4.2.39
誰かが、オレの肩を揺すっている。
未希の匂い。
それと、無臭の誰か。
目を開けると、真正面に未希。
左側から肩を揺すっていたのはストーム。
意識が朦朧とする。
なんだ……
何してたんだっけ。
それより、あちこちが痛む。
特に左手。
未希が、革水筒をオレの口に寄せる。
ああ……水だ……
少し、舌を湿らせる。
鉄の味が薄まる。
血が滲む水。ほんの少し喉に通す。
その横で、ストームが何か喋っている。
「……総司、話は聞いてる。ログアウトして。あとは、私たちが朝まで見てるから。大丈夫だよ」
「ああ、そうか……2人とも無事か」
「……いいから、血を流し過ぎてる。今すぐログアウトさせるから」
喋っているのは、ストームだけだ。
未希は、何も言わない。
ずいぶんと、不安そうな顔をしている。
未希の頭に触れようと、左腕を持ち上げたが、左手は血塗れだった。
こんな手で、未希に触れたくない。
すぐに、左手から力を抜く。
すると未希が、オレの右手を両手で掴む。
未希の手のひらの温かい感触。
少し髪が短い。
顔の色つやも良さそうだ。
ログアウトを経て、健康なカラダに戻っている。
未希の手が血で汚れた。オレの腕についていた血だろう。
「汚れるぞ、触るな」
オレの忠告を無視して、ストームが、指の欠けた左手を持ち上げる。
ストームの膝の上に、血が滴り落ちている。
未希が、オレの右手を掴んだまま、ストームが支える左手に寄せる。
トントントンと、3回叩く。
血塗れの左手に、ログインデバイスが出現した。
『 ELAPSED 02:33 』
「おにいちゃん、人差し指だして」
言われるままに、左手の人差し指に力を籠めて、少し浮かせる。
意識が薄れていく。
目を開けているのに、未希の顔が霞んでいく。
血が足りない……
未希がオレの右手を掴んで動かしているようだ。
ストームは、左手を押さえている。
そのまま、オレは……光に包まれた。
7月10日、土曜日、12時38分。
オレは畳の上に座っていた。
蒸し暑い、アパートの部屋の中。
窓は閉め切っている。
それにしても暑い。
大して水分を摂っているわけでもないのに、汗が滲む。
部屋の中は、40℃以上あるのではないだろうか。
左手。
動かしたら、ログインデバイスが畳に転がった。
なんともない。指は全部ついている。
記憶の中だけの痛みが、違和感だけを残している。
顎に触れてみる。
ヒゲも生えていない。
カラダの匂いを嗅ぐ。
汗臭い。
喉の渇きはあるが、ただ蒸し暑いだけの渇き。
血を流しすぎた渇きではない。
ここはアパートのオレの部屋。
安全だ。命の危険は無い。
ポケットからスマホを抜く。
メッセージの受信履歴。
『反省会するから。午後からファミレスに集合』
まゆ(ストーム)だ。
受信したのは、1分前。
前哨基地での壮絶な戦闘。
あれが、たったの1分。
馬鹿らしくなってくる。
メッセージは、もう1件。
仕事の依頼。
『大室宮市
携帯電話を回収
回収後、A4で郵送
座標 40'31.1"N / 52'28.2"E
15日までに、回収、郵送すること』
スマホで、大室宮市の場所を調べる。
大室ヶ岳のふもとにある小さな町だ。
かなり遠い。
ルートを調べたら、新幹線を使っても片道3時間。
座標の場所は、県道から逸れた森の中だった。
拡大すると、近くに神社や、蕎麦屋が記されている。
しかし、座標は森の中……か。
そんな所に携帯電話が? なぜ?
1日がかりの作業になりそうだ。
こんな猛暑で森の中を歩くのか……行きたくない……
いや、ここよりは涼しいかもしれない。
まぁ行けと依頼されたら、行くしかない。
日曜日はヤメよう。暑そうだ。
月曜日にしよう……あんまり変わらないかもしれないが。
とにかく……『月曜日に向かいます』 とだけ返信。
しばらく待ったが、返事は無かった。
アパートを出て、駅へと向かう。
部屋の中も暑かったが、真昼の外も暑い。
肌を焦がすような陽が降り注ぐ。
少し風があるだけ外の方がマシかと思ったが、肌にあたるのはアスファルトで焼かれた熱風。
外も大して変わらない。
熱気が立ち昇る車道の上を、空車のタクシーが走ってくる。
何も考えずに、そのタクシーを止めた。
後部座席に座る。
涼しくは無いが、暑くも無い。
車内は、適正温度だった。
行先のファミレスを告げ、タクシーが走り出す。
汗だくのオレを見て、エアコンを少し強めてくれたようだ。
涼しい。
タクシーは、すぐに目的の場所に到着した。
料金は二千円と少し。
千円札を3枚渡し、釣りは受け取らずにタクシーを降りた。
ファミレスは、かなり混んでいて、順番待ちの客が列を作っていた。
列を無視して、店に入る。
肌寒いくらいに涼しい。
奥で、未希とストームの2人が向き合って座り、何かを飲んでいた。
近づいてきた店員に、「待ち合わせだ」と告げて、2人が座る席へと向かった。
オレに気が付いた未希が、右手を振っている。
どっちに座ろうか悩んだが、未希の隣に腰かけた。
「あれから地獄だった」
「え? なになに?」
まゆ(ストーム)が、身を乗り出す。
「おまえたち2人は、壊滅しかけた基地にログインする。オレは死にかけてる。オレの腕を掴んでログアウトさせてくれ」
「えっ……なにがあったの?」
店員が、注文を取りに来る。
ドリンクバーの付いた日替わりランチを注文した。
未希とストームは、ウィルコープスが襲撃に来る前にログアウトした。
だから、まだあの惨状を知らない。
30時間後に2人がログインするニフィル・ロード。
夥しい数の死体が転がる、地獄絵図だ。
店員が立ち去ったあと、まずは、それを2人に説明した。




