ルシファード・ルクナストへの違和感
「うるさいぞ、ロドリナ」
「ぐ……⁉」
リクアードが冷め切った眼差しで一喝すると、彼女は下唇を噛んで、こちらを忌々しそうに一瞥してきた。
僕はびくりと肩をふるわせ、あどけない少年を演じてみせる。
未来で暗殺者として活躍していた時、変装による演技は必須技術だった。彼らの目を騙すぐらい簡単だ。
「ロドリナ、そう怖い顔をするな。アシルは半年から一年後、公爵家に小姓として奉公に出すと言っただろう」
「ですが、ルクナストの名を与える必要はないではありませんか」
ロドリナが睨みを利かせるなかで、僕は恐る恐る「あ、あの……」と遠慮がちに切り出した。
この場の注目を浴びる中、おどおどしながら続けていく。
「リクアード様。恐れながら私のようにこの程度の才能しか持たない者が『ルクナスト』を名乗ることは、やはり分不相応かと存じます」
「そういうことではない。アシル、お前を『ルクナストの一員』として公爵家へ奉公に出すと言っているのだ。そうすれば、お前が活躍すればするほどルクナストは名声を得ることができるからな。この件は決定事項だ」
リクアードは愛情が全く籠もっていない無機質な冷たい声で告げると、ロドリナとルシファードに睨みを利かせた。
「ロドリナ、ルシファード。わかったな」
「……わかりました」
「承知しました」
二人は返事こそするが、反応は全く違う。
ロドリナは悔しげに歯を食いしばり、ルシファードは感情なく淡々と頷いた。
僕がルクナストの名で奉公に出て活躍すれば、確かにルクナスト家は名声を得られるだろう。
しかし、その場合、脚光を浴びるのは僕で、ルシファードの存在は影となって薄くなる。
貴族たちはすぐに噂するだろう、ルクナスト家の次期当主は『庶子の七光りに頼る、愚鈍な嫡男』だと。
対面を重要視する貴族社会において、ロドリナとルシファードは母子ともに面目丸つぶれとなるはずだ。
でも、当主であるリクアードのみは、父親という立場から僕が活躍した名声を好きに利用できる。
だからこそ、リクアードとロドリナの反応は正反対であり、いがみ合いにまで発展しているというわけだ。
これは、中々に面白くなってきた。
リクアードは二人の反応に満足そうに笑みを溢すと、僕に視線を戻す。
「さて、アシル。公爵家に行った時、お前はルクナストでは、どんな生活を送っていたと答える」
「それは……」
僕はあえて目を泳がし、考える間を演出する。
すぐに答えてもいいが、ロドリナやルシファードの目を欺くため、いまはまだ爪を見せるべきではないからだ。
それにしても、ないがしろにしていた子供になんて嫌な質問をしてくるんだろうか。
リクアードにとって、僕は役に立つか、立たないか。
利益になるか、ならないかという存在でしかないからだろうけど。
「……もちろん。『恵まれた環境』でリクアード様と皆様から『愛情一杯』に育てられたとお答えいたします」
僕がハッとした素振りからそう答えると、食堂の壁際に控えていたメイドや給仕が眉を顰め、彼らの顔色に明らかな困惑や戸惑いの色が浮かんだ。
つい先日まで、僕がどれだけ恵まれた環境を過ごし、どんな愛情を一杯に注がれていたのかを、知っているからだろう。
でも、リクアードはご満悦そうに口角を上げた。
「素晴らしい。その通りだ。だが、私のことを『リクアード』と呼んでは、印象がおかしくなる。今後、私のことは『父上』と呼べ。わかったな」
「畏まりました。ち……」
父上、そう言おうとしたのに口が固まってしまった。
こいつを、リクアードを『父上』と呼ぶ。
それはこいつを実の父親として敬うことになる。
冗談じゃないと、頭では演じなければいけないとわかっていても感情が、口が嫌悪したのだ……この男を『父上』と敬うことを。
未来軸の僕は、愛情を求めてこの男を確かに『父上』と呼んでいた。
でも、今は違う。未来で起きた僕の出来事は、遡れば全てこいつに辿り着く、全ての元凶だ。
それなのに、こいつを、この男を、全てをわかって『父上』と呼ばなければならない。
屈辱だ、虫唾が走って反吐が出る。
「どうした。まさか、私のことを『父上』と呼びたくないなどと、言うつもりではあるまいな」
据え置きの振り子時計が決まった調子で時を刻む中で、リクアードの無機質で威圧的な声が食堂に響いた。
どんなに感情が拒絶しても事を成すためには、ここで、こいつの機嫌を損ねるわけにはいかない。
僕は深呼吸をすると、感情を押し殺して「申し訳ありません」と頭を下げた。
「リクアード様のことを、そう呼ぶことを夢見ておりましたので感極まってしまいました。改めてよろしくお願いいたします……ち、父、上」
感動して言い慣れないことを装ったが、内心は嫌悪感と吐き気に襲われていた。
全身に寒気が走って、背中には鳥肌が立っている。
「そうか。だが、喜べ。今後はどのような場においても、私を父上と呼ぶことを許可する。公爵家への奉公前に慣れておけ」
「はい、畏まりました」
会釈しつつ、だれがお前を『父上』と呼ぶものか、喉まで出かかった言葉を僕は必死に飲み込んだ。
でも、今日は、ルクナストの終わりの始まりの日となる。
この屈辱を晴らすのは、その時まで取っておくとしよう……そう自分に言い聞かせた。
「よし、では、アシル。席につけ、食事をはじめよう」
リクアードがそう言うと、ロドリナが舌打ちをしてそっぽを向いた。
こんな状況での食事、リゼットとマリスと一緒に食べたクッキーの方が絶対に美味しいだろうなぁ。
そんなことを思っていると、「アシル」と名前を呼ばれる。
振り向けば、ルシファードがこちらを横目で見やっていた。
「お前の席は私の横だ。こちらにこい」
「はい、ありがとうございます。ルシファード様」
彼とは、この場が初対面だ。
遠慮がちに隣の席に座ると、ルシファードが咳払いをした。
「父上も言っていただろう。私達は家族になったのだ。これからは『お兄様』と呼べ」
「え……⁉」
僕はさーっと血の気が引いた。
ルシファードが自ら、自身のことを『お兄様』と呼べ、だって……⁉
未来での記憶を遡るが、こいつは僕のことを汚れた存在と影では忌み嫌っていた。
表向きには優しかったが、ルク家に売られた別れ際に『お前に名を呼ばれることも、兄上と呼ばれることもおぞましかったぞ』と嫌悪感を隠さなかった。
そんな奴が初対面の僕に『お兄様と呼べ』だなんて、絶対に裏がある。
「どうした、私達は母こそ違えど兄弟だ。呼んでみろ」
「は、はい。それでは、お兄様……これでよろしいでしょうか」
気持ち悪い。
リクアードを父上と呼ぶのとは、また別の嫌悪感を覚えたその時、全身を視姦されたような寒気に襲われる。
ハッとして見やれば、ルシファードの僕を見る目が好意と憎悪が入り交じった愛憎のようなものになっていた。
異様な雰囲気に思わず喉を鳴らして息をごくりと飲むと、ルシファードは僕の髪を触って「はぁ……」と一瞬だけ恍惚な表情を浮かべる。
「アシル、君は本当にエラリアとよく似ている。今度、彼女の話をしてあげよう。二人きりで、な」
「……⁉ は、はい。母上のお話はすごく興味がありますので、その時はぜひお願いします」
ルシファードと目が合ったその瞬間、違和感の正体を察した。
こいつが見ているのは僕じゃない、死んだエラリア母さんを重ねているんだ。
未来軸の僕は、髪を黒く染めて瞳も前髪で隠したままだった。
でも、今世で身なりを整えた僕の容姿は、幼馴染みのリゼットが『エラリアとよく似ている』というほどである。
だから、反応がこんなに変わったのか。
彼は満足した様子で髪を離すと、その手で僕の顎を持ち上げて値踏みするように見つめてきた。
「な、何をされているんでしょうか……?」
「いや、年齢の割に細いと思ってな。まるで……少女のようだ」
ルシファードは目を細め、にやりと口角を上げた。
何やら長年探していた獲物を見るような目である。
ま、まさか、こいつ……⁉
嫌な予感が脳裏をよぎるが、まだ、確信はないので判断は下さない。
しかし、当分は『二人きり』は避けた方が無難だろう。
「そう、ですね。ですから、今日からしっかり食べないといけません」
「そうだな。しかし、成長期の体を無駄に大きくしては、しなやかさを失ってしまう。脂質の多いものを取り過ぎるのは厳禁だ。まず野菜とスープを食べ、赤身の多い肉を適量で食べる。そして、少々の穀物を食べ、腹八分目で抑えるんだ。わかったな」
「は、はい。わかりました」
なんだ、その体型維持を目的としたような食事の取り方は。
本当に親切で言っているのかもしれないが、彼の口調と視線からは、とてもそうは思えない。
「テーブルマナーも教えてやろう。私の膝元に来るがいい」
「いえ、さすがにそういうわけにはまいりません。それにテーブルマナーは、一通り習いましたから不手際があればご指摘願います」
「……そうか。では、そうしよう」
ルシファードはすっと引いたが、それも逆に気持ち悪い。
なんなんだ、どうしてこいつは僕にこんなおぞましい感情を向けてくる。
ある意味、リクアードよりも質が悪い。
「どうやら、ルシファードとアシルの兄弟仲を心配する必要はないようだな」
リクアードは鼻を鳴らすが、僕は内心で『冗談じゃない』と吐き捨てていた。
程なく、給仕とメイド達が料理を運んできてくれたが、食卓に会話は一切なし。
だが、ルシファードだけは、やたらと僕の世話を焼いてくる。
意味もなく体を触ろうとしてくるし、『脂質はよくないといったはずだ』と言って、肉の脂身を勝手に取り上げ、揚げ物が出てくれば衣を全て取ってからでないと食べさせてくれない。
ルクナストが名声を得るため、利用価値しか見いださない、当主リクアード。
嫌悪感を隠そうともせず、殺気を向けてくる、正妻ロドリナ。
愛憎入り交じった異常な感情を向けてくる、嫡男ルシファード。
計画上しょうがないとはいえ、それでも、これから過ごす半年間を考えると胸の奥がずんと重く沈んでいく。
いまさらながら、僕はちょっと絶望した。
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