第八話:侵食する「強制力」と、兄の涙
アルファードが王都で王女に絡まれていた数日前。
ベルンシュタイン家の屋敷に残っていたセリカは、庭園の木漏れ日の下で奇妙な男と対峙していた。
「僕は勇者だ、君を救うためにきた。……君はお兄さんに騙されているんだ」
金髪をなびかせ、いかにも「正義」を象徴するような眩しい笑顔。
セリカには、目の前の男が何を言っているのか理解できなかった。お兄様が私を騙している? 毎日部屋に引きこもって、変な匂いのする大釜を混ぜ、美味しそうに菓子を頬張るあのお餅のようなお兄様が?
「不審者ですわ……」
彼女が悲鳴を上げようとした瞬間、男の指が空を切った。
その瞬間、セリカの意識は泥のように沈んでいった。
意識が混濁する中、彼女は「何か」に覆い被されていた。
下腹部に走る、焼けるような痛み。執拗に繰り返される異物感。
男が耳元で、勝ち誇ったような声を出し続ける。
「いいかい、これは必要なことなんだ。君を救い出すためのね。君は……もう僕の物になったんだよ」
それが「勇者」という存在の、あまりにも歪んだ救済。
ゲームのシナリオ補正は、アルファードがセリカを拒絶した空白を埋めるために、最悪の形で「勇者」との縁を結びつけようとしていた。
――だが、その「悪夢」は不意に断ち切られた。
ドクン、と心臓が跳ねる。
セリカの体内に満ちていた「何か」を、強引に浄化し、焼き尽くすような圧倒的な魔力が流れてきたのだ。
汚れを、傷を、記憶の底に刻まれた痛みすらも、白く清らかな輝きが包み込んでいく。
まるで「死」すらも拒絶するような、強欲なまでの慈愛。
セリカは、深い眠りに落ちた。
「……あ、う……」
次に目を覚ました時、そこにはいつもの天井があった。
そして、目の前には……丸い、お餅のような顔があった。
「お兄様……?」
アルファードだった。
彼はボロボロと大粒の涙をこぼし、セリカの小さな手を、まるで壊れ物を触るかのように恐る恐る、けれど必死に握りしめていた。
「……ごめん。ごめんね、セリカ。僕が目を離したばっかりに」
アルファードは、自分の無限の魔力を込めた「秘薬」を彼女に飲ませていた。
それは、本来なら「中盤で殺される」運命の自分が、決して使ってはいけない禁忌の処置だった。
彼は気づいていた。
屋敷を警備していたはずの騎士たちが、一時的に「魅了」のような術で無力化されていたことを。
そして、セリカの体の中に残っていた、あの忌々しい「勇者」の魔力残渣を。
(……許さない。勇者、お前だけは、絶対に)
11回目の人生。
「何もしない」と決めたはずのアルファードの中で、何かが静かに、けれど決定的に壊れた。
妹を刺殺した過去のループよりも、今の「汚された」事実が彼の心を抉る。
「大丈夫だよ、セリカ。……何も、なかったんだ。全部、夢だよ。僕が……僕が全部、消しておいたから」
アルファードの瞳から、それまでの諦観が消え、底知れない濁りが混じる。
「悪役」として死ぬ運命を拒み続けた彼が、今、妹ひとりを救うために、本当の意味で「運命」を敵に回す覚悟を決めた瞬間だった。
さて、アルファードの薬によって「事実」は物理的にも記憶的にも消去されましたが、勇者は「自分が印をつけたはずのセリカ」から自分の魔力が消えていることに気づき、苛立ちを募らせます。
「なぜだ、なぜうまくいかない?」




