっこいいー。


「待て待てお主! なに再びベッドに潜り込もうとしておるんじゃ!」

「嫌だ! 離せ! これは夢だ! 俺は明日も学校があるんだ! こんなファンタジードリームに居られるか! 俺は現実に戻るぞ!」

「やめろ、それは死亡フラグじゃ! いいから起きんか!」

「そうか、分かったぞ! ここはさっきの宇宙人の母星なんだ! ……ってそれじゃあちっともよくねぇよおおおお!」

「落ち着けというに!」


 グーパンが炸裂した。いやキミ知ってる人の頭って殴ると脳細胞が悪くなるんだぞバカになったらどうしてくれる?


「よいか? お主は我らの世界に召喚された救世主じゃ。夢でもなければ幻覚でもない、まして宇宙人の宇宙技術でもない、紛れもない現実じゃ。よいかの?」

「うん、なにをもってしていいと言えばいいのか分からない」

「それだけ判断力が戻れば十分じゃろ」


 それはそれで理不尽だ。

 しかし、ジンジンと痛む頬からして夢ってことはなさそうだ。

 とはいえ銀髪美少女と石造りの部屋というカオスフルな組み合わせは宇宙人の可能性がある。


「えーっ、と。それで、救世主だって? 魔王が復活でもするのか?」

「その通りじゃ」

「なんて、まさかねー。魔王なんて……どぅえええええ!? マジでええ!?」


 本当に魔王が復活するなんて信じられない、というか巻き込まれたら俺の命がヤバイ。実家が謎の武道家だとか何やらせてもパーペキなナイスガイとかの属性は俺にはない。ついでに言えば俺の親友どもにもいないし、幼馴染みはそもそもいない!

 魔王を倒すなんて絶対無理!


「はあ……」

「――……ッ!!」


 傍らで物憂げなため息をつく美少女。言葉遣いや行動は少々アレだが、見た目は文句なしの人形かと思うくらいの絶世美少女だ。

 もしかして、いやもしかしなくても、この子はお姫さまで、魔王を倒せなかったらこの子もムザンな末路をたどる?

 いや、むしろ! 仮に俺が魔王を倒したら?

 国王おお勇者よお主のお陰で世界が救われた民衆勇者様万歳国王お礼に金銀財宝と愛娘をやろうよろしく頼むぞ。

 成立!

 フラグ成立!

 勝利! 完全勝利ッ!

 そう、そうだ! 俺がやるべきなんだ! 俺がやらなきゃ誰がやるんだ!

 ウォオ、やるぞ! 俺はやるぞ!


「魔王が復活するのももう少しなのじゃが、勇者が来てしまって我々は大変ピンチなのじゃ」


 そう、復活する魔王の邪魔をする勇者を倒して


「……はい? 今なんとおっしゃいました?」

「む? じゃから、ようやく魔王が復活する準備が整ったのに、勇者が来てしまって大変なんじゃ」

「……え、なに? 勇者って俺じゃないの?」


 銀髪美少女は心配そうに俺の目を覗き込んだ。


「お主、大丈夫かの? どこかおかしくないのか?」

「大丈夫、俺は正気だ。だから離れろ」


 美少女と至近距離で目があったって、頭の心配をされてるんじゃドキドキのロマンスにつながらない。


「確認させてくれ。キミは? 何のために俺を呼んだの?」

「わらわは魔王の末裔、竜の巫女じゃ。魔族の悲願、魔王復活を成し遂げるためにわらわが召喚した」


 竜の巫女はエッヘンと胸を張って自己主張する。膨らみの自己主張も激し……じゃなくて。


「俺魔王軍!? 魔王助けるためにいるの!? なにそれ嫌だ! 帰せ、今すぐ俺を元いた場所に帰せー!」

「な、ならんならん! 何を言うのじゃ、魔王復活が失敗してしまうではないか!」

「失敗してしまえそんな物騒なもん! 嫌だ魔王の巻き添えになって勇者にやっつけられたくない! イヤダー! シニタクナーイ!」

「落ち着けというに!」


 通算三度目の火花。この美少女に右ストレートが落ち着かせる方法だと勘違いされたら困る。


「ねぇ、ぶたれたら痛いんだよ……?」

「ぬ、すまぬ。じゃがそれなら錯乱する癖をなんとかせい」


 理不尽だ。


「のう。お主が何で魔王の復活を嫌がるのか分からんが……」

「え、分からないの?」

「しかし、我々はもう後がないんじゃ。助けると思って、手を貸してくれんか?」


 スルーですかそうですか。

 上目遣いで哀願されて、俺の心は大きく揺らいだ。


「助けてくれなんだら、我々は一族浪党皆殺しじゃ。わらわは、怖いのじゃよ……助けてくれんか……?」


 顔を覆って肩を震わせる。

 その華奢な体を前に、俺は電撃のように理解した。

 そう、彼らも生きているのだ。人間と同じように、笑ったり泣いたりしているのだ。魔王の復活は阻止されてしかるべしとしても、魔族という理由だけで彼らまで見捨てるのは間違っている。


「俺……俺、やるよ! 勇者をやっつけられないまでも、なんとか説得して助けてみせるよ!」

「お主ならそう言ってくれると信じておった! それでは早速封印の祭壇へ行こうぞ!」


 銀髪美少女は笑顔で俺をベッドから引きずり下ろし、引っ立ててぐいぐいと歩かせた。

この笑顔を守るためなら、俺、頑張れそうだ。でも、泣いてたにしては目が乾いて……?


「封印の祭壇で、お主に隠された力を解放するぞ!」

「え? なにそれ凄い、そんなことできるの!?」

「当然じゃ! なにせ、魔王を封印するほどじゃからな! お主の一人や二人、開くも閉じるも自由自在じゃ!」

「おお、頼もしい! のになんか不穏な予感がするのは何故だろう……?」

「気のせいじゃないかの?!」


 そうかあ?

 あれ、そういえばさっきまで何か疑問に思ったことがあった気がしたんだが、なんだっけ?


「さあさあ、急ぐのじゃ! 勇者はもう城の一階を突破したぞ!」

「……って、なにいいいいいい!? すでに!? すでに勇者到着済み? ていうか絶賛攻略中!?」

「そうじゃ。時間はあまりないぞ! ちなみに今はどの扉を通っても同じ見た目の部屋に出る、決まった順序で扉を通らなければ先に進めないエリアにおる!」

「うわあウザい! ウザい仕掛けだ!! あれスッゴい不毛でイライラする!」


 彼女に引っ張られて封印の祭壇とやらに入った。

 祭壇の中心に巨大で真っ黒な光が渦巻いていて、狂気度判定が必要になりそうなどす黒いオーラを撒き散らしている。

 いかにもすぎる! やっぱ魔王復活なんてやめようよ!

 なんて言い出せない雰囲気があった。


「おお、救世主だ……」「竜の巫女様が救世主をお連れになった!」「来た! メイン救世主来た! これでかつる!」


 とさざ波のようにざわめきが広がったからだ。ていうか何でこんなにいっぱい魔族の方々が勢揃い?


「うむ、ではお主。その辺に立ってくれ」

「その辺ってそんなアバウトな……。どんな隠された能力が現れるの?」


 その辺に立ちながら、期待に高鳴る鼓動を押さえて聞いてみた。彼女は自信満々に全開笑顔で言い放つ。


「うむ。よく分からんが、きっと神様級のすごい力が目覚めるに違いないぞ! 異世界から召喚したものはみんなそうじゃと相場が決まっておる!」

「アバウト! さっきからずっと思ってたけど、超アバウト!! っていうかもしかしてその判断のソース俺と同じなんじゃないか!?」

「むむ……来た! 解き放つぞ!」

「ちょっと?! まだ心の準備が」


 足元が輝き、俺の胸から光が溢れる。群衆のどよめきが聞こえる。銀髪美少女は、竜の巫女という自称にふさわしく、神秘的な表情で手を広げている。光は強さを増していき、部屋を輝きで満たすほどだ。

 やがて、光は収まっていった。


「成功、かの?」


 ……間違い、ない。

 新しい力が目覚めたのが分かる。全身に力がみなぎってくる――!


「お主の得た力は……」


 竜の巫女は神通力のようなもので、感じ取り知るままに言葉を発するように、俺の力を告げる――!!


「――"口に入れた一本のうどんを鼻から出す力"―ーッ!」


 ……は?


「は?」

「……うむ、確かにお主の力は口に入れた一本のうどんを鼻から出す力、じゃな」


 彼女は確認するように目を伏せたまま何度もうなずく。


「なんだそりゃ!? それでなにができるっていうんだ!? つか力っていうか隠し芸じゃねぇか! 今どきビックリ人間コンテストでも流行らねぇよ鼻からうどん!!」


 全力で叫んだ。

 周囲にいる魔族の方々に絶望が広がるのが目に見えて分かる。


「ああ、やっぱりダメだった」「もう終わりだ」「救世主なんていなったんだ」「見た目からして救世主じゃないしな」


 最後に発言したやつ覚えてろよてめーちくしょう。


「や、やり直しだ! やり直してくれ! もう一回やれば今度こそ!」

「そ、そうじゃな! 今のはきっと何かの間違いじゃ! 大丈夫、次は必ず救いをもたらす力が目覚めるはずじゃ!」


 目を伏せて両手を広げる。再び俺の体から光が溢れる。

 頼む、別に光とか闇とか凄い強くてカッコいいものじゃなくていいから! 勇者を追い返せる……いや、正直言って、この場をしのげるくらいのなんかそれっぽい力を!!

 カッ、と閃いた輝きが収まる。


「成功じゃな。お主の得た、新しい力は……」


 頼む! いいの来い!


「―ー"いかなるときも自在に放屁をする力"―ーッ!」

「どちくしょおおおーえ!」


 魔族の方々からの、痛ましいものを見るような視線がぐさぐさと刺さる。


「も、もう一度!」

「うむ! いくらなんでもこれはひどい!!」


 竜の巫女が目を閉じて俺が光る。


「――"服の上から見ただけでスリーサイズが分かる力"――ッ!」


 ざっ、と魔族の方々のうち女性の皆さんが体を抱き締めた。

 彼女も失望したように眉をひそめて、俺の視線から逃れるように身をよじる。


「お主……」

「違う! 何でだ! 俺が望んだ力じゃないのになんでそんな目で見られなければならないんだ!」

「とりあえず勇者と渡り合う力ではないから、もう一度やるぞ」

「おう! こうなったらとことんやってやる!」


 銀髪美少女が以下略。


「今度はどうだ!?」

「――"触れただけで女性の体重が分かる力"――ッ!」

「どうなってんだチクショオオオ! また使えないワケの分からん力かよ!? おいなんかこれおかしいだろ!」


 ここまで来るとなにか不具合をすら疑う。もしかして俺が別世界の人間だからか?

 ちらりと不安の影が顔をもたげた。

 それに気づかないふりをして、さっきまでの気安い気持ちで、今までのように詰問しようと竜の巫女へと足を踏み出した。

 瞬間。


「近寄るなッ!」


 険しい表情で叱責された。

 包み隠さず叩きつけられた、容赦のない拒絶。

 何だかんだ、知らない世界でそばにいてくれた彼女との距離が、不意に遠く感じる。

 今の気分は、例えるなら、海辺で泳いでいて気がついたら流されていて岸が見えなかった、というものに近い。唐突に拠り所を失った俺は目の前がうそ寒く真っ暗に見えた。

 後ずさった足が小さな段差につまずく。

 ふらついた俺は体勢を整えることすらできず、倒れ込んだ。打った手がヒリヒリと痛む。


「だ、大丈夫か?」

「……あ、ああ」


 急に倒れ込んだ俺に驚いた彼女が、近くまで様子を見に来てくれた。しかし、それは一定の距離を開けて止まる。

 その距離が、別世界の隔絶を如実に表しているようで。

 俺は、彼女の心配そうな視線を薄い膜の向こう側にある出来事のように、遠く感じていた。

 黙って俺を見ている銀髪美少女が、追い詰められたような表情をしている。

 そう言えば、勇者が来ているらしい。俺の常識では絶対に起こりえない、別世界の現実。

 苦笑がわき上がる。

 むしろこれは、自嘲だろうか。

 俺は自分で立ち上がろうと床に手をついた。


「ま、待て!」

「は?」


 立ち上がろうとすると制止された。

 見れば、銀髪美少女が厳しい顔をして目を伏せている。深呼吸をしている。天井を見て、何かを数えて、うなずいている。


「よし、大丈夫! 間違いない、わらわは大丈夫じゃ!」


 なにか自分に言い聞かせるように激励の言葉を言い、

 そして、


「ほれ! 手を貸せ!」


 距離を、隔絶を踏み越えた。

 呆然としている俺の腕を取って、無理矢理引っ立てる。


「え、と、なんで……?」

「すまん」


 彼女が顔をうつむけて呟いた。


「無理矢理引き連れてきて、都合のいいように利用しようとして……お主の気持ちを考えておらんかった。軽率じゃった、すまない」


 手から、彼女の温もりが伝わる。彼女は顔をあげて、無理矢理笑ったのがまる分かりの、でき損ないの笑顔を見せた。


「じゃから、そんな、世界が終わったみたいな顔をするな。錯乱した間抜け面しか知らんかったから、驚いたぞ」


 俺はしびれそうな顔の筋肉を動かし、ぎこちなく笑う。


「そんな顔をしてた、のか?」

「ああ。ひどい顔じゃった」

「そ、そうか……」


 はは、と気が抜ける。

 気が弛緩して、頭の回らない俺は疑問がそのまま口から滑り落ちた。


「なんで急に、あんな激しく拒絶したんだ?」


 銀髪美少女は目に見えて動揺した。もじもじと目を泳がせる。


「そ、それは……分からぬか?」

「言ってくれなきゃ分からないよ」

「ぬ、ぬう……そんなの嘘じゃろう?」

「本当に分からないんだって。教えて」

「う、うう……」


 手を離して逃げるように距離を取り、顔を真っ赤にしてピシャリと言いはなった。


「体重を知られるから嫌だというんじゃ! 言わせんなこのドS!!」

「……あ、あー、あー、あー! なるほどそうだ、そんな能力だった! 使えない能力ってだけで内容聞いてなかった!!」


 そりゃそうだ、避けるはずだ。馬鹿みたいに真面目に落ち込んだ俺が馬鹿みたいだ。

 ていうかオチがこれだとさっきのシリアスは一体なんだったのかと。


「まったく……。わらわの体重は他言無用じゃからな? 言うなよ!? 絶対言うなよ!?」

「先生それむしろ振りです!!」

「しまったあああああ!? と、とにかく絶対言うんじゃないぞ! 分かったな!?」


 指を差して何度も厳重に注意する。

 その真っ赤な顔に慌てた表情、にじむ焦燥感。


 ……いいかも。


 い、いかん! いかんいかん危ない危ない危ない。俺の隠された一面が目覚めるところだった。

 しかし、この子って見かけによらず……いや、やめておこう。

 この数字は俺が墓まで持っていく。一瞬でそう誓った。

 まだ顔の赤い銀髪美少女が怒鳴るように声をかけてきた。


「続きを始めるぞ!」

「ああ! 来い!」


 笑って応え、俺の体が輝きに包まれる。

 大丈夫、今度こそ、きっと彼女を救うだけの力が……!


「――"十二歳の少女を見分ける力"――ッ!」

「なんなんだ? なんなんだよさっきから! この祭壇は俺を何だと思ってるの!?」


 さすがの群集もこれにはドン引きである。


「スリーサイズ、体重と来て、今度は少女? 最ッ低……」「女の敵……」「このロリコン野郎!」


 俺は振り返って両手を振りながら叫んだ。


「違う、だから違う!! 俺はこんなこと望んじゃいない! 策略だ、これは祭壇の主が俺を貶める策略なんだ! そうに決まってる! ちくしょおおお俺は負けないぞ! どこからでもかかって来い! 貴様のうどんはどこから出るんだこのやろおおおおおお!!」

「落ち着けというに!」

「ぶべらっ!?」


 いよいよ精度が高まってきた右ストレートが、俺の頬骨を精確に捉える。

 くらくらする頭を押さえて、揺れる銀髪美少女を見上げる。


「だから殴るのやめてくださいませんこと!?」

「じゃから錯乱するのをやめろというに! まだ直りきってないじゃろ、もう一発やるから頬を出せ!」

「うわうわうわうわやーめーて! これ以上殴られたら青あざが残ってキズモノになっちゃうッ!!」


 必死に顔をかばう俺の腕をつかんで引っ立てる。

 少し真剣な表情で俺を見ている竜の巫女がそこにいた。


「勇者が下の階まで来ておる。もうふざけている時間はないんじゃ。頼む……」

「そんな……。分かった、急ごう」


 俺も真面目な気持ちになって、うなずく。

 時間稼ぎ系の力なら何でもいい。勇者を止めて、なおかつ追い返せる力を。

 手に入れなければならない。

 彼女は低位置について目を伏せる。


「もう、変なものが出たらすぐに次に挑戦するぞ。時間の許す限り続けるんじゃ」

「おう、分かった。じゃんじゃん来い!」

「お主がまともなものは来ないと確信してどうするんじゃ」

「はっ、し、しまった! つい! 思わず!」

「本音アピールすな! 行くぞ!」


 俺の体が光をまとう。

 竜の巫女が目を伏せたまま、力を告げた。


「――"十分後の天気を言い当てる力"――ッ!」

「しょぼ! そんなの外見れば大体分かるだろ十分ぽっちなら!!」

「構うな馬鹿者! 次に行くぞ!」

「あ、おう!」


 彼女は本当に真剣だった。

 命がかかっているのだから当然だ。そして俺も、もはや他人事ではない。


「――"舌でマッチの火を消す力"――ッ!」


 掃いて捨てるだけの能力があってもいい、ゲスでくだらないものがあってもいい。


「――"下ネタを見分ける力"――ッ!」


 ……ああ、うん、本当にゲスでくだらなくても構わない!

 とにかく、勇者を追い返す力を。

 いや。

 彼女を、救うだけの、力を!


「――"顔に降ってきた雨粒を確実に口キャッチできる力!"――ッ!」


 ……手に、入れられるのか……?




「はあ、はあ……」


 俺と彼女は肩で息をする。


「お主……お主最低じゃな!? 結局ひとつもろくなものが現れなかったぞ!」

「俺に言うな!? 文句なら俺を呼んだ自分とろくな能力を目覚めさせなかった祭壇に言いんしゃい!」


 なけなしの体力を叫びあって使い尽し、床に突っ伏した。

 竜の巫女とやら言うだけあって、向こうさんは膝に手を突くだけだ。やはり魔族は体力が違うな。

 俺たちは走りきった。全速力で、体力の限界まで、ありとあらゆる能力を目覚めさせんと儀式を続けたのだ。

 俺はもはや、どの平面でも無風かつ水平でさえあれば十円玉を一秒で立たせることができる。


「何を、やりきった! 的な満足げな顔をしておるのじゃお主は……まったく」


 彼女が呆れ果てた声を放って、俺のとなりに腰を下ろした。

 薄明かりに照らされた銀髪は、まるで自ら輝いているかのようだ。

 勇者を導く女神のような清謐な美少女は、つと顔をあげる。


「黒龍の魔圧が消えた……。もう、間もなくじゃな」

「そっか」


 俺はのっそりと起き上がり、あぐらをかく。

 ラスダンに挑むからには、万全な準備をしているだろう。今さら、非力な俺に何ができるとも思えなかった。

 封印の間は、静かだ。

 魔族たちはすすり泣きもせず、かすかな笑いすら聞こえてくる。これから訪れる運命を、受け入れてしまったのだろう。


「すまんな」


 彼女が言った。


「呼び出したからには、責任を持ってわらわの手で送り返したかったのじゃが……もはや、叶わぬかもしれぬ」

「今さら、期待してないさ」


 自嘲気味な言葉に、同じ調子で返す。そもそも、俺がまともな能力に目覚めていれば、なにも問題はなかったのだ。


「お主は、逃げよ」


 だが、彼女は、そう言った。

 俺は彼女を見る。

 吹けば消えてしまいそうな、儚げな微笑を浮かべていた。


「これはわらわの招いた結果じゃ。お主には何の責任もない。逃げて、願わくは、還る術を得て無事の帰宅を」

「馬鹿を言うなよ。ここまで関わって今さら逃げろって? 俺からしたらお前らこそ逃げろ、だ。非戦闘員も多いんだろ?」


 勢い込んで言う。祭壇にすがるように囲んで座っている彼らが、戦うためにいるのではないことくらい、見れば分かる。

 だが彼女は少しムッとしたように、意固地に反論した。


「侮るでない。魔族は皆、生まれた瞬間から多少の闘争に耐えうるだけの力は持っておる」

「へえ、そりゃすごい。で、勇者の相手になると?」


 言い返すと、口を引き結んでうつむく。それ見たことか、と思って、虚しくなった。


「逃げろよ。この人たちを引き連れてさ。犬死によりマシさ」

「無理じゃ」


 俺は少し苛立った。意地になっていたのかもしれない。ぶっきらぼうに尋ねる


「なんでさ」


 彼女は暗い表情で答える。


「出入り口は正門しかない。勇者がそっちから向かっておる」


 ……あ、なるほど、そりゃ無理だ。

 彼女は首を振って、微笑を浮かべながら言葉を重ねた。


「仮に逃げ道があったとしても、逃げぬであろう。たとえ封印され、祭壇のみが残るに過ぎぬでも、魔王なくして魔族が在ることはできぬよ。そういう命じゃ」

「……」


 そんなわけあるか、と思ったが、言わなかった。どうせ逃げられないんだから言うだけ無為なことだし、俺は魔族というものについて何も知らない。価値観の相違を埋めるには、時間があまりにも足りなさ過ぎた。


「って、逃げられないなら、どうやって俺を逃がすつもりだったんだよ?」


 無責任に言ってやがったのかこの美少女。逃げるつもりがないから別にいいんだが。

 だが彼女は苦笑して答えた。


「もう少しで、お主一人を城外に転移させる程度には魔力が溜まる。それで送るぞ」


 なるほど、転移ね。魔法的なあれですか。そりゃ俺が予想できないわけだ。

 って違ぇ。


「そんな魔力があるなら、自分に使えよ!?」

「できるわけなかろう! この中で最も責の重いわらわに逃げるなど!」


 激昂して怒鳴られた。しかし、俺は閃いたぜ。活路が見えた。これだ。


「いや、お前が逃げたら、万事うまく行く! 考えても見ろよ? 勇者ははるばるやって来て、入ってみればそこにいるのは非力な者たちばかり。大本命はお外で待機だ。勇者は外へ向かわざるを得ないだろ? そしたらほれ、その隙に皆を逃がすことができる」


 あまりの完璧っぷりに我ながら惚れ惚れするプランだ。作戦立案で役割持てるんじゃね?


「お主は勘違いしているようじゃな」

「ひょ?」

「……いやわらわに鬼畜フラグを立てんでくれ。ええとな、あれじゃ。勇者はわらわを倒すために来るのではない。この祭壇を壊すために来るんじゃ」


 言って、彼女は背後を振り返る。怪しげなダークパープルに煌めく、いかにも悪巧みしてますって感じで、悪党丸出しの祭壇がそこにある。


「わらわたちはこれを守るために縛られておる。それがゆえに、勇者への対策に手が回らず、不十分だった結果が今、扉の前で万全を期すために休息を取っている勇者たちにつながるんじゃ」

「そうだったのか」


 ていうか勇者は扉の前で悠長に休んでやがるのか。いやまあ、俺もやるけど。ラスボス直前に回復とかセーブとか。


「まあ、わらわたちがこうしているのは、一種のけじめのようなものじゃ。誇りを捨てぬため、魔族として最期まであるために、勇者に祭壇を壊されるのを見ているわけにはいかぬ。それだけじゃ」


 実際は、まな板の上の鯉と同じじゃがな、と笑った。


「なあ。聞いてなかったが、魔王が復活したらどうなるんだ?」

「魔族の魔力が満ちる。その不足から盗賊や強盗に身をやつした魔族は、もはやその必要もなくなるが……悪事を働いていた魔族の力も強くなるんじゃ。人としては看過できなかろうて」

「そうかもなあ。それで?」


 魔王サマは復活一番に何をするのだろう。

 彼女は変な顔をした。口を曲げて俺をじっと見たあと、言う。


「……それだけじゃが」

「えっ」

「えっ?」


 困惑する俺に当惑する彼女。


「え、それだけ!? ショボい! わざわざ復活させる魔王ってなにさ!?」

「ええと、魔族全体に魔力が行き渡るよう、コントロールする係じゃな。今回で言えばわらわじゃの」

「なにそれ魔王立場弱ぇ! てかお前かよっ!? なんだ魔王って公務員か何かか!?」

「公務員て……まあそうかの」


『な、なんだってー!?』


 ドタンと扉が蹴倒されるように開いて、四人の人影が転がり込んできた。

 青く透き通るような鎧をまとうイケメン野郎を筆頭にした彼らを見て、彼女が飛び上がるように立ち上がった。


「ゆ、勇者!? か、きき、きおったな!? 観念せい、こちらにも切り札がおる!?」


 動転してなにか事前に用意してたっぽいセリフをまくし立てながら、俺をぐいぐい引っ張って矢面に立てようとする。いてて、待て、テンパりすぎて俺の力を忘れてませんか!?

 勇者は俺をガン無視して竜の巫女に詰め寄った。


「魔王って実は能無しなのか!?」

「の、能無しって……確かに戦闘力が特別抜きん出ているわけではなくて、舞台裏のマネジメントが仕事じゃが」


 押し退けられた俺の横で、銀髪美少女の顔を真っ直ぐに見る勇者は、ガックリとうなだれた。


「なんてことだ……魔王が生まれたら軍勢を作って人に攻め込むって言うから、慌ててやってきたのに」

「そんなことはせぬ。なにゆえ下らぬ戦争のために我らが同胞を危険にさらす必要があるんじゃ」


 彼女はきっぱりと言い切った。

 勇者は数歩後ずさって、頭をかく。


「黒龍も、人を恨むようなことをいっていたけど」

「虐げられ、恨んでいる魔族がいるのは事実じゃ。じゃが、それらを護っておったのも、復讐を押し止めておったのもまた黒龍じゃ。あやつは真面目じゃから、お主らのモチベーションを上げるために敢えてそんなことを言ったのかもしれぬな」


 彼女は寂しく笑った。その黒龍はすでに亡いから、か……。

 口を挟む雰囲気でもなく、なにもできずに見るしかない俺のなんともどかしい。

 勇者は彼女を見つめて言う。


「魔族と人は、お互いを知らなすぎると思うんだ。旅を通じてずっとそう思っていた。それが、この旅の目的そのものがすれ違いからだったなんてな……」


 勇者は自嘲するように笑った。そして真剣な表情を浮かべる。


「人と魔は、もっと、お互いに語り合うことが必要だ」

「……うむ」


 彼女も真剣な表情でうなずいた。


「交流をして、共存できる道を探そう。僕たちが橋渡しになれば、大丈夫、できるはずさ」

「そ、そうか、の?」

「そうさ」


 勇者はにっこりと笑った。彼女も、つられたように微かに笑う。


「信頼の証に、魔王の解放に立ち会わせてほしい」


 思わず勇者の顔を見た。穏やかに笑っている。

 その背後の仲間たちも困ったように顔を見合わせてはいるが、止める気配はまるでない。


「……よいのか?」

「ああ。信頼を得るためには、まず信頼しなければ。そして僕はもう君を信じている」


 勇者は力強くうなずいてみせた。

 竜の巫女は、そ、そうか、と赤らめた顔を銀髪に隠した。うかがうように俺を見る。なぜ見る?

 とはいえ、いいんじゃない? と口に出す代わりに肩をすくめて笑った。魔族のみんなも、彼女自身も守れる結果だから、全く構わない。

 竜の巫女は決然と顔をあげた。祭壇に向かい、両手を伸ばす。


「封印されし魔王の座よ、我、竜の巫女は言祝ぐ……」


 祝詞が歌うように紡がれる。歌い、詠い、謳うように。

 その言葉は長かったが、不思議と、飽きることはなかった。むしろ、聞けば聞くほど、まだ聴きたくなる……そんな芸術のような美しさがある。

 澄んだ声が発せられる度に、部屋が神聖な空気に満たされる気がする。

 能力を発現させたときのように、今度は彼女自身が光り輝く。少しずつ強さを増すその煌めきは、不意に閃いて部屋を塗りつぶした。


「……完了じゃ」


 まだ目がチカチカしているが、どうやらこっちを振り向いて喋っているらしい。

 どれくらい儀式に時間がかかったのだろう。時間の感覚が覚束ない。

 勇者は歩み出てマントを払い、竜の巫女の前に片膝をついた。


「まずは、魔王の降臨に祝いを。そして両者の更なる繁栄と、共栄を祈ります」

「うむ」


 貴族然とした礼に、彼女はガチガチに緊張している。

 それから早速、なにやら方針を協議していた。もともと、世界単位で部外者な俺は蚊帳の外どころではない。さっきから思ってたが、俺ずっと空気だな。

 突然。

 どばたーん、という勢いで入り口の扉が蹴破られた。甲冑を着込んだ黒髪ツインテの細面な女の子が飛び込んできたのだ。


「巫女殿、勇者はどうなったのだ!?」


 振り返った勇者と目があって凍りついた。

 竜の巫女はツインテ子の姿を見て安堵したように笑う。


「黒龍。無事蘇ったか」

「巫女殿、これは……」

「うむ。これより人と魔は手を取り合うこととなった」


 彼女の言葉に、勇者が誇らしげにうなずく。

 いくらか説明を受けた黒龍は、狐につままれたような顔をして、彼らの協議から引き下がった。

 どうしたのかと思って見ていたら、真っ直ぐに俺のもとに歩いてきた。膝をついて頭を下げる。


「救世主殿。此度は我らの巫女が大変世話になり申した。かたじけなく存じます。挨拶の遅れた無礼をどうかご寛恕いただきたく」

「いや堅いなオイ」

「は、頑丈が取り柄でして」


 言って、黒龍さんは笑った。柔いじゃん。


「黒龍さんって勇者たちに倒されたって聞いたけど、無事だったのね」

「いえ、確かに身は朽ちました。なれど、竜玉が残っていれば、魔力をまとうことで蘇ることができるのです。本来ならウン十年とかかるところですが、魔王が復活なされたためこうも早期に蘇ることができた次第です」

「へー、そうなんだ」

「分かっておられますか?」


 全く。

 呆れたように腕を組む黒龍はちんまい少女で、とても魔王城最強の存在だったとは思えない。


「この体が不思議ですか?」

「え? あ、うん。なんでそんな女の子なのさ?」

「竜に性別はありません。我も初めから女子だったわけではないのですが、竜玉を最後に触ったのがあちらの」


 言って、勇者一行の魔法職っぽい女の子を見る。


「女子でして。肉体の再構成に影響してしまったのでしょう」

「へえ」

「だいたい人の姿をしか取れないのは、我が魔力が極めて低いためです。本来ならこの万倍は魔力があるのですが……今は、こんな様です」


 両手を広げて少女な姿を見下ろした黒龍は、苦笑を見せた。

 いや魔力とか言われても分かりませんけどね?


「……時に、救世主殿。質問をしてもよろしいでしょうか」

「どーぞ? むしろ俺黒龍さんより立場下だから気を使う必要ないよ?」

「いえ、畏れ多くも我らが巫女の喚びました御方。最敬礼を取るのが道理と言うものです。それで、気になっていたのですが……」


 黒龍さんはいぶかしげに俺をまじまじと見て、尋ねた。


「どうして救世主殿はそうして上着を胸に当ててぴったりと壁に体を張り付けているのか、理由をうかがっても?」

「いや、だってなんか俺完璧に邪魔者じゃん。だから還る準備ができるまで、こうして壁になってようかと」


 たまたま黒い上着を着ていたから、壁面と色が近い。


「は、はあ……」


 黒龍さんはやっぱり困惑したような目で俺をしげしげと見つめる。人をまるで珍獣かなにかのように見ないでいただきたい。


「いやしかし、壁になるのかは我には分かりかねるので何も言いませんが、邪魔者と言ったことについては、否定させていただきます。救世主殿、貴方がおられなければ、我らは必ずや滅びていたことでしょう」

「ごめん、慰めないで。今現実逃避して考えないようにしてるんだから」


 ちくしょう情けなさすぎて涙出てきた。はるばるやって来て糞の役にしかたたない能力(トイレットペーパーの切れている個室を扉の外から見分けることができる)ばかり手に入れて、何の働きもせず事件解決だぜ。俺なんかに存在価値はないんだウェーイ!


「ですからそれは間違いです。巫女殿も感謝しているはずですよ」


 黒龍さんはしぶとく慰めてくれる。気休めなんかいらないよ。今の俺には自宅のベッドだけがほしい。忘れて寝たい。


「黒龍さん、ご覧、お巫女さんはこっちを見るまいとしてるのが分かるよ。俺を黙殺してるじゃあないか」


 俺が指摘した通り黒龍さんは振り返って竜の巫女を見やった。勇者と協議を重ねる彼女は、まるで俺が存在していないかのように振る舞い、俺から目を逸らしている。

 その姿を確認した黒龍さんは、腰に手を当てて苦笑した。


「ふむ、参りました」


 そして改めて俺を見て、


「では救世主殿、しばし我と会談をしていただきたい。お許し願えますか?」

「いいけど……なんで俺と? 黒龍さんて偉いんでしょ? あっちで勇者さんと一緒に話した方がいいんでない?」


 お偉方の集まる会合的な扱いみたいなものじゃないのだろーか。


「巫女殿がおられれば十分ですよ。お気遣い痛み入ります」


 気を使ったのでなくて、僕みたいな路傍の石に関わらないで発言だったのだけど。

 黒龍さんは遠慮する僕に構わず、どっかと座り込んで話を始めた。

 なんの話かと言えば、とりとめのない世間話だった。

 魔族も不景気なんだねぇ。いや不景気もなにも、人間に駆逐されて産業もままならないから、経済が成立してないだけなんだけど。

 いつしか俺も座り込み、長々話を楽しんでいた。黒龍さんは口が上手い。相づちや合いの手、会話の切り替えが上手いばかりか、上手いことを言って会話を盛り上げてくれる。

 歓談に夢中になっていたら、いつの間にか、勇者との会合が終わったらしい。勇者を見送った竜の巫女さんがこっちへ走ってきた。


「忍者かお主は!!」

 ズパーン!


 強烈な平手が、あぐらをかく俺の脳天に叩きつけられ、視界が赤黒く明滅した。首が鞭打ったかと思った。


「痛……えっ? 痛い、なに? なんなんですかあなた?」

「うわっ、不審者を見るような目でわらわを見るな!」


 二発目。俺が何したって言うんですか。

 彼女は妙に満足げに腕を組んで夢と希望が詰まっていそうな胸を張る。


「お主が阿呆なことをしておったから、突っ込みたくて仕方がなくて、勇者殿との協議に集中できんかったのだぞ。ああ、やっとスッキリしたわい」

「嘘だあ、協議に夢中で俺のことなんか気にしてなかったくせに」

「うむ、意識から完全にシャットアウトせねば耐えられんかった。お主はそんなにわらわに恥をかかせたいのか!」


 突っ込みを入れる魔族の代表者なんていう無様な姿を勇者の前に晒すところじゃった、としみじみとうなずく。

 黒龍さんが俺に耳打ちをした。


「ほら、巫女殿は救世主殿が憎くて無視したわけではなかったでしょう?」

「……黒龍さん、分かってて何も言わなかったの?」


 じろり、と愛らしい幼女の顔をした老練な魔王の臣下を見る。黒龍さんは澄ました顔で口を開いた。


「我の口から申し上げても、無為なことでございましょう?」


 にんまり、と何か含みがあることが見え見えの笑みを浮かべる。黒龍さん、……名前の通り、黒くありませんか?


「む。なんじゃ、さっきから。お主はいつの間に黒龍と仲良くなったんじゃ?」


 なぜか不貞腐れたように目を細めて投げ遣りに聞いてきた。いいじゃないか、暇だったんだから。


「それで、魔王がうんたら言う問題は解決したの?」

「む、ん、どうかの。国王側には勇者が橋渡しをしてくれるじゃろうが、和解にはまだほど遠かろう。これ以上ないほどの誠意を見せねばならぬじゃろうな」


 指導者の顔になって、彼女は苦笑した。

 魔族と人間との溝は、深く大きい。


「舐められても困るから、安易にへりくだるのも悪い。大変じゃろうが……」


 しかし、と言葉を切る。

 思わずドキリとするほど、優しく慈しみ深い笑顔を見せた。


「今まで歩めなかった、大きな、とても大きな一歩じゃ」

「……そっか」


 よかった。素直にそう思える。

 抱いた一抹の寂しさは、蓋をすることにした。


「いよいよ、俺はお役ごめんだな」


 竜の巫女は顔をあげて俺を見る。ゆっくりと、うなずいた。


「そうじゃな。短い間じゃったが、世話になった。わらわの手で送り返せることを誇りに思うぞ」

「オーバーだな」


 俺が笑うと、つられたように彼女も笑った。


「お主がこちらに来た同じ時間同じ場所に送り返せるはずじゃ」

「そりゃよかった。どうやって送り返すんだ?」

「なに、お主の能力のときと同じじゃ。祭壇で……ぇー……」


 笑っていた表情が凍りついた。音が聞こえそうなほど早く顔が白くなって青くなっていく。


「な、なに、どうした?」

「さ、祭壇でな? 世界の境界を開くのじゃよ? わらわもそうやってお主の世界の知識を何割か共有しておるでな? 同じ要領で還せるのじゃよ?」

「あ、そうだったんだ?」


 それであんなマニアックなツッコミをしてきたのか。

 竜の巫女はぎこちなさマックスでギチギチと音がしそうな笑顔を見せる。


「ま、魔王を封印する祭壇であれば、その、力を用いて開けるのじゃが」

「じゃが?」


 彼女の声がか細くなって聞きにくくなってきた。歩み寄って顔を寄せるとビクリと肩を縮める。別にいじめねーよ。

 竜の巫女はさらに縮こまって顔をうつむけて、蚊の鳴くような声を絞り出した。


「……魔王が解放された今、祭壇はただの石じゃ」

「ほう、石」


 繰り返して、


「石いいいいいいいぃぃぃっ!?」


 叫んだ。

 銀髪美少女はビックリしたのか頭を抱えてしゃがみこんでしまった。

 いやアンタそんな体つきで小動物リアクションしても不釣り合いで似合いませんからねギャップ可愛いなオイ!?


「え、てことは何? 俺帰れないの? マジで? ジョーダンキツいぜハニー?!」

「は、ハニー!? ばばば馬鹿、冗談でそんな呼び方するでないっ!」


 問いただそうと勢い込んだカウンターで顎を右ストレートが貫いた。

 マジで天井が一回転したように見えた。頭の中身が強烈にシェイクされて吐き気がする。


「りょ、ほま、おんきれ……」

「呂律回ってませんぞ、大丈夫ですか?」


 黒龍さんが介抱してくれる。頭を押さえられた。ゆらゆらしていたらしい。

 竜の巫女が慌てたように俺の手を取った。


「す、すまぬ、思いのほかクリティカルヒットしたみたいじゃ。大丈夫かの?」

「痛いっす」

「すまぬ……」


 ようやく落ち着いてきた。同時に思考も取り戻す。


「帰れないとなると、参ったな、どうしようか……」


 つぶやいてボンヤリと考える。竜の巫女も口を引き結んで何やら考え込み始める。

 突然笑い声が響いた。何事かと思えば、背後の黒龍さんが笑っていたのだ。


「取れる手段など決まっております、簡単な話でしょう」

「簡単って、どうするのさ」

「帰る手段を探しにいけばよいのです。なに、魔王の祭壇に代わる神代の秘跡くらい、探せば見つかるでしょう」


 当然と言う顔で語られる。

 まあ確かに、手段がないなら探さないと仕方がない。そりゃあその通りなんだけど、なんか振り出しに戻ったような気分だ。


「まあでも、それしかないかぁ……」

「救世主殿お一人で旅するのは無謀でございましょう。不足ながら、我がお供致します」


 黒龍さんがそう持ちかけてくれる。ただ、それを竜の巫女を見ながら言ったのは何故だろう。あ、現魔王である彼女に許可を求めるとかかな?


「な、こ、黒龍と? 二人?!」


 何故か竜の巫女は動揺して嫌そうに顔を歪めた。


「え……実際俺一人じゃ不安だから、誰か付いてくれるとありがたいんだけど……」

「めぼしい者は勇者との抗争で軒並みダウンしてますからな。旅なのですから少数精鋭が理想ですが、救世主殿ほどの方を護衛するのです、賤しからぬ身分と節度のある者でなくては」


 黒龍さんが何故か満面の笑みで、竜の巫女に告げる。

 あの、なんかブラックなオーラが透けて見えるんですが。


「あう、じゃが、そうかもしれぬが……うぬう」


 こっちはこっちで、なぜかしどろもどろになってるし。


「本来ならば召喚主である巫女殿が付き添うのが一番なのですが、一番なのですが! 勇者殿らと協議を行える者が城に、最! 低! ひー! とー! りー、は! 残っていなければなりませんからねっ!」


 黒龍さんは超変なイントネーションで話す。アンタなに企んでるんだ。


「それじゃああああああっ!!」


 銀髪美少女は絶叫した。なんだいきなり。


「わらわが自ら付き添おう!」

「え、でも勇者と話し合わなきゃいけないんじゃ」


 軽く問いかける途中で、


「お主は、わらわと共に行くのが、嫌なのかの?」

「光栄の至りでございます」


 平伏。

 うむ、と超威厳のあるうなずきが返された。魔王は迫力が違うぜ。

 黒龍さんは、何か腹に一物あるのが見え見えの笑みで竜の巫女に尋ねた。


「巫女殿自ら行かれなくとも、我が付き添ってもよろしいのですが?」

「ダメじゃっ!」


 即座に彼女は大声で強く否定した。その自分の大声に驚いたように目を丸くして、なにやら目を泳がせ、そして言葉を継ぐ。


「魔王たるもの、いかなる者に対しても果たすべき責任は負わなければならぬ。召喚主たるわらわがこやつを送り届けるのは当然の責任じゃ。まして、助けを求めた相手なのじゃから、礼を尽くすのが道理であろう。その誠心をこそ重んずるべきじゃ。政治的には、わらわはそのような価値観を持っていると人間に示すデモンストレーションにもなるじゃろう。勇者殿との協議についても、儀礼や封印の管理に奔走していたわらわより、多くの魔族を直接支配しておった黒龍のほうが適任じゃ」


 長いセリフを言い終えて、彼女は笑った。

 ドヤ顔の銀髪美少女とかレアだわあ。見たくなかった。


「そういうことでしたら、我から申し上げることはなにもございません。後事はお任せください」


 黒龍さんも満足そうに笑って頭を下げる。ブラックすぎるよ黒龍さん。その計画通り(キラスマイル)は俺に見えないところでやってほしかった。

 と、へこんでいる俺の腕が竜の巫女に引っ張られた。


「そういうわけじゃ。早速行くぞ」

「え……えっ!? 今から行くの?!」

「お主は持ち物がない。魔法が使えるわらわに準備は要らない。よって支度は完了じゃ。さあ行くぞ!」


 俺を引きずるように引っ張りながら行く。ちょいちょい早いって! 全力疾走!?

 封印の間であった場所から、黒龍さんがイイ笑顔でハンカチを振っていた。

 ずんどこ突き進む銀髪美少女に引っ張られて、転ぶ寸前の大股ダッシュで石造りの廊下をぎゅんぎゅん進む。このまま階段を降りようとか言ったら踏み外す自信がある。

 そんなことを霞む頭で考えながら酸欠で喘いでいたら、彼女が足を緩めてくれた。喉が張り付くように渇いていて痛むが、そんなことより酸素を吸わねば。ぐは、咳き込んだ。


「のう、お主……」


 俺の窮地などパーフェクトスルーで、一人シリアスな雰囲気をまとう彼女はつぶやいた。


「お主は、実は黒龍と一緒に行きたかった、か……?」

「なんの質問ですか」


 そんなことより言うことがあるでしょう? 引きずってすみませんとか呼吸大丈夫ですかとか結婚してくださいとか!

 疲労で軽く膝が震えている。ようやく呼吸が落ち着いてきた。

 顔を上げたらど真面目な顔をして追い詰められたような表情をしている竜の巫女がいた。

 ぶったまげた。

 また俺は、真面目なのはどうせ声だけで、俺のガチ窮状を笑っているだろうと思っていた。

 彼女は言葉を重ねる。


「旅に行くのは、わらわなんかより、黒龍のほうがよかったかと聞いておるんじゃ!」


 ちょ、マジ詰問!? なにをそんなに怒っているのさお嬢さん!?

 気圧されて廊下の壁に背をつける。ざらついた表面が背中にも感じられた。薄暗い廊下は、窓の形に傾いた光を等間隔で落としている。


「えっと……」


 俺は指で頬をかく。

 銀髪美少女の真摯な表情に無用の引け目を感じつつ、無闇に惹かれている。これだから美少女は。

 引きつった口でかろうじて言った。


「正直、君と一緒の方が、嬉しい……ですよ?」


 まあ、実際口がうまくて話が弾むと言っても、ブラックな黒龍さんと長く居たいとは思えないよね。どうしようもなく本音だった。

 彼女は目を見開いて、顔を赤く染める。そっぽを向いてしまった。


「な、なにを恥ずかしいことを言っておるんじゃお主は……」

「言わせたのはあんただろ!?」


 照れられたから発言を自覚してこっちまで恥ずかしくなってきた!


「やかましいわ。ほら、もたもたするでない! 行くぞ」

「足を止めたのもあなたですからね!?」


 ずかずか早足で歩き始めてしまう竜の巫女を追いかける。駆け足で追いついて、隣に並んだ。

 彼女は俺を横目で見て、すぐに目を逸らした。


「のう、お主」

「なんだよ?」


 彼女は改めて俺を振り返って、小さく笑った。


「これからもよろしく頼むぞ?」


 俺は決まり悪くなって顔を逸らした。


「こちらこそ。長い付き合いになりそうだ」

「……そういうのは普通、相手の顔を見ていうのもではないかの? わらわだってお主を見たのに」

「やかまし。フリースタイルのゴーイングマイウェイってなもんがあってだな」


 言い訳を述べている途中で襟首が掴まれた。引っ張られて、強制的に彼女のほうを向かされる。

 銀髪美少女の柳眉や鼻梁、大きくて吸い込まれそうなほど澄んだ瞳が見えて、

 火花が散った。


「い……ったー……っ!? お主、お主ィ! 何を考えておるのじゃっ!? わらわに、このシチュエーションでわらわに頭突き!?」

「急に引っ張るからコケたんだよ! 考えなしに危険なことをするんじゃうわごめんなさいでした!!」

「許さぬ! わらわは心と気遣いと演出を踏みにじったお主を許さぬ! 報いを与えてくれるわ!!」

「いやそれ理不尽で……うぶ」

「ぬ? どうした? まだ何もしておらんが」

「いや、本日二度目の脳味噌シェイクに三半規管と胃袋がレッドカードをっうぶう!?」

「ちょ、おま!? この状況でゲロっぴとかマジ勘弁!? おい黒龍……いや意気揚々と出発しておいてエチケット袋ちょーだいとか、わらわはどんな顔して言えばいいんじゃ!?」


 胃とか胸がぐるぐる回って脂汗ハンパないけど、なぜかおかしくて笑いが止まらない。

 見れば、彼女もそうだった。焦ってテンパって青ざめてるけど、顔は笑みが浮かんでいる。

 この、アホで間抜けで締まらない能無しのロクデナシっぷり。

 俺たちそのものだ。


「うっぶううううう!?」

「ぎゃああああいよいよ臨界寸前!? むしろ今の発作をよく耐えた!? あああ言ってる場合ではない! 黒龍、ヘルプ、黒龍――……っ!」


 俺たちの旅は、まだ始まってすらいない。

 ギャグなんてまあこれが限界ですよ。

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