逆襲の来光
……一時間後に来ると言っていたじゃないか。
食事を持ってきたメイドが片付けに来たのだ。
しかし、壁時計の針はまだ40分しか進んでいない。
「なんですか、この臭い。なんか焦げ臭いですね」
メイドは眉をぴくりとさせ、警戒するように周囲を見渡した。
焦げ臭いというのは、パンを光球で焼いたからだろう。
でも、それがわかる証拠は何もない。
「あら、ちゃんと綺麗に食べて片付けてくれていたんですね」
メイドは空になった皿を見つけると、警戒を解いて目を瞬いた。
しかし、すぐに僕の姿を舐めるようにまじまじと見つめ、「それにしても……」と口元をにやりと緩ませる。
「あんな料理をこんな綺麗に食べるなんて、本当に見た目どおり卑しい子。その辺にいる犬畜生にも劣りますねぇ」
「……そうですね。仰るとおりです」
ここで怒っていつもと違うことをしては、全てが台無しになってしまう。
僕はいつもどおり、メイドの前で深く頭を下げた。
「ふふ、よくわかっているじゃありませんか。では、いつもの日課にいたしましょう」
彼女は僕の手を乱暴に掴むと、大きな姿見鏡の前に移動する。
そして、僕を鏡の前に立たせ、背後に立ち耳元で囁いてきた。
「アシルはルクナスト家の一員でもなければ、人でもなく、畜生にも劣る存在。しかし、アシルの命は当主リクアード様とロドリナ様。そして、ルシファード様のもの。無価値なアシルに残る唯一の価値は、何かしら皆様のお役に立つこと。ただそれだけ……さぁ、復唱してください。当主リクアード様のご命令です」
「畏まりました」
僕は何も言わずに頷いた。初めて教えてもらった言葉もこれだったな。
そして、朝昼晩。
三食の食事とも言えない食事を食べた後、僕は毎回これを言わされている。
11歳になった今日までずっと。
「僕、アシルはルクナスト家の一員でもなければ、人でもなく、畜生にも劣る存在です。しかし、僕の命は当主リクアード様とロドリナ様。そして、ルシファード様のもの。無価値な僕に残る唯一の価値は、何かしら皆様のお役に立つこと。ただそれだけです」
今まで何も感じなかったけど、今の僕には未来の記憶がある。
洗脳の類で言わせているんだろうが、屈辱以外の何者でもない。
ルクナストを名乗ることは許されていなくても、僕は当主リクアードの血を引いている。
それなのに、こんなことを平然と言わせる奴等の愛情を欲していたなんて。
愚かな自分が嫌になる。
僕は家族に愛してほしかった。
ただ、認められたかっただけなのに。
ここまでくると怒りを通り越して、やりきれない。
「はい。よく言えましたね。では、私はこれで失礼します」
「あ、待ってください」
部屋を足早に出て行こうとするので声を掛けると、彼女は眉間に皺を寄せ嫌悪感をあらわに振り向いた。
「……なんでしょうか」
「申し訳ありませんが、リゼット。リゼット・ルクノイアを呼んでもらえますか。至急の用件がありまして」
「はぁ? どうしてそんなことを私が聞かないといけないんですか」
「言ったではありませんか。至急の用件があるんです。どうか、リゼ……」
下手に出ていると突然、部屋に破裂音が響き、僕の右頬に衝撃が走った。
「うるさいですよ、アシル様。言ったでしょう、貴方は犬畜生にも劣る存在なんです。人様にお願いできる立場ではありませんし、私が聞く必要もないんです」
そうか、そういう態度を取るならこっちにも考えがある。
僕はじんじんと痛む右頬を右手で触り、光魔法の癒やしを発動した。
その瞬間、手から淡い優しい光が発せられ、瞬く間に痛みが引いていった。
「な……⁉ そ、そんな、今のはまさか……⁉」
メイドは戦き、たじろいだ。
こんなやつでもルクナスト家で働くメイド。
今のが一目で光魔法であることを察したのだろう。
僕はゆっくりと口角を上げた。
「至急と言った意味、わかったよね」
「あ、ありえない。お前なんかに光魔法が発現するなんて……⁉」
「無礼な発言を許するのは、これで最後だよ」
冷淡に告げると、僕はメイドの耳元に小さな光を飛ばした。
一瞬、何かが焼けるような音が部屋に聞こえると「あつ……⁉」とメイドが片耳を押さえながらその場でへたり込んだ。
光線による脅しだが、こんな奴にはこれで十分だろう。
実際、彼女の表情は驚愕と恐怖に引きつっている。
「君、名前なんだっけ?」
「マ、マリス。マリス・ルベリエです」
「そっか、そんな名前だったね。すっかり忘れていたよ」
このメイドが僕に名前を名乗ったのは、初めてこの離れ小屋にやってきた時だけだ。
それ以降、僕はこのメイドにずっとあんな食事を食べさせられ、洗脳を受けていた。
挙げ句、犬畜生にも劣ると蔑まれていたわけだ。
前言撤回、こいつには立場を一度わからせておこう。
ロドリナの息も掛かっているだろうし、下手な動きをされても困る。
「マリス、君が何をどう言おうと、僕は光魔法を発現したんだよ」
僕は彼女の耳元に顔寄せ囁いた。
そして、彼女の両頬に手を添え、にこりと微笑んだ。
「こんな風にね」
「……⁉」
マリスは突然、目を見開いて悲痛な叫び声を上げた。
突然、顔に走った焼けるような激痛に驚いたんだろう。
実際、焼いたんだけどね。
「や、やめて。やめてぇえええ」
「やめて……? やめてください、の間違いでしょ」
彼女の頬が焼け、煙と焦げる臭いが部屋に漂いはじめる。
しかし、僕は笑顔を崩さず、そのまま光魔法を続けていく。
「誰か、誰か、助けて」
「助けて、だって? ここが離れ小屋であることは知っているはずだよね」
「も、申し訳ありませんでした。やめてください、お願いします」
「うん。やっと言えたね」
僕が手を離すと、彼女は呻きながらその場にうずくまってしまう。
追い打ちを掛けるべく、僕は彼女の髪の毛を掴んで無理矢理に顔を上げた。
「一日中泣き叫んだところで、誰も助けに来てくれるわけないじゃないか。嘘じゃないよ、何せ僕の『体験談』だからね」
「あ、あぁ……」
全て察し、絶望した表情を浮かべるマリス。
結構、綺麗な顔をしていたのに、今は両頬が焼けただれて見る影もない。
だが、この程度の恐怖では、まだ反抗する恐れがある。
「そういえば、僕のことを畜生にも劣ると言っていたけど、君はそれ以下。いわば、ルクナスト家のおこぼれにたかる蛆虫だ。そうだろ?」
「は、はい。アシル様の仰るとおりでございます。わ、私は、マリス・ルベリエは畜生にも満たない、おこぼれにたかる蛆虫です。ですから、どうか、どうかお慈悲を……」
「慈悲か。なら両手を出して」
マリスが恐る恐る出してきた手を掴むと、僕はにこりと微笑んだ。
「蛆虫は浄火しないとね」
「は……?」
彼女がきょとんとした次の瞬間、僕は光魔法を発動した。
「……⁉ あぁあああああああ⁉」
「大丈夫、ちゃんと治してあげるから。でも、その前に、ちゃんと浄火しないとね」
冷淡に告げると、僕はそのまま暫く彼女の両手を焼き続ける。
光魔法を止める頃には、彼女の手は原型を失うほどに焼けただれていた。
マリスの目を見れば、完全に光が消えている。
これだけやれば、もう立場をわきまえるだろう。
「よく耐えたね。これで浄火は終わりだよ」
そう告げると、僕は光魔法で『癒やし』の力を発動する。
暖かくて優しい光がマリスを包み込み、瞬く間に彼女の傷は元通りとなった。
「え、えぇ⁉」
マリスは痛みが消え、体の傷が何一つなくなっていることに目を丸くしている。
「ついでに体全体の不調も治して、お肌と髪の毛も全部つやつやしておいてあげたよ」
「は、はぁ……?」
彼女は意味がわかってないらしく、首を傾げた。
鞭と飴、というやつだ。
恨み辛みがあるとはいえ、さすがに女性の悲鳴を聞くのは罪悪感が凄かった。
でも、マリスがロドリナに僕のことを報告すれば、計画が狂う可能性があるから止むを得ないだろう。
それにしてもおかしいな。
未来の僕は、何も感じなかったはずなのに。
僕は頭を振ると、咳払いをして畏まった。
「さて、本題にうつろうか」
マリスは肩をびくりと震わせ、こちらを見つめた。
反抗心は完全になくなったようだ。まるで、蛇に睨まれた蛙だな。
「僕の父はリクアード。それがこれからどういう意味を持つか、わかるよね」
当主の血を引く息子が庶子であれなんであれ、光魔法を発現した。
それはつまり、周りが何をどう言おうが、僕はルク家の一員。
貴族の端くれとなったのだ。
マリスはハッとすると、その場で畏まって頭を床に付けた。
土下座である。
「……⁉ は、はい。これまでの無礼を、どうか、どうかお許しください。しかし、私はロドリナ様の指示に従っただけなんです」
「そっか、母上の教育だったんだね。なら、しょうがない。言葉の件は、さっきの浄火で忘れよう」
「あ、ありがとうございます」
彼女は顔を上げるが、僕はわざとらしく叩かれた頬を指差した。
「でも、この頬の件は別だよ。父上にも報告し、お前の処分を考えねばいけないね」
「そ、そんな……⁉ それだけは、それだけはどうかお許しください」
処分、言ってしまえば処刑だ。
貴族の子、それも当主の血を引く子の頬を感情のまま叩いたとなれば、不敬罪で処刑まで持っていけるだろう。
「何でも、何でもいたします。ですから、どうか命だけはお助けください」
マリスは再び床に額を付けた。
みっともない、光魔法でちょっと脅しただけでこれか。
「わかった。なら、リゼットをここに今すぐ呼んでくるんだ。ただし、母上や兄上に知られてはいけないよ。もちろん、他のメイド達にもできるかぎり知られてはならない」
「か、畏まりました。で、ですが、どうしてそのようなことをされるのでしょうか」
「マリス、君に質問する権利はないんだよ。君はただ、言われたことを黙ってして、秘密を守れば良い。そうすれば今日の件は全て忘れてあげるから」
ロドリナの息が掛かっているくせに、察しが悪すぎる。
でも、ルクナストに集まっている人材なんて、こんなものだろう。
「は、はい。では、すぐにリゼットを呼んで参ります」
ようやく事態を理解してくれたらしい。
マリスは、慌てた様子で離れ小屋を出て行った。
扉が閉まると、僕はベッドに移動してどさっと腰掛けた。
思った以上に緊張していたらしく、両手が小さく震えている。
未来の僕は、ルク家に仕える最強最悪の暗殺者と呼ばれていたのに……これしきのことで情けないな。
僕はため息を吐くと気持ちを切り替えるべく「それはそれとして……」とあえて呟き、メイドが出て行った扉を見据えた。
未来の僕は全てを諦め、感情も捨てていたのかもしれない。
この心の痛みも、今世で取り戻したものの一つなんだ。
だからこそ、覚悟を持ってやり遂げる。
今世は二度と誰にも縛られないために。
深呼吸をすると、僕はベッドに上半身を倒して仰向けになった。
リゼット・ルクノイア。
母のエラリアがリクアードの手籠めにされる遠因を作った女性。
はたして、君は僕の協力者になってくれるかな。
「……今世の僕は、僕の意思と自由を、天光の力を縛ろうとする者を決して許さない。だからこれは、復讐でもなければ報復でもない。未来で僕を縛ったお前達への――逆襲だ」
ルクナスト家当主リクアード、正妻ロドリナ、嫡男ルシファード。
まずは君達を生き地獄に落としてあげよう。
未来の僕のようにね。
決意を胸にゆっくり目を閉じると、追憶の中で泣いていた『彼女』の姿が脳裏に浮かんでくる。
大丈夫、忘れてないよ。
今度こそ、君のことも僕が守るから。
目を瞑ったまま、僕はリゼットが訪ねてくるその時を静かに待った。
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