4.1.05 - 桃の泉
コインの分割方法を、未希に尋ねたが、オレにはできなかった。
分割には、魔法が必要らしい。
オレはまだ、まったく魔法が使えない。
「魔法は、どうすれば使えるんだ?」
「じゃあ、見てみる? みきの魔法」
「できるのか? 今?」
「うん、できるよ、やってみようか」
ちょうど、池の横を通るところだった。
未希の家も、ここから近い。
未希が、道を外れて、池の方へと歩いていく。
透明度の高い、透き通るような水。
深いところは1メートルくらいだろうか。
魚はいないようだが、水底の石ころまで、はっきりと見える。
「この池はね、みきがときどき綺麗にしてるんだよ」
「魚はいないのか」
「いないね。みんな釣られちゃったのかな」
池のほとりに辿り着くと、未希は果物の籠を地面に降ろした。
そして、籠から、桃をひとつ取り出す。
それを両手で、胸の前に。
「みててね」
未希が目を瞑る。
すると、池が……歪んだ……
オレは、目を擦った。
そして、もう一度池を見た。
歪んで見える。
それは、ほんの僅かな歪み。
眩暈の最中に、池を眺めているような感覚。
ゆらゆらと、伸びたり、縮んだりしている。
奥に見える林に焦点を変えたが、林は歪んでいない。
地面も、空も、雲も。
ハッキリと見えている。
池に視線を戻すと、やはり歪んでいる。
池そのものが、池の中に水没し、水面の下にあるかのようだ。
歪みは数秒で治まった。
未希が、目を開く。
「なにをした……?」
その言葉を放ちながら、オレは匂いを感じ取った。
桃の匂い……
それは、池から。
「池の水を、桃の香りに変えてくださいって、お願いしたの。ちょっと香りが薄いかな……?」
池に近づく。
「あれ? 香りが強くなった?」
たしかに、桃の匂いだ。
匂いの出所は、この池だ。
未希は、手に桃を持っているが、あんな1個の匂いじゃない。
池全体が、桃になってしまったような、溢れ出てくるような甘い匂い。
淵にしゃがんで、のぞき込む。
水面に、オレの顔が写っている。
指で触れる。
水だ。少し冷たい。
波紋がオレの顔を歪める。
「この水……飲んでみても大丈夫か?」
「う~ん……大丈夫だと思うけど」
手で水を掬う。
桃の匂いが、さらに濃くなる。
舌に少し染み込ませる。
……味は無い。
ただの冷たい水。
甘くもない。
近づけるほどに、強烈な桃の匂い。
その匂いがするだけのただの水。
「味する?」
「いや……水だ」
「なんか……すごい桃の香り」
「そうだな……くらくらしてくる」
「でも、なんかね……もしかして……おにいちゃん、ちょっと池から離れてみて」
「ん? ああ」
池から、離れる。
10歩、20歩。
離れたのだから、桃の匂いは薄まっていく。
「やっぱり……」
「どうした」
「おにいちゃん、池に近づいてみて」
池に近づく。
未希のところまで戻る。
「うわっ……」
「なんだよ」
「あのね……おにいちゃんが、池に近づくと、すっごい桃!」
「はぁ?」
「おにいちゃんが、離れるとしなくなるみたい」
「なんでオレが……いったいどういう魔法をかけたんだ?」
「あはははっ」
未希が、楽しそうだ。
「おにいちゃんのために、桃の香りに変えてくださいって、お願いしたの」
「……その結果がこれか」
「そうみたい、おにいちゃん専用の、桃の池になった」
未希がまた、クスクスと笑い出していた。
池を眺める。
手品ではないのか。
魔法なのか。
魔法なんだろうな。
未希が、桃を籠にもどし、籠を持ち上げる。
「行こう。桃たべよ。なんか、すごい食べたくなった」
だめだ……
わからな過ぎる……
歩き出した未希の後を追う。
とにかく、オレは、魔法を見た。
池が歪み、その池が、桃の匂いを放ちだした。
他にどんなことができるんだろうか。
「おにいちゃんが、みきのおうちに近づいたら、桃の香りですぐわかるね」
いや……元に戻せ……
「あれは元に戻るのか?」
「戻すのはね、すっごい難しいかも。
でも、時間で、元に戻ると思うよ」
ならいいか……
「そしたら、次は、メロンの匂いにしよう」
「やめろ……」
間もなく、未希の家に辿り着く。
オレはリビングのソファーへ。
未希は、籠を持って台所へ。
どこからともなくエプロンを出し、背中の紐を結んでいる。
籠から桃を掴み、ナイフで皮をむき始めた。
それから、桃を切り分ける。
「そうえば、おにいちゃん、なにしき来たの?」
ああ……そうだった。
「あのな、未希」
「ん?」
切り分けた桃を皿に乗せて、歩いてくる。
「英語を教えてくれ」
未希が皿をテーブルに降ろす。
降ろした手で、桃を指で摘まみ、口に運ぶ。
オレの言葉は、まだ飲み込めていないようだ。
オレも1つ摘まむ。
爪楊枝は、ないのかな。
顔に近づけると、ふわりと仄かな桃の匂い。
さっきの池と同じ匂いだ。
口にいれると、瑞々しくて、甘かった。
「え! おにいちゃんが英語? みきから⁉」
そうだ。
だからどうした。
魔法よりは、簡単そうだ。




