羽化
「嘘でしょ。これがアシル様、本来の髪なんですか。ロドリナ様が隠そうとするわけだわ……」
「エラリアも綺麗でしたが、アシル様の髪はそれ以上ですね」
マリスはうっとりとし、リゼットは嬉しそうに微笑んでいる。
リクアードが部屋を出て行くと、僕は黒く染めていた髪を二人に洗ってもらったのだ。
その途中ぐらいでマリスが「え、これって……⁉」と感嘆したような声を漏らし始め、リゼットは「これがアシル様の髪色なんですね」と慈愛に満ちた声を漏らしていた。
未来でルク家の暗殺者として酷使されていた時も、元に戻すことは許されず、髪は死ぬまで真っ黒に染めたままだったんだよね。
暗殺者として身ばれを防ぐ意味もあったんだろうけど、本来の髪色が『ルク家の誰より目立つから』というのもあった気がする。
「そ、そうかな? お世辞でも、そう言ってもらえると嬉しいよ」
時間を掛けて丁寧に洗ってもらった結果、埃と油で淀んでべったりとしていた黒髪は消えた。
部屋に差し込む僅かな陽光でも煌めく、細くてさらっとした輝金髪が今の僕の髪だ。
「いえ、お世辞ではありませんよ。マリス、貴女もそう思うでしょ」
「……いいなぁ」
「マリス、聞いていますか」
「え……⁉ あ、はい。リゼットの言うとおり、誰もが羨む髪だと思います」
リゼットに睨まれ、見惚れていたマリスがハッとして慌てた様子で会釈した。
「あ、ありがとう。素直に嬉しいよ」
髪のことを褒められるなんて、未来を含めて一度も経験したことがない。
僕は、のびのびの髪を持って両手で顔を覆い隠して俯いた。
こういうとき、どういう顔したらいいかわからないよ。
「ふふ、幼い頃のエラリアを思い出しますね。決まりが悪くなると、アシル様のようにそうやって顔を隠していましたよ」
「え、そうなの?」
目を瞬いて顔を上げると、リゼットは懐かしそうに僕の髪を触った。
「はい。この色、髪質。どれもエラリアが、自慢に思っていたものです。いえ、それ以上の輝きがありますね。何にしても、アシル様はこの髪を自信に持つべきだと存じます」
「そ、そうです。私もそう思います。アシル様がこんな綺麗な髪を持っていると知ったら、絶対に屋敷で働く皆の目の色が変わりますよ」
マリスは鼻息を荒くして言った。
平民の髪色というのは基本的に灰色、黒、茶髪などだ。
極稀に、母さんのような金髪が生まれることもある。
なお、マリスの髪色は茶髪だ。
金髪を持つ者は基本的にルク家と何かしら血の関わりがあると言われているが、定かではない。
もしなかったとしても貴族を訪ねれば、何かしら仕事を与えられるだろう。
母さんがそうだったように。
ルク家の領地に住む者であれば、誰もが金髪を羨む。
だからこそ、ロドリナは僕の髪を真っ黒に染めていたのだ。
光の誓約を結んだとはいえ、数時間前まで僕のことを罵っていたマリスがここまで変わるんだ。
実際、この髪を屋敷で働く人達に見せれば、彼等の態度は変わるんだろう。
でも、そんな見せかけだけの情なんて、もういらないんだ。
どこかで頭が冷めたような気がした。
「……そっか、ありがとう。でも、さすがにこんなのびのび状態にしておくわけにはいかないし、ばっさり切っちゃおうか」
「えぇ⁉ それはいくら何でも勿体ないです」
マリスが目を丸くして頭を振ると、リゼットが口元に手を当てながら「それでしたら……」と切り出した。
「前髪は目が見えるよう綺麗に整え、後ろ髪は三つ編みにしては如何でしょうか。エラリアも、日によっては長髪を三つ編みにしていましたから」
「母さんも……?」
僕は生まれてから、母さんの顔を見たことがない。
どんな風貌で髪型をしていたのか。
どんな声だったかもわからない。
「ねぇ、リゼット。僕は母さんに似ているかな?」
前髪をずらして彼女をまじまじと見つめると、リゼットはハッとしてから顔を緩ませた。
「はい、エラリアの幼い頃にとてもよく似ております。その金髪はエラリアの血をアシル様が引いている証です。ここは、あえて三つ編みにして、ここぞとばかりに見せつけてるべきではないかと」
「そ、そうですよ」
リゼットの言葉に、マリスが相槌を打った。
「長年馴染みだったリゼットがこう言っているんです。きっと、アシル様はエラリア様そっくりなんですよ。きっと、エラリア様を知る者は、誰もがエラリア様が生き返ったと驚きますよ」
「母さんが生き返った……」
マリスの言葉で、僕の脳裏に電流が走って閃きが生まれた。
もし、僕が母さんとそっくりな顔立ちであれば、髪型次第で母さんの再来を思わせることができるだろう。
リクアードにはエラリア母さんの存在を再認識させ、ロドリナには過去に葬った悪夢を蘇らせることができるはずだ。
あの男の性格上、ロドリナのことも駒の一つとして考えているはず。
上手く立ち回れば、ルクナスト崩壊のきっかけ作りに使えるかもしれない。
瓜二つの容姿を持つ僕が亡霊となって、エラリア母さんの無念と怨念を晴らす。
素晴らしい戯曲になりそうだ。
「……なるほど。これはありだな」
「えっと、アシル様。どうかされましたか?」
閃きにほくそ笑んで漏らした声に、マリスが首を捻った。
「いやいや、君のおかげで良い事を思いついてね」
「そ、そうなんですか。それでしたら、お役に立てて良かったです」
はにかむ彼女を横目に、僕はリゼットに向き直った。
「じゃあ、改めて髪型は金髪をできるかぎり残す三つ編みでお願い。前髪も僕の瞳がよく見えるようにして。知っている人が僕を見た時、母さんを彷彿させるようにね」
「畏まりました。では、そのように身嗜みを整えさせていただきます。マリス、手伝って」
「はい、すぐにご用意いたします」
二人が慌ただしく動き始める中、僕は思わず口元が綻んだ。
母さんの再来として、僕が屋敷の中を平然と歩き始めたらリクアードとロドリナはどんな顔をするだろうか。
リクアードは動じることはないかもしれないが、ロドリナは気が気でないはず。
屋敷の皆が驚く顔が、とても楽しみだ。
その時、ふとルシファードの顔が脳裏をよぎった。
母さんがここに来た時、あいつは五歳で、今現在は十六か、十七歳になっているはずだ。
奴は、母さんのことを覚えているんだろうか。
未来軸でのルシファードは人前では僕に優しかったが、人目がなくなると『不浄な子』『忌子』『汚れた子』と言って容赦なく罵倒して蔑んでいた。
ロドリナから事の次第は聞いているだろうし、母さんのことも少しは覚えているのかもしれない。
今にして思えば、あいつが僕を見る目は、リクアードやロドリナとはちょっと違っていたような気がする。
僕を嫡男の立場を脅かす存在と危険視し、憎悪していた……そう思っていたんだけど、今となってはどうも腑に落ちない。
でも、未来の記憶を辿って、さらに昔のことを探るのは、さすがに無理があるか。
思い出そうとしても、だいぶおぼろげだ。
まぁ、何にしても、ルシファード。
お前も二人同様、地獄に送ってあげるよ。
せいぜい覚悟しておくことだね。
リゼットとマリスが髪を整えてくれる間、僕は自身の容姿と髪をルクナスト家破滅の戯曲にどう盛り込んでいくか。
詳細を思案するのであった。
◇
「……できました。とても美しく、素晴らしいお姿です」
「アシル様、すっごい美少年ですよ。屋敷を歩いたら、絶対にルシファード様が霞んじゃいます」
「あ、あはは。二人とも、ありがとう」
僕は今、頬を掻きながら部屋に備え付けられた姿見鏡の前に立っている。
背後には、リゼットとマリスが満面の笑みを浮かべた。
洗髪と散髪、洋服選びを合計して数時間にも及ぶ大改造の結果、僕の姿は激変している。
のびのびで油べったりで黒く染められ淀んでいた髪は、陽光で煌めく綺麗なさらっとした金髪に様変わり。
伸びた髪を生かしつつ、母さんを彷彿させる髪型として三つ編みを採用したところ、後ろ髪は腰下ぐらいの位置になった。
鬱陶しい前髪も切ってもらえたから、金琥珀の瞳が露わとなっている。
前髪がないだけなのに、なんだか見るもの全てが新鮮なように感じられた。
醜いと蔑まれた芋虫でも蝶となれば、人の見る目は変わる。
そして、蝶自身も地上を這いつくばって蔑まれていたころと、賛美と共に空を羽ばたくのでは世界を見渡す目が変わるだろう……そんな気分だ。
でも、これはルクナスト破滅の始まりに過ぎない。
見た目はどんなに綺麗だろうが、僕は彼らにとって厄災の蝶。
決して、ルクナストと相容れぬ、母の遺恨と未来の怨念を糧に羽化した蝶。
それが『僕』だ。
深呼吸をすると、僕は真顔になって二人を見やった。
「さて、これからが重要だ。マリス、君はこれからロドリナのところにいって『リゼットにしてやられた』と報告してくるんだ。もちろん、僕とリゼットのことを罵倒し、蔑み、悔しがることを忘れずにね」
「は、はい。しかし、この『光の誓約』は大丈夫なんでしょうか?」
マリスは不安そうに自身の左胸を見つめた。
「大丈夫。誓約は、僕に敵意がある場合のみ。偽りの気持ちで吐けば、発動しないよ。まぁ、ほんのちょっとだけ締め付けや違和感ぐらいはあるかもしれないけどね」
「違和感と締め付け、ですか。なんとか、頑張ってみます……」
彼女がため息を吐いて俯くと、僕は不安を和らげる光を発動。
マリスを包み込んで、彼女の耳元に顔を寄せた。
「あと、『僕の専属メイド』になったことも忘れずに伝えるんだよ。リクアードの暴行を受けた証と一緒にね。ちゃんと動いてくれれば、相応のお礼もするから頑張って」
「……⁉ 畏まりました。お任せください」
マリスはやる気に満ちた表情を浮かべると、会釈して部屋を出て行った。
「……あの子、大丈夫でしょうか?」
部屋の扉が閉まる音が聞こえると、リゼットが不安そうに呟いた。
「さぁ。でも、僕たちと一緒に過ごしたこの数時間で、彼女はきっと理解したと思うよ。今後のルクナストで、誰に尻尾を振ればいいのか。万が一のことがあっても『光の誓約』があるし、抜かりはないさ」
「畏まりました。では、アシル様。次はどうなされますか」
「そうだね……」
僕は口元に手を当て、部屋を見渡した。
「とりあえず、ここから引っ越しの準備かな。蝶が羽ばたくには、この部屋は狭すぎるからね」
「蝶、ですか……?」
「あぁ、いやいや。ごめん、気にしないで」
きょとんと小首を傾げるリゼットに、僕は顔の火照りを感じながら誤魔化すべくはにかむのであった。
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