アシルの反撃
「アシル様。本日から武術稽古を担当させていただくガイル・バーザックです。以後、お見知りおきをお願いいたします」
「はい。よろしくお願いします」
僕があどけない顔でぺこりと頭を下げると、茶髪の短髪に青い瞳を持つガイルはにこりと目を細めた。
しかし、彼の瞳の奥には自身より力の弱い者をいたぶるのが大好きな加虐の色合いが潜んでいる。
今、僕達がいる場所はルクナスト家の屋敷敷地内にある旧訓練場だ。
離れ小屋の近くにあって手入れがされておらず、雑草がまばらに生えていて人気もない。
リゼットとマリスは立ち会いを希望したが『稽古中、アシル様の甘えになります』とガイルから断られてしまい、この場にいるのは僕とガイルのみ。
何が起きてもわからない、というわけである。
リゼットとマリス曰く、こいつはロドリナが用立てたルクナスト家に仕える騎士であり、彼女の息のかかった男だそうだ。
現在、こいつは彼女の護衛騎士だが、過去に同じくルクナストに仕える騎士を『実戦訓練』と称して再起不能に追い込んだり、勢い余って殺してしまったこともあるという。
ただし、剣の実力は本物ということもあって、訓練は死亡事故としてロドリナが処理。
以降、彼女の手駒となっている。
今では、その立場を利用して屋敷内の使用人に横暴を働くこともあるというなかなかの危険人物だ。
ロドリナに仕えるメイド達でさえ、この男に対する印象は良くないらしい。
今のところ、僕の身の回りを世話する人の人事権を持っているのはロドリナ。
公爵家に僕を奉公に出すと言った以上、リクアードも彼女が過激なことをするまいと考えているのだろう。
下手に人事権を取り上げれば、彼女が騒ぎ出すだろうし、面倒臭いと思っているのかもしれない。
ガイルは二本持っていた木剣の一つを僕に手渡した。
「では、早速、訓練を使って始めましょう。好きなように打ち込んできてください」
「わかりました」
僕は武術を知らない体で木剣を大きく振りかぶると、彼に向かって走り出した。
ガイルはふっと口元を緩めると、僕の木剣を軽く振り払う。
「いいですね。その調子でどんどん打ち込んできてください」
「はい!」
元気良く返事をして何度も打ち込んでいくが、ガイルは目を細めたまま振り払っていくだけだ。
さて、何をどう仕掛けてくるつもりなのかな。
しばらく稽古を続けると、彼が「休憩しましょう」と言いだした。
手を止めると、彼は僕を見て微笑んだ。
「さすが、リクアード様のご子息です。素晴らしい才能を秘めていますね」
「ありがとうございます。ルクナストの名を与えられ、本家へ奉公に出るんです。いち早く強くならないと」
「そうですか」
肩で息をしながら家族を信じる健気な少年を装って笑みを浮かべると、ガイルは口元を緩めた。
「それでしたら、訓練を少し厳しくいたしましょうか。そうすればより強くなれますよ」
「え、本当ですか⁉」
「それも、光魔法を発現したアシル様でしか出来ない方法です」
「僕にしか出来ない方法……?」
食い付いた僕が首を傾げると、ガイルはこくりと頷いた。
「はい。ですが、一つ確認させてください。最近、屋敷内でアシル様が怪我を光魔法で治療してくれるという噂を耳にしたのですが、これは事実でしょうか」
「あ、はい。時折、屋敷で働く人が怪我をしている姿を見たので、こっそりと治療していたんです。一応、秘密にするようお伝えしていたんですが、そんな噂が立っていたんですね。知りませんでした」
僕はそう言うと、はにかみながら照れ隠しのように頬を掻いた。
もちろん、屋敷内での噂は把握している。というか、リゼットやマリスを使って僕が流したからだ。
ルクナスト家で理不尽な暴力を浴びせられた者達の心を掌握し、ガイルのような奴をロドリナに差し向けるための餌とするために。
「そうでしたか。周りがどう言うかわかりませんが、私は素晴らしい試みだと思いますよ」
「本当ですか。嘘でも嬉しいです」
純真無垢を装って微笑み、くすぐったそうに身をよじってみせると、ガイルは咳払いして真顔となった。
しかし、瞳の奥にはどす黒い悪意が宿っている。
「先程、お伝えした厳しい訓練とはその光魔法による癒やしの力を使います」
「癒やしの力を?」
「えぇ、その通りです」
小首を傾げると、ガイルはにこりと微笑んだ。
曰く、騎士である彼と本気の打ち合いをすることで飛躍的に実力を上げる、という方法だそうだ。
どちらかが怪我をしたとしても、僕の光魔法を使えば治療できる。
「武術は基本や形も大事ですが、痛みや恐怖に慣れることも重要です。そして、痛みや恐怖に慣れた方が、武術の覚えは早いのです」
「なるほど、そうなんですね」
目から鱗が落ちたと言わんばかりに、僕は目を輝かせて身を乗り出した。
この、大嘘つきめ。
痛みや恐怖に慣れることは重要かもしれないが、基本が何もできていない相手に、それも僕みたいな子供に大人の騎士が本気で打ち合う。
それはただの加虐であり、拷問であり、虐待であり、一方的な暴力に他ならない。
「しかし、私もアシル様の許可なく厳しい訓練を施すことはできません。どうでしょうか?」
「そう、ですね……」
不安と心配から悩ましげに俯くと、ガイルは「まぁ……」と意味深に相槌を打った。
「アシル様がいち早く強くなれば、リクアード様やロドリナ様も喜ぶことでしょうがね」
「……⁉ そうですよね。わかりました。お願いします」
決意した様子で頷くと、ガイルは口角を上げた。
優しい世界しか知らなければ、それはとても慈愛に満ちたものに見えたかもしれない。
だが、僕の目にはとても邪悪な顔にしか見えなかった。
「ありがとうございます。それでは稽古を再開しましょう。木剣を構えてください」
「わかりました」
息を呑んで木剣を構えると、ガイルは下卑た笑みと共に木剣を鋭く振るった。
先程までの手加減されたものではなく、剣術に慣れた騎士が振るう剣筋そのものだ。
風を切る音に次いで、乾いた激しい音が訓練場に響いた。
「あ……⁉」
一応、最初は馬鹿正直に受けてみるか……そう思ったけど、この判断は間違っていた。
まだ握力が弱くて、持っていた木剣がガイルの剣撃で弾き飛ばされてしまう。
次の瞬間には、ガイルが振るう木剣が目の前に迫っていた。
僕は咄嗟に腕を交差して受けつつ、吹き飛ばされる。
わざと身を引くように飛び退き、衝撃をできるかぎり無くすためにだ。
地面で転がって泥だらけになると、鼻で笑うガイルの声が聞こえてきた。
「さすが、受け身もお上手ですよ。さぁ、稽古の時間は無駄にできません。早く立ってください」
「う……⁉」
立ち上がろうと地面に手をつくと、激痛が走った。
どうやら、交差して斬撃を受けた時に腕を怪我したようだ。
あの程度でここまでの損傷を負うなんて、未来の僕では考えられない。
やっぱり、現状の僕はかなり体が弱いようだ。
「おや、怪我をしてしまいましたか」
言葉だけ聞くと心配しているように聞こえるが、ガイルの顔を横目で一瞥すると嬉しそうに口角を上げていた。
ロドリナの権力を傘にした加虐趣味【サディスト】の騎士か、ルクナスト家には本当に碌な奴がいないな。
「それでは、光魔法で治してください。お得意でしょう」
「……わかりました」
こくりと頷くと、僕は怪我した場所に淡い光を当てる。
木剣による斬撃で赤くなった腕はすぐに元通りとなるが、同時に嘲笑するような口笛が聞こえてきた。
「便利なものですねぇ。その力を使って、ぜひ強くなってください」
「光魔法にはこういう使い方もあるんですね。でも、ガイル。もし、貴方が稽古中に怪我をしても治してあげます。僕が満足するまで……付き合ってくださいね」
「はは、もちろん。望むところです」
ガイルは木剣を肩に載せ、勝ち誇ったように笑った。
僕の言葉を冗談か、強がっていると思っているようだ。
でも、僕は動じずにゆっくりと立ち上がると、彼を真っ直ぐに見据えた。
「約束、しましたからね」
「……アシル様。身分があろうと、目上の者にあまりそういう目をしてはいけません。無駄な敵意を買うことになりますよ。こんな風に、ね」
ガイルは眉をぴくりとさせて顔を顰めると、一気に間合いを詰めてくる。
そして、肩に載せていた木剣を鋭く振るった。
鋭い風切り音が鳴って、木剣が僕の頬で寸止めされる。
「な……⁉」
しかし、ガイルは目を丸くして固まった。
脅すつもりで振るったんだろうが、僕が彼を見据えたまま微動だにしなかったからだろう。
僕は頬に寸止めされた木剣を指で軽く触れると、ふっと目を細めた。
「なるほど、後先考えない輩を挑発すると、こうなるんですね。勉強になります」
「あ……あっはは。わ、わかっていただけたようで何よりです」
ガイルは額に青筋を立てるが、表情はぎりぎり笑顔を保っている。
「でも、ガイル。僕はまだ丸腰のままですよ」
「そうでしたね。どうぞ、木剣を拾ってください」
「わかりました」
彼に背を向けて地面に落ちていた木剣を拾ったその瞬間、地面を蹴る音が聞こえた。
「稽古再開です。実戦では、敵は待ってくれませんからね」
振り向けば、ガイルは目の前まで迫っていた。
彼の斬撃を木剣で受けるが、今度はさっきとは違う。
未来で暗殺者として鍛え上げられた感覚を研ぎ澄まし、光魔法を発動する。
淡い光で自らを包み込んで体を活性化させ、力を流すべくバク中で飛び退いて間合いを取る形で地面に降り立った。
体格は子供だけど、光魔法で補助すればどうにかなるのは事前に確認済みだ。
「な、なんだと……⁉」
暴力に怯え、竦み、許しを請いて逃げ惑う……大方、そんな風に考えてもいたんだろう。
目の前で起きた事が信じられないと、目を見開くガイル。僕は彼を見つめながら、にこりと頷いた。
「実戦において敵は待ってくれない。はい、その通りだと思います。だから僕も、情け容赦なくやっていいですよね。実戦形式で」
そう告げると、僕は手に持つ木剣の切っ先を彼に向けた。
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