母親
うちの母は苦労人だった。
父と結婚したのは30を越した頃で、いつも働いている印象だった。
俺が小さな頃は豆腐屋さんで働いており、いつも大豆のいい匂いがしていた。
そんな母が、俺は大好きだった。
しかし、うちの父親は根っからのギャンブル狂いで、酒飲み、女も好きというコンボだったので生活は本当に苦しかった。
父と母の関係は年々険悪になっており、家では喧嘩が耐えなかった。
喧嘩が始まると俺と弟は押し入れに逃げ込み、喧嘩が収まるのを二人でじっと我慢する毎日だった。
その時の俺と弟は給食費の支払いの日が嫌で仕方なかった。
俺は兄貴な為その日は給食費を持たせて貰えないことが多々あり、その日は地獄であった。
「ごめんなさいいついつまでには払うので待ってください」これを小学生が言うのである。
弟はまだ小さいこともあり、その役目は俺が担うことが多かったのも事実で、そんな給食費未納をしていながら給食を食べる自分はひどく恥ずかしい気がしていた。
そんな窮する生活であったが、母はがむしゃらに働いた。
毎日毎日働き、お金ができると給食費を持たせてくれた。それと同時に女性としてお洒落もしたかったであろう母の容姿は考えられないほど質素なものであった。
そんな母の人生が一変したのは、俺が30代になってからだ。
幼少期からナルコレプシー(睡眠障害の一種で、突然意識を失ったり、痙攣を起こす)の疑いがあり、その病気が頻発するようになった。
この病気の厄介な所は、本人が眠くなくても何かのきっかけで突然寝たりしてしまう事だった。
母曰く、幼少期からこの病気のおかげで教師から度々定規などで叩かれて起こされる事が多々あったそうで、苦労は計り知れない。
その病気が頻発するようになった母は職を度々変えることとなった。
ある時、掃除婦として働いていた母が不慮の事故で同僚と接触して、その同僚が階段から落ちて骨折することが起きた。
その時に母は「ごめんなさい」と確かに謝ったのだが、相手方が「わざとやった」と思い込み、その方の親族に詰問される事態になったのである。
その時にまんの悪い事にナルコレプシーの症状が出てしまい、相手側が〈不誠実〉だと捉えてしまい大きな問題となった。
あくまでも相手方は〈わざと接触して階段から落とした〉と主張して裁判沙汰になりかけたのである。
そんな母は結局退職を余儀なくされ大きなトラウマとなったのは確かである。
その時から母は「ありがとう」と「ごめんなさい」を発することは無くなってしまった。
そうして家に引きこもりがちになった母は俺の重荷にもなっていった。
とある時、家で転倒した母は足を折り、入院することとなった。
そんな母の着替えの世話や諸々の手続きは俺の生活にも大きな枷となっていった。
そんな母に思わず「『やってくれてありがとう』の一言ぐらいあってもいいんとちゃうん?と言ってしまった。」
母は泣きながら激怒し、「子やったら当たり前や」と言った。
それを聞いた俺は悲しくなり、日々の食事の世話や諸々について正直に自分の不満を打ち明けた。
何をしても相手から「ありがとう」と言われないことのやるせなさを伝えたのだ。
しばらく不貞腐れていた母であったが、ある日病室に行くと長い手紙を渡された。
そこには、幼少期からのナルコレプシーを患っている自分の身の上と、俺に遺伝して無いかと思う苦悩や、例の事故の時の気持ちなどが書かれていた。けれども、その手紙の最後には大きく「ありがとう」と書かれていたのだ。
俺はその手紙を読み、涙した。
それからの母は高齢になり、デイサービス等に行った時に何か人からしてもらえれば必ず「ありがとう」と言う人になっていた。
その母の評判はケアマネージャーさんからも聞いており、「お母さん事ある毎に『ありがとう』と言うから気を使ってったら申し訳ないので、息子さんから見てどうですか?」と言われるようになり、俺はそんな母が誇らしかった。
母は今年から、足を悪くして車椅子生活となり、ホームに入居しているのだが、「ありがとう」と言うおかげで職員さんたちからの評判もよく、施設内でも上手くやっているらしい。
そんな母に「産んでくれてありがとう」と今は伝えたい。