第27話 拝殿の上の赤い月
「あの、松原さん...。先程息子も交えてお話したいと申されましたが、晴馬、つい一時間前に寝たばかりなんです。目を瞑れば悪夢を見てしまうとはいえ、もうずっと寝不足が続いているから起こしたくなくて...ごめんなさい」
「左様ですか。それでしたら無理に息子さんを起こす必要はありません。お母様の心労、お察し致します」
そんなやり取りをしながら千恵は松原を玄関に迎え入れる。だがその時優悟の背後に見知らぬ女子生徒がいる事に気付いた彼女は渚に
「ごめんなさい。貴方は晴馬のお友達...?」
と訊ねた。
「初めまして。私、一月程前から晴馬君とお付き合いしている下川渚と言います」
「えぇ!?それじゃ、彼女さんってこと!?」
全く予想していなかった答えに、千恵は驚きの余り両手で口を覆った。そのリアクションからして、晴馬は彼女の存在を一切明かしていなかったのだろう。
「はいそうです。今日は晴馬君の事が心配で松原さんについてきてしまいました」
「そ、そうなのね。わざわざ来てくれてありがとう。さ、上がって上がって」
驚きが冷めやらないながらも、渚を迎え入れた千恵の声は何処か嬉しそうであった。
そして松原はリビングにて、先程優悟達に教えた伝説に加え、晴馬の悪夢をカメラに収めた経緯について話した。
「一月程前。つまり晴馬君が澱神に憑かれたであろう時期から、神社の敷地にある人間の魂が現れるようになったんです。場所が場所なので”そういうもの”が飛んでいること自体はさして珍しい事では無いんですが、その魂はまるで何かに操られているかのように魂自身の意思、というものが一切感じられずに真っすぐに参道を通り、境内の中心から動かなくなったのです」
そこで松原は鞄から自身の一眼レフを取り出した。
「霊視の一種、と言いますか。私は生まれつき心霊写真のような霊や人魂そのものの姿だけでなく、それらが持つ感情や見ている景色といったものまでをカメラに収めることが出来るのです。ただ、その魂だけは感情や景色どころか、姿さえ撮ることが叶いませんでした。でもつい先日、大久保君に境内で出会った直後にシャッターを切ったところ、この写真を撮ることが出来ました。恐らくは晴馬君の魂が大久保君が傍にいる事に気付き、自分でも知らない内に助けを求めたのでしょう」
(それじゃ、これは晴馬からのSOSなのか...)
優悟はテーブルに置かれた写真を改めて見る。写真の半分を覆う曇り空とその中心に浮かぶ、真っ赤な月。そしてそれらの下に佇む、子供の粘土細工のような歪な形の鳥居と、それとは対照的に綺麗に整えられた拝殿。
ホラーゲームにそのまま出せそうな、こんなおどろおどろしい光景を、あれからずっと晴馬は見ているというのか。そう思うと優悟は彼がいたたまれなくなり、思わず彼が寝ている部屋がある二階を見上げてしまった。
「松原さん。以前心霊番組か何かで、心霊写真の中には持っているだけで不吉なことが訪れる危険なものもあると言っていました。この写真は、それに当たらないのですか?」
千恵は話が始まってから極力写真に目を合わせないように努めていた。恐れもあるのだろうがそれ以上に、更なる厄介事を晴馬に近づけさせたくない故だろう。
「...そうですね。お母様の仰る通り、心霊写真には直ぐに焼いて清めなければならない程の強い怨念を帯びたものも存在します。ただこの写真に限っては、そういう人の念のようなものとは性質が異なる、神性と呼ぶべき気を強く帯びているのです。例えばこの赤い玉。先程お母様はこれを月と表現しましたが、これは月なのではなく、恐らくは秋水河姫神そのものを写したものだと思われます」
「これが、神様なんですか...!?」
その発言に一同、一斉に写真を見る。言われてみれば確かに、天上に浮かぶこの球体は良く見ると細い筋のような線が所々に現れており、現実の月とは大きく異なることが分かる。
「神道において”神”という存在は我々人間が認識出来るものではなく、モノや動物に宿ったり、神自身がその姿を変えたりすることで初めて認識出来るとされています。その為これが秋水河姫神そのものと断定することは出来ません。ただ、少なくともこの玉からは人のそれでは無い気が確かに伝わって来る。そしてもう一つ、これを姫神様だと推察出来る根拠があります」
松原はやたら慎重に、写真の中央にある拝殿を指さした。
「この写真にある拝殿。ここからは赤い玉とは全く異なる気が伝わって来ます。じめじめと纏わりつくような、不快極まりない邪悪な気。この拝殿の中に、恐らく澱神が潜んでいます。晴馬君がその魂を未だに喰われずにいるのは、上空に浮かぶ姫神様がその力を抑えているから...」
だが松原は突然口を止め、急に天井を見つめ始めた。
「...戻って来た」
うわあああああああああああ!!!!
松原がそう呟いた直後、晴馬と思わしき叫び声がリビングに降りかかって来た。そのあまりの声量に、優悟と渚はビクンと身体を跳ね上げる。
「晴馬だわ...!悪夢から逃げられない恐怖のせいか最近、目を覚ますと癇癪を起こすようになって...。私、ちょっと行ってきます...!」
千恵は疲れ切った顔でバタバタとリビングを出て行ってしまった。晴馬の叫び声に階段を駆け上がる音が混じった後、晴馬の
母さん!!助けてよ!!気が狂いそうなんだ!!もう嫌だよ!!嫌だよ!!
という悲痛過ぎる叫びが再び頭上から降りて来た。優悟と渚は背筋に無数の虫が這っているかのような、奇妙な痒みを伴った寒気が走るのを感じた。
「二人共、今日はもう帰りなさい。私はこれから晴馬君にお祓いをしなくちゃいけない。簡単なものしか持って来てないから焼け石に水だろうけど、それでも剣を持ってくるまでの気休め程度にはなるはずだから」
「わ、分かりました...」
「今日はありがとうございました...」
狂気すら感じる晴馬の叫びに完全に怖気づいてしまった二人は大人しくそれに従い、それぞれの鞄を肩にかける。
「あ、そうだ...!」
だがいざリビングを出ようとしたその時、渚は何かを思い出したかのように鞄に手を入れ、4冊の文庫本と一冊のブックカバーがついた分厚い単行本を取り出してテーブルの上に置いた。
「松原さん。私、小説を晴馬君に貸すって約束してたんです。お母さんが戻って来たら私が置いていったって伝えて貰えませんか?」
「分かったわ」
「ありがとうございます!」
渚は松原に深くお辞儀をすると、優悟と共に半ば逃げるように晴馬の家を後にした。




