4.2.09
明け方。
目覚めの理由は、澄んだフルートのような音色。
その音色が、曙の空から聞こえてくる。
朝を告げているかのような澄んだ音。
空気そのものが吹き鳴らすような、透き通った音色だった。
その音が暫く響き渡ると、ふわっと、森の中へと霧散した。
異様な気配を感じて、カラダを起こした。
今のはなんだと、考える前に、今度は北の方から。
それはまるで、チェロのボーイング。
最初だけピッチを揺らし、それから長く空へと昇る。
そして、時間をかけて緩やかに、低い音階へと下がり始めた。
そのボーイングに合わせるように、こんどは少し近くから。
ズレた音程が、呼応を始めた。
ふたつの音の二重奏が、夜明けの野営地の空気を震わせた。
立ち上がって、周囲を見渡す。
遠征隊は、誰も彼もが、眠っていた。
4つの焚火は、すべてが消えかかっていた。
最初のフルートの音。
その音が、再び東の空から立ち昇る。
それに呼応して、扇のように森の方から、1つ2つと。
時間を置かずして、無数の音が重なり始めた。
これは、違う。
フルートでも、チェロでもない。
遠吠えだ。
そう気付いた瞬間に戦慄した。
森から響く、死の協奏曲。
その数は、何匹ではない。十を軽く超えている。数十だ。
「未希、ストーム、起きろ」
オレはまず、2人を起こす。
カラダを揺すって、強引に。
最初はなんだと、寝ぼけていたが、辺りに響き渡る異様な音響。
その音を聴いて、すぐに顔が青ざめた。
「準備しろ、いますぐ」
それから、クリス、ソフィアを起こす。
そして、アーネストの方へと視線を投げる。
アーネストも目を覚ましていた。
口を半開きにして、森の方を眺めている。
遠吠えは聞こえるが、姿は見えない。
だが分かる。
オレ達は、囲まれている。
あの森の先から、いつ駆けだしてきても不思議は無い。
アーネストも、我に返り、指揮を取り始めた。
とにかく急いで、全員をたたき起こし、出発の準備だ。
朝食も取らず、大急ぎで荷物をまとめる。
そして朝陽も昇りきらぬうちに、逃げるように野営地を離れた。
弓を持った男が、隊列の左右に散り、警戒しながら先へと進んだ。
未希の温泉魔法のおかげで、隊員達は、ぐっすり眠れた。
おかげで、足取りだけは軽い。
だが、眠り過ぎた。
見張りの交代も無いままに、全員が眠ってしまった。
そして、すべての焚火が消えていた。
チームは先を急いだが、遠吠えは、いまだ木霊していた。
オレ達は、後を付けられている。
休んでいる暇は無い。
だから先を急いだ。
先頭のペースが速すぎて、中段辺りから少し間延びし始めていた。
アーネストがそれに気が付き、一度ペースを落とす。
それからスコットランド人のミラーが、最後尾に回った。
ミラーは、ガイドの1人だ。
オレ達は、18人で固まってペースを維持しなくてはならない。
半分に割れたら襲われる。
昼近くになるころ、未希とストームのペースが落ちた。
なにか魔法をと、考えなくも無かったが。
よく考えたら、一連の騒動の発端は未希だ。
魔法は、やめておけと、厳重に伝えた。
そして、昼を少し過ぎたころ。
短時間だが、小休止が入った。
遠吠えは、まだオレ達を追跡している。
それでも、いまのペースなら、夕方までに前哨基地へ到着できるらしい。
騒動の発端は未希だ。
だが、未希のおかげで、時間通りに辿り着けるのもまた事実だ。
そして、今日も今日とて、遠吠えのおかげで全体のペースが早い。
未希もストームも、疲労し、汗を滲ませていた。
2人の革水筒。その固いキャップを外してやる。
喉は潤わないが、栄養性能の高い、蜂蜜アップルビネガーを口に含む。
だいぶ酸味が強くなっているが、まだ大丈夫だろう。
水が飲みたいと、訴えているが無理だ。
そして、短い休息の終了が告げられる。
2人の荷物は奪い取り、オレが背負う。
見ると、クリスも、ソフィアの荷物を抱えている。
「大丈夫か? まだ歩けるか?」
「……うん」
「がんばる……」
そう答えたが、辛そうだ。
だが、頑張ってもらうしかない。
そして、夕方近くなったころ。
最初にストームがバテた。
この華奢なカラダで、ここまでの旅。
バテるのも無理はない。
夕べの温泉魔法の効果があったとしても、完全に回復したわけじゃない。
しかたないから、ストームをオレが背負う。
ストームは、見た目通り軽かった。
前に荷物を抱えて、背中にストーム。
重いというより、歩きにくい。
最後尾のミラーが、オレに近づく。
なにか喋っているが、頭で英語を分解する余裕がない。
わからないままにしていたら、ミラーがオレの荷物を1つ奪い取った。
ありがとう。助かる。
未希が、石に躓きながら、よろよろと後をついてくる。
オレの背中を交代する。
少しマシになったストームが歩き、未希を背負う。
さすがに、2人背負うのは無理だ。
そして、オレもへばってきた。
あとどれだけ歩けるだろうか……
前哨基地はまだか。
そう思い始めて、ふと気が付く。
だいぶ前から、遠吠えが聞こえていない。
そうかと思うと、遙か前方。
丸太の壁に囲まれた集落が見えた。
前哨基地か。
きっとそうだろう。
基地とは名ばかりに、見た目は村だった。
十数軒の、バラックやテントが立ち並び、細い煙を上げている。
外周には、畑もあるようだ。
ゲートまで辿り着き、アーネストを先頭に、集落へと踏み入る。
振り返ると、遠くの森は、静まり返っていた。
陽は陰り、あと少しで夜だった。




