ビバラダにはジムノペディ第一番がよく似合う
私の人生の大半は旅で構成されていたと言っていい。その中でも三十代の頃に訪れたビバラダという国は、それ以降の私の、植物に対する意識をすっかり変えてしまったと言っていいだろう。
ビバラダでは、行く先々で植物が育てられていた。生垣や街路樹なんかは、そりゃあどの国にもあるが、ビバラダでは入る店、公共の建物、ホテルの部屋全てに必ず植物があった。例えば喫茶店のテーブルには小さな鉢が相席のように置かれていたし、書店に行くと書棚にエアプランツが転がっていた。役所のカウンターにも待合室にも、人間のように椅子を陣取っている鉢があり、ホテルの部屋には入り口、鏡台、浴室、ベッド脇のそれぞれに違う植物が置かれていた。ビバラダの人々にとって植物はペットよりも身近な存在らしかった。犬や猫は、そういえばほとんど見かけなかった気がする。植物とは折り合いの悪いペットというものも、この世には多い。
ある日、私がほとんど舗装されていない土埃の立つだだっ広い道路を歩いていると、ツヤツヤしい大ぶりの葉を揺らしながら、腕いっぱいに鉢を抱えて歩く子供たちを見かけた。彼らはヨタついたりもせず、しっかりとした足取りで、すぐそこの家の中に吸い込まれていく。
こんなにたくさんの植物……子供たちは少なく見積もっても三十人はいた……を、一体どうするんだい、と尋ねると、子供たちは足を止めずに順々に答えてくれた。
「植えるんだ」「温室にね」「たくさん植えて」「育ったのを」「近所に住んでる人が」「もらえるんだ」
私は最後の子供の後について、その家へ入って行った。
家の中は、玄関という概念とは無縁の国のためにすぐ居住空間となっており、見渡す限り植物の鉢でいっぱいだった。緑、緑、花の色、緑、緑、緑。
それほど広くない、子供が十人いれば隙間がなくなるくらいの部屋には、鉢を跨ぐように配置された椅子や壁に打ち付けられた棚、天窓から下がった板があり、そこに本が置いてあった。文庫本サイズの小さなものから、大判のものまでが積み上げられ、立てかけられ、広げられている。
「植物は」「本を」「読むんだ」
いつの間にか私のすぐ後ろに並んでいた子供たちが言う。
「彼らは」「本が」「好きだからね」「たくさん」「読むよ」
子供たちの列から離れて、鉢と鉢との間の狭いスペースに爪先立ちになりながら、私は書名に目を凝らした。哲学、文学、物理学、考古学、天文学……。随分難しそうなのを好んで読むのだなと思って見ていたが、中には流行のコミック本や雑誌もある。
「彼らにも」「好みが」「あるから」
子供たちの声に頷きつつ、また一瞬途切れたその列に加わる。少しずつ歩きながら部屋を抜け、廊下に入ってゆく。廊下は片側が窓になっており、片側には非常に広い部屋が広がっていた。広い部屋にもやはり様々な植物が置いてあり、先ほどと同じようにその近くには本がある。
私の耳は、その部屋に音楽が流れているのを捉えた。どこかで聞いたことのある、非常に有名な音の流れだ。ピアノの、淡々とした旋律。
「ジムノペディ」「第一番だよ」「植物は」「好んで」「聴く」「他にも」「選択肢が」「あるのに」「ね」
確かに、音楽の再生機器はたくさん置いてあり、曲目リストも充実しているようだ。だが、それらの機器のいずれもから、同じ曲が静かに流れ続けていることがわかった。植物たちは本を読み、彼らの好む曲を聴いている。
窓の方を見ると、そこには鉢に植えられていない植物たちが、勝手気ままに枝葉を伸ばしている。中庭らしい。太く逞しい幹を持った大木も十本ほど立っており、非常に大きく恐ろしいまでに鮮やかな花が、濃緑の裏側に揺れている。あまりに葉が茂っているので何がいるのか全貌を把握できず、午後の強い陽光でさえ暗い影に変換されてしまうようだった。
「中庭に」「いるのは」「鉢が嫌いな」「植物なんだ」「でもね」「彼らも」「本を読むし」「音楽を聴く」「のさ」
言われてガラスに鼻をつけながら見ると、木々の枝にはヘッドホンがかかり、幹には本が立てかけてあった。風に葉を揺られながら、彼らもジムノペディ第一番を聴いているのだろうか。
廊下の先には階段があった。階段の手すりに植物の蔓が絡んでいる。少し触れると、握手のように軽く手に絡みつかれて、一瞬焦った。子供たちの列は粛々と進む。
階段を上り切ると、床一面がガラス張りになっている部屋に出た。ガラスの下には水が張られているようで、中には小魚が泳いでいるのも見える。水中には水草が揺れ、大きな植物の根も見える。子供たちはその上を歩いて行くが、途中でちょっと立ち止まって、水草に声をかけているようだ。
「水の中では」「本が読めないし」「音楽も聞けない」「からね」「話しかけてやるんだ」「植物は社交的だから」「喜ぶよ」
私も試しに、ガラスとガラスの隙間に、声をかけてみた。何と言ったのだかは忘れてしまったが、水草が元気よく揺れたことは覚えている。
水音のする綺麗な部屋を抜けた先には、ピアノが一台だけ置いてある部屋があった。子供たちは特に何をするでもなくその脇を通り抜けていく。何か説明をしてもらえるかと思いながら歩いたが、特に何もなく、廊下は続く。
もう随分歩いたような気がした。しかし、まだまだ廊下は続いているようだ。果たして、外から見た時のこの家の広さと、どうも食い違ってやいないだろうか。
少し怖気付いて後ろを見ると、こちらにもやはり子供たちがずらりと列をなしている。引き返すなんてできそうにない。仕方なく足を進めると、次の部屋に出た。
ここはサボテンだらけの部屋のようだ。一本通っている廊下の他には足の踏み場なくサボテンが敷き詰められており、ちょっと転んだりしようものなら、棘の海の中にダイブすることになるだろう。
「大丈夫」「大丈夫だよ」「大丈夫」「心配しないで」
何が大丈夫なものか、と半ばヤケクソ気味に歩く私に、子供たちは言う。
「彼らは優しいんだ」「刺したり」「なんて」「しないよ」
そう言われても安心はできない。私は部屋を埋め尽くす大小形も様々なサボテンを睨みつけるようにしながら、何とかその部屋を通り抜けた。
そこは屋上だった。急に吹きつけてきた風に戸惑いながら周りを見ると、他の家の屋上にも同じように、鉢を抱えて並ぶ人たちが見えた。この家では子供だけのようだが、他の家では男ばかりとか女ばかりとか、老人ばかりとか若者ばかりとか、という偏りが見られる。子供の列に混じった私に不躾な視線を向けてくるような人は、幸いにしていなかった。
屋上から見えるビバラダは、やはり植物に覆われているのがよくわかった。どの家の屋上も、今私がいる屋上のように緑に埋め尽くされている。そして、並んでいるどの人も、穏やかな顔をしていた。
屋上から階段を下ると、そこは温室になっていた。ここでようやく、子供たちが、抱えていた鉢を下ろしていく。
「さようなら」「さようなら」「さようなら」「さようなら」
子供たちは鉢に植えられた植物たちに別れを告げながら、温室内のあちこちに置いていく。温室は、ここまで見てきたどの部屋よりも広い。
「ここで育った植物は」「また僕らの手に」「帰ってくる」「だから」「それまで」「さようなら」
歌うような別れの言葉の海に揺られ、植物の葉から雫が落ちる。
私は緑の間を歩きながら、ジムノペディ第一番を口ずさんだ。植物たちも、一緒に口ずさんでいるような気がした。
芯しかない美しいメロディが、ここにはよく似合う。




