~してくれてありがとう
俺は赤坂亮二、すでに初老と言われる歳だ。これから幾つか、俺自身のことを話そうと思う。
今振り返れば、大したことのない出来事かもしれない。けれど、ふと心に引っかかって、何十年も忘れられない場面がある。
あれは三十代の半ば、まだ独身で、仕事と恋愛の両方にそこそこ忙しい時期だった。夜も更けた頃、当時付き合っていた彼女と一緒にコンビニへ立ち寄った。二人で飲むビールと、つまみになりそうなものをいくつか手に取った。雑誌の棚を眺めながら「これ面白そうだな」なんて会話を交わし、くだらないやり取りを笑い合っていた。あの頃は、何でもない時間が妙に楽しかったものだ。
レジに並ぶと、バイトらしい若い店員が無表情でバーコードを読み取り、淡々と袋詰めをしていく。俺は財布から小銭を取り出し、代金を支払った。店員がレシートと商品を手渡す。その瞬間、俺は自然に「ありがとう」と口にした。何の特別な意識もなく、ただ習慣のように。
だが横にいた彼女が、少し怪訝そうな顔をした。ほんの一瞬のことだったが、俺にははっきりと分かった。店を出てから、彼女は堪えきれないというように問いかけてきた。
「ねえ、なんで店員さんに『ありがとう』って言うの?」
俺は思わず足を止めた。
「ん? なんでって……そりゃ、渡してくれたからだよ」
「でも、お金払ってるじゃん。お金と商品を交換してるだけでしょ。あの人は仕事でやってるんだし」
確かに理屈としてはそうだ。彼女の言葉は間違っていない。お金を払う客と、商品を渡す店員。そこに感謝の要素なんて必要ない、そう考える人がいても不思議じゃない。
けれど俺は、胸の奥に妙な違和感を覚えた。
「でもさ、たとえ仕事でも、やってもらったら『ありがとう』だろう」
俺はつい、そう言い返していた。自分でも意外なほど、はっきりした声だった。
彼女は少し黙り込んだ後、苦笑いを浮かべた。
「ふーん……亮二って、変わってるね」
その言い方がからかっているのか、本心なのか、俺には判別できなかった。ただ、俺の中には小さなひっかかりが残った。
それ以来、彼女の前で「ありがとう」を言うたびに、どこかで意識してしまう自分がいた。まるで自分の自然な振る舞いが、世間から見れば奇妙なもののように思えてきたからだ。
だが年月を経た今、やっぱり俺はあの時の自分を間違っていたとは思わない。どんなに当たり前のことでも、人から受け取る以上、そこには「ありがとう」がある。たとえそれが、商品を袋に入れて手渡すだけの行為であってもだ。
人によって「ありがとう」の感覚はこれほど違う。彼女の言葉は、俺にそんな気づきを与えてくれた。だからこそ、あの日の小さなやり取りが、いまだに心に残っているのだろう。
今でも俺は、コンビニで商品を受け取るたびに「ありがとう」と言う。時に面倒くさそうな顔をされることもある。けれどそれでも構わない。俺にとって「ありがとう」は習慣ではなく、生き方そのものになってしまったのだから。
その事で不自由なことは無い、むしろ今のコンビニでは海外からの留学生達が店員さんの店も多い。
「ありがとう」と言うと彼らは嬉しそうに「ありがとうございました」と返されることも多い。
「ありがとう」と言うのはある種の魔法の言葉だと俺は思っている。
それぐらい小さな「ありがとう」という言葉をこれからも俺は言い続けるだろう。
それは外食に行った時でもそうだ。
レジで「ご馳走様、ありがとう」と言う。
その時は調理してくれた料理人さんと店のサービスに対しての「ありがとう」だ。
別にこれは親から教わった事ではない、これから話すのは小学生時代の話だ。