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第八歌:見えぬ山影にて
焔を胸に 行者は歩いた
ただ歩いた
誰の背を追うでもなく
誰かの名を告げるでもなく
彼のまなざしに映るのは
雲間の空と 影を引く山裾
かつて目指した 高嶺の姿
その全貌は もはや霧に沈み
輪郭さえ 記憶の彼方に溶けかけていた
それでも彼は
足を止めなかった
なぜ登るのかと 問う声も
なぜ降りてきたのかと 囁く風も
彼の歩みを乱すことはなかった
「かつて この身は山に憧れ
魂をすり減らし 頂を夢見た
だが今は違う
登るべき山は 内にある
影を超えることではなく
影と共に歩くことを わたしは学んだ」
彼の言葉は風に溶け
鳥も獣も眠る森に 静かに届いた
それは雄弁でもなく
説得でもない
ただ 焔のように 消えずに灯る
ひとつの証言だった
足元に転がる 小さな石を
彼はそっと拾い
手のひらに包んだ
それは この道を歩んできた者だけが知る
記憶の化石
痛みと栄光の交わる結晶だった
そして 山は姿を見せなかった
それでも彼は微笑んだ
「それでいい」
すべてのものに 形は要らぬ
信じて歩めば 道は内に刻まれる
そしてまた 足を運ぶ
新たな山へではなく
かつての山の名残を抱いた
終わりなき 緩やかな斜面へ