邂逅と告白
「……様、アシル様? リゼットでございます。お呼びでしょうか」
「ん……?」
扉を丁寧に叩く音と、優しくもか弱そうな声が聞こえてきた。
どうやら、マリスに使用した光魔法が想像以上に体に負担をかけていたらしく、気付いたら眠ってしまったようだ。
それにしても、あれしきのことで疲れて眠ってしまうとは思わなかった。
才能はそのままでも、体力や魔力量は年相応。
いや、生育環境相応と言った方が正しい。
今のままじゃ、半年後に起きるであろう事件を防ぐこともままならないだろう。
由々しき事態だ。
これは絶対に彼女の協力を得ないといけないね、未来と逆襲のために。
「あぁ、ごめん。ちょっとうたた寝してしまったみたいだ。部屋に入ってきてもらえるかな」
「は、はい。畏まりました。それでは失礼します」
僕の返事に緊張した声が聞こえてくるが、見下すような敵意や害意は感じられない。
やっぱり、この人だけは、他のメイド達とは違うみたいだ。
部屋の扉が開かれ、薄暗い部屋に一人のメイドが入ってくる。
濃い灰色の髪を後ろ団子にし、肌はどちらかと言えば白い。
目立ち鼻も整っていて、綺麗な顔立ちをしている。
ただ、水色の瞳が浮かぶ目には不安の色が宿っていて、全体的に雰囲気が暗い印象を受けた。
実は、こうしてリゼットを正面から見るのは初めてだ。
未来軸において、僕は彼女の名前と存在をルクナストの名前を名乗れるようになってから知った。
でも、どういうわけか、ルク家に売られるまで本邸にいる間、僕は彼女と顔を合わせる機会がなかったのだ。
今にして思えば、リクアード、ロドリナ、ルシファードの誰かが何か後ろめたいことがあって、あえて合わせないようにしたんだろう。
僕の出生を考えれば、ロドリナの可能性が一番高い。
ルク家で光の盟約によって僕が暗殺者となって間もない頃、唯一ルクナスト家から届いていたのも彼女からの手紙だった。
内容は僕の身を案じるものだったけど、それもいつしか届かなくなる。
未来の僕が気になって調べたところ、ルクナスト家のメイドを辞めたらしく、その後の足取りはわからず消息不明となっていた。
もしかすると、僕に手紙を送っていたことを把握していたであろうルク家が、ルクナスト家に圧力をかけて辞めさせたのかもしれない。
消息不明となっていたことを考えれば、辞めた後は闇から闇に葬り去られた可能性もある。
それらの理由をここで見極めた上、僕の協力者になってもらわないと何も始まらない。
「あ、あの……。まじまじと見つめられておりますが、私の顔がどうかされましたか?」
「え? あ、ごめんね。マリスだっけ。あの人以外、ここに人が来ることがほとんどなくてね。リゼットの整った顔に見惚れていたんだよ」
「そ、そうなんですね。ありがとうございます」
誤魔化すように頬を掻きながら告げると、リゼットは少し照れくさそうに会釈した。
やっぱり、彼女をこうして前にして直接会話しても敵意や害意は感じられない。
他のルクナスト家に仕えている人とは、明らかに僕の扱いが違うようだ。
僕の母であるエラリアをルクナスト家のメイドに誘った友人だったらしいから、負い目もあるのかもしれないな。
でも、それだけで『協力者』にできるかどうかの判断は下せない。
これからの会話が肝心だ。
「さて、君を呼んだ理由を話す前に少し確認したいんだけど、マリスから何か聞いたかな?」
「いえ、特には何も聞いておりません。アシル様がお呼びだから一目を避けて、すぐに行くようにと言われました。ですが、何だか凄く怯えていたと申しますか。何やら鬼気迫った印象はありました」
「なるほどね」
リゼットの口ぶりから察するに、マリスは僕とのやり取りが相当堪えたらしい。
今は僕に対する恐怖心が強いだろうが、髪と肌つやの改善を知った時が見物だな。
ああいう輩は、自分の利益に目ざとい。
僕の言うことを聞くことで、何かしらの利が得られると考えさせれば、彼女も協力者にできるだろう。
いざとなれば切り捨てられる、捨て駒、としてね。
「あの、そろそろ私が呼ばれた理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
おずおずと尋ねてきたリゼットに、「そうだね」と目を細めて答えた。
「でも、説明するよりもこれを見てもらった方が早いかな」
「は、はぁ……?」
僕は右手で光球を生成する。
さっき指先で出したものよりも大きくて、薄暗い部屋が瞬く間に明るくなった。
「こ、これは……⁉」
「見ての通り、僕は光魔法を発現したんだ。11歳になった今日にね」
リゼットは目を丸くしている。
驚愕したということで言えば、マリスと同じだ。
問題はこのあと、一体彼女がどんな反応を示すか、である。
「さて、リゼット。君はこれを見てどう思った?」
「お……」
彼女は顔を伏せ、肩を小刻みに震わせている。
表情をうかがい知ることはできないけど、今までの見下していた僕が光魔法を見せたんだ。
心の中でさげずんでもいるのかもしれない。
『お前に光魔法が扱えるなんて、嘘よ』
『恐れ多いわ。お前のような犬畜生にも劣る存在が生意気よ』
『お粗末なお前に光魔法なんて。あり得ないわ』
未来の僕と現在の僕がメイドや周囲に言われた数々の言葉が蘇ってくる。
やっぱり、彼女も他の人達と一緒か。
でも、最初からわかっていたことじゃないか。
「おめでとうございます、アシル様」
「え……?」
リゼットは目に涙を浮かべ、僕をその胸に抱きしめていた。
彼女の腕の中、僕はびくりと震えて体が強ばった。
でも、リゼットの『温かさ』に触れて、ふっと力が抜けていく。
人の温もりをこんなに間近で感じたのは、これが初めてかもしれない。
優しくて、温かくて、気付けば目尻から涙が溢れて頬を伝っていた。
「あ……⁉ 大変失礼をいたしました。申し訳ありません」
僕が泣いていることに気付いたリゼットは、ハッとして真っ青になりながら距離を取ると深く頭を下げた。
僕が嫌がっていると思ったらしい。
「え、あ、いや。これはその、人の温もりを感じたのが初めてで嬉しいというか、なんというか。と、ともかく、怒ってないから気にしないで」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
彼女に顔を上げてもらうと、僕は頬を伝っていた涙を自らの服の袖で拭った。
そして、改めてリゼットを見据える。
彼女にマリスや他のメイド達、未来の僕の周囲にいた奴等のようなさげずむような表情、感情は見られないようだ。
この人なら、リゼットなら、僕の協力者に、味方になってくれるかもしれない。
淡い期待が胸に灯るが、でも、まだ信じちゃダメだ。
「それよりも、君は『おめでとう』って言ってくれたけど、それは本心かな」
「えっと、それはどういう意味でしょうか」
きょとんと首を傾げるリゼットに、僕は真顔になって言葉を続けた。
「知っての通り、僕は当主リクアードにルクナストを名乗ることを許されていない。正妻のロドリナに至っては、僕のことを『犬畜生にも劣る存在』だと考えているようだよ」
「そ、それは……」
リゼットは困惑した表情で俯いてしまった。
ルクナストで僕がどんな扱いを受け、どんな存在なのか。
この屋敷で働く者であれば、誰もが知っていること。
当然、彼女も良く知っているはずだ。
でも、俯いたリゼットからは、悲しみ、怒り、悔しさ、やるせなさ……どれも僕に対して同情的というか好意的な感情が見受けられる。
僕は深呼吸をすると、「まぁ、それはそれとして……」と話頭を転じた。
「君に尋ねたかった本題は、僕の母エラリア・ルクデールのことだよ」
「エラリア……様のことですか」
彼女の目に明らかに困惑した色が宿った。
エラリアという名前一つの言い方にも、親しみがある。
「君が話すとき、母上に様はいらないよ。君と母上は親しい友人だったんでしょ」
「は、はい。でも、どうしてそのことをご存じなんですか」
「……母上の手紙があったんだよ。『アシル。貴方がどうか、この家から逃げられますように。リゼットを頼って』ってね」
「……⁉」
リゼットは目を見開くと、口元を両手で覆った。
彼女の目からは大粒の涙が溢れ、「エラリア、エラリア、ごめんなさい……」と嗚咽を漏らしはじめる。
手紙というのは『嘘』だ。
母エラリアとリゼットの関係を詳しく知ったのは、未来の僕がルク家に売られたあとのことだ。
もしかすると、エラリアは手紙を本当に残していたかもしれない。
でも、仮にあったとしても、マリスをはじめとするロドリナの息が掛かったメイド達が見つけて処分していることだろう。
「……そうね。ずっと逃げていた私がアシル様に呼ばれたのは、きっとその時がきたんだわ」
落ち着くのを待っていると彼女は何かを悟ったように呟き、「……畏まりました」と鼻を啜って顔を上げた。
「私でお答えできることは、全てお話させていただきます。そして、どうか用が済んだら私をアシル様の好きなように断罪してください」
「だ、断罪……?」
彼女の顔付き、声色、抑揚から察するに嘘は言っていない。
本当に死んでもよいという、覚悟を持っての言葉だ。
僕が思いがけない答えにたじろいでいると、彼女は頭を下げて床に自らの額を付けた。
「それが、それがエラリアを……エラリアを殺してしまった私にできる、唯一の贖罪なんです」
「君が母上を殺した……⁉」
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