4.3.02 人生の残骸
森の中を歩き始める。
ニフィル・ロードの森ではない。
ここは、日本の森だ。
そして、現実世界だ。
ニフィル・ロードでは、ブナや樫の木が多かったが、この森は、ほとんどがアカマツと、 ヒノキが主体だった。
ヒノキの香りが心地よい。
立ち止まって目を閉じれば、道なき道を行く森の中であることを忘れる。
だが、今日は仕事だ。
森林浴に来たのではない。
この先にあるらしき、携帯電話を回収する。
それが、今日の仕事だ。
目を開けて、奥へと進む。
エレメント・ノードの森で仕掛けた、リスのトラップを思い出す。
ここにスネアをしかけたら、リスはかかるのだろうか。
どうでもいい。
それより今は、とにかく北へ向かって進む。
転ばないように。
枝に引っ掛けてケガをしないように。
方角を間違えないように。
方位磁石は、100円で買った。
北が分かればそれでいい。
スマホにも、搭載されているが、電池不要のアナログの磁石を信じて先へ進む。
途中で傾斜のキツイ斜面を昇る。
ズレないようにとにかく真っ直ぐ、斜面であっても北だけを目指す。
転ばないようにだけ注意する。
こんな斜面を転がり落ちたら、ケガでは済まないかもしれない。
ニフィル・ロードなら、ログインしなおせばケガは直るが、現実世界では入院することになる。
どうにか、傾斜を登り終えて、少し平らな場所へ出る。
その先も、ゆるい登りの傾斜が続いていた。
ふと上を見上げてみるが、葉に隠れて、空はほとんど見えない。
森に入ってからは、鳥の鳴き声も変わっていた。
テンポの早い救急車のような鳴き声。
長くチュルチュルと鳴らし続けている鳴き声。
どこか遠くの、ホトトギスの鳴き声も届いている。
その小鳥の声を縫うように、さわさわと風の吹き抜ける音。
斜面を登ると、汗が滲むが、不快な感じはしなかった。
思いのほか、いい仕事だ。
ときおり、スマホを出して、座標を確認する。
こんな森の中で、スマホのGPSは正しいのだろうか?
分からないが、信じるしかない。
まっすぐ北へ進んでいるつもりでも、少しズレていると、GPSが伝えている。
東西の座標を調整しながら、また北へと森を進む。
そして、30分以上が過ぎた頃。オレは、雇用主が示した座標に到着した。
しかし、なにも見当たらない。
辺りはどこを見ても森だ。
コンパス持っていなかったら、元の道路にすら戻れないだろう。
とにかく深い森の中だった。
スマホのGPSを見ながら、辺りを歩き回る。
10歩程、場所を変えると、座標の最小桁が1つ変わるようだ。
広く見積もっても4メートル四方だろうか。
足元、頭上の枝。木の根元。
注意深く見渡しながら、座標が変わらない範囲を散策する。
しかし、目に付くものは何もない。
根っこと、土。落ち葉と石ころ。
人工物は、何も無い。
やはり、GPSがズレているのか。
スマホの電波は届いているが、正しく受信しているのだろうか。
立ち止まって、思案する……
雇用主の情報は正しいのか?
顔を上に向け、枝葉を見渡す。
ミラーやクラゲなら違って見えるのかも知れない木々も枝葉も、オレには全て同じ森にしか見えない。
その時、ふと気が付いた。
あまりにも当たり前すぎて、耳を素通りしていた鳥の鳴き声。
この鳴き声は知っている。
カラスだ。
街中では当たり前だが、この森では異質かも知れない。
オレの聴覚が、カラスの鳴き声をフォーカスしたことで、ようやく異変に気が付いた。
小うるさいほどに響き渡ってた小鳥の大合唱。それがここでは聴こえない。
響き渡るのは、カラスの鳴き声だけだった。
それも、一方向から。
オレは、その方角へと足を進めた。
辿り着いたのは、GPSの座標から、数十メートル離れた場所。
そこは、他より少しひらけていた。
見上げると青空も雲もよく見える。
その空を、複数のカラスがバサバサと飛び回っている。
そして、ときおり地面に降り立ち、なにかをついばんでいる。
そこに落ちていたのは、服だった。
色の抜けたデニムジーンズ。
オリーブ色の長袖シャツ。
その服の内側で萎びていたのは、カラカラに乾いた、誰かの残骸。
カラスを追い払いながら、ジーンズに近づく。
年季の入ったホームレスのような匂い。
堪らなく臭い。
オレは無意識に目を閉じた。
悪臭を放つジーンズに向けて、手を合わせる。
目的の携帯電話は何処だろうと考えながら。
ジーンズのポケットにアタリを付ける。
軍手を嵌めた手で、触れる範囲で感触を探る。
携帯電話のような物はない。
サイフが入ってるようだが、関係無い物に触れるつもりはない。
しかたなく……しゃがんで手を差し込む。
水風船を支えているような感触。
そして、ゆっくりとジーンズを裏返す。
あった。
青色の受話器。
後ろのポケットに、挟まっていた。
摘まんで引き抜く。
スマホではなく、ガラケーだ。
壊れているのかどうかも分からない。
電池は残っていないだろう。
いずれにしろ、それらを確認する気もおきない。
ボタンには一切触れずに、いちど地面に置く。
ナップサックを降ろし、携帯電話を中に入れる。
そして立ち上がる。
衣服に包まれた物体……残骸に、もう一度、手を合わせる。
あとは、振り返らずに、来た道を戻る。
方位磁石を取り出して、南へ。
もう、座標を調整する必要は無い。
ただ真っ直ぐ、南へ歩けばいい。
後ろで、またカラスが騒ぎ始める。
さっきまでの、ハイキングの余裕は、微塵も無かった。
今はもう……
一刻も早く、この森から離れたい。
なにも考えない。
何も知りたくない。
オレが知る必要は無い。
早く出よう。この森から。
この町から。




