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阪神・淡路大震災

 コレは俺が20代の頃に経験した話だーー


 1. 発生概要

 •発生日:1995年(平成7年)1月17日 午前5時46分52秒

 •震源:淡路島北部(北緯34度36分、東経135度2分、深さ約16km)

 •規模:マグニチュード 7.3(気象庁マグニチュード7.3、モーメントマグニチュード7.0)

 •最大震度:震度7(兵庫県南部、震度7が公式に適用された最初の地震)


 ⸻


 2. 被害状況

 •死者:6,434人

 •行方不明者:3人

 •負傷者:43,792人

 •全壊建物:104,906棟

 •半壊建物:144,274棟

 •焼失建物:7,000棟以上

 •被災者数:およそ316,000人が避難生活を余儀なくされた


 被害は、兵庫県南部(神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市など)を中心に甚大で、大都市直下型地震として戦後最悪の災害となった。



 その年の1月、発生の時俺は自宅に居た。

 眠っている時に「ズズズズズズズズズズ」という地鳴りがしたかと思ったら激しい揺れが「ドカン」と1発来た。

 刹那、大きく横揺れが続き、食器棚から何から何まで倒れる事態となり、電気がつかない。

 驚きはしたものの、自宅の被害と言えば、ひとまずは片付ければいいだけなので俺は暗い中、仕事に行く準備をした。


 余震こそあれども、仕事を休む訳にはいかないので準備をし、車に乗り込んだ俺は神戸の市街地に続く有馬街道を下る車内にいた。

「今日はやけに混んでるなぁ」そう思いながらCDで音楽を聴いていた為、俺はこの地震の被害がどれだけ大きなものだったのかをこの時は知らなかった。


 山麓バイパス出口付近まで下った所で、車列が完全に止まった。

「動かないな......遅刻するな」と思って30分程経った頃、1台の見慣れた車が市街地方向から登ってきた。


「お、山根の車だ」

 向こうも俺に気づき車をガードレールに寄せて止める。

 つかつかと車を降りて歩み寄ってくる山根が何か叫んでいる。

 車の窓を開けて「どないしたん?」


 と聞くと「引き返せ、仕事場行けないぞ」と言う。

「は?どういう事?」と聞くと、「ポートアイランドの橋が落ちてる、三ノ宮とかもビルが倒れてるんや!!」と言う。

「お前ラジオ聴いてないんかい?」と言われ慌ててラジオに切り替える。

 そうこうしてると、異変に気づいた周りのドライバーも集まってくる。

 山根が皆に説明している間にも俺は被害の大きさがピンと来ない。何せ自宅の団地はそんな被害無いからである。


 俺と山根は急いで自宅へと向かった。

 俺の自宅の惨状は、明るくなった中で見ると想像以上のものだった。

 家具は倒れ割れた食器等が散乱している。幸いにも窓ガラスなどは無事で、建物にも被害は無いようだ。


 ガス、電気、水道は止まっており車のラジオ以外情報入手の手段がないのは不便だったが、未だ地震の被害の全容は知りえぬ事だった。

 車に戻りラジオを聞こうと乗り込んだ時に「プァン」とクラクションを鳴らされた。

 顔を上げると近くに住む石田の顔がそこにあった。

 お互いの無事を喜び、山根から聞いた話をそのまま伝える。


 3人とも職場は同じポートアイランドなので、この時点で出勤出来ないのは確かだった。

 とりあえず自宅を片付けて石田の家の片付けを手伝う約束でその場は分かれたのだが、自宅の惨状がとりあえず片付いたのは朝9時前だった。


 その後、石田の家に行くと奥さんから「無事でよかった」と安堵の声で迎えられた。

 小さな子がいる為、大型の家具等を片付けるのは大人一人では難儀しており一息付けたのは昼前だった。


 そうこうするうちに、テレビの電源が突如入る。

 そこに広がる惨状は俺達の予想を上回るものだった。ビルは倒壊し、高速道路も倒壊し、あちこちから火事の炎と煙が立ち上っている。

 誰彼とも無く「嘘やろ」という声が出た。


 職場付近のコンテナヤードから火が出ているのを観て自分達の職場を心配する。

「ポーアイの橋も一部落ちてるらしいからしばらく仕事行けないぞ」


 それからの一週間は色々なことがありましたが、またの機会に......



 一週間も経つと被害の全容が分かってきて、職場へも原付きやバイクなら通勤できることがわかり、原付きを購入した俺達3人は職場へ向かう事にした。

 そこでポートアイランドの被害の大きさを初めて知ることになる。


 コンテナヤードは一部滑落して海に沈んでおり、そこには何台かの車も乗ったまま沈んでいる。

 道路は液状化により細かい砂塵がバイクが巻き起こす風でさえ飛び、顔に当たるのがわかる。

 タオルを顔に巻いていないと砂塵で息もできないほどだ。


 そうこうして、職場に着いた俺たちを待っていたのは、職場の大元の会社〇✕倉庫の社員さんたちであった。

「おおーお前ら無事だったか、出てきてくれてありがとう」といきなり礼を言われた。

 俺たちが所属している会社で出勤出来ているのは俺たち三人だけで、大阪の社長さんもまだ連絡が取れていないとの事であった。


 それからの一週間は出勤できている人間だけで人海戦術で倉庫内を片付けるというものだったが、時折来る余震のせいで一向に捗らない作業となった。


 地震から1ヶ月経つ頃にはとりあえず電源復旧したため作業はさらに捗った。

 自身の会社の社長さんもバイクで出勤してきてそれからは泊まり込みで会社で寝泊まりしていた。


 現状復帰に向けて作業を進めるに従って倉庫外では廃材が溜まって行くため、処分場に捨てに行くこととなった。

 ほぼ全て木のかぼちゃが1トン入る箱を解体した物だったので、4トントラックに積み処分場に社長の運転で向かった。

 当時の処分場は摩耶埠頭の先にあり、通常であれば往復で1時間あれば出来る運搬であったが、摩耶バイパス方面は大阪に繋がる道の為、とんでもない状況であった。時間当たり数百メートルしか進まないのであるーー


「これ一日仕事になりますね」と社長と話していると助手席側、つまり俺側の窓をコンコンと叩かれた。

「ん?」と思って窓を開けると1人の男の人がいた。




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