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阪神・淡路大震災②

 その男の人は、開口一番こう言った。

「アンタらその廃材どこまで持っていくん?」

「この先の処分場があってそこへ行くんですけどこの渋滞で...」と言うと。


「相談やねんけど、その廃材全部くれへんか?」

 突然の申し出に呆然としていると、「いや何、そこの公園に居る被災者やねんけど、その廃材あったら助かるんや!」

「捨てるぐらいやったら全部公園に下ろしてくれ」


 当時は社長とも相談したけれど処分費用払って処分しているものなので、渋滞の事もあり今下ろせるなら俺たちにとっては願ったり叶ったりだった。


 その人の言う公園はすぐ側にある結構大きな公園であった。

 トラックを横付けすると青いビニールシートで作ったと思われるテントのようなものから大人たちがぞろぞろと出てくる。

「これで助かった...」

 口々にそう言いながらトラックに歩み寄る。

「いや、どういう事?」と聞くと、なんでもシートでテント作ったはいいものの時期は2月、寒すぎて夜も寝られないという事だった、公園内を見ると小さな子供たちが幾人も遊んでいる。

「嘘やろ...」と内心思ったがグッとこらえると社長が「こんなもんでよかったらまだまだあるけど!」と言うと、「明日も来てくれるやろ?」と言われた。


 その後廃材を公園に下ろした俺たちは会社に戻り、〇✕倉庫の方とも相談した。

 当初はそれはマズイんじゃないかという声もあったのだが、廃材と言っても再利用可能なレベルのものであり、当時の状況も鑑みて黙認という方向で話が纏まった。


 それから何度も廃材をその公園に運んで行くうちに気づいたのだが、ただ単に暖を取るためにドラム缶で燃やしているのではなく、その廃材を使って器用に小屋を建てているのだった。

 そうする事でテントにはなかった暖を取れる家が完成しており、当時は人間ってすごいなと感心したものでした。


 そういう日課が幾日か続いたある日

「明日持ってきて貰ったらもう大丈夫やわホンマありがとう」と言われた。


「明日で最後か」と思うと、最初の頃は笑顔なく公園で遊んでいた子供達も日を追う事に笑顔が戻り、俺と仲良くなっていた子供たちとも別れが近づいているのを実感した。


 公園への運搬最終日、俺と社長はいつものように廃材を下ろし、住人に礼を言われて別れの瞬間が来たことを知った。人々は口々に「ほんまあんたらのおかげで助かったわありがとう」と言い、帰ろうとしたその時に子供たちが大きなダンボールを持ってき歩み寄ってきた。

「おにいちゃん おじさん ありがとう、これ食べてください」


 そこにあったのは満足に配給もない公園で、食べるものも苦労している中大事に取ってくれていた菓子パンなどが山のように入っていました。

 絶句した俺と社長は

「そんな大事なもの貰えない」と言うと、「子供たちが考えて大事に取っていたものだから貰ってやってくれ、遊んでもらったりしたお礼だそうだ」と言われ半ば強引に受け取らされた俺たちは、言葉にならないほど小さな声で子供たちに「ありがとう大事に食べるわ」と言うのが精一杯だった。


 その帰路、俺と社長は人生でこんなに泣くのかと言うほど泣いた......

 社長の「ワシらこの地震で大した被害もなく食べるものもさほど苦労することなく、風呂にもはいれてるやん!そんなワシらが出来ることやったら何でもやったらんとアカンよなぁ」


 大いに二人で泣き、貰ったパンの味は今でも忘れない涙の味がしました...


 あの時の子供たちも震災から30年、いい大人になりもしかしたらいいお父さんお母さんになっていることだろうと思います。

 あの時にかけてもらった「ありがとう」という元気な言葉と笑顔は、俺の中で大きな存在として今もあります。

 地震で被災した事により「あれから30年しか経ってない」と思うか、「あれからもう30年になるのか」と思う人生における震災被害。


 全ての人が「あれからもう30年」と言える記憶になっている事を切に願います。


「ありがとう」そんな短い言葉が感謝、真心だけでなく時には勇気に変わる魔法の言葉でありつづけるなら、俺は「ありがとう」といい続けようと思う



 貴方にとって「ありがとう」の物語は幾つありますか?



個人名などは架空のものですが、全て実話です

自分の人生において「ありがとう」という言葉のエピソード皆様はいくつあるでしょうか?

私自身はこういう記憶がある為「ありがとう」という魔法の言葉の持つ力を実感しています。


皆様に置かれましても、「ありがとう」が魔法の言葉になるように切に願います。


※阪神・淡路大震災時のエピソードに関しては、法令違反していると思われますが、当時の状況など鑑みて頂けると幸いです。

その公園は避難所指定されたのも遅く、配給などが届いていなかったのも事実です。

私たちが行くまでの数週間の間、着るものも食べるものもなく大変苦労した事だと思われます。


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