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妹が消えたあと、世界の数が合わなくなった話  作者: 渡しログ
2章ワールドカウント24
14/16

3.1.03 - クマ


 ピッ、ピッと。


 歯切れのよい、鳥の声で目が覚めた。


 なんの鳥だかわからないが、羽は鮮やかに青く、白い胸元の端がオレンジ色の小柄な鳥だった。

 ゆっくりとだがカラダを起こすと、鳥は、遠くへ逃げてしまった。


 オレは中州で、目を覚ました。


 陽は昇り始めたばかりのようで、朝焼けが遠くの空を曙に染め上げている。


 夕べ、あれだけ飛んでいた妖精達はどこにも見えず。

 その姿を認めることはできなかった。


 空気が少し肌寒い。

 耐えられないほどではない。

 昼間もまた、歩き続けることを考えると丁度よいだろう。


 左手をたたいて、デバイスを呼び出す。

 『 ELAPSED 00:13 』


 現世は13分。100倍なので1300分。

 ニフィル・ロードに来て、21時間半。


 ずいぶん長い時間、禁煙している。

 だが、朝の空気もすこぶる美味い。


 とりあえず、オレは、まだ生きていた。


 足元に転がっている枝を拾い上げる。

 昨日、森で拾った槍、ならぬ杖だ。


 杖でカラダを支えながら、中州から川岸へと渡る。

 水に浸かるとさすがに寒い。


 「川の水より安全かもしれない」

 まゆから聞いた言葉に従い、オレは葦についている水滴をあつめ、口の中を湿らせた。

 カサカサになっていた唇を潤すが、喉を通る前に、口の中で消滅した。

 あと数枚の葦の葉の水滴で、どうにか少しだけ喉を潤しながら、葦の茂みを抜ける。


 このまま下流へ進んでも、左右は森。

 森の中はやめておこう。


 川を下るのはここまでとし、このあとは、平地を森沿いに歩くことにした。


 そして、森沿いを歩くこと数分。

 思ったよりも早く、それを視界に捉えた。


 人だ。

 2人の人間が、森の中を移動している。

 独りは歩き、ひとりは牛のような動物に引かれる牛車に腰かけ、手綱を握っていた。


 オレは、森に踏み入り、近づいて目を凝らす。

 歩くのは男性、牛車を操っているのは女性のようだ。


 2人の足元には、道が引かれ、森の奥へと続いていた。


 女性は、老齢で、60歳は超えているだろうか。

 薄汚れたくすんだ青のウエストギャザーワンピースのような服。

 髪の毛は白髪に染まっていた。

 その手前を歩く中年の男。

 オレのと似たような亜麻のチュニックを着て、裾が泥まみれのこげ茶色のズボンを履いている。

 肩にズタ袋を背負い、腰には手斧を下げていた。

 髭も髪も、よく整理され、清潔そうに見える。


 2人は会話もせず、もくもくと、森の道を進んでいた。

 牛のペースに合わせその足並みは遅く、あとをつけていくのは容易だ。


 ぱっと見、危険は無さそうに見えるが、前回のこともある。

 オレは、森の陰から、彼らの後を追うことにした。


 それにしても、簡単な尾行だった。

 なにしろ、他に通行人がおらず、信号もなければタクシーも走っていない。

 ただただ、森の中の小道を、牛のペースで進んでいくだけだ。

 2人が時々、森の奥を警戒するが、いまのところ一度も後ろを振り向かない。


 オレはこの簡単な尾行を、しばらく続けた。

 陽は昇り、朝から昼に差し掛かろうとしていた。


 ときおり2人は、二言三言の会話をしていることに気が付く。

 距離があり良く聞こえないが、日本語を話しているようにも聞こえる。


 オレはもう少し、近づこうと距離を詰める。

 20メートルくらいのところまで近づいたか。


 そのときふと、道を挟んだ反対の森の中。

 いつのまにか、オレと並走していた動物に気が付く。

 体長は2メートル近くありそうだった。

 深い体毛に覆われたこげ茶色。

 四足歩行のずんぐりとした巨大な動物。


 ……クマか。


 動物園でしか見たことは無いが、これほど大きな個体は見たことがない。

 オレが立ち止まると、クマも歩みを緩め、進んでいた方向に回り込むように、のっそりとこちらに近づく。


 顔は丸く、その上部に半円の小さな耳たぶが二つ。

 その巨体に似つかわしくない、つぶらで小さな目がオレを凝視している。


 じゃれようとしている訳ではないだろう。

 オレという個体が、今日の昼飯に足る存在かどうか、目利きしているのだろうか。

 それとも、単に、オレに脅威を感じ、排除しようとしているのか。

 クマは視線をオレから離すことなく、ゆっくりと距離を詰めてくる。


 あらゆる選択と可能性を頭の中で吟味する。

 武器はと言えば、夕べから杖替わりに使っている1メートルほどの棒きれだけ。


 ここで死んだら、未希を助けられない。

 この局面で、命が助かる可能性を模索する。

 どうする……どうするべきだ。


 ふと、クマの片耳がピクっと動く。

 先を進む農民の話し声が、風に乗ってこちらに届いた。


 オレは、クマに正対したまま、走る体制へと重心を変えた。

 クマとの距離はもう10メートルも無い。

 今にも駆け寄ってきそうだ。


 オレは走り出した。

 どこへ?


 決まっている。


 あの2人の農民のところへだ。

 この脅威をなすりつける。

 農民との距離は20メートルと少し。クマに追いつかれる前に、牛車までとどくだろう。

 あとは、それを追い抜き、後ろを振り向かず、道を走り続けるだけだ。


 オレは走った。

 すぐに牛車に追いつき、駆け寄る。

 異変に先に気が付いたのは、前を歩く男だった。

 振り返ると「ヒィッ」と息を吸いこみ、引き攣った顔をした。

 後ろからは、クマの走る音。


 その時、走り抜けた視界の端。

 牛車の荷物が目に入った。


 その荷物は毛布にくるまれ、毛布の端に小さな顔。

 むちむちとした肌に日差しを浴び、気持ちよさそうに両目を閉じ眠っていた。

 それは、とても、とても小さな命。


 瞬間的に巻き起こる命の天秤。

 あれを見殺しにして助かる未希。

 あれを見殺しにして助けるオレの命。

 関係無い。

 ここは仮想世界だ。

 そして赤ん坊は、おそらく「NPC」だ。

 あれはゲームのキャラクターだ。

 それにどれほどの価値があるのだ。


 考えたわけでもない。

 そうしようと思ったわけでもない。

 何かの結論辿り着く前に、


 オレは、踵を返して、迫りくるクマと対峙した。


 距離はもう、いくらも無い。

 男は背負っていたズタ袋を放り出して、腰を抜かした。

 いまだ、状況を把握していない老婆は「あ、あ、わっ」

 と、声をあげ、牛車の手綱を引く。

 制御しきれず、牛で男を踏んづけようとしていた。


 クマとの距離が2メートルを切る。

 クマと戦ったことなんてない。戦い方など知らない。

 あの生物の武器はたぶん、巨大な前脚とその爪だろう。


 予想しろ。

 出し抜け。


 オレは腰を落とす。

 これで、クマは、オレの上半身から顔面を狙うと推測できる。


 クマが間合いに入りペースが少しだけ緩む。

 右腕が宙に浮いた。


 さらに腰を落とす、顎は地面すれすれ。

 オレの頭を、クマの頭よりも低い位置まで下げた。

 片膝と片手で、つんのめりそうな体制を維持する。

 クマの右腕が、横殴りから斜め下への振り下ろしに軌道を変えようと浮き上がったその刹那。

 両ひざと地面に置いた片手、そして全身を使ってクマの喉元にカラダを突き出した。


 迫りくるクマの体毛を見て、手触りがよさそうだなどと考えながら、オレは持っていた棒きれをその喉元に突き立てた。


 クマの体毛は温かく、驚くほど固く、分厚かった。

 枝はほとんど、その皮膚を通らずに止まってしまった。

 そのまま、勢いに任せてクマを押し飛ばそうとしたが、クマはびくともしない。

 枝が、バキッと音を立てて折れた。

 いくらかは刺さった気がするが、手ごたえは数ミリだろう。


 オレはクマの体重に負け、膝を折ったうつ伏せの状態で押しつぶされてしまう。

 オレの尻に、クマの左手の感触。

 爪が皮膚に食い込んでいる。

 オレは左に転がり、クマの下から抜け出した。

 尻に食い込んでいた爪が、オレの皮膚を引き裂いた。

 クマの視線が、転がるオレを追いかけている。

 後ろ脚と右前脚で身体を支え、左前脚がオレの腹を狙って振り出された。


 折れた枝の残りは、まだ右手にある。

 相打ちだ。

 オレは、右手の枝をクマの鼻づらに振り下ろした。


 クマの爪がオレの腹の皮を切り裂いたが浅い。

 枝は、クマの鼻に、深々と突き刺さっていた。


「ブォッゴ……ッ」

 と、岩が擦れるような低音の悲鳴をあげたクマがのけ反る。


 そのまま反対方向に前脚を降ろすと、背中を向けて、森に逃げようとしたが、手前の木に激突。

 すると、クマはずりずりと、激突した木に額をこすりつけながら、その場にうずくまった。


 クマは、動かなくなった。



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